二.加賀屋蓮と月ノ輪祭
加賀屋蓮に出会った花川春樹の妹の椿。彼女が出会ったのは、加賀屋だけではなかった。
[一日目・10:34]
一般客が吸い込まれるように校門へと消えていく。まだ十時半過ぎだから、ここから人が増えていくのだろう。
正門前に立て掛けられていた『月ノ輪祭!』と書かれた看板。おそらく生徒の手作りだ。それを横目に、華やかに彩られたアーチをくぐった。本当は友達の明日みさぎも誘ったのだけど、都合が合わなくて、仕方がなくわたし――花川椿はひとりで坂月高校文化祭、別名・月ノ輪祭にやって来たのだ。
入ってすぐ目についたのは体育祭で本部として使われているような、脚の長い白のテント。教員が何人か待機している。ここが受付なのだろう。
そこで『月ノ輪祭のしおり』をもらう。校舎内の地図に各団体の気合の入った一言コメント。
初めて感じる空気に心臓の鼓動が早くなるのを感じた。もう解決したそうだけど、脅迫状を出す人がいたらしいけど、本当にありえない。兄の春樹は今この高校のどこにいるのかなあ。
わたしは校舎を見上げる。
……中々いいじゃないかな、月ノ輪祭!
[一日目・13:09]
昼までは劇を見て時間を潰した。二年生がやっている琉球風の店で空腹を満たして、食休めがてらに図書室に向かった。
どうやら図書室では昔の文集を集めて置いているらしい。図書委員会のコーナーだ。白の長テーブルに団体毎の文集が平積みされている。その奥に団体名の書いたポップ。この高校の歴史が長いせいか、三列に並んでいるのもちらほら見かける。ただ、人はお世辞にでも多いとは言えなかった。受付にも図書委員会らしき人はおらず、引きも切らず客が押し寄せる店とは無縁の様子だった。すぐそこのスタンプラリーのスタンプらしきものには人が群がっていたのにね。宣伝をもうちょっと頑張ればいいんじゃないかな?
近くの文集を手に取ってみる。文芸部作成の黄ばんだ、端を紐で閉じた薄めの冊子。二〇〇三年度。今中学三年生だから……うわあ、この本、わたしが幼稚園に入園した年に作られたのかあ……。
こういうのを目にすると、当たり前だけど、自分がこの世界のことを全然知らないときにも、世界は確かに存在していたのだなと感慨に浸ったりする。
ぱらぱらとページをめくって、わたしは元の位置に戻した。隣に目をやると、これまた二〇〇三年度のものらしい。気になって他の山も見てみると、ほとんどの文集のてっぺんが同じ年になっている。
その中に、『ミステリ研』というのを見つけた。『月ノ輪祭のしおり』にあった覚えはないから、時代に淘汰されてしまった組織なのかもしれない。例によって二〇〇三年の文集が一番上にあったので、それを手にとって開いてみる。
その中の文章が目に止まった。
去年、月ノ輪祭を騒がせた連続窃盗事件。やったことがやったことだから、彼を心から恨んでいるという人も多いだろう。
探偵の真似事をし、犯人探しに校内を奔走した者もいたと聞くが、全て迷走に終わったことだろう。とどのつまり、犯人は捕まらずじまいだった。
だが。
我がミステリ研究会はその髄を結集し、ついに犯人を探し当てたのだ。
――犯行声明を締める最後のアルファベットは、ずばり犯人の名前を示していたのだ!
人を見下したような文章がちょっと鼻につく。でも、真実を誇張しているかどうかはともかく、十一年前の坂月高校に好事家がいたってことは確かだね。犯人しかり、ミステリ研もしかり。
読むのをやめて本を元あった位置に戻すと、後ろからわたしの名を呼ぶ声がした。
「もしかして、椿さんか?」
低い、男の人のものだ。わたしはこの声を知っている。学校に入った時とは違う意味で、心臓が壊れたメトロノームのように脈を打つ。
ゆっくりと振り返る。声の主は驚いたような顔をしてから、愛好を崩した。
「お、案の定、椿さんじゃないか」
うん。案の定、加賀屋蓮さんだった。
「どこかで見たことがあるような白い髪飾りが目についてな」
加賀屋さんはわたしの頭の上のほうを指差す。わたしがいつもつけている花の髪飾りのことである。
それにしても、相変わらず、わたしの腕なんか軽く折ることができそうなほどごつい体だ。カッターシャツから突き出た二の腕がいいくらいに日焼けしている。
ちなみに彼はわたしの兄、花川春樹のお友達である。加賀屋さんはわたしが春樹の妹だとは知らないけれど。
「まさかこんなところで会えるとは。いつ以来だっけか。えーっと、放火事件以来だから、一年半ぶりか」
「……あ、はい。久しぶりです、加賀屋さん」
「連絡先が変わったのか、電話が繋がらなくて驚いた」
「すみません」
加賀屋さんとは去年の五月の放火事件で面識があった。事件が終わると、わたしは逃げるようにして加賀屋さんと連絡を取らなくなった。わたしが坂月高校に来たのは、それを加賀屋さんに詫びる意味もあったのだ。
「加賀屋さん」
「なんだ、椿さん」
「わたし、下の名前で呼ぶの許可してましたっけ。『椿さん』っていうの」
ギクリとして間を置く加賀屋さん。
「……してないな」
「ですよね」
「でも、俺、椿さん――じゃなくて、あなたの苗字知らないぞ」
今度は意味ありげに間を置いて、
「本当の、な」
やっぱり以前に偽名を使っていたのがバレていたんだ。ペコリと頭を下げる。
「嘘をついていてごめんなさい。わたし、苗字は花川です」
「え」
「花川春樹の妹です。いつも兄がお世話になっています」
加賀屋さんの顔が凍りつく。口が半開きになってますよ。
「ま……じ……か」
寝耳に水、といった感じ。と、思ったら何かブツブツ呟いてる。
「春樹のことをお兄さんと呼ぶのは抵抗があるな……」
「……?」
声が小さくてうまく聞き取れない。
「あ、でもやっぱり、下の名前で呼んでくれても結構です」
すると、心なし加賀屋さんの顔がパッと輝いたように見えた。
「ホントか! じゃあ、そのついでといってはなんだが、俺のことも……」
加賀屋さんはそこで言葉を切った。スピーカーから『ピンポンパンポーン』と聞こえてきたからだ。それを追いかけるように声が続く。
『迷子のお知らせをいたします。ただいま、五歳くらいのせいじくんという男の子をお預かり致しております。お連れ様は職員室までお越しください――』
放送はそれを二度繰り返し、再び効果音を鳴らして消えた。まあ、迷子のひとりやふたり、珍しくない。赤の他人のわたしとしては、早くせいじくんの親御さんが迎えに来てくれることを願うだけだ。
わたしは視線を加賀屋さんに戻す。
「さっきはなんと言おうとしたんですか」
「……いや、なんでもない」
「ところで加賀屋さん」
加賀屋さんの大きな影に隠れている男の子に気づいた。四、五才くらいで、半袖短パン、緑のリュックサックを背負っていて、肩には紐がついた水筒を下げている。
「その子、弟さんですか」
加賀屋さんは自分の脇を一瞥して、
「いや、違う」
わたしが視線を向けると、その子は身を小さくしたようだけど、顔はそれほど怯えているようには見えなかった。
「この子が、せいじだ。放送でかかってた」
「へえ。迷子ですか」
「クラスの悪趣味な仕事を終えて、ここにやってきたら、せいじがひとりだったのを見つけたんだ。まあ、たかがこれくらいで運が悪い、とか嘆くつもりはないがな」
「そうだったんですか」
春樹が言うには、加賀屋さんにはどんなときも厄運がつきまとってしまうらしい。
わたしは身をかがめてせいじくんに目線を合わせる。
「こんにちは、せいじくん」
「……」
「わたし、椿っていうの。よろしくね」
「……」
「何歳なの? 幼稚園かな?」
「…………」
せいじくんは毅然として口をつぐんだまま。
この子、全然喋ってくれない。
「せいじくん、お母さんと来たの?」
すると、せいじくんはコクリと頷いてくれた。お、一歩前進か。
「へえ、お母さんと来たんだ。どこではぐれたの?」
「……」
無反応。
わたしは口を尖らせて、ハハハと笑う加賀屋さんを見上げた。
「この子、恥ずかしがり屋なんですね、きっと」
「まあ、俺にも一言二言しか喋ってくれていなからな。かろうじて名前を教えてくれただけだ。あとはほとんど何も話してくれない。あとは『今日、シショウのおばさんに会う』とかなんとか言っていただけだから」
「シショウ……? 師弟の師匠か、支障をきたすのほうか……。どういう意味なんですか」
加賀屋さんは肩をすくめた。わからないらしい。『死傷のおばさん』とかだったらかなり物騒だけど……。このあと病院にお見舞いでも行くのだろうか。
「年齢も教えてくれなかったんですね。さっき『五歳くらい』って放送で言ってましたから」
「そうだ」
「でも、加賀屋さんに結構なついていますけどねえ」
「そうか?」
せいじくんはのりで貼り付けられたみたいに、ピタリとくっついている。
「この子も大声出してくれたらいいのにね」
加賀屋さんは首を傾げた。
「この子『も』?」
「えっと、ここに来てから、いの一番に体育館に劇を見に行ったんです、わたし。そしたら校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下で、ぬいぐるみらしきものが騒音レベルの爆音を吐き出していたんです。人が溜まっていて、どうかしたのかなと思ったんですけど、わたしが来た時には、教員がすぐに止めてました」
「ほう。変わった悪戯をする奴もいたもんだ」
そのとき、ドアが開いて坂月高校の制服を身にまとった女子生徒が入ってきた。長い髪を茶色で明るく染めている。
彼女は加賀屋さんとせいじくんを目に捉えると、こちらにやってきた。
「加賀屋クン、放送かけてもらったから大丈夫だよ。あとは職員室のほうにその子を連れて行くだけ」
そこまで言うと、女子生徒はわたしに気づいて、加賀屋さんに目で『だれ?』と訊ねる。
「椿……花川椿さんです。他の学校の人」
まあ、学校は学校でも中学校だけどね。そういえば年齢も伝えていない。
彼女はわたしを見た。
「こんにちは。わたしのこと、知ってる?」
「はい? えっと」
有名人……なのだろうか。加賀屋さんが敬語を使っていたところを見ると、高校二年生か三年生のどちらかだろうけど……。
言いよどむわたしに、女子生徒は詰め寄り、ハキハキした声で言う。
「ほらほら、このわたしの声知らない?」
「え、いや、知りませんけど」
「そうかあ、知らないかあ」
今度はわたしから距離をとって、芝居じみた感じで肩をすくめた。いちいち動きが大げさだ。肝の据わった女子高生とかだったら『ウザイ』と吐き捨てるところ。
彼女はやはり大げさに頭を下げて、
「二年四組・八瀬辺楓です。花川サン、どうぞよろしく」
「やっぱり知りません」
「あ、もしかして聞いてない? 放送部の定期放送第一回。今日の十時二十分頃なんだけど」
「聞いてないです。わたしがこの高校に来たのは十時半頃なので。八瀬辺さん、もしかしてそれのパーソナリティーだったんですか」
「そうそう。中々評判は良かったんだけどねー。ちょっと頭に来ちゃうことがあって。あ、聞いてくれる?」
聞くとは言ってないのに、彼女は立て板に水を流すように喋る。
「怒られちゃったんだよね、三年の中年の先生に。名前は知らないんだけどさ。第一回は劇の『ピーターパン』の紹介したんだけど、先生がね、『三年の劇はフェアに行うものだから、ひとつの劇だけひいきして紹介したらイカン』とか威張り腐って言うんだよ。わたしは先輩の台本通りに喋っただけなのに。怒る相手が違うってね。それに」
ヒートアップしてきた八瀬辺さんを加賀屋さんが止めようとする。
「や、八瀬辺先輩? せいじを職員室まで連れて行かないと」
「あ、そうだったね。親御さんもう来てるかもだし。――さあ、行こうか、せいじクン。ほらほらあ」
八瀬辺さんはせいじくんを加賀屋さんから引き剥がし、リュックサックの背中を急かすように押していく。
その後ろをついていく加賀屋さんのあとに続く。わたしも一緒に行く理由はないけれど、図書室にも飽きたし、せいじくんを見送っていこうと思った。
わたしが部屋を出るちょうどそのときに、受付の向こうにあるドアから、中年の女の人が出てきた。
「八瀬辺さんっていつもあんなに馴れ馴れしいんですか」
「いや、知らん。八瀬辺先輩とはここでさっき初めて会ったばかりだからな。俺がせいじくんを見つけて、そこにたまたま放送部員の八瀬辺先輩と居合わせたんだ」
「はあ。八瀬辺さんの馴れ馴れしさは元来彼女のものってことですか」
うん、わたしやっぱり彼女苦手だな。
俄然騒がしくなってきた廊下を進み、歩が遅くなってきたせいじくんのつむじをなんともなしに見ながら、早く迎えに来てくれたらいいねと思う。
しかし。
それから二十分経っても、お連れの方は現れなかった。……放送を再度かけても。
続きます。




