三.監禁?
前回の続き。二日連続で使われなくなった廃祉の屋上に現れる背広男。彼の目的はなんなのだろうか。
まだまだ弱い日が窓から差し込む教室。僕はあくびを噛み殺した。
昨日は遅くまでネットサーフィンをしてしまった。普段、パソコンを触らない僕にしては珍しい。そのワケは、あれだ。新しくパソコンを買い換えたから、僕も使ってみようと思ったという単純な理由。まあ、おそらく、こんなのは一時の風邪みたいなものだから、すぐに触れることがなくなるに違いない。その電子計算機は妹の椿を筆頭に、家族が動かなくなるまで活用してくれるだろう。
そんなわけで眠気と戦っているうちに四時間目の授業はおなじみ『ウェストミンスターの鐘』を合図に終わりを告げる。
お昼時。
さて、お楽しみの昼食タイムである。この時すでに僕の眠気はチャイムとともにはるか地平線まで吹き飛んでいた。呼んでもしばらく帰ってきそうにない。
心を弾ませながら弁当箱を取り出し、机の上に広げる。
そのとき、前の席に座っていたおかっぱの女子生徒が体をねじってこちらを向いた。僕の弁当を直視しながら開口一番、
「いいわね、手作り弁当。愛が詰まってそうで」
そう言い、彼女は包装フィルムに包まれたサンドイッチを指でつまんで見せてきた。
「わたしのは哀が詰まっているけれどね」
「なんだ急に。なんならあげてやらんこともないぞ。中身にもよるけど」
「いいわよ」
素っ気なく返された。相変わらず心の内が読み取りにくい人である。
そんな彼女――楢卯月はフィルムをめくり、サンドイッチを取り出した。大人らしい言動挙動をする楢だが、髪型は子供っぽい膨らんだおかっぱというアンバランス差が僕なりに考える彼女の特色である。
サンドイッチを遠慮がちにかじりつくその横顔に言う。
「睡眠不足だから苛立っている……とか?」
「ん。くまついてる?」
睡眠不足なのは当たったらしい。
「いいや。当てずっぽう」
「頭や顔は悪いのに、勘だけはいいみたいで」
軽く傷ついた。どうしてそんな平然と悪態をつけるんだろう。
楢は窓のほうを見るともなく見て言った。
「そういえば、玉依先輩、ピアノを任されたそうね」
唐突な話題転換に、僕は小首を傾げた。
「玉依先輩がなんだって?」
「ピアノ。卒業式のね。権利を勝ち取ったそうよ」
ああ、そうか。もう二週間後にまで迫ってきた卒業式。それにおいて三年生は決まって何らかの卒業ソングを斉唱する。そのときに三年生からピアノの得意な代表者一名が先生に代わり、グラウンドピアノで伴奏をするのだ。楢が言っているのは、玉依先輩がそれを担当することになったということだろう。
楢がまたサンドイッチをかじった。
「あの人、あれだけはお手の物だしな。よく頑張るよ、本当。最後の最後にまで目立つことをして」
「ろくすっぽ好きなものも趣味もないあなたに言われたくないと思うけれど」
返す言葉がない。
楢が昼食をとっているのを見ていると――我慢していたつもりはなかったけれど――空腹を我慢できなくなってきた。
箸を持ち、弁当箱の蓋を開けようとした、まさにその時。立て続けに邪魔が入った。
「花川少年っ!」
遠慮なく教室のドアをバーンと開き、僕の名を変わった敬称をつけて呼ぶ誰か。
……なぜだかわからないけれど、恐ろしくデジャブである。そんな記憶に心あたりはないのだけど。おかしいなぁ。
箸を持ったまま固まっている僕を見つけたらしい大声の主は、教室中の注目を浴びながら、僕めがけて一直線に迫ってきた。
そして僕の腕をがっちりと掴み、抵抗する僕におかまいなく、引っ張ろうとする。楢が薄い笑みを浮かべながら、こっちを見ていた。悪態の一つでもつきそうな表情だ。
僕はそのまま廊下まで連れてこられた。やっと拘束から開放された腕をさすりながら、不満を目の前の人にぶつける。
「何ですか。僕が何かしたっていうんですか。今から待ちに待った昼飯なんですよ。邪魔しないでください、玉依先輩」
噂をすれば影が差す――腕を引っ張り、廊下まで連行した乱暴者――フルネームを玉依葵という。楽天家で能天気、自分より弱い人を振り回すのに長けた、僕より一つ上の中学三年生の女子生徒である。探偵小説を読みあさり、探偵に憧れているという変人。何故か周りからは『花川春樹と玉依葵』という探偵コンビが成立していると思われている。否定するのも面倒なので受け入れているけれど。
「ごめんごめん」
と玉依先輩は侘びを入れる。しかし、言葉とは裏腹に彼女には全く悪びれる様子がない。小学生の頃の玉依先輩にとてもよく似た同級生を思い出した。まあ、その同級生とは違い、一日も欠かさずにポニーテイル、というわけじゃないけれど。そもそもあいつほど立派なポニーテイルにするだけの髪量はないだろう。ショートヘアなのだ。
そして次には、僕を引っ張ったことなど初めから無かったように平然としていた。彼女も昼食はとっていないだろうに、えらくハキハキとした口調で喋りだす。
「花川少年。わたしの推理を聞いてくれないかな?」
「……」
僕は腕を組み、少しだけ考えた。それからやっぱり思い当たる節がないと思い、
「推理も何も、事件自体起きてないじゃないですか」
「花川少年」
玉依先輩はまた僕の名前を呼んだ。ちなみに僕に少年という接尾辞をつける人は彼女だけである。江戸川乱歩《少年探偵団》に出てくる《小林少年》に影響されてのことだと思う。根が単純なのである。
「キミにも話したでしょ、『仙人様』事件。あれは、あれだけで終わらないことに気づいたんだよ」
「へえ。玉依先輩が一人で騒いでいたやつですか。それは良かったですね」
全く関心が沸かない。ヘソの上の茶と同じくらい沸かない。
だけど、相手をしてあげないと決して帰してはもらえないだろう。これも先輩の威厳なのだろうか?
「昨日の夜、改めて考えて、ビビビっと来たんだよ」
「いいからさっさと話してください。そして満足して帰ってください」
こっちは空腹なのだ。
「いいよいいよ、話すよ」
とすねたような声を出し、やっと本題に入る。
「『仙人様』事件において、廃址が重要な役割を果たすのは覚えているよね?」
僕はとぼけてみた。
「信義に背くことですか?」
「背信じゃないよ」
「ああ、アルプスの少女のことですか」
「ハイジじゃない! 廃れた建物のこと!」
どうして僕のほうから時間を伸ばすようなことをわざわざしたのだろう。ネタも尽きたし、さっさと話を進めよう。
「もちのろんで知ってますよ」
「それと同じくらいに背広を着た人が重要なのも」
「はい」
適度に相槌を打つ。そしてその度に玉依先輩は満足そうに頷いた。
「言ったと思うけれど、その背広男、両手にビニール袋を持っていたの。コンビニでもらえるようなやつ。それから片方の袋にはおにぎりも入っていたって」
「言いましたね」
「……それで、驚かないでね」
そこで一旦、間を置いてから、玉依先輩は言う。
「その背広男、『監禁』しているの」
「……」
何を言っているのだろう、この人は。
「ひとがいくら私物を売ろうが、自由でしょう」
「『換金』じゃなくて、自由を奪う『監禁』」
ますます意味がわからない。
「最初から順に話してください」
「もちろん、そのつもり」
玉依先輩は片目を閉じて言った。上機嫌時の彼女の癖である。
「わたしはね、なぜ彼がそんなところにいたのかに目をつけたの。昼時にご飯を持って、わざわざ廃址に入るかなって」
「当然、理由があったんでしょうね」
玉依先輩は頷く。
「このあたりは住宅街。この中学校はその中に作られているよね。だから当然、平日といっても、人目もそれなりにあるわけだし、廃址はまるでジャガイモに紛れたサツマイモのように周りより一本高さが抜けているの。そんな場違いな建物に入り、さらに屋上まで行く。目立つ行動だよ、これは。見つからないように注意をはらうことはできると思うけれど」
……どうしたんだろう。変な物でも食ったか。探偵の真似事を大がつくほど好きな彼女だけど、こんなふうに冷静に考える人ではなかったのに。むしろ逆で、後先考えずに行動する人なのだ。いつも筋違いな考えを披露し、僕を疲労させていた。うーん……。何か裏があるのか?
「だからわたしは、その屋上に何かがあるのだと直感した。その人にとって大事な何かが。ここまでで質問ある?」
「じゃあ、四つあります」
即興で思いついたのだ。言うと、玉依先輩は顔をしかめた。そんなにあるのか、とでも言いたげ。
廊下を歩く人を見ながら、僕は言う。
「まず一つ目――屋上に何かを隠すのが目的だったりは?」
玉依先輩は笑みを浮かべた余裕の表情だ。
「そんなこと。わざわざ、屋上に隠す必要があるのかな? あの廃址には部屋がいくつもある。その部屋のどれかに隠せばいいよ。わざわざ雨風しのげないそんな場所に置く必要が考えられない。というかその廃址を選ぶ必要性がない」
「そうですね」
もしその背広男がサラリーマンか何かで昼休みを利用してわざわざそんなところに行っているのならなおさらだ。
「次、二つ目です――ここ、坂月三中の生徒達を覗くのが目的、とかは?」
彼女は顔色を変えない。そしてわざとらしく肩をすくめた。花川少年はそんなこともわからないの、というような感じに。
「それはないね。キミがしたいだけじゃないの? それだって、屋上に行く必要がない。校舎と廃址はほぼ同じ高さで両方とも四階建て。二階を覗きたければ二階の窓から、三階を覗きたければ三階の窓から覗けばいいもの。そうしたほうが明らかに見つかりにくいし、日の強い昼時じゃあ、わたし達の教室がそうだったようにカーテンがかかっているクラスが多いじゃない」
調子に乗ってるなぁ。
「それじゃあ、三つ目です――空き巣が目的だった。廃祉から伝い、どこかの家に二階や三階から侵入し、金品を盗む。一階のドアや窓の鍵よりも、二・三階のほうが防犯意識は低くなるものでしょう? そうじゃなくても、鍵を壊して侵入するのなら、ベランダからのほうが目立たない」
そう反論する僕だったけれど、自分自身で言い終わるうちに穴をたくさん見つけてしまった。この考えは簡単に論破される。そしてその通りになった。
「わたしも今まで花川少年に頼っていた節があったけれど、まだまだだね、キミも。まるでなってない。背広で空き巣を企む人なんているかな? 廃址は他の家々よりも背が高いから、屋上から飛び移ったりするのなら、狙った家を下からよじ登って侵入するのが無難。それに何回も言っているけれど、屋上は目立つの」
うん、その通り。筋が通った推理を展開し、さらに調子づく彼女に少しだけ苛立ちながら、僕は最後の考えをぶつける。
「ただ、なんとなく――というのはどうでしょう? 気分が晴れず、すかっとしたい背広男は、屋上にまで行って、青空を見上げながらの食事をしたかったとかは?」
「そんな人がいると思う? 不法侵入し、背広を埃に汚してまで、大の大人が」
いるかもしれないけれど――いまいちこの説は弱いか。
僕の考えを見事に破り、満面の笑みになる玉依先輩。
「だからわたしは、その屋上に大事な何かがあると見た」
うんうん、と頷く。
「それで、『監禁』ですか」
玉依先輩は勢いよく人差し指を立てた。
「その通り! 背広男は誰かを話せないようにして、鎖か何かに縛り、その屋上に幽閉した。コンビニのおにぎりはその誰かのための食料。犯人はよほど恨んでいたんでしょうね。なんたって、雨も風も遮ることができないそんな場所に閉じ込めたんだから」
なるほど。確かに、その哀れな誰かを寝かしつけるように固定すれば、外からは見えない。
僕は両手を上げた。ホールドアップされた銀行員みたいな感じで。
「参りました。それで、玉依先輩はどうしたいんですか。まさか廃祉に乗り込もうとは言わないですよね」
「そのまさか」
僕はこれ以上なく眉を寄せ、顔をしかめた。僕を引っ張ってきたということは、単独ではなく、僕にも同行させる気でいるに違いない。
「玉依先輩がそう思うのなら、警察に連絡すればいいじゃないですか」
「嫌だよ。ケータイ持ってきてないし。そもそも、こういうのは証拠を掴まないと犯人に巻かれるって常識で決まっているの」
探偵小説から取り込んだ常識だろうか?
「しかし、万が一にその通りだったら危ないですよ。――ああ神様、僕はまだ死にたくありません」
そう言って僕はわざとらしく天を仰いだ。すぐ横を通り過ぎていった二人組の男子生徒に白眼視されたけれど、彼女には哀れに見えただろうか。
「大丈夫。わたしが逃げている間に花川少年が盾になればいい。わたしはその間に警察に通報するから」
……見えなかったらしい。というかこの人は何考えているんだ。後輩を見殺しにする気か。
「じゃあ、早速行こう。今から行けば証拠を抑えることができるに違いない」
「え?」
聞こえなかった。早速行こう、と聞こえた。
「わんもあたいむぷりーず」
「今からその廃址に乗り込もう」
どうやら聞き間違いではない。
「馬鹿ですか。今昼休みですよ。学校抜け出す気ですか」
「昼休みだからこそだよ。一昨日、昨日とやってきたんだから、今日もやってくるに違いない!」
僕はお腹が空いている。それに学校を抜け出すのは悪いこと。見つかれば何らかの注意を出されるだろう。しかし、弁当を食べる猶予を彼女は僕にくれなさそうだ。
……優しすぎるだろ、僕。大きくため息をついた。
「いいですよ、玉依先輩。ついていきます」
「当然っ!」
「でも、ちょっと待ってください」
僕は、回れ右をしようとした玉依先輩に片手を突き出し、今までずっと持っていた物を見せる。
「――箸、戻してからでもいいでしょう?」
まだ続きます。




