五.楢卯月と次の行動
前回の続き。
・凛藤恭太郎*一年八組。放送部。
・楢卯月*一年八組。春樹とは中学時代からの付き合い。
・八瀬辺楓*二年五組。放送部。
・花川春樹*一年六組。主人公。
・堺麻子*一年六組。人を疑ったりしない性格。
[二日目・10:12]a
「先生たちが動いた起因はおそらく、予告状にあると思うの」
あまり広いとは言えない放送室で、すっかり探偵団っぽくなった三人――恭太郎、楓、楢――は椅子を寄せ合い、輪になる。
楢が自分の考えを打ち明ける。
「最も初めにミリオネアが見せた行動が今判明している限りではそれだけですし。……それから私たち、まだ予告状にしっかり向き合ってませんよね。不可解な箇所もありますし」
「まあ、先生たちが密かに隠している可能性もなきにしもあらずだけどねー。えっと、ひとまず、彼女の言う通りに、予告状について考えてみようか」
楢卯月はジーンズのポケットから取り出したスマホを指で――なんと小指で――操作している。慣れていないのか、手つきはたどたどしいが。恭太郎はその動きをじっと見つめていた。画面と瞳との距離がやけに近いのだが、注意した方がいいのだろうか。
「…………ねえ、ボブへアちゃん」
いつの間にか恭太郎につられて楓も楢に注目していたらしい。彼女にしては珍しく、恐る恐るといった調子で話しかける。ボブへアというのは、楢の肩で切りそろえた髪型を言っているのだろう。
「もしかして、機械音痴ってやつ?」
ああ、確かにそういう言い方もできるな、と恭太郎は思った。
楢は揃えられた前髪で半分隠れた目を、楓に向ける。そしてきっぱりと否定した。
「いえ、違います。ケータイがわたしの言うことを聞かないだけです」
ああ、確かにそういう言い方もできるな、と恭太郎は思った。
「画像を表示したいだけなんですけど……結構難しいのよね……。あ、できたできた」
心なし、声のトーンがわずかにあがった。
楢はミリオネアの予告状を表示したスマホを持った手を、みんなに見えるように伸ばした。
恭太郎は改めてメッセージを読んでみる。『あたしはこの月ノ輪祭でひと騒ぎ――いや、それの六、七倍もの騒ぎを起こしてやる。あたしを捉えられるものなら捉えてみなさい。十一年前からの刺客・アッキピテル・ミリオネア』。
楓が独り言のように言う。
「一人称が『あたし』ってのが気になるなあ。ということは犯人は女なのかなー。どうだろ。いや、もしかしたら裏をかいて男? いや、裏の裏をかいて……」
そんなんじゃあ、いつまで経っても埒があかない。
「ま、女か男のどちらかでしょう」
結局それに落ち着くのか……。恭太郎は苦笑した。
「で、楢さんはどこか気になる部分があるのか?」
水を向けてみると、楢は頷いた。
「『十一年前からの刺客』ってところ。どうして十一年前なのかしら?」
「それはやっぱり、十一年前に何かあったってことなんじゃないのか?」
十一年前といえば、と楓が視線を天井に漂わせながら呟いた。
「後夜祭のキャンプファイヤーが復活するのって十一年ぶりって友達が言っていたような気がする」
言ってから、恭太郎と楢の視線を浴びていたことに気づいたらしく、楓は照れたように、わざとらしく笑い声をあげた。
「なはは、でも多分、無関係だと思うよ?」
楢はそんな楓を真剣な目で見据える。
「でも、十一年前の文化祭に何かあったのはおそらく確かです。坂月高校の歴史を調べる方法、知ってますか? 年鑑みたいな。出来事を記録したものを」
そう問われ、恭太郎も考えてみた。楢や楓にわからないことなら、俺が考えてもわからないんじゃないか……という考えが恭太郎の頭の片隅にあったが。
「記録ねえ……あっ」
楓は思い当たる節があったようだ。
「年鑑はないけれど、文化祭のことが知りたいのなら、方法あるよー」
「本当ですか」
「うん。昨日見たんだけど、図書室で、過去の文化祭で出された各文化系クラブによる文集や機関誌が積まれていたんだー。まあ、積まれていたっていうか、いちおう展示なんだけど。……行ってみる?」
「もちろんです」
言うが早いか、楢が席を立つ。それから楢は、恭太郎を見た。
「凛藤くんも、来てくれるよねっ?」
「…………」
ここで断るのは相手の期待を裏切るようなもの。思いを寄せる相手が自分を頼りにしてくれている。彼女の頼みだけは、恭太郎は断ることができなかった。
恭太郎が決心し、腰を浮かせかけたそのとき、ケータイのだろう、着信音が聞こえてきた。聞きなれないメロディで、周りを見渡すと、楓が自分のポケットを探っていた。どうやら彼女のものらしい。楓はスマホを取り出すと、それを耳に当てた。数秒置いて、うそっ、とか、マジっ、とか驚嘆の声をあげる。なんとなく部屋を出るタイミングを失ってしまったので、恭太郎と楢は楓の通話が終わるのを待っていた。
「うん、わかった。ありがとう」
そう告げ、楓は電話を切った。それから、恭太郎を見る。
「騒が師が動き出したみたい。場所は――」
[二日目・10:15]A
「どうしたの」
真鈴が、たった今着信を告げた僕のケータイの画面を覗きこむようにして訊く。
「メール」
「誰から?」
打つと響くように質問が飛んできた。僕は不快を表情に露わにする。
「誰からでもいいだろ……。プライバシーだ」
「女の子?」
なんでそうなるんだよ、と言い返そうとしたが、from欄を見れば、女の子からだった。楢卯月。僕に事件の調査を依頼してきた女子生徒。おそらく事件に関することだろうと思いながら、メールを開いた。
案の定、騒が師のことだったのだが。本文を読み終え、僕はすぐさまつま先の向きを変える。
「どうしたのハル? どこに行くの」
「将棋部は後回しだ。先に六組に行こう」
「へ?」
真鈴がひょうきんな声をあげる。
「わたしたちのクラスに? どうして」
「騒が師のターゲットに一年六組が選ばれてしまったらしい。風船をいくつも割られたそうだ」
もしちゃんと自分たちのクラスに戻っていれば、現行犯で騒が師を捕まえることができたかもしれない。そう思うと少し悔しい気持ちになった。
六組が借りている、特別教室に着く。一時間ぶりにここに来たが、この人の多さを見るに、結構繁盛しているようだった。
戸を抜けると、中は通常通り動いている。ただ、会計係を襲い掛かるように浮かんでいた風船が半分近くまで減っていた。あれが狙われたのか――いや、もしかしたらただ単に邪魔で減らされただけなのかもしれないが。文化委員の千両に話を聞くのが一番だろうと彼女の姿を探したが見つからない。僕の代わりに会計係をしていたはずなのだが、その席には今は堺さんが背筋を伸ばして座っていた。
今は堺さんのもとには客やクラスメートもいない。僕が彼女に近寄ろうとするのを察したらしく、すっと真鈴が違う方向に離れていく。二人は喧嘩中だというし、それなら無理に引き合わせるつもりはない。
堺さんは僕に気づくと、すっと眼鏡の奥の目を細め、口だけを動かす。
「花川くん。みんな協力してるの。みんな仕事してくれているの。普段、クラスに協力的でない人もね。なのに、ひとりだけその態度はいただけないなあ」
どうしたのか。いつもは人でなしの僕に対しても丁寧語なのに。少し声色も違う。――と思っていたら、彼女はふっと愛好を崩した。
「……以上が、千両さんからの伝達です。どこ行っていたんですか、花川さん。チラシ、半分も減ってないようですけど」
声色も元に戻った。今のはモノマネだったのか。あまり似てはいなかった。
「騒が師について調べていた。昨日の帰り道、堺さんが僕に教えてくれたやつだ。意図的な騒音騒動」
「ああ、事件をどんどん引き寄せる坂月高校のネオジム磁石こと花川春樹さんってくだりですね」
「それでさ」
ネオジム磁石云々は聞き流すことにする。
「今さっきここで騒が師が現れたって聞いたのだけど。知ってるか」
「ええ。ここの風船がいくつか割れちゃったみたいです」
堺さんは自分の頭のすぐ後ろを漂う風船の小さな群れを指差した。
「さっきまで千両さんがここで会計係をやっていたんですが、突然、風船が割れたみたいで。ちょうど周りに客がいなかった時だったんですが、しんと静まり返ってしまって。すると、誰かが『騒が師だ、ミリオネアだ』って言いだして。再び教室が別の意味でざわついてしまいました」
そういえば椅子の下にこんなものが落ちてましたよ、と堺さんは僕に何かを差し出した。薄々見当はついていたが、案の定、騒が師の犯行声明だ。
しぼんだ風船に、サインペンでカクカクした文字で一言。『十一年前カラ』。少し文が短いのは、風船の面積が小さいからなのだろう。手書きだが、定規を使って書かれているらしく性別の判断は難しい。
「なあ、騒が師はどうやって風船を割ったんだ? 遠隔操作で割ったみたいに聞こえるが」
訊くと、堺さんは下唇に人差し指を当て、小さく首を傾げた。
「これは私の想像なんですけど」
「うん」
堺さんは口元に持っていった人差し指を、前に出して、手の拳銃を作った。
「リモネンを含んだ液体を、霧吹きか水鉄砲に入れて飛ばしたんだろうと思います」
「は?」
堺さんは前に出した手をすぐそこの教室後方のドアへ向ける。
「ほら、そこの出入り口からなら会計係に気づかれずに水鉄砲とか打てそうじゃないですか」
いや、僕が訊きたいのはそこではなく。
「端折ってないか堺さん。まずはリモネンってのが誰かを教えてくれ」
僕が説明を求めると、合点がいったようで、堺さんは含み笑いをした。
「リモネンは人じゃないです。手短く言うと油ですね。みかんとかレモンとかのかんきつ類の皮に含まれていて、発砲スチロールやゴムを溶解することができます。風船もゴムでできていますから、これを吹きかけるだけで、パアンと割れちゃうって寸法です。小学生の頃に理科でやりませんでしたか? 私はそれで覚えていたわけですけど」
うーん……。
やっただろうか。それに、やっていたとしても、小学校の頃にした小さな実験って普通覚えているものなんだろうか。
「まあ、多分合ってると思います。風船が割れた直後はこのあたりにかんきつ類の酸っぱい匂いが漂ってましたから」
言いながら、堺さんは人差し指を空中でぐるりとさまよわせた。
「それで」
僕は遅ればせながら訊ねる。
「千両はどこにいるんだ」
すると、
「もうー。あ、ちょうどいいや。麻子ちゃん、悪いけど、ちょっとここで会計やっておいてくれないかな。わたし、ちょっと先生に騒が師ってやつの文句言ってくる! ……だそうです」
だからそのモノマネは似てないって。
「ふうん。幸か不幸か、千両がいないってのならまた騒が師の調査に戻れるな」
教室を出ようと体の向きを変えようとして、堺さんのことを思い出した。
「あー……。そうか、堺さん、本当だったら今の時間は自由なのか。じゃあ駄目だな。堺さんを放って出て行けない」
僕が言うと、彼女は優しく笑みを向けてきた。
「いえ、いいですよ。どうせ暇ですし。どうぞ、いってらっしゃい」
ボランティア精神の塊のような堺さんだけど、将来、人に気を使いすぎて倒れたりしないだろうか。不安だ。それに僕も、彼女の厚意に甘えすぎなんじゃないかと思う。
「それにしても花川さん。今回はなんだか変にやる気なんですね」
わざとらしく口元に手をやり、意外だと言わんばかりだ。
「そう見えるか」
「ええ。いつもはひっぱたいても動きそうにないのに」
堺さんって表に出さないだけでいつもはそんな風に思ってるのか……。うわあ、なんかすごく嫌だ。
「ま、今回は特例だからさ」
「特例ですか」
堺さんが繰り返す。
「そう、特例。なんせ……」
僕は十分にもったいぶらせてから、言った。
「クラスの仕事を避ける口実作りのためだからな」
堺さんがわざとらしくため息をついてみせた。どうやら僕の株はまた下がってしまったようだ。
続きます。




