五.楢卯月と月ノ輪祭
前回の続き。
・凛藤恭太郎*一年八組。放送部。
・楢卯月*一年八組。春樹とは中学時代からの付き合い。
・八瀬辺楓*二年五組。放送部。
・楠井先生*一年六組の担任。放送部顧問。
・花川春樹*一年六組。主人公。
・真鈴あやめ*一年六組。ポニーテールがトレードマーク。
・細草*一年四組。美術部員。
[二日目・10:07]a
放送室にある、小さな小さな収録スタジオ。
定期放送第四回が終わり、マイクのスイッチがオフになる。
「お疲れ、楢さん。完璧だった」
恭太郎はもうひとつのマイクの前でほっと息をつく彼女に向かって親指を立てる。楢は苦笑のような笑いをしてみせた。
「……もしかして、緊張してたの?」
そう訊くと、彼女は弱々しく頷いた。いつもクールに振る舞う彼女だから、意外だと恭太郎は思った。まあ、楢卯月も人間なのだし、弱点のひとつやふたつ、あって当然だ。
恭太郎が席を立ち上がったそのとき、放送室の扉が開くのが横目に見えた。放送室と小型の収録スタジオは大きなガラスのはまった壁一枚で区切られているのだ。
放送室に入ってきたのは放送部の顧問、楠井先生だ。数学担当の教員で、今年の始めに、三十路になる前にめでたく結婚したという。本人曰く相手はべっぴんさんだそうだ。
放送室側にひとりだけ残っていた八瀬辺楓が顧問の方に振り向いた。恭太郎もスタジオの扉を開けて放送室へ入る。楢もその後ろをついてきた。
楠井先生の開口一番は、恭太郎に向けて発せられた。
「凛藤くん。よかったよ放送」
「ああ、はい。どうもです」
出し抜けに褒められ、戸惑いながらも返事をした。
「でもね」
顧問は困ったように頭をかきながら言う。
「僕はよかったと思うんだけど、他の先生たちがね、気に食わなかったみたいでさ。ミリオネアについて」
「はあ」
薄々予想してはいたけれど。
いや、僕は本当によかったと思ってるよ、と恭太郎の味方だとアピールするように楠井先生は付け足した。
ふと横目に隣に立っている楢を見れば、彼女は心配そうな顔を恭太郎に向けていた。
……仕方ない。
「すみませ……」
「ごめんなさい!」
恭太郎が謝罪するか否かのタイミングで、楓が口を挟んできた。恭太郎は驚いて頭を下げた先輩を見る。
「全部わたしがやれって言ったことなんです。凛藤クンやゲストの娘はわたしに巻き込まれただけの被害者なんです。だから凛藤クンたちを責めるのは筋違いです。責任はわたしが取ります。他の先生方に怒られる役目もわたしが担いますし、訂正の放送もわたしが流します」
「八瀬辺さん、何か勘違いしているようだね」
「え?」
楠井先生以外の三人は頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
「校内を騒がしている騒が師と呼ばれる人物の行動を放送したことについては特にあれこれ言うつもりはないんだ。けれど、昨日放送部に届いた予告状を紹介したのがいけなかったらしい。面白がってそれを捕まえるように生徒に促したことも、だ」
「危険だから、ですか?」
恭太郎が訊ねた。
「ああ。もしかすると犯人はここの生徒ではなく、一般客に紛れ込んだ大人かもしれないだろう? だから」
楠井先生は念を押すように言う。
「予告状に関することはこれ以上伝えちゃ駄目だ。こういうことがあったとニュースとして伝えるのはオーケーだけどね」
「はい……」
恭太郎は俯いた。俺たちが扇動したせいで、誰かが怪我でもしたら、というところまで考えが及ばなかった。これは先生なりに斟酌してくれた結果なのだろう。本当なら定期放送の権利をはく奪されてもおかしくない。
「質問いいですか楠井先生」
口を開いたのは楢。何が気になるのか。彼女は先生との距離を一歩詰める。
「犯人はここの生徒ではなく、一般客に紛れ込んだ大人かもしれないというのは楠井先生個人の意見ですか? それとも、他の先生の意見ですか」
恭太郎は首を傾げた。どういう意図があっての質問なのだろう。
「もちろん僕個人の意見でもあるけど、教職員全体の意見でもあるよ」
「そうですか。ならばどうして一般客かもしれないとお思いに?」
「月ノ輪祭は一般の客も出入りできる。悪い心を持った大人が文化祭を壊そうと企んでいるかもしれないじゃないか」
「それはないでしょう」
楢は彼女特有の大人びた声できっぱりと否定した。
「予告状は月ノ輪祭一日目の一般公開が始まる前に放送部が意見を募集するための《みんなの声ボックス》に投函されていたことは先生方もご存じのはずです。普通、その時間帯に一般の客は入れないのだから、生徒の悪戯だろうということは容易にわかります。でも、先生方は大人がやったかもしれないと言っている。この矛盾を解消するには」
「解消するには?」
楢があまりに流れるように話すから、恭太郎は思わず相槌を打ってしまった。楢は恭太郎を一瞥してから続けた。
「先生方は、生徒ではない学校関係の誰かの仕業だと思っているのでしょう? つまりは教職員の誰かの仕業だと」
恭太郎は改めて彼女は聡明な頭脳の持ち主と思わされた。
顧問はしばらくの間、楢と睨めっこしたあと、視線をそらしてため息をついた。
「これはまいった。相変わらず頭が良いんだねえ、楢さん」
恭太郎はその言葉に首を傾げた。楢は楠井先生の数学を受けていないはず。
「楠井先生はいつ彼女は頭が良いってことを知ったんですか?」
「そんなことどうでもいいでしょ」
なぜか楢が冷たく言い放った。
「ははは。楢さんが言われたくないんだったら言わないよ。――で、これは秘密なんだけど」
楠井先生が声のトーンを落とした。
「楢さんの言う通り、先生の何人かは教職員の誰かが犯人だと睨んでいる。先生の立場なら、余程外れたことをしない限り、何をしても怪しまれないからね。だから月ノ輪祭をパトロールしていると見せかけて秘密裏に犯人探しをしている先生も何人かいる」
「そうだったんですか」
と、楓。
「ああ、先生が犯人かもしれないってことは生徒に知られてあまり嬉しいことじゃない。だから、あと二回ある定期放送では、犯人探しをさせるようなことは言っちゃ駄目だよ」
「わかりました」
わかったならよろしい、と楠井先生は頷き、じゃあ応援してるからねと言い残して放送室を出て行った。
恭太郎は推理を披露したばかりの楢に目をやる。彼女は閉まったばかりの扉にじっと視線を注いでいた。
「楢さん、どうした? まだ考え事しているの?」
声をかけると、楢は我に返ったように扉から視線を外して恭太郎を見上げた。
「先生方はどうして内部に犯人がいるんだと思っているのかしら」
「さあ……。俺たちが知らない情報が何かあるんだろう」
恭太郎が楓に目で意見を求めると、先輩は肩をすくめた。楢が言う。
「それともう一つあるのよ。これまでのミリオネアの行動はただの悪戯に過ぎないわ。言ってしまえば放っておいても別に害はない。エスカレートしている様子もない。なのに、先生が数人がかりで犯人探しにあたってる。教職員が犯人かもしれないってことを考慮に入れても、ちょっと不思議だと思わない?」
それから、楢は確信したように言った。
「きっと、ミリオネアには何か秘密があるのよ。無害では済まない、もっと大変なことをする可能性も」
[二日目・10:10]A
騒が師がまず始めに小さな騒ぎを起こしたという渡り廊下に向かったのだけど、予想通りというかなんというか、何もなかった。得したことといえば、任されたビラを数枚消費できたことくらいだ。
ため息をついていても仕方がない。とりあえず二つ目に被害のあった場所――美術室に向かおうか。
「おお? 誰かと思ったらハルじゃないの」
四階にある美術室に行くため階段を上っていると、踊り場のところで知り合いに出くわした。僕の名前、花川春樹からつけた安直なニックネームで僕を呼ぶのは、同じクラスの真鈴あやめだ。下は制服のスカートだが、上は僕と同じく、クラスで作った、紺色のオリジナルTシャツ。文化祭の日も相変わらず髪型はポニーテールにしている……と思ったが、よく観察してみればいつもより少し高めに結っていた。
「駄目だよー、仕事をさぼっちゃあ」
僕は腕に抱えた四十枚程度のビラを持ちあげてみせる。
「これがさぼってるように見えるか?」
「それがさぼってるように見えるの。聞いたよ? ハル、堺さんに半分チラシを渡したそうじゃないの。同じ時間から始めた堺さんは既に全部配り終えてるんだよ。千両さんに『手伝えること、ないですかー』って訊ねていたくらいなんだから」
「……むう」
返す言葉もない。
堺さん、案外社交的で知らない人ともすぐに仲良くなれるからなあ。
会話が途切れたなと思い、僕が止めていた足を動かして階段を上ろうとすると、真鈴が隣に並んできた。
「どこかに行くんじゃないのか?」
真鈴は高めのポニーテールを揺らしながら首を振った。
「ううん。千両さんに『サボり中の花川くんを探してきなさい』っていう使命を受けていただけだから。これにて目的達成。あとは連れていくだけ」
「ああそう。でも僕、行かなくちゃならないところがあるんだけど」
「んん? どこに?」
「美術室」
真鈴が眉間に小さくしわを寄せた。
「なんで? 昨日も行ったじゃない?」
展示しかなくて退屈だったじゃん。真鈴は遠慮なしにそう言った。
「昨日、校内を騒がしていた騒が師って知ってるか」
「ああ、うん。今さっき定期放送でやってたよね、ミリオネアとも呼ばれている。……ああ、なるほど」
真鈴がぽんっと手を打った。
「犯人を捕まえようとしているんだね!」
「まあ、な」
楢卯月に頼まれたとは言わないでおこう。以前も楢がいらないことを真鈴に吹き込んだせいで、こいつによくわからないことを訊かれたのだし。
「で、被害を受けた場所である美術室に向かってるんだ。そんなわけだから、見逃してくれ。千両には花川は見つからなかったとか適当に報告してくれないか」
「ハルが自主的に動くってのも珍しいから、邪魔したくはないんだけど、うーん……。平然と嘘をつきたくもないしねえ」
真鈴は根は真面目なやつだ。やっぱり言う通りにはしてくれないか。――と思っていたら、真鈴は何かひらめいたように顔を輝かせた。
「それなら、嘘をつかなきゃいいんだよね。教室に戻らなかったらいいんだ」
なんか汚くないか、それ。
「うん、じゃあ、ハルについていきます。いちおう、監視役ってことで」
「それは構わないが……」
「もし千両さんに見つかったら、連れ戻そうとしたわたしを無視したって答えるんで。ヨロシク」
ぐっと拳から親指をあげる。自分だけ助かる気なのか。
話が決まり、僕たちは改めて歩を進める。
「ときに真鈴よ。堺さんとの仲は良くなったのか」
詳しくは知らないのだけど、堺麻子と真鈴のふたりは只今喧嘩中なのだそうだ。何が原因なのかは全く知らない。堺さんには自分たちの問題だから放っておいてくれ、と言われたが……。
「ああ、その件ね。わたしもよくわかんないままだったから、わたしを避けようとする堺さんを捕まえて問い詰めてみたら、『覚えがないなんて言わせません。真鈴さんは私を裏切ったんです』って冷たく放たれてどっかに行かれちゃった」
能天気にちろりと舌を出す真鈴。仏のような彼女を怒らせるなんて、本当にこいつは何をやらかしたのだろう。
開け放れたれたドアをくぐり、美術室に入る。
美術室は普通教室と同じくらいの大きさで、いつもの美術室と違うのは、机類が奥に寄せられ、イラストやスケッチが貼られたパネルが計四枚、二列に並んでいるところだった。それを眺める客が二、三人いる。あまり繁盛しているとは言い難かった。教室の前方では机と椅子をワンセット出して黒板に背を向けて座っている男子生徒がいる。退屈らしく、頬杖をついてケータイを触っていた。彼が美術部唯一の部員である、ほ、ほく……、
「……誰だっけ?」
「細草くんだよ」
人の名前を忘れるなんてどうかしてるんじゃない? という響きがこもっていた。
そうだった、彼が一年四組の細草くんである。
彼とは六月初旬に初めて会話して、それきりだった。確かその日に美術室を訊ねた時も、僕と真鈴のペアだった気がする。
パネルに目をやることなく細草に近づく僕たちに気づいて、彼が視線をあげてこちらを見た。
僕はいきなり切り出した。
「細草。訊きたいことがあるんだけど」
「誰?」
ははは、こいつも僕のことを覚えてないじゃないか。
真鈴と二人して自己紹介すると、どうやら僕たちを思い出したようで、苦虫をかみつぶしたような顔になった。そんなわかりやすく不愉快な態度を見せなくてもいいじゃないか。
「騒が師って知ってるか。あれについて調べてるんだけど」
「ミリオネアね。知ってるよ。察するに、君たちも昨日の悪戯をされた時の美術部の状況を聞きたいわけだ」
「すでに何人かに話を聞かれてるんだな」
「そう。始めに十時ちょっと前に放送部員の凛藤ってやつが来てさ。そいつがぼくから聞いた情報を校内中に伝えちゃったわけだから、定期放送のあとさらに何人かの自称探偵志願者がやってきた。もうウザいのなんの」
「ごめんね」
なぜか真鈴が謝った。
細草が教室後方を真っ直ぐ指差し、言われるまでもなく説明を始めた。
「後ろの机に石膏像が何体か乗っているでしょ。ここからはパネルで死角になっている場所にある石膏像の後ろに、男の悲鳴が録音されたカセットデッキが置かれていた。多分犯人は石膏像が叫んだように見せたかったんだろうと思う。確かに、突然叫び声が聞こえたときはびっくりしたけど。定期放送でウチが紹介されたあとで、少しだけ客が多くなっていたから、カセットデッキを仕組むのは簡単だったろうけど。時限式だったろうし」
テープの前半部分を無音にしてスイッチをオンにして放置しておけば、擬似時限装置の出来上がりだ。
「じゃあ、いつから置かれていたとかは?」
「わからないな。だから犯人の特徴もさっぱり。カセットデッキは犯人の私物だったみたいだけどさ」
「そのカセットデッキはどこにあるんだ?」
「ああ、騒ぎを聞きつけた男の先生が回収に来たよ。なんだっけ……えっと、楠井先生だっけか。知ってるかな」
知ってるも何も、僕たち六組の担任の先生だ。
「放送で聞いたのだけど、騒が師が残していったメッセージとやらがあるらしいな」
「ああ、あったね。でもすぐに野次馬に盗られたみたい」
「野次馬? ここの生徒か?」
「そう。茶髪の女子生徒だった。スリッパの色を見てわかったんだけど二年生だ。どこかで見たことある人なんだけど……」
うーん、としばらく唸ったあと、
「ああ、今思い出した。生徒会役員選挙だ。生徒会の人だよ、確か」
茶髪の生徒会の人――昨日真鈴とスタンプラリーの台紙をもらいにいったときに受付してくれた女子生徒で間違いないだろう。
「どうも。助かった。……あ」
踵を返そうとした足をまた戻す。僕は抱えたビラの束から一枚とって、細草に差し出した。
「よかったら来てくれ。一年六組喫茶店」
仕方なく、といった様子で細草はビラを受け取り、数秒眺めたあと机の隅に置いた。勘でわかる。こいつは来ないな。
今度こそ踵を返して、美術室を出る。振り返ると今度は真鈴が細草に喋りかけていた。じゃあね、と言ってこっちに来た真鈴に訊く。
「細草に何を言っていたんだ?」
「花川くんが無愛想でごめんなさいって。礼儀とかよく忘れるけど、悪い人じゃないから怒らないでねって」
お節介焼きの真鈴らしい行動だ。
どうやら無愛想らしい僕は無愛想ながらも、言った。
「ありがとな」
真鈴は驚いたように僕を見てから、ニコリと微笑んだ。
「いえいえ。どういたしまして」
人々の声で騒がしい校舎内を再び歩き出す。
次はどこへ行くの。両手を後ろに回して歩く真鈴が僕に訊ねてくる。
「将棋部で話を聞く。それから茶髪の二年生を探して生徒会室に行く」
「そう。じゃあ引き続きオトモしましょう」
「いいのか? お前までサボっていることになるんだぞ」
さっきは責任逃れをするかのような台詞を言った彼女だが、今回は違った。
「構わないよ。ハルの推理、聞くの嫌いじゃないし」
続きます。




