三.堺麻子と彼の推理
前回の続き。解決編。
「その子達が信号無視をしていったのは偶然なんだ」
ずっと棒立ちのままだから、足も疲れてきた。足の重心を左から右にずらす。堺さんは相変わらず姿勢がいい。
「堺さんの話では、そいつらは信号を無視してから見えなくなるまで走っていったらしい。その時刻だから、登校途中と見て間違いはない。それを踏まえて、懸命に走る理由は一体なんだろう?」
堺さんは考えるように人差し指をあごに当てた。
「遅刻しないように、ですか」
頷く。
「僕もそうだと思う」
堺さんがじりっと一歩距離を詰めてきた。彼女は僕に目を据えて訴えてくる。
「でも仮にそうだとしたら、どうして信号を待っていたんですか。さっさと渡ってしまえばいいでしょう」
「遅刻しそうだが、渡ることができなかったとしたらどうだ」
「青信号をですか?」
「青信号をだ」
幾度目かの青が点滅し、サラリーマン風の若い男性が小走りで横断歩道を渡っていった。僕はその背中を何気なく見送りながら言う。
「その二人の子どもはおそらく友達同士だ。二人は遅刻するかしないか、そんなぎりぎりの時間までその場を動いてはいけない約束をしていたんだ」
少し遠まわしに言ったのだけど、勘のいい堺さんは気づいたらしい。顔を輝かせて言う。
「その子達は一緒に行く約束をし、その場所で『待ち合わせ』をしていたんですね!」
「ああ」
僕は道路の向こうを目で示す。
「時計塔があそこにあるから、時間はわかる。ある時間までに待ち合わせの相手が来なければ、先に行ってもいいと約束したんだろう。相手が来る気配がなくても、時間に一分違わないよう、きっちり守った。だけど、その時間では少しでも早く行かないと間に合わない。――しかし、そこでタイムリミットと赤信号になったタイミングが偶然重なってしまった。だから仕方なく、赤信号を渡った――と考えれば大方の筋は通る」
少し考えてから、僕は付け加えた。
「堺さんが彼らを見た時刻も同じだろうからな」
目の前の女子高生は小首を傾げた。
「どうして同じだってわかるんです?」
「堺さんは電車通学。しっかり者の堺さんのことだ、毎日同じ時間発の電車に乗ってくるだろう。電車のダイヤルは固定されてるし、駅を出て商店街を抜け、この場所に来る時間も毎日そう変わらないはず。だからそう思った」
「なるほど」
顔を上げた堺さんは信号のほうへ目をやり、感慨に浸るように言う。
「そうだとしたら、男の子と女の子は幼馴染ってことになりますよね。遅刻するかもしれないってのに律儀に純粋にお互いの約束を守り合ったのです。あの年で既に立派な信頼関係があるってことなんでしょうか。……羨ましいですね」
堺さんにも、幼馴染はいる。玉依葵という。僕の中学時代の先輩でもあるのだけど、すれ違いが原因で今は僕と疎遠になってしまっている。
彼女は、僕を振り向いた。瞳には、また子どものような悪戯っぽい色が浮かんでいた。
「あの二人が高校生になれば、花川さんと真鈴さんみたいになるんですかね」
「ははは」
こんな軽口は笑い流すに限る。
そういえば、僕も小学校低学年の頃は、真鈴と一緒に学校へ通っていた。
「さて、話すことは話したし、もうそろそろ……」
そのとき、ピリリと聞き慣れない電子音が鳴った。なんだと思ったら堺さんが慌てたように制服のポケットを探る。やがてケータイを取り出した。電子音の正体はこれだったらしい。
堺さんは『すみません電話です』と言って、僕に背を向けて、ケータイを耳に当てた。何やら一言二言相手と話したあと、通話を切ってこちらを向く。
「すみません。こちらから引き止めておいてなんですけど、急ぎの用ができたので帰らせていただきます。また明日会いましょう」
「まあ、僕もこれで帰るつもりだったしな。また明日だ」
「健闘を祈ります」
「へ?」
僕が要領を得ないうちに、堺さんは小走りで青になった信号を駆け抜けていった。
首を傾げて、体の向きを変え、腕組をして違う方の青信号になるのを待つ。
……ふむ。どうでもいいことかもしれないけれど、やっぱり、『ごめんなさい』が『すみません』に戻っていたことが気になってしまう。
目の前の信号が青になる。
そこで僕は横断歩道の先にいる人物に気づいて、目を見開いた。
どこかの学校の黒色のブレザーを身にまとっているその女性は唖然としている僕を見て、片手を上げた。
「久しぶり、花川少年」
一年と半分も会っていなかったけれど、すぐにわかった。……玉依葵である。
彼女の手にはケータイが握られている。そこで悟った。
そうだ、いつか堺さんが言っていた。堺さんは玉依葵と僕のよりを戻したいそうだ。その作戦を、今日、実行したのだろう。
堺さんは玉依葵が来るまでの時間稼ぎで謎を話し、僕をここに引き止めておいたのだ。僕が堺さんの頼みを聞き入れることを見越して。やはり彼女、中々聡い。健闘を祈りますも、そういうことだったのだろう。
これは根拠のない予想だけど、そんな奸智を働かせたから、彼女の言葉はより距離を感じる『すみません』に戻ったのではないのだろうか。
……ん、まあ、とにかくこの状況のほうが先決だ。回れ右して逃げるのは僕らしいけれど、男らしくはないし、先延ばしをしても意味がない。
僕は横断歩道をゆっくりと進みながら、口を開いた。
「玉依先輩、お久しぶりです」
ありがとうございました。時系列的には『Remember,oil and water don't mix.』の五話に続きます。




