三.ずっと気づかなかったこと
前回の続き。解決編。
最後に男子生徒が文化祭の仕事で出て行って、教室は僕たち二人だけになってしまった。閑散としていて、空間が勿体無く感じる。
真鈴はドアが閉められたのを確認したあと、近くの席に座って、僕を向いた。考えてみれば、真鈴とお喋りしたり、遊んだり、どこかに行ったりすることはあったけれど、こうやって机を挟んで文字通り面と向かって話すのは、あまりない。
僕は真鈴に言われて、放課後、皆が文化祭の作業に向かったあとも、こうやって教室に残っているのだった。何か話があるらしい。心当たりはないけど。
真鈴はいつものより低めのトーンの声で切り出した。
「ハル、これ何か知っているよね」
差し向かいの彼女は、ポケットから白い洋封筒を取り出した。ベタな漫画などでハートのシールでも貼ってラブレターとして登場しそうな、はがきサイズの封筒。でも真鈴の手に握られたそれは封されてない。
そして、どこかで見たことがあった。
疑問を持ってから、思い当たるまで、一秒もかからなかった。自らの机の物入れを探る。……無い。真鈴が顔を僅かに変化させたところを合わせて考えると、彼女が持っているその封筒は、僕の机に入れていたもので間違いない。僕は、机の中からゆっくりと手を引いた。
こいつは、一体何のつもりなんだ?
「それ、僕の机の中にあったやつだろ?」
当然のように真鈴は頷いた。彼女のポニーテールがゆらゆらと揺れる。
「うん、そう。ごめんね。勝手に探るつもりはなかったのだけど、見えちゃったの。それは事故だから、怒らないで。この話をするために、さっき机から抜き出してもらった」
ここで責めても進まない。とにかく話を先に伺う。
「で? 文化祭の仕事をサボらせてまで教室に残らせたのには、よっぽど大事な話があるからなんだろう?」
「別に、サボらせるつもりはないよ。これが終わったらすぐに行きましょ」
だから、さっさと話を進ませないと。千両さんにも迷惑がかかるからね、と真鈴は言う。封筒が音も無く机の上に置かれた。
「わたしね、封筒の写真を見て、驚いたの。ハルにこんな趣味があるのかって」
「はあ?」
趣味……? 何言ってんだ、こいつは。
「だって、全部、女子生徒が被写体の写真でしょ。それも、日常を写したような」
それは、そうだ。合っている。その封筒の中には、六枚の写真が入っているのだ。カメラ目線ではない、少し離れて撮った写真。――ああ、なるほど。真鈴は勘違いしているのか。これは抗議せざるを得ない。
「真鈴、それはち」
「ハルとはそれなりに話すと言っても――」
僕が言うと同時に、相手も口を開く。偶然ではなく、こいつがわざとそうしたのだ。真似事をしているみたいに。
「――他人の心の内まで見通せるはずはないし、しょうがないかなあ、と無理に納得しようとする反面、まさかそんな馬鹿なって思っていた」
言葉の切れ目で、
「だから、真す」
「うん。だって、色恋沙汰には興味ないですみたいな――」
意地でも僕に口を挟ませようとさせないらしい。
「仏頂面がデフォルトのハルがだよ? まさか、盗撮してるなんてね」
「真鈴っ」
声を上げる。彼女に僕の言葉を届かせるにはこうやるしかなかった。僕の声に真鈴が面食らっている間に、言葉を吐き出す。
「何か勘違いしているようだが、それは違うぞ。これは僕が撮ったものじゃない」
自分のことについてだからなのだろうか、言葉がいつもより真剣味を帯びているのを感じた。封筒を手に取り、中の写真を抜く。それらを扇状に広げて向こうに見せるようにする。
「これらは、映研の写真だ。いつか映研の先輩に言われただろ? 文化祭に向けて映画を作っているから、君達も来てねって。そのときにパンフレットも作っているって言われた」
「そんなこともあった。ついでにちゃっかり宣伝されてしまったりね」
「聞くところによると、そのパンフレットは毎回、力が入っているらしくてな。作中の写真も使う。これが、そのための写真だ」
これら、写真に収まっている彼女たちはカメラ目線ではなくて当然だ。映画のワンシーンをそのまま写真にしたのだから。フレームの真ん中に収まっているところや、ピントがうまく合っているところを見てもわかる。
「大体、商店街はともかく、校内で生徒に向けてカメラを構えるなど、周りに見られたりして、実行しにくくなるに決まっているだろう? それに、そんな大事な物だったら、机の中に入れておかない。バッグの中に入れておくほうがまだ賢いぞ」
一息に喋る。そんな僕が盗撮まがいのことをしていると思われるのは癪だ。それは当然だろう。だけど、真鈴にだけはそう思われたくないという気持ちが不思議とあった。
「……それと、これをなぜ僕が持っているかについてだけど、この前、映研の先輩に会った。先輩に『同じクラスだから、この封筒を千両に渡して』と頼まれたからだ。千両のやつ、ずっと映研に顔を出していなかったらしいからな」
千両に渡したのはよかったけれど、彼女曰く、『既に渡されたから、花川くんから返しておいてくれないかな』。それから、机に入れたまま、すっかり忘れていたわけだ。
話すことは話した。これだけの嘘を咄嗟に思い付ける人はいるまい。真鈴もそう思ってくれるはずだ。
真鈴がこの場にそぐわない、ため息をついた。
「それぐらい、調べたから全部知っているよ。わたしは、それが聞きたいんじゃない」
耳を疑った。
「ハルが好きな探偵小説風に言うなら――、写真に写っている三人の女子生徒のミッシング・リンクは、映研所属。千両さんが映研なのは知っていたし、楢さんは『部活動で編集が――』とこぼしていた。後から聞いてみたけど、映研で間違いないそう。三分の二が映研所属ならば、最後の一人も疑ってみるべきだよね。昨日、調べたところ、案の定その通りだった。これで、わたしのハルへの嫌疑は霧が晴れるように消えていった」
相手の言葉は、不満にくるまって吐き出されたように感じた。……真鈴は、何に怒っているんだ?
「最初はハルが本当に盗撮をしたんじゃないかって思った。そんなことがあるはずないと思ったから、何人かに話を聞いたりして調べたの。最終的には映研の先輩さんに伺ったのだけど。その途中でね、楢さんに会った。その写真に映っている女子生徒の一人。ハルなら知っているでしょ、楢卯月さん」
もちろん、知っている。
「ああ。同じ坂月三中だった」
ここから割と近くにある、坂月第三中学校のことだ。
「同じ中学なだけじゃないでしょ。毎日、会話していたって聞いたよ」
打てば響くように、言葉が飛んできた。
「あー。まあ、同じクラスだったからな。一年生と二年生の頃。真鈴、何を吹き込まれたのかは知らないけれど、僕と楢は真鈴が思っているような仲じゃ、ないぞ」
「思っているようなって?」
間髪入れずに訊かれる。はて、どう答えればいいのか。僕の思っていた通りでなければ、こいつは何の話をしたいんだ? 僕が答えに窮しているのを待っていられないとばかりに、真鈴が先に言う。
「でもまあ、それはどうでもいいの。友達以上じゃないっていうのは信じてあげましょう。わたしが気になったのは、楢さんが口にした玉依葵さんという人。ハルと特に親しかったっていうね」
玉依葵。僕の中学時代の先輩。数週間前の堺さんに続き、真鈴の口からもその人の名前が出てくるとは。縁があるのかどうか、分からないな。
というか、楢のやつ、お喋り過ぎだ。
しかし、まだ話の先は闇のように見えない。
「でね、訊きたいのよ。ううん、大丈夫。付き合っていたかなんて聞くつもりはないから」
頷いて先を促す。
「わたしね、今まで気にしたことなかった。わたしが人に役立つためにする行い――ハルが言う、面倒事――の協力をハルに求めると、嫌々言って断ろうとするけれど、結局最後には了承してくれる。その理由は、ただハルが優しくて、断れないだけだと思っていた。一昨日、ハルはわたしがしつこいだけだと言ったけれど、でも、本当は違うんじゃない?」
水晶みたいな黒の瞳が僕を直視する。
「わたしと玉依葵さんってキャラがかぶっているというか、何というか、似ているらしいね。楢さんに色々言われた。わたしと同じようにハルを面倒事に巻き込んで、自分で言うのもなんだけどそれなりに明るくて、髪の長さもわたしのポニーテールのせいで雰囲気がそっくり。わたしを見る度、玉依葵さんを思い出すんじゃないの? ――ねえ、ハル」
真鈴は、おもむろに手を頭の後ろに回し、尻尾の根元のゴムを掴んで外した。まとめられた髪が解かれ、ゆっくりと放射状に広がる。
思わず、息を呑んだ。
長いこと付き合いがあったのに、彼女が髪を下ろしたところを初めて見た。思ったよりも長くて、癖がない真っ直ぐな髪。こうやってはっきりと見ることがなかったためか、窓から差す暖かい光が柔らかく反射して、ツヤがあるのに気づく。たったこれだけで、全体の雰囲気が一変した。どう形容すればいいのかわからないけれど――変わった。
別人となったロングヘアの少女は髪を撫で付け整えてから、さきの続きを口にする。言葉にトゲはなく、ただ一縷の望みを託したような哀愁が込められていた。
「……わたしが葵さんに似ていなかったら、わたしのこと、相手にしてくれてなかった?」
彼女の言う事には飛躍があったが、『色恋沙汰には興味ない』ように見えるらしい、僕にも理解できた。
彼女の言いたいことを要約すると、今はいない玉依先輩に特別な気持ちを抱いているらしい花川春樹の前に現れた真鈴あやめが彼女にそっくりだったから、玉依先輩の代わりに真鈴の頼みごとを聞いていたのだ、ということ。そうだから、――『真鈴が玉依葵に似ていなくても、花川春樹は変わらず接していたのか?』。
僕の次の言葉を、真鈴はじっと待っている。僕が何かを言うまで、自分から口を開くつもりはないみたいだ。だけど、あまり彼女に待ってもらうのも、不必要に不安にさせてしまうだけ。
そもそも、僕は真鈴あやめが玉依葵に似ているとは思わない。少しも。ただ、僕に面倒な事を押し付けてくるってところだけ。明るい人なんてこの街に五万といるし、髪型に関しても同様だ。
だけど、それなら。
どうして僕は、真鈴の頼み事に従ってしまうんだろう? 渋々とはいうものの、僕がそれをする義務なんてほとんどなかった。真鈴を避けるだけならば、いくらでも手段があるはずだ。押し切られるなんて馬鹿言うな。真鈴よりも押しが強い知人が、真鈴と同じことをしてきても、僕はおそらく断るだろう。要は、その気がなかっただけ。
――じゃあ、なぜ、その気がなかったのか? どうしてだ?
もう少し、筋道立てて考えることができれば、この答えに辿り着けそうだと思った。だけど、いま一歩のところで掴めない。……僕の推理力は、ここまで鈍かったっけ?
クエスチョンマークがふつふつと湧き上がり、消えない。
あと少し、謎の鍵を掴むことができれば、連鎖反応のようにクエスチョンマークが破裂してなくなるのが、自然とわかった。だけど、一行に推理は進まない。
それとも、推理など、考察など、初めから必要のなかったのだろうか?
「……真鈴」
「何?」
真鈴が、左手で長い髪をかきあげて、片耳にかける。そこで、初めての不思議な感じに呑まれた。その一連の一瞬の動作が、これ以上なくスローモーに、だけど実際の時間よりもとても早く感じた。矛盾しているのに、そんな気が、全くしなかった。
その経験したことのない感じに負けじと僕は口を動かす。
「根本的に違う。真鈴は玉依先輩に全然似ていない。僕は玉依先輩に変わった感情は抱いていない。すごい人だと尊敬していただけ」
ああ……、まどろっこしい。
何か、こう、遠回りに言い訳などをせずに、ダイナマイトのような、一発でこの空気を吹き飛ばせるような言葉があるのに。
ただ問題は、あるとわかっているのに、それが何かわからないこと。
「それから……」
もうすぐそこにあるような気がするのに。
「それから、何なの?」
じれったそうに真鈴が訊いてくる。僕が訊きたいぐらいなのに。
「それから」
必死に取り繕う。結局、ダイナマイトのような言葉を引っ張り出してくることはできなかった。
「会ったのは、玉依先輩より真鈴のほうが先じゃないか。小学生の頃から僕はお前に振り回されていたし、そもそも僕は、玉依葵よりも、真鈴あやめのほうが、倍以上付き合いが長いんだぜ?」
恥ずかしいような台詞は言っていない、はず。だけど、今の真鈴と目を合わせると、頬や耳が熱くなってきて、目を泳がしてしまう。
「…………」
真鈴は不自然な間を置いてから、『そう、だよね』とまるで自分に言い聞かせるように言って頷いた。それから、にわかにいつもの調子に戻り、椅子からはねるように蹶然と立ち上がった。真っ直ぐな髪がそれに合わせて波打つ。
なんと言えばいいのか――やはり、僕の気分がおかしい。
「そうだったそうだった。そうだよね。――うん」
ロングヘアの頭が、ひょこっと下がる。
「ごめんね、ハル。変なこと言って。時間を取ったりして」
顔を上げて、そう言った。口元にかかった横髪を、指で払いながら。
「ん。ああ。うん」
真鈴はいつものような笑みを浮かべている。多分、そのせいで、気後れしてしまうのだろう。
彼女はばっと両手を広げた。
「さあさ、文化祭の準備に行きましょ! ラストスパートだよ!」
僕を待たずに、彼女はスカートをひるがえし、ドアの方へ歩き出してしまう。真鈴はポケットからゴムを取り出し、慣れた手つきで後ろの髪をまとめ始める。急いでそのあとを追う。
「髪型、元に戻してしまうのか?」
真鈴にとっては髪を下ろしたのが元の髪型だろうけど、僕にとっては見慣れたポニーテールが元の髪型だ。
「んん? うん、そうだけど……長いままの方がいいかな?」
そう言う間に、尻尾がひと房、出来上がった。もう、いつもの真鈴である。おかしな気分や顔の火照りはいつの間にか消え失せた。
僕が答えに窮している間に、会話はフェードアウトするように一段落したみたいだ。真鈴は前を進んでいく。まとめた髪が右に左に、一歩ごとにゆさゆさと、揺れる、揺れる。生き物のように動くそれをぼんやりと見つめながら、僕は目の前の彼女には聞こえないような声量で、無意識の内に言葉を転がしていた。
「――それから……、真鈴と話しているときが、一番楽しいし」
――月ノ輪祭まで、あと二日。
ありがとうございました。




