五.楢卯月とミリオネアの法則性
前回の続き。
・凛藤恭太郎*一年八組。放送部。
・楢卯月*一年八組。春樹とは中学時代からの付き合い。
・花川春樹*一年六組。主人公。
・堺麻子*一年六組。人を疑ったりしない性格。
・千両万衣*一年六組。文化委員。
[二日目・11:00]a
恭太郎たちが放送室に戻ると、猫の額ほどの広さの室内には誰もいなかった。さすがの楓も、こもるのに飽きたのだろうか。
恭太郎と楢のふたりは、作戦会議の時にそれぞれ座っていた椅子に腰かけた。無言のまま、数秒。話すこともないし、恭太郎は見慣れた室内で、わけもなく首をめぐらせる。しばらくして、楢が恭太郎に微笑を向けた。
「思わぬ収穫があったわね」
楢の台詞の真意は、おそらく間を持たすためにあったのだろう。変なところで気を使ってくる。
「そうだね。まさか十一年前にも同じような事件があったなんて思ってなかった」
図書館の文集を読み漁っていると、今はなき『ミステリ研究部』の部誌に、十一年前の文化祭に関することが書かれていたのを見つけた。
『去年、月ノ輪祭を騒がせた連続窃盗事件。やったことがやったことだから、彼を心から恨んでいるという人も多いだろう。
探偵の真似事をし、犯人探しに校内を奔走した者もいたと聞くが、全て迷走に終わったことだろう。とどのつまり、犯人は捕まらずじまいだった。
だが。
我がミステリ研究会はその髄を結集し、ついに犯人を探し当てたのだ。
――犯行声明を締める最後のアルファベットは、ずばり犯人の名前を示していたのだ!』
大それたことを言う割には、そのまま読み進めても憶測ばかりで確証のない推理を展開するだけで終わっていた。犯人の名前がわかったように書いていたくせに、犯人を捕まえることはミステリ研にもできなかったらしい。いちおう翌年の部誌も目を通してみたが、この連続窃盗事件のことには初めからなかったかのように全く触れてなかった。
さらに調べてみると、他の部の文集にも、わずかだが事件があったことをほのめかすことが確かに書かれていた。
「情報が集まってきたわね」
楢が言う。
「ここで一旦、整理してみましょうか、凛藤くん」
どこから取り出したのか、ボールペンを持ち、手元に『月ノ輪祭のしおり』を広げていた。
「坂月高校で年に二日だけ開催される『月ノ輪祭』で、『十年前からの刺客』を自称する、『アッキピテル・ミリオネア』という跳ねっ返りが現れた。わたしは騒が師の名前の方が好きだけどね。
で、『ミリオネア』ないし『騒が師』は、十一年前の連続窃盗事件を模したのか、手口は違えど、校内のあちらこちらで連続して大きな音を出している。物を盗まなかったのは、犯人がチキンだったからなのかしらね。
今のところ、被害にあったのは計四か所。動機はわからないわ。……凛藤くんは動機、なんだと思う?」
恭太郎は虚を突かれた気分だった。ここで振ってくるか。恭太郎は口ごもりながら言葉を探す。
「そ、そうだね……。目立ちたいんじゃないのかな。自分の存在を、誇示したいんだと思う。犯行声明からもそれが読み取れる」
「月並みな答えね」
即答だった。
「ま、でも月並みって言葉は好き。オーケー、ひとまずそういうことにしておきましょう。月並みだけど」
相手が女性でなければ、間違いなく手を出しているなと恭太郎は思った。
「そういえば、先生たちが密かに犯人を追っている理由もわからずじまいだったわね。予告状だけで、十一年前の事件を模倣をしたことに一足早く気づいたのでしょうけど」
「もしかするとさ」
ひとつ、ひらめいた。
「楠井先生は、先生たちの中に犯人がいると睨んでいるんだ。それはなぜか。――十一年前、当時学生だった犯人が、教職員として再び坂月高校に戻ってきて事件を起こそうとしていると推測したからじゃないのかな」
じっと、楢が恭太郎を見つめる。どうしたと訊こうと恭太郎が思ったところで楢が、
「……凛藤くん。頭、良いのね」
と本当に感心したように漏らした。褒められ、恭太郎は少し良い気になった。
「狙う場所はランダムなのかしら。わたし、何かルールはあると思うんだけど」
ミリオネアが現れた場所を頭の中で並べてみる。
一日目の三件。渡り廊下。美術部。将棋部。
二日目はまだ一件のみ。一年六組。
一見、何も関係のなさそうなこれらから、法則を見出す。他が狙われなくて、これらが狙われた理由。ミステリではこれをミッシングリンクというのだっけ。
楢がすらすらと四件の場所を書き出した。
「あれ、なんか既視感だ」
恭太郎が言う。眉間にしわを寄せ、考えてみる。突然ぽんっとコルクが抜けたように、突然ひらめいた。
どうしてこんなことに気づかなかったんだろう!
「……楢さん。法則性がわかった」
恭太郎は席を立ち、六回分の定期放送の原稿が積まれている机に近寄った。
[二日目・11:25]A
さすがに六組の仕事をサボり続けるのは悪いから、午前中くらいは仕事しようよと真鈴に促され、教室に戻ってきた僕たち。僕がすんなり従ったのは、真鈴がそのあとに続けた「さらに教室で浮いちゃうよ?」という言葉でダメージを食らったからだ。自認していたけど、周りの人もそう思っていたってのが辛かった。
せっせと会計を担当し続けていた堺さんに椅子を譲ってもらう。千両はすんなり席に収まった僕にこれ以上何も言う気は起きなかったようで、一睨みしただけで僕に話しかけてくることはなかった。
ただまあ、昼時が近づいてきていることもあって、客は空腹をしっかりと満たすことができる焼きそばやフランクフルトなどに盗られてしまっているのだろう、先に比べて教室の人口密度が減ってきていた。
「ミリオネアを捕まえることはできそうですか?」
会計の、客の列が途切れたタイミングで、自由時間を返上してクラスの手伝いを続けている堺さんが訊ねてきた。
「いいや。有益な情報が少なすぎる。どうでもよさそうな情報はたくさんあるんだがな。全くツイてない。折角ウチのクラスを狙ってくれたわけなのに、僕は事件の調査のために教室にいなかったし」
「皮肉ですね」
堺さんが相槌を打つ。
「せめて、次に狙われる場所がわかればいいんだけど」
堺さんの眼鏡の奥の目が笑っているのに気付いた。
「なにがおかしいんだ?」
「こういう時こそ、花川さんの探偵スキルを発動させればいいじゃないですか」
「探偵スキル? 推理力のことだったら僕はそこまで優れているわけじゃないぞ」
堺さんは手をひらひらと振って否定する。
「推理力もそうですけど、今言ってるのは違いますよ。ネオジム磁石のような力強さで事件を引き寄せるんです。私、ミステリの探偵における不可欠要素は、完全無欠の推理力よりも、事件に遭遇してしまう運の良さだと思っていますから」
「ついに触れてはいけないことに触れてしまったな、堺さんよ」
「そして花川さんは私の知り合いの中で探偵に一番近い方ですよ。ほら、四つ起きたミリオネアの事件のうち、二つも遭っているんですから。今朝のも、花川さんが普通に過ごしていたら最も近くで事件が起きていたでしょう」
それにはうんうんと頷くことはできない。
「昨日の事件に遭ってしまったのは、僕のせいじゃない。あれは真鈴が僕をそこに連れて行こうとしたからだ」
堺さんは真鈴の名前を聞いて、レンズの向こうの目を一瞬だけ細くしたが、そのあとに続く言葉は冗談交じりだった。
「へえ、じゃあ、真鈴さんが犯人なのかもしれませんね」
僕も笑って応じる。
「ははは。まあ、それは違うだろうな。真鈴は放送部の定期放送に従って目的地を……」
……定期放送に従って?
不自然に言葉を切った僕に、堺さんが不思議そうな顔を向ける。
「どうかしました?」
「いや」
僕は少しの間、今ひらめいたことを頭の中で整理した。堺さんは僕が口を開くまでじっと待っていてくれた。
思い付きにそれなりの確信を持ちながら、僕はゆっくりと言葉を吐き出した。
「――騒が師は、定期放送に紹介された出し物を、次の標的にするんじゃないのか?」
堺さんは、はっと驚いたような顔をして、顎に手を添え考え込むような仕草をした。
「……言われてみればそうかもしれません。美術部も将棋部も、昨日の定期放送で紹介されていました。先ほどの一年六組も同じように。ただ例外は渡り廊下ですがそれはルール無視にはなりませんね」
「ああ」
首肯する。
「昨日第一回目の定期放送で紹介されたのは三年生の劇。さすがに体育館の中で初っ端から妨害するような行動はとれなかったのだろう。だから体育館に一番近い、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下を騒が師は選んだ」
多分、騒が師のルールに気づいたのは僕が最初ではない。もっと早くから事件と向き合っていた人なら十分発見していてもおかしくない。ただ、騒が師がまだ動いているということは――まだ誰も騒が師を捕まえるには至っていないということだ。
堺さんが自分の頬っぺたを両手で軽く挟むようにした。
「どうしたんですか、花川さん。頬が緩んでいますよ。頭を使うときの癖ですね。楽しそう」
そうなってるつもりはなかったのだけど、多分、この癖のせいで椿や真鈴は僕が推理することを楽しんでいると勘違いしているのだろう。
僕はできる限り真剣を装った口調で言う。
「次こそ騒が師を捕まえたい。次の定期放送が始まる数十分前に、僕と仕事を交代してくれないか」
「今まで散々代わっているんですけどね」
口を尖らせる彼女の言葉は笑みを含んでいた。それから振り返る。黒髪がなびく。壁にかかった時計を確認しているようだ。
「次の定期放送は一時からですね。今は十一時半ですから、一時間後に会計係を交代してあげましょう」
申し訳ない気持ちになりながら、僕は礼を言った。
じゃあ、私は昨日花川さんが絶賛していた焼きそばでもいただいてくるとします。堺さんはきびすをかえして、歩いていった。
次に僕の前に現れたのは、客ではなく、千両万衣だった。わざとらしく頬を膨らませている。どうやらあたしは怒っていますよというアピールらしい。
「花川くん、今、堺さんの口から交代って単語が聞こえてきたんだけど」
聞こえていたのか。どんな地獄耳だ。
「ああ、僕と代わってくれるらしい」
頬杖を突きながら僕は答えた。するとどうやら僕の言葉がさらに彼女の怒りの炎に油を注いでしまったらしく、彼女は声量を上げないように周囲をはばかりながらも、語気を強くする。
「いい? もう花川くんに何度も説明したような気がするけど、文化祭の出し物はクラス皆で完成させるものなの。だから仕事は均等に分けたの。花川くんだけ、楽をしようたってそうはいきません」
「僕も耳にタコができるほど聞いたって。でも堺さんが代わりたいって言うから」
千両が目を細める。
「本当に言ったの? そんなこと」
じいーっと、穴が開くほど僕を見つめる。それに耐えきれずに、僕は目を伏せた。
「言ってなかった。すまん」
一度は謝るが、すぐに反撃にでる僕。
「でも、均等に仕事を分けたというなら、もうひとり平等じゃないやつがいるぞ」
千両は眉間に軽くしわを寄せた。
「だあれ」
「あんただよ。ひとりだけ仕事をたくさん引き受けているじゃないか。千両万衣のルールは、『皆、平等に』なんだろ。あんた、ずーっと働いているじゃないか。ひとのこと言えないんじゃないのか」
「口の減らない……」
千両は額に手を当てて、呆れたように言う。
「あたしは文化委員だから多くて当然じゃない? それに、あたしもずっと働いているわけじゃない。自由なタイミングで休ませてもらってるくらいなんだから」
そうだったな。所詮、浅知恵だった。
「でも僕、一時前後に用事があるんだよ」
「そうなの? どうしても避けれない?」
千両の勢いが弱まった。クラスメートの事情はなるたけ鑑みてくれるらしい。彼女は悩むような仕草を見せたあと、
「本当は店員が減るのはつらいんだけど、そういうことなら、花川くんのお昼休憩をその時間にずらしてあげましょう。ちょっとだけなら出て行ってもいいよ。あたしも、お昼ご飯食べずに働けっていうわけじゃないし」
といった調子で妥協してくれた。
でも、それはそれでつらいなあ。あと一時間も昼飯はおあずけか。
お客さんが後ろから迫っていることに気づいた千両が慌てて僕から距離をとる。それから小さく手を振った。
「じゃあ、それまで頑張って働いてね」
へいへーい。
続きます。




