五.楢卯月と十一年前
前回の続き。
・凛藤恭太郎*一年八組。放送部。
・楢卯月*一年八組。春樹とは中学時代からの付き合い。
・千両万衣*一年六組。文化委員。
・花川春樹*一年六組。主人公。
・真鈴あやめ*一年六組。ポニーテールがトレードマーク。
・布志名駿竹*生徒会役員。脅迫状を出して停学中。
[二日目・10:20]a
「じゃ、あたし、今から先生のとこ行ってくるから、またね楢さん!」
そう言い残して、小柄な楢卯月と同じくらいか、少し高いくらいの女子生徒は、職員室の方へとかけていった。恭太郎は、紺色のTシャツの後ろ姿を楢と見送った。彼女が角を曲がって見えなくなった頃、恭太郎は口を開いた。
「今のは?」
私服の胸の前で軽く腕を組みながら、楢は答えた。
「千両万衣さん。一年六組。わたしと同じ映研部よ。ま、わたしと違って文化委員の仕事とか任されてるから、忙しいみたいね」
「八瀬辺先輩とは大違いだ」
八瀬辺楓は相変わらず放送室に天照大神の如く引きこもるつもりだそうで、恭太郎は楢と二人で六組に向かおうとしてすぐに千両万衣と出くわした。彼女が六組だと知っていた楢が機転を利かして早歩きの千両万衣を呼び止めた。どうやら六組に『騒が師』が現れたことを先生に報告するために急いでいたらしい。
聞くと、彼女が割られた風船の一番近くにいたそうだ。それなら六組に行くよりこの人に話を伺った方が早いと思い、友達のよしみだということで、主に楢が話を訊いてくれた。
「で、凛藤くん。どうするの? 六組に行くの?」
恭太郎はうなずいた。
「情報は聞いたけど、犯行声明の現物も見ておきたいし」
千両は、犯行声明らしきものを、会計の椅子の下あたりで見たと言っていた。
「ふうん。じゃ、わたしは先に図書館に行っていていいかしら」
恭太郎の返事を待たずに、楢は千両が消えた方向と逆方向へ歩き出す。
「え、ちょっと。楢さん?」
呼び止めると、楢は澄ました顔を振り向かせた。
「だって、あとは犯行声明を見せてもらうだけなんでしょ? それならひとりでこと足りるだろうし、手分けした方が良くない?」
楢の言い分が正しすぎて、反論ができない恭太郎だった。さすがにあなたと少しでも一緒にいたい、とは恥ずかしくて言えない。
不承不承ながらも承知し、あとから追いつくよ、と告げて別れた。
六組に行ったあと、さして距離の離れていない図書室に恭太郎が向かうと、入り口のところで楢が壁にもたれかかっていた。
「首尾はどうだった? 犯行声明は?」
楢の質問に、恭太郎は肩をすくめた。
「会計のとこに座っていた女子生徒に訊いたんだけど、既に他の人が持っていったあとだった。でも聞いたところによると、空気を入れてないゴム風船に、ペンで同じように『十一年前カラ』って書かれていたらしい」
そこまで伝えて、恭太郎はさっきの会話を思い出した。
「楢さんは、ここで何してるの? 先に調べておくんじゃなかった?」
「うーん、そのつもりだったんだけど」
楢は誤魔化すように笑った。
「やっぱり、凛藤くんを待った方がいいかなあって」
そう言ってもらえて恭太郎は内心嬉しかったが、彼女の本心は別のところにあるのだろうなと直感した。例えば、六組の教室に何か嫌なものでもあって行きたくなかった、とか。相変わらず、何を考えているのか見透かせない女の子だと恭太郎は思った。もしかしたらそういうところに惹かれたのかもしれないが……。
「まあ、そういうことなら今から調べよう」
恭太郎は図書室の引き戸に手をかけるがすぐには入らず、楢に先に入ってもらうよう手で促した。
「レディーファーストね。ありがと」
小さく微笑んだ。彼女に続いて図書室に入ると、いくつもの長テーブルと、その上に等間隔に積まれた冊子が目に入った。それがおそらく楓の言っていた『文集や同人誌』なのだろう。重ねられた文集の山ひとつひとつの前に、クラブ名や同好会名が記された本屋で見かけるようなポップが置かれていた。
「さすが歴史のある坂月高校、文集の量が半端じゃないね」
「そうね。……ただ残念なのが、それを読むひとが今の図書室にわたしたち以外ひとりもいないってことだけど。賑やかで明るい文化祭で、わざわざ地味で退屈な過去の文集を読もうという好事家が少ないからかもしれないわね」
カウンターを見ても、司書の先生や図書委員すらいない。静かすぎて、文化祭の喧騒から取り残されたような気分だ。
楢が近くの長机に寄り、冊子からひとつ手に取る。ポップには『文芸部』とあった。
「この文集、ぴったり十年前のだわ」
少し黄ばんだ表紙を見せてもらうと、確かにちょうど十年前、二〇〇三年度と記されていた。
「でも俺らが探しているのは十一年前のものなんじゃないの?」
恭太郎が言うと、楢が小さく噴き出した。
「もし十一年前の文化祭に何かあっても、十一年前の文集にそのことは書けないでしょ? 書いてるとしたのなら、その可能性が最も高いのは翌年である十年前になるじゃない」
ああ……。
彼女の言う通りだ。でもだからって笑うのは失礼なんじゃないのかと恭太郎は心の中で抗議する。
ふと、疑問を感じた。
「楢さん、それ、一番上に積んであったんだね?」
「ええ、そうよ」
(始めに手に取ったのがちょうど俺らが探していた文集だった……?)
おかしい。恭太郎はそう思った。彼も楢にならって他の文集を手に取ってみる。『イラスト研究部』。色あせている。年度は――二〇〇三年。これも十年前だ。
見ると、隣のクラブも、その隣のクラブも十年前のものが一番上に積まれている。どうやら十年前の時点で存在していたほとんどのクラブの文集が同じようになっているようだ。恭太郎と同じことに楢も気づいたらしい。文集を次々と手に取り調べ始めた。
「十年前の文集の下は去年のもの。その下は一昨年……。二〇〇三年度以外は、上に来るほど新しくなってる。どうやら十年前のものだけ引き抜かれているみたいだわ」
「どういうことだろ」
「……考えられることはひとつしかないじゃない?」
当然でしょ、といった調子で言う。たまに彼女は、人を小ばかにするように話すのだ。
「わたしたちよりも早く動いているひとがいるんでしょう。それも既に全部調べ終えたあとみたいだから、わたしたちはかなり遅れをとっている」
それから彼女は考え込むようにして小さく呟いた。
「花川くん……」
静かな図書室だったから、その声は恭太郎にも聞き取れた。
「花川くんって?」
「一年六組。わたしの中学時代からの友達よ。頭が良いの。……口にはしないけれど――」
一瞬、彼女は口にするか逡巡する様子を見せたが、小さく続けた。
「――すごく頼りになる」
心なし、珍しく彼女が少し照れているように見えた。
心の中で、嫉妬と書かれたロウソクに小さな火が灯されたのを恭太郎は感じた。頭をフル回転させる。知らない人だが、くん付けにしていることから、男の人で間違いないだろう。楢の友達だという。恭太郎の知らない、彼女の異性の友達。
(いや、別に俺が楢の交友関係を完全に把握しているだなんてうぬぼれるつもりはない。俺の知らない男友達がいても何もおかしい話ではないのだし)
恭太郎が気になったのは彼女の言葉。――特別な感情もないのに、こんな言い回しをするだろうか?
「……考えすぎ、かな」
「ん? 凛藤くん、なにか言った?」
楢が瞳に不思議そうな色を漂わせている。呟いた声を聞かれたらしい。恭太郎はごまかすように話を逸らした。
「いや、何も言っていないけど――、その、楢さんは、花川ってやつが俺たちより犯人に近づいているって言いたいの?」
ええ。相手は頷いた。それから目を伏せて、人差し指で近くの文集の端をなぞるようにする。彼女の動作ひとつひとつが画になるな、と恭太郎は場違いなことを思った。
「もしかすると、わたしたちの調査は無意味かもしれないわね……。花川くんより先に解かれちゃ、徒労で終わるわ」
それから恭太郎を上目づかいで見る。
「あなたも、年に一度の月ノ輪祭、こんなことで無駄にしたくはないでしょう?」
わずかに首を傾げる楢。恭太郎の答えを待っている。
「そんなことはないよ。楢さんは俺に任せてくれたらいい。事件は俺が解決するさ」
恭太郎ははっとする。初めは事件を解決するなんて、そんな大それたことをするつもりなどなかったのに。
全て、楢卯月のせいだと恭太郎は思った。
彼女が恭太郎の計算をことごとく狂わせる。彼の気持ちをも、おかしくさせるのだ。
花川がどれほど頭の切れるやつなのかは知らないが、負けていられない。恭太郎はそう強く思った。
楢は驚いたような顔をしていたが、やがて、
「……さすが。凛藤くん」
と言った。
意中の人が柔らかく微笑み、恭太郎は胸の中に温かいものが流れ込むのを感じた。
[二日目・10:25]A
くしゅんっ、と僕は生理現象を催した。
「ハル、どうしたの? 風邪? それとも季節外れの花粉症?」
鼻がムズムズする。どうしてか、さっきからくしゃみが止まらない。真鈴が冗談交じりの笑みを浮かべる。
「誰かがハルのことを噂しているのかもね!」
「ははは」
そんなわけあるまい。僕はそういう非科学的なことは信じない。
隣を歩く真鈴に問うてみる。
「えっと、生徒会室はどこだっけ」
「二階でしょ。昨日行ったばかりじゃないの」
そうだったな、と返しながら階段を降りる。
つい先ほど、将棋部の浦風部長に騒が師について話を聞いてみたりしたが、空振り。さして目ぼしい情報はなかった。騒が師からのメッセージについては、定期放送通りクラッカーに記されていたそうだが、そのクラッカーはドタバタしているうちになくなってしまったらしい。
「あ」
真鈴が何かを思い出したらしい。
「ハル、ちょっとこれ見てちょ」
取り出したのは四つ折りにされたB5の白い紙。見覚えがあった。昨日、真鈴と生徒会室に行って受け取ったものだ。
「スタンプラリーの台紙だな。昨日は結局スタンプひとつ止まりだったもんな」
これが無駄に凝っていて、スタンプの設置場所のヒントがなぞなぞになっている。完全制覇したものはいなくて、かなりの難易度であるらしい。スタンプのうちひとつはビンゴでいうフリーで、初めから埋まっているのも同然だから、ふたつ目から景品がもらえる。
それはそうと。
なんだろう、真鈴があごを上げて見下すようにして僕を見るのだけど。
「ほれほれ」
真意が読み取れない僕を見かねたのか、真鈴が手に持った台紙をさらに突き出した。そこでやっと僕は真鈴が言わんとしたことを理解する。
「お、スタンプが二つ埋まってるじゃないか。これはたまげた」
「ふふふ。恐れいったか」
「恐れいかないし、恐れ抱かないけど、すごいと思う」
「生徒会室に行くのなら、そのついでに景品をもらおうかなって思ったわけ」
「どこにあったんだ、スタンプ」
「ウチのお店。六組」
へえ。灯台下暗しだな。
「六組で変わったスタンプを見つけたから、『これなに?』って千両さんに訊ねたら、秘密にするって約束で生徒会スタンプラリーのひとつだって教えてくれたの。スタンプの設置場所のうちのひとつが六組だったみたい。だからこっそりスタンプ押させてもらいました」
てへっ、と舌を出す真鈴あやめ。
…………。
「おい、それ、ルール違反じゃないか。僕があげた称賛の言葉を返せよ」
「ちょっと意味わかんないや。ハルからもらった言葉はもうわたしのものだよ」
よくわからない押し問答をしながら、生徒会室の前まで来た。
昨日と同じように、生徒会室と書かれたプレートが突き出た部屋の入り口をふさぐように長机が設置されている。どうでもいいけど、この配置って部屋を出入りするときとか不便じゃないのか。
「ごめんくださーい」
真鈴がスタンプラリーの台紙を片手に、生徒会室の中へ呼びかける。もちろん入り口がドア一枚分しか空いてないため、中の様子は少ししかわからない。奥に様々な書類が散らばった長机が覗ける。
さして間を置くことなく、中から「はいはーい!」と元気な返事が飛んできた。女の声だ。声に遅れて、見覚えのある茶髪の女子生徒が現れた。昨日、スタンプラリーを渡すときに接客してくれた先輩。腕章の文字を見て分かるように、生徒会の人である。
「何の用でしょうか」
営業スマイルで対応する彼女の目の前に、さっき僕にしたみたいにビシッと台紙を突き付けた真鈴。失礼だぞ、と小さく注意する。
茶髪の女子生徒はパチクリと瞬きしてから、驚いたように呟いた。
「あら。今年度の月ノ輪祭、初の達成者ですね。おめでとうございます」
……どれだけ難易度高いんだよ、このスタンプラリー……。
「ちょっと待ってください。スタンプ二つの景品を持ってこさせるので……」
女子生徒は台紙を受け取り、後ろを振り向くと、「スタンプふたつ、一丁!」と叫んだ。ラーメン屋かここは。中から、「え、まじでちょっと待ってくれ」と慌てる男の声が返ってきた。
こちらを向き直した女子生徒が苦笑いをする。
「ごめんなさい。ちょっとだけ待ってください。まさか本当に景品をもらえる人が現れるとは思ってもみなかったもので」
中から何かをひっくり返すような音や物がぶつかる音が聞こえてくる。一体景品とやらはどこに保管しているんだろう。というか物が多いなあ、生徒会室。
折角時間があるのだし、今聞いておくべきだろうと思い、僕は切り出した。
「えっと、生徒会のひとですよね、先輩は」
「え、私?」
女子生徒は自分を指差した。僕は頷く。
「もちろんそうだけど」
不思議そうな目を僕に向ける。それでどうしたの? と目で訴えてくる。
「騒が師、またはミリオネアをご存じですか」
「……ん、ああ、知ってるよ? 放送で言っていたやつですね」
平然を装っているが、わずかに目が揺れたのを捉えた。細草の言っていたことは正しいようだ。
「それで、先輩が美術部から犯人の犯行声明を……盗んだっていうか、持ち去ったというか、お持ち帰りになられたっていうか。そういう証言があって、それで、今持ってます?」
「…………」
押し黙った……と思い始めた頃、女子生徒が口を開いた。ニコリと作り笑いをする。目元は笑っていたが頬が引きつっていた。
「それが必要なんですね。いいですよ」
クルリと踵を返すと、入り口の真正面にある長机の前で立ち止まった。背をこちらに向けたまま数秒置いたあと、戻ってきた。彼女が差し出した手には、名刺サイズのグリーティングカードが握られていた。――『十一年前よりアッキピテル・ミリオネア』。定期放送の通りだ。
僕が手を伸ばすと、先輩は少し手を引いた。
「お願い。これ、渡しておいてくれませんか。美術部か、先生に」
僕はすんなり首肯すると、カードに再び手を伸ばした。今度は彼女は抵抗しなかった。
「先輩は、どうしてこれを持ち去ったんですか」
何気ない調子で真鈴が訊くと、
「ちょっと、理由がありまして」
とお茶を濁すような言い方をする。
それから、先輩は何気ない調子で話題を変えた。
「そうだ、私たち生徒会メンバーの会計係って知ってますか。もし見かけてたら教えてほしいんですけど」
「えっと、昨日、先輩と部屋にいた方ですか?」
「いえ、それは今、景品を探している最中です」
生徒会役員は五人いる。役職は生徒会長、副会長、文化係、書記係、会計係だったはずだ。……となると会計係というのは……。――昨日、僕のつまらぬ推理の対象となった相手だな。つまり、数日前、坂月高校に「月ノ輪祭を中止しろ」と脅迫状を出し、停学処分になった(と思われる)男だ。
僕と同じ考えに至ったらしい真鈴が小さく漏らした。
「あ、じゃあ脅迫状の……」
本人も言ってからしまったと思ったらしい。あっ、と口を押さえたがもう遅い。真鈴の声はしっかりと女子生徒の耳にまで届いてしまった。女子生徒は一変して訝しむような目で真鈴と僕を見ている。墓穴を掘ってしまったようだな、真鈴よ。
「誰に聞いたんですか。広くは伝わっていないはずなんですが」
僕はどう言おうか迷った末、
「えっと、その……勘です」
と絞り出した。咄嗟に出た僕の言い訳は、さらに僕たちの立場を怪しませるだけだったようだ。これで墓穴が僕の分と二つ並んでしまった。でもあながち間違いではないし……。
むう。
「わかりました、僕が話します。でも先に教えてほしいことがあります」
「なんです」
「犯行声明を持っていった理由を教えてくれませんか」
「うーん」
茶髪の先輩は腕を抱えて考え込むような姿勢をとった。僕たちに話すべきかどうか迷っているらしい。やがて、何かが弾けたように顔を上げ、念を押した。
「誰にも喋らないようにしてくださいね」
真鈴と僕が首肯してみせる。
「私や、生徒会のひとたちは、さっき言った彼が、高校に脅迫状を出した犯人だと知っているんです。脅迫状の実物も見たことがありますし。名乗り出るよう説得したのが私たちなんですから。実は、公表していないだけで、脅迫状には差出人が書かれていたんです。もちろん、彼のフルネームではありませんよ。仮の名です。
……それが『アッキピテル』です。そして騒が師の犯行声明には『アッキピテル』の文字。こんな偶然、あるとは思えません」
僕の隣で、真鈴が納得したようにうんうんと頷いている。
「――これでわかったでしょう? 校内を騒がしている騒が師が、停学中のために今日は来ていないはずの私たちの仲間かもしれないから、気になったんです」
仲間や説得という言葉を耳にして思った。先輩たちにとって、生徒会という組織はただの集まり、というわけではなさそうだ。部や同好会と同じように、そこには立派な絆があるらしい。
「その人の名前はなんというんですか」
「会計係のですか? 布志名です。布志名、駿竹」
フシナ……。聞いたことがあるような、ないような、曖昧な感じ。耳にしたことがあるのであれば、きっと生徒会役員選挙の時だろう。
「それで、どうしてあなたたちは脅迫状を出した犯人が彼だとわかったんですか」
彼女は正直に話してくれた。今度はこちらがしっかりと説明する番だ。
僕は頭の中で話すことを整理し、深呼吸をしてから、口を開いた。
続きます。




