五.春樹と葵
時系列的には『月ノ輪祭へようこそ!』の続き。卒業式の解決編。
九月中旬のとある日。夕方五時半。
坂月商店街にあるファストフード店、その四人掛けのテーブルで、僕と対面する、どこかの学校の制服――黒のブレザー――を着た女がドリンクのストローをくわえながら言う。
「本当のところ、花川少年はわたしのことなんて忘れているんじゃないかと思ってたんだ」
誰かさんの粋な計らいで――嫌味だ。普通、嫌味を嫌味だと明言したりはしないだろうが――この度、僕、花川春樹はかつての先輩、玉依葵と相見えることとなった。
「はは、まさか。あんたを忘れたことは一日たりともありませんよ」
「相変わらずの軽口、どうもありがとう」
久しぶりに会ったというのに、いきなり不穏な空気が漂い始めている。ぎすぎすしている。
「ねえねえ、どうして麻子さんいないの?」
……。
「誰ですかこの子」
僕は玉依先輩の横に座っている、髪を短く刈った小学生くらいの少年を指差して言った。片手にこの店で買ったアップルパイを持っている。
先輩は苦笑いして、
「わたしの弟。麻子ちゃんに会いたいってしつこくてね。連れてきちゃった」
「ははあ。つまり、この坊主がカモくんなんですか」
一度だけ電話越しに話したことがある。
「そうだ。わかったらさっさと麻子さんのところまで案内しな」
……。
「殴っていいですか?」
子供だから敬語じゃないのはスルーしたけれど、さすがに命令されるのは頭に来る。
玉依先輩はまた苦笑いを浮かべた。
まあ、僕も本当に手を出したりはしない。
姉もこの生意気な弟を無視して、本題に入った。
「でね、あの子に花川少年と会えるよう手伝ってもらったのは、言いたいことがあったからなんだ」
「はあ。なんですか」
そこで一瞬だけ彼女は真顔になってから、机に頭をぶつけない程度に頭を下げた。カモくんが「おお、どうしたのお姉ちゃん」と驚いた声を上げる。
「ごめんなさい花川少年。あの子から聞いた。一年半前のあの日、あなたはずっとわたしのことを待っていてくれたんだね。本当にごめんなさい」
はっきり言って、この人がこうやって素直に頭を下げてくるとは予想していなかった。……毒気を抜かれてしまったなあ。
「別に構いませんよ。堺さんに、悪気があったわけじゃないと聞きましたし。だから頭を上げてください」
まあ、僕がそういう前に、彼女は頭を上げていたのだが。気づかいが空回りした僕を見て、カモくんがニシシ、と変な笑い声を上げる。本気で殴りたくなったぞ。あの坊主頭を叩いたらきっといい音がなるのだろうなあ。
カモくんの対処法は無視することだと思っているのか、玉依先輩は彼を無視して言った。
「本当にごめんね。わたし、ずっと花川少年のこと避けてたんだ。あなたを恨んでいた、とかそういうことじゃなくて、わたしが悪いってわかっていたから。花川少年を思い出すたび、『ああ、わたし、酷いことしちゃったんだなあ』って憂鬱になって。あの子はわたしが花川少年のことを責めているからだと勘違いしていたみたいだけど」
「そうみたいですね」
さっきも出たあの子とは堺麻子のことなのだろう。玉依先輩の幼馴染だそうだ。
「あとそれからひとつ、堺麻子ちゃんが勘違いしていることがあって」
「なにそれ」
今の相槌はカモくんのものだ。堺さんに気があるらしい彼は、彼女の名前が出るたび、いちいち反応する。
玉依先輩は決してカモくんに目をやらず話し続ける。
「わたしが花川少年に酷いことをする原因になった、わたしに対する嫌がらせのこと。あの子はまだ未解決だと思っているようだけど、実はもう犯人はわかっちゃってるんだよねえ」
「誰ですか?」
「誰だと思う?」
なんでそこで訊き返すんだ。
その嫌がらせとは、よりによって彼女の中学校の最後の日に、先輩のブログのURLを学校中に曝そうとしたというもの。不特定多数に向けてのブログだったそうだから、それをされた先輩はさぞ傷ついたのだろう。
ふむ……。
「まあ、犯人はわたしの友達なんだけど」
僕が考えようとした矢先、先輩がネタばらしをした。
先輩がかすかに笑みを浮かべているところを見ると、もう過ぎた話だと割り切っているらしい。
「問い詰めたらすんなりと答えてくれた。元々お互いにピアノ経験者ってことで仲が良くなったんだけど、彼女ではなくわたしが卒業式の式歌の伴奏を担当することになったのが気に食わなかったみたい。まあ、わたしのブログの存在を知っているリア友が彼女くらいしかいなかったから、あいつがやったんだろうなって睨んだわけだけど」
「はあ。ミステリとしてはイマイチな真相ですね」
「だからすぐに口を割ったんだよ」
ところでさ、と玉依先輩が話題を変える。心なし彼女の目がきらきらと輝き始めた。
「麻子ちゃんから聞いたんだけど、君の高校に脅迫状が届いたらしいね」
今日は坂月高校文化祭、通称『月ノ輪祭』の一日目があったのだ。肝心の学校に届いた脅迫状の内容とは、月ノ輪祭を中止しろ、というものらしい。
「ええ、そうですよ。でも、数日前に解決したらしいですから、誰も気にしてません。文化祭も滞りなく一日目が終了したわけですし」
「えっ」
先輩が落胆の声をあげる。案の定、玉依先輩は脅迫状に興味を持ち始めていたらしい。相変わらず、『事件』や『探偵』が好きなようだ。
玉依先輩は大きくため息をついたあと、
「そうなんだ……。残念」
そこで落ち込まないでいただきたい。そもそも脅迫状レベルの事件なら、あなたの出る幕は百パーセントない。それに加えて先輩は他校の人だし。
「脅迫状は一通だけ? 他に届いたりは……」
「しません。これからも届きません」
玉依先輩は子どもっぽく口を尖らせる。
「でもそれに便乗や感化して、誰かがまた馬鹿を起こすとも限らないでしょう」
……まあ、そうだけど。
「でも、これはわたしの勘だけど、また何か起こりそうだなあ」
嫌なことを言わないでくれ。
「だって花川少年が行ってる高校だからね。事件がいくつ起こってもおかしくない」
それはちょっと意味わかんないや。
カモくんはアップルパイを食べ終え、退屈なのか、平べったい箱をもてあそんでいる。
「じゃあ、積もる話もないし、わたしたちはこの辺で」
がたっと腰を上げる先輩。カモくんも待ってましたとばかりに席を立った。
「次、いつ会うかわからないけれど、また会えたら会いましょう」
「はい、そうですね。またいつか」
僕が答えると、玉依先輩はカモくんを含む周りの人に聞こえないように、僕に耳打ちをした。
「……あと、君のことは結構好きだったよ」
「え? どういう意味……」
すっと玉依先輩の口が僕の耳元から離れていく。僕の問いかけに答える代わりに、玉依先輩は手をひらひらと振り、背を向けてカモくんと一緒に店を出て行った。
……うん、きっと後輩として好きだった、とかそういう類の『好き』なのだろう。そうに決まっている。それしかありえない。
ため息をつく。
玉依葵は最後の最後まで、後輩を困らせる人だった。それだけは確信できる。
「…………」
いや、ドリンクのカップとか捨てろよ。アップルパイのゴミもさ。
ありがとうございました。




