三.働いたのはなに?
前回からの続きです。解決編です。
孫を連れた老爺もどこかに行ってしまい、休憩所にはわたしと椿ちゃんだけになった。さらに静かだ。
わたしはメロンソーダ、椿ちゃんはフルーツジュースのキャップを開ける。わたしのペットボトルからプシュッと炭酸がかすかに抜ける音がした。いいぐらいに冷えている。
一口飲んでから、わたしは椿ちゃんに質問した。
「そういえば、花川くんは夏休みの間、何してるの? ……と言ってもまだ夏休みは始まったばかりなんだけど」
「あやめさんの前で兄のことを悪く言うのもなんだけど、だらだらしてますよ。わたしが今日出かける前も冷房がガンガンに効いた部屋に閉じこもって読書してましたし。あれは夏バテが恐いですね」
ハルと冷房が効いた部屋と本。
「簡単に想像ができて困る……」
「昨日なんか、夏休みの間はこれから毎日アイスクリームを食べるぜ宣言してました。業務用スーパーで安いアイスを買い込んできて。おかげで家の冷凍庫がパンパンですよ。食事制限中の身としては、目の毒です」
ま、なんだかんだ言っても口を尖らせるその顔はどこかほころんでいる。
わたしはペットボトルのキャップを閉めた。まだ半分以上残っているけれど、一度にたくさん飲んだりはしない。一気に飲んだら、アレだし。
「じゃあ、本題に戻りますか」
当然、『今、坂月駅に来たが、今週もなさそうだった。再度言うが、平等に権利はあります。三度目は御免です』の議論の続きである。
「わたし、ちょっと考えていたんです。どうして他の人達は《水仙》から報酬をもらえたのに、《アリウム》はもらうことができなかったのか――について」
「イマイチ働きが悪かったからんじゃない?」
「それは、ありますね。でもそれだけで全く報酬がないなんて考えられません」
確かにそれはいくらなんでも理不尽だ。わたしは思いついたことをポンポン言ってみた。
「報酬が足りなかった」
「そんな人が働ける人を募集するなっていうんです」
「《水仙》は《アリウム》が嫌いだった」
「それが一番ないですね」
「実は働いていない」
「そんな人が図々しく請求してくるとは思えないんですが」
「《水仙》がケチだった」
「労働基準法を破ってまでケチを通しますか。もうすでに詐欺ですよ、それ」
さすがにネタ切れだった。
「『平等に権利はあります』らしいですしね……。やっぱりちゃんとすることはしたっぽいですけど。平等に権利があるということは平等に与えられた仕事をしたということに他ならないですから。言葉の綾という可能性もありますけれど」
そうだねえ、とわたしが同感の意を示したそのとき、椿ちゃんが小さく、あっ、と声を発した。
「深く考えることありませんでした。そうですよ、アリウムは平等に仕事を与えられたんです。けれど、それは他の花がした仕事と比べると小さかった」
「イマイチ意味がわからないんだけど……」
「仕事の種類など、古今東西、星の数ほどあります。あることを成功させる仕事もあります。水仙の仕事はその類だった。あることを成功させるのに、水仙は募った花達に報酬を皆同じにするという約束で分掌した。だけど、平等に与えたつもりが、思ったよりも極端に仕事量に差が出てしまう。仕事量を数値で測ることができないのだったらありえる話です」
わたしの頭の中では、デフォルメされた数人の職人が巨大な人の彫刻によじ登り、自分の担当している箇所をノミを使って削っているというイメージが流れていた。ヒゲや髪を担当している人は細かい作業で必死なのに、胸部分を担当している人は余裕の表情をしていた。
「報酬を平等に分けるという約束を仕事の成功後に変えるというのは難しい。もしかすると《水仙》が《アリウム》に報酬を渡すのを渋ったのは、他の人達が抗議をしたからかもしれないですね」
「つまり、《アリウム》は運悪く仕事量が極端に少ない仕事を割与えられたと?」
「もしくは簡単な仕事が。《アリウム》はあることを成功させる上でほとんど活躍できなかった人なんですよ」
そのとき、遠くから、はしゃぐ子どもの声が聞こえた。ここと同じ建物の中にある市民プールにでも来たのだろう。
椿ちゃんは言う。
「次に渡す場所についてですが、これはすぐに当てがつきました」
渡すといっても手渡しじゃないはずだから、どこかに置くようにしたはずだ。
「坂月駅はそこまで大きくない駅です。急行どころか、準急も通過します。普通しかとまってくれない可哀想な駅です。そして小さな駅ですから、自然と渡す場所も限られてきます。さて、それはどこでしょうか。もちろん、床にそれをそのまま置いておく、というのは盗まれる危険が極まりないですからありえません。それを踏まえた上で、どこだと思いますか?」
わたしは構内を思い出しながら考える。今日行ってきたばかりだから、思い出すのに苦はない。
「切符売り場、改札口……これは受け渡しには向いてないか」
「係員がいる事務室も論外ですね」
「売店は違うかな。というかそもそもないね、坂月駅に売店」
自販機はあるけども。
「トイレはどうかなあ」
「誰もが利用する場所は危ないんじゃないでしょうか」
そこから十数秒思い出そうと頑張ったけれど、ダメだった。わたしは首を横に振る。
「やっぱり何もないよ」
「……あやめさん、知らないんですか? 最近、坂月駅に似合わないようなモノが設置されたんですよ」
「もしかしたら知らないかも。電車にはあまり乗らないし。なんなの、その似合わないモノって」
椿ちゃんは間を置いて、まるで犯人の名前を告げるかのように、小さな声で言った。
「……コインロッカーですよ」
思い出した。そうだ。確かにあった。わたしの背より少し高いぐらいの、小さなロッカー。
「ただのコインロッカーじゃないですよ。最新のキーレスコインロッカーです」
「へえ」
「さらに操作画面はタッチパネルです」
あれってそんなにハイテクな機能が搭載されていたんだ。
確かにあの古い坂月駅には似合わない。普通のコインロッカーさえなかった駅にキーレスが設置されるとは。先に改装すればいいのに。
「キーレスコインロッカーは、その名の通り鍵がいりません。代わりに暗証番号を入力する仕組みです。暗証番号は毎回違って、自分で設定することができませんけど、番号なんて伝えようと思えばいくらでも伝えることができます。それに、新しいコインロッカーだけど、サイズも少し小さく微妙で駅自体の利用客も少ないため、常に半分も埋まっていない状態です」
「なるほど。それなら、何かの受け渡しにはピッタリだね。防犯としても」
それから椿ちゃんはここからキモだと言わんばかりに人差し指を立てた。
「そして、ここからわかることがあります。報酬はお金じゃない、ということが」
確かに、報酬とは言っても、お金以外のものがある。大抵の場合、給料としてお金がでる。でも、普通ではない特殊な仕事だった場合、お金ではなく、その仕事を成功させることにより、手に入れることができるものなのかもしれない。
「お金はコインロッカーの中に入ります。だけど、お金の受け渡しなら、初めからATMを使えばいい話なんです」
「あっ」
すっかり忘れていた。そうだった。というかこの時代、給料は振込のほうが多いのだし、直接会えない理由があるのなら、報酬をコインロッカーに入れるという方法よりも、口座に直接振込むという方法を取れば、絶対に会うこともない。
「どんな大金でも、本人確認すれば窓口から振り込めるし、カードから振り込むこともできます。……まあ、とにかくこれで報酬の内容がお金以外だということがわかりましたね」
「なるほどねえ」
わたしはメロンジュースを口に含んだ。しゅわっとした感覚が喉を通る。わたしがテーブルに再びペットボトルを置くのを確認したあと、椿ちゃんが言う。
「この人がもらおうとしたお金以外のモノ。次にこれを片付けましょうか」
「その口調、もしかして、わかったとか?」
「いえ、誰かと喋りながら推理したほうが考えを整理しやすいんで」
椿ちゃんは黙り込んでしまった。どうやらこれが一番難しいらしい。それに、これがわかれば職種もわかるようになるはずだ。しかし、そもそも初めからこのメッセージの情報のみからでは判明しないことなのかもしれないが。
ノートをじっと見つめ、だんだんと顔に陰りがでてきた椿ちゃんに言う。
「ここで終わりかな?」
「いえ、こんな中途半端で終わらせません」
真正面の何もない白い壁を睨みながらこっちに一瞥することもなく椿ちゃんは答えた。
わたしは息を吐き、背もたれにもたれかかる。上を仰ぐと、白い天井が見える。全く、こういうところまでハルに似ている。わたしが考えてもどうせ椿ちゃんにわからないことはわからない。それならば、椿ちゃんが諦めるか、真相を見つけるまで待ってあげるのが道理だ。
「報酬は現金ではない……。コインロッカーは小さい……。それを踏まえて……」
椿ちゃんが自分に言い聞かせるように呟いている。あまりにぶつぶつ言っているので精神的に大丈夫なのか不安になってくる。
「椿ちゃん?」
「あっ!」
がばっと顔をあげ、わたしを見る。
「コインロッカーは小さいです。そこに入るものが、受け取ろうとしていた予定のモノ。小さくて高価なモノです。それはなんな」
「高価って?」
あまりにも椿ちゃんがさりげなく話すので聞き流すところだった。
「はい、そうです。これに関しても理由を話す必要がありました」
椿ちゃんは居住まいを正し、わたしをじっと見る。そして――右拳を顔の高さまで上げ、人差し指を立てた。
「《水仙》が募集した、《アリウム》が活躍できなかった・あまり役に立たなかった仕事。それと報酬。その二つのうち、片方がわかれば片方もわかります」
うん、そうだね、とわたしは合いの手を入れる。
「わたしは報酬の正体から攻めました。報酬は現金でなければ、コインロッカーに入るぐらいですからそれほど大きなものでもない。また、《アリウム》以外の人ももらったものなのでそれは複数あると思われます。ですが、《水仙》は《アリウム》の仕事量が少なかったため、渡すのを渋った。それはなぜか。……高価だからです。高価だからこそ、複数あっても出し渋った。こう考えることができます」
「なるほど。だから高価なものかぁ……」
椿ちゃんはらしくもなく体を乗り出してきた。わたしは少し体を引く。
「だけど、ここで元々あった疑問がさらに大きくなりました。高価なものがいくつも手に入り、さらにそれをお金に換金するこもなく報酬として渡すという仕事の正体とは?」
「……椿ちゃん。ちょっと、何か、匂うんだけど」
「えっ? わたしがですか?」
椿ちゃんは目を丸くし前に出した体を引き、腕を嗅ぐような仕草をする。わたしは手を振りながら、それを否定する。
「そうじゃなくて、怪しいという意味で」
きな臭い、というか。
「だって、そんな仕事ある? 高価なものがそんなに簡単に手に入るなんて……」
と、言いながら、わたしの頭の中ではさっきから何度も危ない予感――労働基準法違反とは比べ物にならないくらい――がよぎっていた。
「気づいているんじゃないですか、あやめさんも」
「え? それじゃあ……」
わたしの思ったことと椿ちゃんの思ったことが同じならば。
垂れ目の賢者は、ニコリとして。
「彼らは犯罪集団じゃないかと」
アリウムは水仙の電話番号を登録していない――未来的に登録する必要がなかったり、親しくなかったり。……周りに関係を知られたくなかった人だったり。それに受け渡しも、直接会わない方法を使っている。周りに水仙との関係を知られたくないのに、《アリウム》は仕事に参加した。そうだとすると仕事のことも周りに知られたくなかったという可能性が高い。なぜ知られたくなかったのか。答えは、その仕事は犯罪そのものだから。
小さくて高価なモノがいくつも手に入る犯罪。それなら事件の起こる頻度もそれなりに高い宝石店強盗が一番ぴったりだろう。
「この間違い電話の主である《アリウム》らの集団は仕事ではなく――強盗を働いた」
《水仙》は募った彼らに強盗を成功させるため、仕事を割り振った。そして成功した。予定通り、宝石がいくつも手に入る。《水仙》は働いた人達に報酬として、平等に宝石を渡した。だけど、彼らは気に入らなかったことが一つだけあった。《アリウム》に割り振りられた仕事が簡単すぎたのだ。おそらく見張りか、何かだろう。彼らはその不平等性を《水仙》に抗議した。ボスである彼はそれを汲み取り、《アリウム》に宝石を渡さなかった。約束の場所には置かなかった。一度目はごまかされたとしても、それが流石に二度目となると怒る。そのときに怒り慌てて電番を間違えてしまい、わたしのケータイにかかってきた。
――というのが、「かなり憶測が含まれますが」という前置きのもと、椿ちゃんが話した内容だった。
間違い電話。そこから始まった。犯罪を犯した者から電話がかかってきた。だが、恐いという気持ちはなく。ただ単に。
わたしはこれまでしたことがないくらい大きくため息をついた。事切れ、呆れた。そして吹っ切れた。
……もしこれが本当のことだとすれば、全く、とんだ間違い電話もあったものである。いつかの菫咲の事件と同じくらいのレベルの勘違いだ。
「これでひとまず終わりかな?」
「はい。そうですね。これでもう充分です」
「で、どうするの? 警察に通報するの?」
わたしの質問に椿ちゃんはふっと笑って答える。
「何言ってるんですか、あやめさん。最初に言ったじゃないですか。これは真実っぽい理屈を重ねた屁理屈なんですよ。だからどこかで間違えているでしょう。合っていたとしても、わたしたちにはこういうこともできるんだと自己満足するだけで充分だと思いませんか」
でしょ、と椿ちゃんは言う。しかしわたしにはイマイチ納得できなかった。
「え、でも。わたしには真実だとしか思えないの。捕まえることができるかもしれないんだよ? 『入ってなかった』ではなくて、『なさそうだった』と言っていたから、報酬を入れたのなら、何かシールなどの目印をコインロッカーにしておく約束だったということでしょ? 朝から待機すればこの人を見抜けるんじゃない? 物を預けることもぜすに何かの目印を探すような行動をする男の人。坂月駅は人も少ないし、見分けることぐらい簡単だよ」
「ですが」
椿ちゃんは力強く言った。そしてまるでわたしより年上のように、自分より下の子どもに注意するように、わたしの目をじっと見て、人差し指を立てて、言った。この時ばかりは、わたしより本当に年上なんじゃないかと思った。
「仮にでも今の検証が事実だったとしても、危ないことはいけませんよ。そういうことは大人の人に任せるんです。後悔は先に立ちませんから」
「そう……かな?」
納得するしかなかった。
「まあ、何にしても、この勝負、椿ちゃんの勝ちだよ」
……そして、ふと。
わたしは椿ちゃんのその人差し指を立てて物申すポーズをどこで見たのかを思い出した。――真面目で勤勉で丁寧語の眼鏡の優等生、堺さんだ。堺さんは人差し指を立てて話すことがあった。
さらにわたしはあることを思い出す。わたしは今日、椿ちゃんと話すためにここに来たのではない。堺さんと夏休みの宿題をするために来たのだ。休憩をしてきてもいい、と言われたからここに来た。だが、休憩を始めてから有に三十分は経っていた。いくらなんでも休みすぎだ。まだ堺さんは勉強をしているのだろうか。遅すぎると呆れているんじゃないかな。
わたしはケータイ、飲みかけの炭酸飲料をひっつかみ、席を立った。手の平を合わせて合掌する。
「ごめん、椿ちゃん。わたし、すぐに戻らないといけない! 今日はありがとう、面白かった!」
椿ちゃんもつられて席を立つ。
「図書館に行くんですか? それならわたしも行こうと思っていたんで一緒に行きます」
わたしは早歩きで図書館に向かう。それに合わせようとして椿ちゃんも早歩きになる。歩きも早くなっているからか、話す口調も自然と早くなる。
「早歩きで急いでいるところを見ると、誰かと約束していたみたいですが……あやめさんは誰と図書館で待ち合わせしているんですか?」
「待ち合わせじゃないんだけどね。……友達だよ」
「友達? もしかして堺麻子さんですか」
「え、それも推理?」
わたしは目を丸くした。しかし、そういえばわたしは彼女の前で堺さんのことを喋っていたと思い出した。
椿ちゃんは突然、足を止めた。わたしは椿ちゃんのほうを振り向く。
「どうしたの?」
椿ちゃんは申し訳なさそうな顔を見せる。
「やっぱりわたし、帰ります。急用を思い出したので。また今度会いましょう」
どうして、とわたしが理由を聞く前に椿ちゃんは回れ右をして小走りで建物の出口に向かった。
藪から棒に急用だと言って帰った椿ちゃん。彼女はどうして帰ったのだろうか。これには裏があるはずだ。さっきと同じ要領でいけば……。なんて。そんなことがあるはずない。本当に急ぎの用なのだろう。
「……それに、考えている暇もないし。今は堺さんを待たせているんだから、わたしも急がないと」
わたしは再び図書館に向かい、歩き出す。
お土産として堺さんに今あったことを話してあげよう。……もちろん、謝罪の後で、だけど。
後日。あれからちょうど一週間がたったころ。
珍しく居間で情報番組なんかを見ていたら、あるニュースで目が画面に釘付けになった。思わず手に持っていたケータイを落としそうになるほどだった。その内容は『強盗犯グループ逮捕』。目撃証言や防犯カメラの映像からでも犯人グループの特徴がほとんど掴めなかったらしいこの事件に終止符が打たれたそうだ。
……いくらなんでもタイミングがよさすぎるんじゃないだろうか。……なんて、そんなわけないか。
そしてあの留守番メッセージのせいで今頃、メールアドレスを交換し忘れたことを思い出した。家は知っているけど、わざわざそれを確かめるために出向くのもどうかな、と思う。
ま、椿ちゃんはまた今度会いましょうと言っていたし、いつか会えるだろう。別にその時にでも構わない。
それに何より、椿ちゃんへの確認が誰かの役に立つ、というわけでもないしね。
ありがとうございました。




