四.凛藤恭太郎と予告状
前回の続き。
・凛藤恭太郎*一年八組。放送部。
・楢卯月*一年八組。春樹とは中学時代からの付き合い。
・八瀬辺楓*二年五組。放送部。
・花川春樹*一年六組。主人公。
凛藤恭太郎が楢卯月に告白したのは、三か月前、六月のことだった。
高校が始まり、初めてまともに喋った女子生徒だった。幼さを残した容姿だったが、その顔の陰に、どこか不思議な魅力を備えていたのを恭太郎は感じていた。いわゆる一目ぼれだった。席が近かったこともあり、言葉を交わすたび、さらに彼女に惹かれていった。どこか必要以上に近づこうとしない距離間を感じたが、それが逆に彼女のミステリアスさを引き上げる要素になった。
そして六月に偶然、楢とふたりきりになった時に、恭太郎は思い切って心の内を打ち明けた。結果は……芳しくなかったが。無我夢中で頭は真っ白になっていたはずなのだが、恭太郎は彼女の言葉を今でも一字一句間違えずに暗唱できる。
『ごめんなさい。凛藤くんとは仲良くしたいと思うけれど、今は、友達として付き合っていきたいの』
好意を伝えてきた男を、楢は避けようとはしなかった。それからはそれまでと相変わらず楢は恭太郎と接している。言葉通りに、友達として。
「八瀬辺先輩、昨日放送部に届いた例のアレ、どこにあるかわかりますか」
恭太郎はゲストとして放送に出てくれるという楢を引き連れ、放送部の部室――つまりは放送室――にいた二年生の八瀬辺楓に話しかけた。
ケータイを操作していた楓は画面から顔を上げる。
「アレかー。確か、校内に紹介しようと思って顧問に渡したんじゃなかったっけ? 結局許可とかもらわないきりになっていたけれど」
「だとしたら、今、ないですか」
「ないなあ」
恭太郎は肩を落とした。すると、楓が思い出したように言う。
「あ、でもね。そんなこともあろうかと、写真を撮っておいたのさー」
「えっ、本当ですか。よかったらくれませんか」
いいよー、赤外線でー。と楓は気抜けた声で応じる。
「凛藤くん」
楢が写真のデータを受け取っている恭太郎の腕をつつく。
「アレってなんのこと?」
「……これだよ」
恭太郎は今しがた先輩から受け取ったばかりの画像を表示して画面を楢に向けた。被写体は紙。ワープロ文字で何かが書いてある。画像は荒かったが、楢はそれをなんとか読み上げた。
「『あたしはこの月ノ輪祭でひと騒ぎ――いや、それの六、七倍もの騒ぎを起こしてやる。あたしを捉えられるものなら捉えてみなさい。十一年前からの刺客・アッキピテル・ミリオネア』。……ふうん。凛藤くんは、月ノ輪祭を騒がしている『騒が師』は、この『アッキピテル・ミリオネア』と同一人物だと思っているわけね」
恭太郎は頷く。十中八九間違いないだろう。
「昨日の朝に、月ノ輪祭中に放送部が実施するアンケートやメッセージを投函する《みんなの声ボックス》に入っていたんだ。これを定期放送で紹介したら面白いんじゃないかって八瀬辺先輩と盛り上がったんだけど、残念ながら、顧問の先生に遠回しに駄目だって言われた」
言って、恭太郎は肩をすくめた。再びケータイいじりに戻った楓が視線をこちらに向けずに言う。
「見たところ予告状よねえ。放送部に渡すようなことをしたってことは、このアッキ……なんだっけ?」
アッキピテル。どこの国の言葉かは知らないが、確かに言いにくいし覚えにくい。ミリオネアの方が呼びやすいと思ったのか、楓は言いなおした。
「ミリオネアって人も、定期放送で校内中に広めてほしいんだってことなんだろうけど。まあ、犯人とわたしたちの利害が一致しても、顧問が一言、駄目って言ったら何もできないし」
「遠回しに断られただけで、駄目だとは言われてませんよ」
楓がケータイの画面から顔を上げた。恭太郎の考えを見抜いたようで、薄い笑みを浮かべている。
「凛藤クン、定期放送で紹介するつもりなんだねえ?」
「だってそちらのほうが面白いでしょう?」
楓はふふ、と笑った。
少しくらいルールを破ったほうがカッコイイ。楢もそう思ってくれるかもしれない。
「ねえ、凛藤くん。その写真、わたしにもくれないかしら?」
楢も興味が湧いてきたのだろうか。なんにしても、彼女の頼みならお安い御用だと恭太郎は思った。写真を送ると、楢はちょっとお手洗いに行ってくるね、と放送室から出て行く。
ドアがゆっくりと閉じられ、部室には恭太郎と楓だけになる。
「八瀬辺先輩は、放送室から出て行ったりしないんですか。文化祭始まってますよ」
なんともなしに恭太郎が訊ねると、楓は苦笑いをした。
「あたし、放送部が忙しいってのを言い訳に、クラスの仕事を免除してもらった立場だから、あまり外に出づらいんだよねえ」
「あー、なるほど。そういうことだったんですか」
小さな間を置いてから、楓がつぶやくように言った。
「凛藤クンはあれでしょう」
「あれとはどれですか」
「今の娘が好きなんでしょ?」
「え……」
恭太郎が返答に窮していると、楓はニヤケ顔になった。
「あはは、図星なんだー。だって、凛藤クンの態度とか、顔の表情とか見てたらわかるんだもん。でも、うん、彼女、日本人形みたいで可愛らしいと思うよ。それに子どもっぽい外見にはあまりマッチしていないけど、声も良いし。さすが放送部。声の綺麗な娘に惹かれやすいのかなー。うふふ。ま、凛藤クンの好みのタイプがわかったことだけでも収穫だー」
何も言っていないのに、立て板に水を流すように喋る。しかし彼女の言うことがあながち間違っていないから、言い返すことのできない恭太郎だった。
[二日目・9:18]A
堺さんと別れてから十分くらい経ったのだけど、まだビラを数人にしか配れていない。減る気配のない紙束。ああ、これがお金だったらいいのに。そしたらすぐになくなるだろう。……いや、それだったら僕が独り占めするな。
「人はたくさんいるんだけどなあ……」
ぼりぼり頭をかく。
いかんせん思い切りが足りない。知らない人に話しかけるのは苦手なのだ。そして渡そうと決心した頃には客は遠くまで流れている。この調子だと月ノ輪祭が終わり、後夜祭が始まってもこれの半分も配りきることができそうにない。本当に廊下の壁に貼り付けてやろうか。
そのとき、ポケットに入れていたケータイが着信を告げた。
廊下の端に寄り、ビラを小脇に抱えて、ケータイを操作する。メールだった。発信者は――、
「……楢卯月?」
どうしたんだろう。まさか彼女も手に負えないほどのビラを渡されたとか。……あいつは八組、別のクラスの僕に頼むのは筋違いだし、それはないか。本気で思ったわけじゃない。
メールを開く。
本文はなし、件名に一言だけ。
『二階の男子トイレの前まで来てくれるかしら』
何の用だろうか。
……むう。
ここは三階。降りれば男子トイレはすぐそばだ。返信するのも億劫だし、直接会った方が早いだろう。
……果たして二階男子トイレの前に楢卯月はいた。中学生の頃から変わらない、肩あたりで切りそろえた髪型。なぜか制服ではなくジーパンに白シャツという格好。……僕が言える立場ではないけれど、センスないなあ、私服。女子力の欠片も感じられない。
まあ、今は楢のセンスなんてどうでもいい。
「何の用だ」
両手に大量のビラを持ったままそう切り出すと、楢は僕の後ろを覗こうとするかのように、小さな体を曲げた。
「あら花川くん、今日は真鈴さんと一緒じゃないのね」
「今は僕もあいつもクラスの仕事で忙しいんだ。いつも一緒みたいな言い方をするな」
いつも一緒じゃないの、どうでもいいけれど。楢は呟き、自分のジーパンのポケットから白色をしたタッチ式のケータイ――つまりはスマートフォンを取り出した。
そして何も宣言することなく操作を始める。
「ああ、そういえば、映研部の映画観たぞ。中々よかった。真鈴も褒めてた」
「それはどうもありがとう」
スマホから目をはなすことなく答える楢卯月。操作に夢中なのか、言葉に心がこもっていない。
最近耳にした話だが、今時の学生は友達との会話中にもスマホを操作するほど、ケータイに依存しているらしい。目の前の人を差し置いてケータイを触るなんて、ケータイ依存症から程遠い僕には考えられないことだ。そんなことで人間関係を築いていけるのだろうかと心配になる。まあ、築いていけるのだろう。ケータイ依存症じゃない僕ですら、友達と呼べる友達が少なすぎるし、人の心配をしている場合じゃない。
人を呼び出すだけ呼び出しておいて、用件も言わずにスマホをいじりだしたこいつも、最近の学生と同類なのだろうか。……いくらなんでも無礼すぎやしないか。
そう思ってたら楢が唸りだした。
「うーん……。ピクチャーを見るにはこのアイコンじゃなかったかしら……」
「……楢、どうしたんだ?」
「うるさいわよ。今頑張ってるから、ちょっと黙って頂戴」
鋭くそう放たれたから、黙っているしかなくなる。しかしなおも、「わからないわ……」とか「だからスマホは嫌だったのよ」とか文句が聞こえる。
……どうやらケータイ依存症ではなく、スマホの操作に慣れていないだけらしかった。大方、写真を表示するだけのつもりが、その方法がわからなくて苦戦している、といったところだろう。
手を貸そうにも、僕はいまだにガラケーだしなあ。お役に立てそうにない。流行っているらしく、僕の知り合いは次々とガラケーからスマホに鞍替えしている。このままでは僕だけが取り残されそうだ。社会は一体いつからスマホを推す風潮になったのだろうか。
「……できたわっ!」
出し抜けに楢が珍しく声を張り上げた。そしてガラケーの二回りもありそうな画面をこちらに向けてくる。それを見るに、やっぱり写真を呼び出そうと健闘していたらしい。
画像一枚表示するのにそこまで時間がかかるのに、どうしてみんなはスマホにするのか。不思議でたまらない。
……それとも、
「楢、お前、機械音痴なのか」
言うと、彼女はギロリと鋭い視線を僕にぶつけてきた。思わぬ地雷だ。藪をつついて地雷を起爆させてしまったらしい。
「いいえ、違うわ。スマホに中々慣れないだけ。ガラケーの時も最初はこんな調子だったわ。……最初は、ね」
それはそれは。
閑話休題、このままじゃ話が進まない。
「ひとまずこれを見ろってことか」
僕は楢が手に持っているスマホの画面に顔を近づける。どうやらメッセージの記された白い紙を撮ったものらしい。文字は小さいが、なんとか読み取れる。『あたしはこの月ノ輪祭でひと騒ぎ――いや、それの六、七倍もの騒ぎを起こしてやる。あたしを捉えられるものなら捉えてみなさい。十一年前からの刺客・アッキピテル・ミリオネア』。
「十一年前からの刺客……? なんだこれ」
スマホをポケットにしまいながら(見間違いだろうか、スリープモードにし忘れているように見えたのだが)疑問を呈した僕に楢が説明する。
「昨日、真鈴さんと文化祭デートして校内を巡っていた花川くんなら知ってるんじゃないかしら。騒が師っていうらしいのだけど。名前の通り、坂月高校のあちらこちらで爆音をかまして騒がしている謎の人物らしいの」
昨日の帰り道での堺さんとの会話がよみがえる。
「友達から似たような話を聞いたな。昨日のうちに、渡り廊下・将棋部・美術室と三度、何かしらの方法で大きな音を立てたやつだ。僕は渡り廊下以外の二件と遭遇してしまったけれど」
「そう、それのことよ。無害っぽいけれど、先生たちがこっそり犯人探しをしたりしてるって噂。音を出すという手口のおかげで、存在自体は生徒の二人に一人くらいの割合で知れ渡ってるんじゃないかしら」
「そうみたいだな」
そういえばまだ用件を聞いてない。
「で、結局楢は何の用があって僕を呼び出したんだ? まさか僕と雑談がしたいわけじゃないだろう? 僕だってこのビラを全部配るっていう仕事があって忙しいんだよ」
僕は五十弱ある紙を少し持ち上げた。
「ええ、そうみたいね。わたしは雑談したいわけじゃない。……頼みがあるのよ」
楢が僕に頼み事なんて珍しい。もしかして初めてかもしれない。
「花川くんに、この『騒が師』、もとい『十一年前からの刺客・アッキピテル・ミリオネア』を捕まえてほしいの」
僕は目を細めた。こいつの言葉の真意を量ろうとしたのだ。騒が師が捕まると、楢卯月に一体何のメリットがある? 結局わからず、訊ねてみる。
「得はしないわ。でも損得だけで動いているひとばかりじゃないのよ、世の中は。ちょっかい程度なら責めるほどじゃない。でも、それが度を越えているのなら、咎めるべき」
「大げさだろ。度を越えているっていうのは、たとえば先日解決したような、月ノ輪祭を中止しろっていう脅迫状もどきのようなものを言うんだ。騒が師は害があるわけじゃないんだろ?」
「害はなくても、迷惑はしているの。たとえば先輩の友達が将棋部の部長をつとめているのだけど」
「飛燕だな」
夏休み前にちょっとした揉め事をがあった。
「あら。知り合いなのね。ご存じのとおり、将棋部は運の悪いことに騒が師のターゲットになったわけだけど、そのせいで『何が起きるかわからないから危険だ』と思われて、ただでさえ少ない客が減ったそうだし」
そもそも将棋部ってなんの出し物をしているんだろう。昨日、僕と真鈴で将棋部のほうへ遊びに行ったのだけど、ちょうど騒が師の犯行のあとで、後処理のため、出し物どころではなくなってしまったし。
「それと美術部。知り合いの細草って男子生徒が美術部員なんだけど」
細草ともまた、六月頃にちょっとした揉め事があった。
「美術部も騒が師に目をつけられたせいで、同じように客が減ったみたい。人手が足りないだけに、こちらは結構なダメージみたいだわ。折角放送部の定期放送で紹介してくれるように頼んだのにね」
つまりはそういうことなのよ、と楢が細い腕を組んで言う。
「わたしは友達がこれ以上嫌な思いをするのが嫌なの。でもわたしでは捕まえられそうにない。だから、中学の頃からそういうことだけは得意な花川くんにこうして身を裂くような思いをしながら頼んでいるの」
そういうことだけは得意ってどういう意味だ。それと、身を裂くような思い、絶対してないだろ。
「楢は僕を買い被って、頭の良いやつか何かだと思っているようだけど」
「愚かだけどやるときはやる人だと思っているわ」
怒るぞ。
「楢は僕をやるときはやる人だと思っているようだけど、皆と同じ一生徒であることは変わりない。何の権限もなければ、人脈も普通のひとより狭い。騒が師を捕まえることはできないかもしれない」
ええ、それくらいは承知しているわ。と楢が当然のように言う。
「月ノ輪祭は今夜の後夜祭で完全に終了だし、明日以降になると騒が師の手がかりを手に入れるのは難しいかもしれない。わたしも、わかったことはなるべく花川くんに伝えるようにするし。確実に成功してくれと言ってるわけじゃないの。花川くんなりに全力を尽くして駄目だったのなら、潔く諦めるわ」
……ふうむ。
「楢の頼みを引き受けるとして、僕のメリットは?」
「そうね……。わたしの期待ってのは。珍しいわよ」
「駄目だ」
「うーん……」
楢は人差し指を顎に添えて考えるようにして、あちらこちらに視線を泳がす。やがて僕の手元に止まった。
「花川くんが抱えているチラシの束、わたしが半分引き受けるわ」
続きます。




