六.花川春樹と****
前回の続き。
・凛藤恭太郎*一年八組。放送部。
・楢卯月*一年八組。春樹とは中学時代からの付き合い。
・花川春樹*一年六組。主人公。
・堺麻子*一年六組。人を疑ったりしない性格。
・真鈴あやめ*一年六組。ポニーテールがトレードマーク。
・花川椿*中学生二年生。春樹の妹。
・玉依葵*春樹の中学時代の先輩。
[二日目・13:21]C
『真鈴さんがどこかに行ってしまっても、私はひとり勉強を続けていました。折角、勉強する環境の良い図書館に来たのですから、しないと勿体ないと思いまして。
そんなこんなで数十分待ってもまだ真鈴さんが帰ってきません。さすがにおかしいと不審に思い始めた頃、私の前におかっぱの少女が立っているのに気付きました。彼女の顔を見て、はっとしました。去年の学校説明会で、私の目の前で楠井先生の謎を解いた方だったのです。
「花川……椿さんですよね? 奇遇ですね」
まあ、この時は気づかなかったんですけど、彼女が花川さんだということを否定しなかったために、私は彼女――楢卯月さんでしたっけ――のことを花川さん――ああ、こっちの花川さんはあなたのことです――の妹である椿さんだと思いこんだままになってしまったわけです。
楢卯月さん演じる花川椿さんは、言います。
「ちょっと、真鈴さんに頼み事されちゃいまして」
確か、真鈴さんと知り合いだったんですか、とか訊いたような気がします。
「頼み事ってなんですか」
「一つ目が教科書類やペンケースを取ってきてくれってことです」
早速手を動かして、机の上に広がった真鈴さんの私物を片付けています。
「帰るんですか真鈴さん? 急用でもできたとか……」
「二つ目が、あなたへの伝達。真鈴さんが、そこで高校の友達と会ったらしくて、堺さんはもう帰っていいよって」
「……は?」
意味がわかりませんでした。なんですかその理不尽な言い分。口語の日本語で、ここまで理解するのに時間がかかったのは初めてのことでした。
呆然としている私に、隙を衝くように、追い打ちをかけるように、彼女はこう言ったんです。
「堺さん? 所詮、真鈴さんにとってあなたはそんなものだったってことなんですよ。彼女は自分が楽しければいいんですって」
裏切られたんですよ、と彼女。
それから私は自分の荷物をまとめ、すぐに帰途につきました。まんまと私を騙し抜いた彼女は、そういえば「わたしはまだここでやることがあるから」と残っていました。それから何事もなかったかのように、また机に真鈴さんの荷物を戻したのでしょう。
なぜ、彼女がそのような悪戯をしたのかはわかりませんが……。――ああ、私、真鈴さんを無視するなんて、なんて酷いことをしてきたんでしょう!』
[二日目・18:54]A
僕が堺さんに教えてもらったことをそのまま楢卯月に伝えると、彼女はふふふと含み笑いをした。
「それが原因で、二か月弱も喧嘩してたわけ? ふふ、ちょっとおかしい……」
本気でおかしいと思っているらしく、お腹を押さえて笑う。まあ、これで、堺さんと真鈴を仲たがいさせたのは楢だということがわかった。
「どうしてこんなことをした?」
僕が少し声を低くして言うと、彼女は笑い声を止めた。面白くもなさそうな顔をする。
「ほんの出来心よ。図書館に行くと、久しぶりに真鈴さんと勉強している堺さんを見かけた。一旦トイレに行ってきたあと、休憩所でさっきまで堺さんと一緒にいた真鈴さんが椿さんと談笑している。だから、ひとりの堺さんに声をかけてみたの。そうしたらどうやら同じ高校に通っているってことにまだ気づいてなくて、わたしのことをいまだに花川椿だと思っている。だからちょっと悪戯してみようと思っただけ」
僕がいつも以上に目を細めていることに気づいたのか、楢は不機嫌そうな顔をして、しぶしぶといった調子で言った。
「花川くんはわたしに謝ってほしいの?」
「そうだ」
「それだけが望み?」
「それだけだ」
僕が肯定すると、彼女は、「ずいぶん、情に厚い男になったわね」と呟く。それから僕をちらりと見て、
「……わかったわよ。約束する。本人たちに謝るわ。花川くんの大事な大事なお友達だもんね」
わたしよりも、大事な友達。そう言った彼女はなぜか拗ねた子どものようで、いつもと様子の違う楢卯月に、僕は眉根を寄せた。
「なんだって?」
楢は机から飛び降りた。
「今度はわたしが話をする番ね」
そうやって話題を変えて、僕の疑問を流した。
楢卯月は胸に手を当てて、ひとつ、深呼吸する。僕は彼女が話を切り出すのを待っていた。さらにもう一度、楢は深呼吸をして、意を決したような顔になった。
「今みたいに、花川くんが気に入らない部分が、わたしにはたくさんあるかもしれない」
そして、言った。邪魔する物など何一つない、この静かな部屋で。
「でも、わたしは、花川春樹のことが好き。もしよければ、お付き合いしてくれませんか」
は?
え?
僕は唖然として、口が半開きになっていた。小説でどんでん返しを食らった気分だった。普通、散々追いつめられていた犯人が、探偵に罪ではなく、アイの告白なんてするか? なんだそのイレギュラーな展開。……いや、楢卯月は普通じゃない。それは昔からわかっていたことじゃないか。
「……」
真っ白な頭で、僕が必死に絞り出した言葉は、
「……冗談か?」
だった。そんなことを確かめなくても、彼女の顔をみれば、真剣さは伝わってくる。いくら楢卯月が映画研究部の看板女優のひとりだとしても。
彼女は小さく首を振った。じっと僕を見据える。
楢は、僕の答えを待っている。
僕は言う。
「ごめん。……今、他に好きな娘がいるから」
「――そう。わたしでは、絶対に駄目?」
僕が押し黙ると、なぜか楢はふっと柔らかく微笑んだ。
「それなら仕方ないわね」
そして、続ける。
「ひとつ教えて頂戴。花川くんは、わたしがあなたに憧れ、恋焦がれていたことに、気づいていた?」
彼女の双眸が僕を見据える。
僕は答えることができなかった。楢卯月が、ため息をついて、今までのどんな台詞よりも悲しそうに、儚く消えてしまいそうなかすかな声で言った。
「花川くんって、わたしのこと、何も知らないのね」
僕の返事を待たずにそう言い残して、彼女は後方ドアから姿を消した。
静かな校舎に響く、テンポの速い足音が遠ざかっていく。
[二日目・18:58]b
明かりの頼りない階段を駆け下りる。いつの間にか溢れ出た涙と暗さで足元が危ないけれど、つまづくような気はしなかった。
楢卯月のことは、やっぱりわたし自身が一番よくわかっていると思う。
わたしは花川くんとかが思っているより、よっぽど恥ずかしがり屋で嫉妬深い。だからこんな話も、結局誰にも打ち明けないまま、心のうちにしまい続けるんだろうと思う。
始めは中学生の頃。玉依葵先輩にジェラシーを感じた。
花川くんの方が知っていると思うけれど、先輩はわたしと違って、明るくて、強くて、優しくて、ピアノが得意で、人気者で、そして、花川くんと仲が良かった。
酷いものよね。わたしより何もかも優れているひとがすぐ近くにいるっていうのは。
だからどうしても自分の気持ちを抑えきれなくて、先輩より優れている部分があるということを、わたしは自分で証明したくなったのが中学二年生の二月。
わたしは以前にこっそり見つけた、玉依先輩のブログにツバキの名前でコメントした。思えば、このとき初めて花川くんの妹の名前を使った。理由はない。なんとなく。
コメントの内容は、でたらめなものだった。本当らしく書いたが、嘘ばかりだ。危険な冒険をして、怪我でもしてしまえばいいと思ってやったのだ。……上手く行かなかったけれど。
玉依先輩が卒業し、花川くんと疎遠になり、一気にわたしは幸せになった。花川くんに話しかける女子は他にいないし、クラスは違えど、好きな時に好きなだけ話しかけられるというのが内心とても嬉しかった。思えば、中学三年生の頃は毎日が幸せに感じていた。
……それは、中学の終わりまで続いた。
そこで彼女が現れたのだ。高校生になり、花川くんのクラスへ遊びにいこうと教室の入り口から彼の様子を伺うと、彼はポニーテールの女子と喋っていた。そのときは回れ右して何事もなかったかのように、自分のクラスに戻った。怖くなったのだ。彼女が、玉依先輩に見えたから。
あとから花川くんに話を聞くと、真鈴あやめという幼馴染らしい。偶然、高校で再会したというわけだ。わたしは神様というものを酷く恨んだ。
それからよく花川くんが真鈴あやめと一緒にいるのをよく見かけるようになった。堺麻子が同じ高校だと知ったのは花川くんと真鈴さんの三人で仲良く喋っているときだった。中学から一転して、花川くんと会話のない日々が続いた。
それでも気持ちは抑えきれない。
さっき花川くんに暴かれてしまったけれど、夏、わたしは真鈴あやめと堺麻子を喧嘩させることに一時的に成功した。できることなら花川くんと真鈴さんを不仲にしたかったけれど、そうしていたら多分、もっと早くばれていたと思う。
九月初旬。真鈴さんがわたしに話しかけてきた機会を狙って、彼女に不信感を煽るようなことを吹き込んでみたりもした。
月ノ輪祭では、千両万衣にミリオネアを成功させるための協力を頼まれ、一度は断ったが、二日目には結局手伝ってあげることにした。花川くんには気が変わったと言ったけれど、あれは嘘だ。
一日目にわたしは花川くんと真鈴さんが仲良く歩いているのを見かけてしまった。わたしも無視すればいいのに、もしかするとクラスの仕事で仕方がなくそうしているのかもしれないと期待して話しかけたりして、ふたりが事実上の文化祭デートをしているのだと知ってしまった。
もしかすると明日も一緒に回る約束をしているのかもしれない。そんな不安に駆られたわたしは、あることを思いついた。ミリオネアを、花川くんに捜査させることにより、文化祭デートを壊そうと思ったのだ。花川くんはきっと、事件を優先するだろうと思ったから。結局、その約束は一日目限りだったようだけど。
まあ、でも、とどのつまり。
わたしはふられたのだ。
無意識のうちではわかっていた。好きな人のことだからわかるもの。彼の心はわたしには向いていない。向くことはない。この恋は叶わないなって悟っていたし。真鈴さんには敵わないなって思っていた。
それでも、ダメ元で、告白した。
ダメ元。
上手く行けば儲けもの。
そう、思っていたのに。
頭ではわかっているのに。
悲しくて泣いたのってホント、いつ以来かしら。今まで抑えてきた分が溢れ出る様。
……帰ろう。家で泣くことにする。
一階まで降りてグラウンドを見ると、ちょうどキャンプファイヤーの火がつけられたところらしい。ゆらゆらと、火が揺れる。その周りに、人影がたくさん見える。もう七時か。
遠くの火が、ぼやけている。わたしは、靴を履きかえたあと、外にあらかじめ置いていた自分の荷物を掴むと、火に背を向けて歩き出した。校門へ向かうためだ。
ああ、それにしてもこんなに辛い物なのね。凛藤くんには、今更ながら申し訳ない気持ちがする。
「――楢さん!」
はっとして、足を止める。わたしは涙を指でぬぐいながら、後ろを振り向いた。
凛藤恭太郎くんだ。グラウンドからは結構距離があるけれど、今までどこにいたのだろう。それに、校舎から漏れた光に照らされた彼の目はなぜか赤くなっていた。……多分、今のわたしみたいに。
それにしても、こんな顔を見られたくはなかった。もっと暗い場所なら助かったのに。
「どうしたの」
声が裏返らないように、頑張って言葉を発した。すると、彼はいつものような口調で、自然と、応えた。
「どうもしません。やっぱり、楢卯月さんのことが好きなだけです」
彼は、わたしが彼を利用したのだと知ったら、どう思うのだろう。いや、もしかすると、もうすでに彼は気づいているのかもしれない。
凛藤くんの笑顔を見て、なぜか笑みがこぼれた。
そうだ。キャンプファイヤーの火の明かりなら、この赤い目もごまかせるかもしれない。
わたしは言う。
「凛藤くん。……ちょっと、わたしの話を聞いてくれないかしら?」
聞いてほしいの。
凛藤くんに。
失恋の、話を。
次で最後です。




