一.玉依と堺
堺麻子は、お盆休みを利用して、とある幼馴染の家に泊まりに行く。そこでそこの長女が体験したという、幽霊騒ぎについての話を伺う。堺は、過去の清算を求められる。
玉依葵さんは、明るく純粋な人です。私――堺麻子よりひとつ上の学年で、つまりは高校二年生で、水田高校に通っています。私の通う坂月高校とは距離があるので、訪れたことはありません。
彼女はとても天真爛漫な人で、どんな逆境をもポジティブに考えることができたり、道端で野良猫を見かければ、なりふり構わず追いかけて行ったりと、私にはできないことも多いです。いえ、子供っぽいと蔑んでいるのではなく、羨ましいのです。自分とはまるで正反対の葵さんが。
私と彼女は、幼馴染なのです。お互いの父母が友人同士なので、学校は違えど、昔からよく会う機会があります。……と言っても、近年は半年に一回程度にまで減ってしまいましたが。
どうして彼女のことを思い出したかと言いますと、やはりここが重要でしょう。八月も中盤。そうです、お盆シーズンです。毎年、私はこの時期になると、葵さんの家へ一泊お世話になります(代わりに正月になると、こちらが相手を迎えます)。十数年経つ今でも、お互いの仲は相変わらず良好だそうで、幼稚園の頃からになります。だから、私にとってこのお泊りは、年中行事のようなものです。
二日分の荷物が入ったバッグと一緒に、電車に揺られること三十分。玉依家の最寄り駅に着きました。ここは駅の中でも規模の大きい方なので、バスの停留所の乗り場がいくつもあり、タクシーも南北合わせて数十台停っています。出入り口を抜け、周りを見渡せば、土地が広く取られているのがわかります。葵さんとはここで待ち合わせをしているのですが……、さてどこにいるでしょう?
幼馴染を探して首を巡らせますと、ほどなく四角く刈られた植木の近くに昔から見慣れたショートヘアの後ろ姿を見つけました。ホワイトのシャツに裾までのチノパンという夏らしいラフな格好です。それを目に捉えると、思わずほころんでしまいます。私はそこまで駆け寄って挨拶をしました。
「こんにちは、葵さん!」
――言ってから気づきましたが、既に遅かったです。
「うわっ!」
葵さんは予想通り飛び退きました。胸を押さえながら息をしています。
「……やめてよ、アサちゃん。驚いたよ!」
ああ、またやってしまいました!
頭を下げて謝ります。
「す、すみません。後ろから近づくつもりはなかったんですが……」
悪い癖です。人の背後から寄ることは。ほとんど足音がしないのはいつものことで、後ろから近づいたら声をかけるまでまず気づかれません。ならば後ろから近づくなと言われても、無意識の内にそうしてしまいますので仕方ありません。なので、大概の場合、こうやって驚かしてしまいます。そうさせるつもりはないのですけど……。
葵さんは呼吸を落ち着かせてから、今みたいに驚かされたりしない限りはいつも絶やさない明るい笑みを浮かべました。
「久しぶり。正月ぶりだね」
「はい、そうですね」
葵さんは私の荷物に目をやり、バスの停留所の方を指差しました。
「じゃ、行こうか。向こうにウチの車あるから」
私の返事を確認してから、彼女は歩き出しました。私はその後ろをついていきます。玉依家の親御さんのグレーを基調としたセダンは、バスの邪魔にならない位置に駐めてありました。車の傍に立っているのが、葵さんのお父さんです。
「こんにちは。またお世話になります」
玉依父は、娘に似た笑顔で返事をしてくれます。
「おう。久しぶりだね、麻子さん」
玉依父は、片目を閉じ、親指で隣に駐められている車を差します。
「まあ、乗りなよ。カモもいるけど」
頷いて、私は葵さんに続いて後方ドアから車に乗り込みました。車の中には、玉依母はいませんが、葵さんの弟である、カモくん(鳥ではなく、人間です!)がすやすやと寝息を立てていました。葵さんと私は彼の隣に並ぶように座ります。そう設計されたことだけある乗用車、全然窮屈ではありません。
やがて、車が滑り出すように発進しました。
葵さんはまだ子供の容姿が残る弟の寝顔を見ながら、呆れたように呟きました。
「カモ、アサちゃんを迎えに行く、と言っていたのにね」
私の名前は麻子と書いて『マコ』ですが、葵さんは私のことを『アサちゃん』と呼びます。麻子を『アサコ』と読み間違えたのがきっかけです。
葵さんは続けて独りごちります。
「あーあ、寝ているのだから、残念残念」
「起こします?」
いいよ、と葵さんが言ったそのときに、
「……麻子さんの声……」
と、カモくんが目をこすりながら、呟きました。それから連続して、
「……麻子さんの匂い……」
「げっ。マジか。そんなことわかるのかコイツ」
姉が実の弟に軽く引いていました。
そこからは早かったです。カモくんは半目を開けると、私を視界に捉えたようで、すぐに目を見開きました。そして、寝起きを感じさせない声を出します。
「うわぁっ! 麻子さん! 久しぶり!」
抱きつこうとせんばかりの勢いです。私とカモくんの間に葵さんが座っていたので、そうはいきませんでしたが。止めたカモくんの短く刈った頭を葵さんが軽くひっぱたきました。
「痛い! 何すんだよ、ねーちゃん!」
「黙れ」
彼女らしかぬドスの効いた声でした。その一言でカモくんはしゅんとしました。しかしそれでもカモくんはぼやいています。
「……久しぶりに麻子さんに会えたんだから……ハグの一つや二つ……」
「きもいよ!」
今度はカモくんの頬を叩きました。それも往復三連発です。
「父さん! ねーちゃんがぁー、わしのほっぺをー」
カモくんは運転をしている玉依父に泣きつきました。しかし玉依父は一言、
「お前が悪い」
今度こそ、うなだれたカモくん。ぼやくことすらできなくなりました。
葵さんの弟である玉依カモくんは、こんな感じで葵さんに似た元気な方です。野球少年の様に髪が短くて、やんちゃ。ちなみに一人称は『わし』で、おそらく私の知っている人の中で唯一。私と違ってキャラが濃いです(羨ましい限り!)。
そのカモくんが葵さんの様子を伺いながら私に恐る恐る話しかけてきました。
「麻子さん。遅れたけれど、こんにちは」
「はい。こんにちは」
「うん。……こんにちは」
「何で二度も言ってるの? カモ」
心なしか、カモくんの頬がわずかに紅潮したような気がしましたけれど……葵さんに叩かれたからでしょうか? そんなに強く叩いたのでしょうか。
「ところで、どうして私の匂いだとわかったんですか?」
私が訊くと、カモくんは顔を上げて答えました。
「そりゃあ、わかるよ。年に二回も会うんだものっ」
おそらくこの場に花川さんがいたとしたら、『お前は犬か!』とツッコミを入れているに違いありません。いえ、もっと高等なツッコミをかましてくれるに決まっています。
あ、花川さんで思い出したことが。ルームミラーから玉依父を伺いますが、こちらに耳を傾けてはいないようです。それならいいでしょう。
私は囁くように話を切り出しました。
「葵さん。突然ですが、あの件のことで」
「卒業式の?」
葵さんの顔から一瞬、笑みが消えました。私は頷きます。彼女にとって、あの中学校の卒業式の一件は、かなり心に重くのしかかったものでしたから、その話題を出されても困るのは当然と言えます。ですが、私もただ黙っておくのは嫌なのです。
「あのことはもういいの。過ぎたことだし」
微笑むその表情と声はどこか悲しげです。確かに悪いことをしたとは思っています。けれど、
「私が良くありません。私、あの件を調査したいんです」
声を抑えながら、かつ、伝わったかどうかは分かりかねますが、心を込めて言いました。カモくんは景色が移り変わる窓の外を眺めています。こちらの話に耳を傾けてはいないでしょう。
「私にはどうしても花川さんが犯人だとは思えないんです」
葵さんは子どもをたしなめるように言いました。
「誰が犯人だとか、そんなことはどうでもいいの。わたしはもう、あの事件に興味はないし。……それに、まるで彼のことを知っているような言い方をやめてくれる?」
突然、冷たくなったその口調に負けじと私は言い放ちました。
「……知っていますから。花川さんのこと」
「え?」
葵さんの事は好きです。ですが、メールで逐一自分にあったことを報告し合うような仲ではありません。坂月高校に通うようになってからのことはあまり――というよりほとんど話していません。だから葵さんは知らないのです。私がとある運命的な出会いをしたことを。
「私、坂月高校で花川さんと同じクラスになったんです。初めて名前を伺った時は、運命を感じました。だって、葵さんが『ユースフル』で度々述べていた人と、そっくりな人が現れたのですから。そのあともいくつか探りを入れてみましたら、やはりその『花川少年』に違いないのです。坂月三中出身、中学生時代に探偵のフリをして遊んでいた。頭も良い。それに」
葵さんは驚いているようで、口が半開きになっています。私はわずかに間を置いてから、続けました。
「――すごく優しい方です。裏切るような人ではありません」
私は真摯に訴えました。葵さんは何か言いたそうに口を開いては閉じ、困ったようにうつむいてから、やっと言葉を口にしました。
「でもね、これはわたしの問題なんだ。わたしがもういいって言っているんだから、潔く手を引いて頂戴」
気づけば、車は見覚えのある郵便局の角を曲がったところでした。あと五分ぐらいで玉依家につくでしょう。
「……って言っても、引いてくれないんだろうなあ、アサちゃんのことだから」
面倒臭そうに葵さんは嘆息し、両の五本の指を交差させ、腕を前に体を伸ばすようにして言いました。
「じゃ、仕方ないね。調査、頼んだ」
「はい!」
葵さんのお父さんが、こちらに話しかけてきました。
「ちょっとコンビニ寄ってもいいかな?」
もっとも、訊く前に駐車場に片輪が侵入していたんですけれど。
「タバコ買いに行ったんだよ、やんなっちゃうね」
コンビニの入口に小走りで向かう父親の背中を見ながら、カモくんが教えてくれました。
「でも、麻子さんがいる時に喫煙したりはしないと思うけれど」
しかし、戻ってきた玉依父は、手ぶらでした。運転席に座る父親に、カモくんが訊ねました。
「あれ、タバコ無かったんだ」
「タバコじゃない」
車をバックさせながら、玉依父が答えました。
「母さんにな、ケチャップとマヨネーズを買ってきて、と頼まれたからコンビニに寄ったんだが、どうやらここには置いてなかったらしい」
ははーん、今日はオムライスだな、と葵さんが呟きました。
「コンビニには何でも置いていると思ったんだけどなあ。あると思っていたものがなかったから拍子抜けしたよ。麻子さん、時間を取らせてすまなかった」
「いえいえ」
私がそう応えた後、『そうそう!』と葵さんが手を叩きました。
「わたしから、アサちゃんにとっておきを話してあげよう。わたしの身に起きた不思議現象についてだよ。題して――」
中々面白そうな話題です。
「ザ・幽霊騒ぎ」
中々興味深そうなタイトルです。
どうでもいいですけど、葵さんの、ニコリと笑うその顔が、私のクラスメートにとても似ていました。ポニーテールではありませんが。
もちろん、続きます。




