二.加賀屋蓮と彼女の推理
前回の続き。加賀屋蓮解決編。
[一日目・13:42]
廊下の向こうから、八瀬辺さんが戻ってくるのが見えた。まだせいじくんの連れが迎えに来ていないことを確認して、肩を落としたようだった。
加賀屋さんの隣にしゃがみこもうとする八瀬辺さんにわたしは言う。
「移動するから、立ってください。ここにいても解決しませんから」
「へ?」
八瀬辺さんが驚きの目でわたしを見てくる。
「どこに向かうの?」
「そこに行っている途中に説明します」
わたしは腰を曲げて、せいじくんと目線の高さを合わせる。
「じゃあ、会いに行こうね。『シショウのおばさん』に」
そこで初めて、わたしはこの子が自分の意思で発した音を聞いた。
「……うん!」
わたしはせいじくんの手を引く。加賀屋さんと八瀬辺さんが慌ててついてくる。歩きながら、わたしは二人に言う。
「せいじくんがやけに重装備だとは思いませんでしたか?」
「は?」
「水筒にリュックサック……。まるでピクニックにでも行くような服装じゃないですか? だから思ったんです」
「何を」
曲がって、階段を上る。
「放送をかけてもお母さんが現れないのも当然です。せいじくんの連れはいないのです。彼はひとりでここまできたんです。おそらく誰にも伝えずに。この装備は彼なりの準備だったんですよ。用心に用心を重ねて、荷物が多くなってしまったんだろうと思います。――だよね、せいじくん」
わたしの隣の子はコクリと頷いた。
「じゃあ、どうやって校内に入ったの? 小さな子どもひとりだけだったら入れないでしょ。入口の受付に先生がいるんだから」
「子どもひとりだけだから、入れたんですよ。大人の後ろをついていけばその人の連れ子に見えるでしょう」
「なーる……」
八瀬辺さんが唸る。
「わたしが思うに、彼がほとんど何も喋らなかったのは、ひとりがバレるのを避けるためです。バレてしまったら、月ノ輪祭にはいられませんから。加賀屋さん、わたしの質問にせいじくんが唯一反応してくれたものがあったでしょう」
加賀屋さんは記憶を探るようにして、
「『母親と来たの?』だっけか」
「そうですそうです。自分がひとりで来たことを隠すにために、その質問には答えておくべきだと思ったんでしょう。わたしはそれに答えてくれたから、せいじくんがお母さんとはぐれてしまったのだと思ってしまいました」
八瀬辺さんが言う。
「え、じゃあ、せいじクンはただ祭りを楽しむためにここまでやったってこと?」
「八瀬辺さんが知っているかどうかは知りませんけど、加賀屋さんはせいじくんが『シショウのおばさんに会う』と聞いたんですよね。無口を通しているのに、その状況に関係のない話をするために口を開くとは思えません」
「確かにな。……でも、『シショウ』ってなんだ?」
四階にまで上がってきた。すぐそこが八組の教室だ。
「せいじくんはまだ小学生にもなっていないでしょう。ほとんどの単語の意味はこれから知っていくのです。漢字もそうでしょう。『シショウ』の場合もそうです。漢字と意味を知らなくて、音だけで覚えていたから、覚え間違えたんです」
角を折れる。八組のほうではなく、図書室のほうにだ。
「正しくはシショ。せいじくんは『司書のおばさんに会』いに行くつもりだったんです。だからせいじくんはここ、図書室にいたんですよ」
その部屋の前に着いた。
幸運なことに、その『シショウのおばさん』は図書室の受付の中にいた。彼女はドアを開いたわたしたちに気づくと、少ししわの入った表情が次第に驚きのそれに変わり、立ち上がって、
「せいじくん!」
と叫んだ。
聞けば、せいじくんは司書のおばさん――加賀屋さんによると、海老茶先生というらしい――にとてもなついていたらしい。ふたりの繋がりは、予想通り叔母と甥。今回、月ノ輪祭だと母親から聞いたせいじくんは勇気をだして、こっそり初めての冒険に出たわけだ。だからもちろん、せいじくんが来ていたことは微塵も知らなかったらしい。
海老茶先生から余る程のお礼の言葉をもらったあと、八瀬辺さんは『わたし、放送部のほうに迷子の件については解決したって伝えないと!』と残して図書室を出て行った。
ドアが閉められたあと、せいじくんはわたしを見てちゃんとした日本語を初めて口にした。
「つばき、ありがとう」
「……」
わたしはかがんで、彼の額を小突く。
「お礼の言葉には花丸をあげたいけれど、呼び捨ては駄目でしょ」
せいじくんは素直に舌っ足らずな口調で言い直した。
「つばきお姉ちゃん、ありがとう」
自分は二人兄妹の下のほうだから、お嬢ちゃんと呼ばれたことはあってもお姉ちゃんと呼ばれたことはそういえば一度もないなと思った。
「どういたしまして」
わたしはニコリと笑う。
「椿さん」
後ろから、肩を叩かれた。加賀屋さんだ。
「それなら俺からも言わせてくれ。あなたの兄のことだ」
わたしは反射的に、
「春樹ですか」
「そう、それだ。呼び捨てはいけないと思うぞ。いやしくも春樹は椿さんの兄なのだから」
自分の投げたブーメランがクルリと回って自分の後頭部に直撃した気分だった。どれほど久しぶりに注意されたっけ。
「はあ。まあ、そうですね」
曖昧に頷き、わたしは話を無理矢理変えてみる。
「あ、加賀屋さん。わたし、今日はひとりで来たから寂しいんです。あと数時間、よろしければ付き合ってもらえませんか?」
加賀屋さんはちょっと驚いたようだったけれど、少し間を置いてから言葉を発した。
「もちろんいいぞ。願ったり叶ったりだ」
それから、独り言のように付け加えた。
「……俺は色々と不運だったけれど、不幸ではなかったな。こうやって椿さんに会えたのだから。再会が、何かしらのターニングポイントになることを願うだけだ」
ありがとうございました。続きます。




