四.凛藤恭太郎と憧れの娘
前回の続きです。
・凛藤恭太郎*一年八組。放送部。
・楢卯月*一年八組。春樹とは中学時代からの付き合い。
・花川春樹*一年六組。主人公。
・堺麻子*一年六組。人を疑ったりしない性格。
・千両万衣*一年六組。文化委員。
[二日目・9:02]a
凛藤恭太郎は放送部に所属している高校一年生だ。
普段の放送部の活動内容はといえば、昼休みの時間にリクエスト曲を流したりという雑務に加え、発声練習、脚本の音読、そして放送コンテストにもでたりする。ラジオドラマみたいなのも作ったことがある。
体育祭でも指示や実況などで放送部は出ずっぱりだが、もちろん文化祭の時にも仕事がある。一般の客も多く来場するので、迷子の放送や校内放送案内をするのだ。他にも諸々雑用はあるのだが、今年はそれに加えてひとつ、企画をすることになった。
テーマは顧問が勝手に決めた。『リスナー参加型の何か』。
外部の人と一緒に何かをしようというわけだ。ラジオドラマなどの意見も出たが、究極的には『ラジオ形式で、アドリブでゲストに何か喋ってもらう』というものに落ち着いた。
それを放送部の定期放送と名付け、文化祭の二日間をかけて、校内放送で全六回流すことになった。
各クラスの仕事などが重なって、時間の空いている放送部の部員数はそれほど多くはなく、恭太郎も駆り出されることになった。大役といえば大役だ。恭太郎がしくじれば、六分の一は失敗したことになるのだから。
自称・部の看板娘こと先輩の八瀬辺楓や、部長は、二回分担当することになっている。俺の仕事量は彼女らの半分。だからプレッシャーもその半分。恭太郎はそう自分に言い聞かすことにした。
恭太郎の担当枠は、文化祭二日目の十時、つまりあと一時間ぽっちで始まる。一日目の定期放送は順調に成功している。それがかえって彼の緊張を助長させた。
実はゲストがいまだに見つかっていない。何人もの友人に出演を断られた。交渉が下手なためか、文化祭前に約束を取り付けておくのがベストだったのだが、なかなかうまくいかなった。
どうしようかと悩んでいたところに届いた楢卯月からのメールは、底なし沼にはまった自分に向けて差しのべられた救いの手のようだった。
目的地に近づいてきたと思った矢先、恭太郎は、目的の少女、楢卯月を視界に捉えた。彼女は映画研究部が出し物をしている教室の前の廊下にいた。楢は何をするわけでもなく、壁にもたれかかっていた。服装は制服ではなく、長いジーパンに白いシャツ。あまりお洒落ではないから、おそらく映画の衣装かなにかなのだろう。
楢も恭太郎に気づき、彼に向かって小さく手を振った。おかっぱの髪がふわりと揺れる。なぜだか、その小さな仕草に恭太郎はドキリとしてしまうのだった。
「おはよう、凛藤くん」
楢の身長は、その年齢の女子高生の平均より下だろう。だが、彼女の小さな口から飛び出す声は、大人の女性のような、ひどく落ち着いたものだ。
恭太郎は、自分の体温がかすかにあがるのを感じた。
「お、おはよ、楢さん」
挨拶もそこそこに、恭太郎は話を切り出す。
「定期放送に出てくれる気になってくれたんだよね?」
リスナー参加型の放送部の定期放送。そのゲストは担当する放送部員が各自連れてくることになっているのは前述の通り。そこで恭太郎の頭に真っ先に浮かんだのは、楢卯月だった。
外見と声のちぐはぐが滑稽だと思う人もいるかもしれないが、彼女に惹かれている自覚のある恭太郎は、色眼鏡を抜きにしても、彼女の声や容姿は人を惹き付ける効果があるだろうと思っていた。
そこに来てこの仕事。
これは神様が俺に楢を誘えと言っているようなものだと恭太郎は思った。……それに、彼女と喋る機会も増える!
まあ、一度目は他の友人同様、断られたのだが。
「気が変わったの」
楢は微笑する。
「凛藤くんがピンチだーってことを耳にしたのもあったのだけど。わたしも時間が余っていたし」
「おお、ありがとう!」
手を握らんばかりの勢いだった。楢が半歩引く。彼女は必要以上の接触を嫌うのだ。気をつけよう。
ただし、条件があるわ、と楢が言う。恭太郎には他にあてがないから、大概の条件は飲み込むつもりだ。
「映画研究部の宣伝してもいいかしら? 客入りがあまり良いとは言えないのよ」
恭太郎の視線がすぐそばの映研部の教室に注がれる。一般公開時間を過ぎてから少ししか経っていないが、まだ客は誰も来ていないらしかった。
「それぐらいだったら別に構わないよ。むしろ、どうやって尺を埋めようか悩んでいたから、ありがたいくらいだ」
「それならよかった。ありがとう」
楢がかすかに笑う。あまり笑顔の得意な娘ではなさそうだが、その笑顔を見ただけで、恭太郎は心の中が安らぐようだった。
じゃあ、打ち合わせとかもあるし、今からいいかな。踵を返しながら呼びかける。頷いて、楢が恭太郎の横に並んだ。
楢の体躯は小さいから、会話をするとき、自然と彼女は恭太郎を見上げるようになる。
「定期放送って、わたしはなにを喋るの?」
「他の時間帯でやっている通り、テーマは月ノ輪祭に関することだけど。まあ、いくつか案はある」
「ふうん」
出し抜けに、ぽんっと楢が手を叩いた。
「ああ、そうだわ。こういうのはどうかしら」
何か思いついたらしい。
「今、月ノ輪祭を騒がしている『騒が師』について言及してみるってのは」
「さわがし?」
「ええ、そう。『騒がしい』と、技術を持った人って意味の『師』をかけたんだと思う。昨日に三回、校内のあちこちで爆音騒ぎがあったらしくて。その犯人の俗称」
「へえ」
恭太郎は思い出した。そういえば俺もそのうち一つを耳にしていた。それが誰かの悪戯だとは思っていなかったが。
それとは別に、恭太郎には思い当たる節がひとつあった。それを使えば……。
恭太郎はうんと頷いた。
「いいね、面白そうだ。採用させてもらうよ」
あと一時間。騒が師について、少しくらい聞きまわる時間はある。
[二日目・9:08]A
「あ、花川さん」
百枚はあるビラを抱えて教室を出ると、眼鏡をかけた女子生徒に声をかけられた。クラスメートの堺麻子だ。確か彼女は一日目にクラスの仕事を引き受けていたから、今日は自由なのだ。
堺さんは僕の手にある紙の束を見て言った。
「それ……、チラシですか」
「いいや、ビラだ」
相手は首を傾げる。
「同じでしょう?」
「違うな。ビラを貼ることはあるが、チラシを貼ることはない。文化委員様がビラだとおっしゃったのだから、これはビラだ」
へえ、そうなんですか。と堺さんは僕の言葉を軽く流す。
「文化委員様にな、この百を越えるビラを全部処分してこいって言われたんだ」
「なるほど。千両さんですか」
不意に、堺さんが右手の人差し指を立てた。注意するような口調で堺さんは言う。
「花川さん。月ノ輪祭の最中は許可のないポスター・ビラは貼ってはいけませんからね」
「なんだと。千両の言葉を逆手にとって、ビラを配るのではなく廊下の壁に貼り付けて処分しようという作戦は実行不可能だというのか」
「実行不可能だというんです」
廊下のあちらこちらにあるポスターやチラシはすべて許可もらっていたのか……。絶対にいくつか違反物あるよな。
というか、堺さんもよく僕の考えを見通したなあ。頭良いな、やっぱり。
「だって花川さん、片手にガムテープの輪を持ってるじゃないですか」
……おっと、これは失敬。簡単な推理でしたか。
出し抜けに、堺さんが両手を前に出して提言してきた。
「力になりましょうか、花川さん。チラシ、半分くらいなら引き受けてあげてもいいですよ」
「おお、助かる!」
まさかこんな身近なところに聖者がいたとは!
「まあ、私もクラスの一員ですからね。手伝うのは当然ですよ」
「お、おう……」
正論のようだが、自分の自由時間くらい自分のために使おうぜ、堺さん……。
さすがの僕も、半分も託すのは気が引けたから、半分よりほんの少し減らした分をボランティア精神の塊のような彼女に手渡した。
腕が少し軽くなる。
両手に紙の束を受け取った堺さんが、ふと思い出したように言った。
「あ、そういえば花川さん。さっき椿さんを見かけましたよ。来てたんですね、月ノ輪祭」
「へえ。興味ないな」
「素っ気ないですねえ。可愛い妹じゃないですか」
花川椿は僕の妹だ。中学三年生。生意気で僕より頭が働く。おかげで劣等感を感じることこの上ない。昨日も月ノ輪祭に来ていたらしいが、そういえば一度も会っていない。堺さんは僕の知らないところで椿と知り合った、と以前堺さんから聞いたことがある。
「男子生徒と歩いていましたよ。だから声をかけられなかったわけですが」
「へえ。興味ないな」
「素っ気ないですねえ」
自分から近づいたのであれば、その男子生徒はよほどの物好きだ。
じゃ、私はこっちのほうから配っていきますんで。頑張ってください。堺さんはそう言い残して、僕と反対方向へ進んでいった。
あまり気が乗らないけれど、僕も頑張るかー。
続きます。




