三.堺麻子と月ノ輪祭
堺麻子と共に帰ることになった花川春樹。彼女は些細な謎を、春樹に持ちかける。
[一日目・17:00]
五時のチャイムで、月ノ輪祭の一日目が終了したことを知る。そういえば一般の客の姿は見当たらないし、喧騒も収まっていた。
同時刻、真鈴あやめの姿も消えていた。さっきまで一緒にいたのだけど、どこに行ったのだろう。彼女を見失ってから十分程度経ってやっと、ケータイで連絡すればいいのだと思い至る。急ぎの用ってことでもないから、メールを送った。
どこにいるんだ、と。
少し時間を置いてから、メールが届いた。早いなと思ったが、発信者は真鈴ではなかった。
花川椿――僕の妹から。今日この文化祭に来ていたらしいのだけど、そういえば一度も会っていない。
それにしてもタイミングが良すぎるなと訝しみながらメールを開く。
《先に帰るよお兄ちゃん》
……なんだこれ。あいつどうかしたのか。椿は僕にこんなことを伝えるような奴じゃないし、そもそも僕のことはいつも呼び捨てだ。
添付されていた写真を表示すると、ひとつ目の疑問が解けた。
椿と、真鈴あやめが笑顔でこちらに向かってピースサインしていた。するとつまり、真鈴が消えたワケは椿に出会ったからなのだろう。
つまり、僕は椿に真鈴をとられてしまったらしい。
後片付けと明日の準備は午後仕事がある班が担当することになっているから、僕に役割はない。仕方がないのでさっさとひとりで帰ることに決めた。荷物を取りに、一旦六組の教室に向かう。うちの出し物は別の部屋を使っているので、今日は荷物置きの役目しかない教室だ。
ドアを滑らせると、中では二人の女子生徒――千両万衣と堺麻子が喋っていた。
意外な組み合わせだけど、双方とも人見知りをしないタイプだし、別に驚きはしない。二人は会話を中断し、部屋に入ってきた僕を見る。
「あ、花川くん。今日は楽しかった?」
先に口を開いたのは千両だ。
彼女は文化委員で、率先して文化祭準備の指揮をとっていた。映画研究部の自主制作映画にも出演している、映研の看板女優のひとりだ。本人曰く、頭につけた黄色のカチューシャがトレードマークだそうだ。
僕は自分の思ったことを素直に口にするタイプではないので、
「ん……、まあ、な」
とお茶を濁した。
「花川さん、今から帰るんですか」
「ああ」
そういえば今日はまだ一度も堺さんと言葉を交わしていなかった。
「真鈴さんは先に帰ってましたよ」
「知ってる」
「じゃあ、ひとりなんですね」
「そうだな」
しかし、話の本意がわからない。彼女は何を言いたいのだろう。
堺さんはいつもの少し笑みを含んだ表情で、
「私もひとりなんです。一緒に帰りません?」
と言ってきた。
……なんと。
棚からぼた餅が落ちてきた。
下校時間が始まってすぐだから、学校を出て行く生徒の数も多い。私服姿の生徒もちらほら見かけた。
いつもの、道路の脇の歩道を堺さんと肩を並べて進んでいく。
「今日はずっと模擬店のほうにつきっきりでした。花川さんはどうでした?」
黒ふち眼鏡に濡れ羽色の長い黒髪、という委員長や優等生のような印象の堺さんは、初めて出会った日と相変わらない物腰の柔らかな話し方をする。以前よりも心を開いてくれているのはわかるけれど、友達として心の距離が近づいているかどうかはいまいち掴めない。
「僕のほうは漫然と校内中を回ってた」
真鈴と、とはなんだか小っ恥ずかしくて口にしなかった。
「明日は一日暇なんですけど、なにかおすすめとかありますか」
「おすすめか」
一日を振り返ってみる。
「そうだな、昼に食べた焼きそばは中々よかった」
「ただの焼きそばでは私の触手は動きませんよ」
「あんたはタコなのか」
動くのは食指だ。
「……まあ、他の店に比べては、なのだけど。そういう意味では標準程度」
「素人が作るものですからね、ある程度の妥協は仕方ないですけど。やっぱり文化祭は空気を楽しむところ、と考えるべきなんでしょうか」
「そうかもな。いつもと同じ校舎なのに、いつもと違う浮かれた雰囲気はなんだか異世界に来たような、もしくは魔法にかかったような気になる」
「なんだかファンシーな表現ですね」
堺さんは少し考えるような間を置いてから、
「そういう浮かれた空気だからこそ、変わったことが起きたんですかね」
「変わったこと?」
「ついさっき、千両さんに聞いたんですけど、意図的な騒音騒動が三回もあったそうですよ。校舎のあちこちで。校舎と体育館の間の渡り廊下に置かれた動物のぬいぐるみだとか、美術室の石膏像だとか。中にテープが入っていたそうです。音のみでしたから、怪我はないそうですけど」
堺さんは自分の頭の横の髪を指差して、
「耳のほうはちょっと心配ですけどね」
「まあ、爆音を出すのに爆薬を使ったりするよりかははるかにマシだろう」
そこで、あ、と思った。
「そういえばそのうち二回、僕も聞いたな。美術室と将棋部で」
美術室に至っては、僕と真鈴が部屋に入った直後だ。警報のような音が部屋に響いて何事かと思った。
堺さんは突然、ふふ、と抑えるように笑った。
「今までもそうでしたけど、花川さんが事件を呼び寄せるんですかね」
「言い方はちょっと格好いいけど、僕としては結構迷惑してるんだぜ?」
そういう意味では、僕も加賀屋蓮と同じくらい運が悪いのかもしれない。そういえばあいつは今日どうしていたのだろう。
「ちょっと心配になりますよね、この悪戯。エスカレートしなければいいんですけど」
「まあ、同一犯だろうな。わからないのは犯人の目的だけど、人を傷つけるようなタイプじゃないようだし、放っておいてもいいんじゃないのか」
「……そうですね」
気がかりそうなまま、頷いた。
少し向こうに交差点と信号が見えてきた。二本の道路が交わる四叉路で、一方向は商店街で、さらにその先は坂月駅へと続いている。僕は登校しているとき、商店街の入口にある時計塔を見て、足をはやめるかどうかを判断したりしている。堺さんは電車通学だから、別れるときはあそこらへんになる。
堺さんが口を開いた。
「ところで、事件をどんどん引き寄せる坂月高校のネオジム磁石・花川春樹さん」
「肩書きが長すぎるだろ」
「では、ネオジム花川さん」
「なんだか売れない一発芸人みたいだな。売れてもすぐに消えそうだ」
「え、私的には格好良いと思ったんですが」
「ちょっと感性がずれているんじゃないのか、堺さん」
「まだしっかりとできていないだけです」
「……ああ、感性が未完成って言わせたいんだな」
「ふふ。花川さん、面白くないですよ」
「笑ってるじゃないか」
というかこんな調子ではいつまでも本題に入れない。お別れの時間が近づいているというのに。
「で、なんなんだ堺さん」
「些細な謎なんですけど」
そうこう言っているうちにその交差点にまで来てしまった。足を止める。
「今からが本題みたいなところすまないが、信号が青だし、ここでさよならだ」
「え」
堺さんが失望したような顔をする。
「花川さん、私の話を聞かずに帰るんですか」
「そりゃ、まあ、うん。話ならいつでも聞けるだろうし」
されど堺さんはなぜか必死に食い下がる。
「私、もしかすると明日には話を忘れてるかもしれませんよ!」
「いや、堺さんの記憶力は僕が保証するぞ」
あんたは僕や真鈴よりはるかに頭が良いのだから。
「ほら、もう赤になりましたし」
「ものの一分もしないうちにまた青になるだろ」
すると今度は堺さんは僕に背を向けた。どうしたんだ、と声をかけようとして、僕は言葉に詰まった。彼女の肩が小刻みに震えていた。間を置かずに、嗚咽のような、すすり泣く声が伝わってくる。
「お、おいおい堺さんどうしたんだ急に!」
「だって……花川さんが……、私の話を聞いてくれないって……。私はただ、花川さんにお話したかっただけなのに、あんなに冷たく……」
堺さんは尚も泣き続ける。すぐそばを坂月高校の男子生徒が侮蔑の視線を僕に送りながら過ぎていく。
「わかったから! わかったから! いつまでも話聞くから!」
僕が必死に頼み込んだ途端、ぴたっと堺さんの泣き声が止まった。
「……堺さん?」
堺さんがこちらを振り向く。最初から涙のあとなんてなかったように、目元が笑っていた。悪戯っぽく舌をちょんと出して、
「約束しましたよ、花川さん」
いや、最初からなかったのだろう、涙のあと。
「嘘泣きとは、騙したな堺さん」
堺さんはひょいっと頭を下げた。
「ごめんなさい」
言い訳したり開き直ったりせずに、自分の非を素直に認めるところが彼女の良いところだとは思うけれど。
ひとつ気づいたけれど、堺さん、僕に対して初めて『ごめんなさい』と謝ったんじゃないか。いつもは『すみません』なのに。
心の距離が近づいているのかわからないと言ったけれど、なんだか少しずつ親しくなっているような気がしたのが柄にもなく嬉しくて、僕は許すことにした。それに堺さんはこんな嘘泣きなどするような人ではなかったのだし。何がターニングポイントになったのかは判断できないけれど、仲が良くなっているのは事実だ。
反対の歩道にある商店街の時計塔を見る。傾きかけた日で、時計盤はオレンジ色を反射しているが、針は読み取れた。まだ時間はある。
「まあ、話を聞こうじゃないか」
「やっぱり花川さんは優しいですね。……私、普通ではない場面を見たことがあるんですよ。数回」
「ふうん。どこで」
訊くと、堺さんは足元のアスファルトを指差した。
「ここです」
「ここ?」
あまりにもタイミングがよくて、つい聞き返した。
堺さんは頷く。
「ええ。――横断歩道を渡る子たちの話です」
彼女の眼鏡の奥の瞳が、悪戯っぽく煌めいた。
続きます。




