六.連続放火事件
前回の続きです。解決編その二。
五月一日日曜日。僕が椿を問い詰める、その二日前。
僕は椿の協力を得て、午前中のうちにとある同級生の住所を探し当てた。昼飯を腹に詰め込んだあと、自転車でそこに向かった。
到着したのはごく普通の一軒家。表札には『加賀屋』の三文字。そう、僕につまらぬ嫌がらせをし続けてきた、加賀屋蓮の自宅だ。加賀屋にどうしても訊ねたいことがあって、勇を鼓してここにやってきた。
おそるおそるチャイムを鳴らす。いくら加賀屋が怪我をしているとはいえ、熊のような体格の彼に押しつぶされたりすれば、僕はひとたまりもない。なるべく平和的解決をしようと思っている。しばらくして、玄関のドアの鍵がガチャリと開く音がした。ドアをゆっくり開けて半身だけ姿を現したのは、加賀屋蓮本人だった。今日も左足にギプスを巻いている。
僕が要件を言うより早く、加賀屋は、
「おう、花川か。本当に来るとはな。……まあ、中に入ってくれ」
と静かに言った。なぜだか僕が来ることを予見していたみたいな言い方だった。
ここですんなりと彼の言葉に従うのも危ない気がしたけれど、休日だ、きっと彼のご両親もいらっしゃるだろうと思い、加賀屋に続いた。休日を選んだのはそれもあってのことだった。
加賀屋の家は二階建てで、僕は加賀屋の自室なのだろう、二階の一室に通された。壁に飾られているプロ野球選手のポスターが目を引く。床には教科書類や脱ぎ捨てられた服が散らかっていて、彼の性格を表しているようだった。勉強机なんて、平な部分すら見えない。これではただの物置だ。
僕は物と物の隙間になんとか腰を下ろした。加賀屋は僕の前に松葉杖をついたまま仁王立ち(この言い方もおかしい気がするけれど、それくらい迫力がある)している。
まずは思ったことを遠回しに呟いてみる。
「少し、部屋の掃除をしたほうがいいんじゃないのか」
ギロリと加賀屋の眼が動いて僕を見据える。しまった、あまり癇に障るようなことは言わないでおこう。
「……これくらいの方が落ち着くんだ」
文句はあるけれど、これ以上は言わない。
「今、ご両親とか、ご家族は家にいないのか?」
「いない。ふたりとも仕事だ。俺はひとりっこだしな」
まじですか。
逃げられないじゃん僕。
「……花川」
不意に加賀屋がかがんだ。小動物のように敏感になっている僕の本能がビクリと反応してしまう。しかし、すぐに警戒する必要はないと悟った。――加賀屋が、両手を床について頭を下げたのだ。片足にギプスを巻いているから、完璧な土下座でないにしろ、それは紛れもなく謝罪の姿勢だった。
「まず謝らせてくれ。……嫌がらせをしていたのは俺だ。許してくれ」
思わず絶句してしまう。どういう心境の変化だろう。
まあ、素直に謝るのなら、許してあげてもいいだろう。それほどひどい悪戯をされたわけではないのだし。そもそも他人の土下座というのは、見ていて気持ちの良いものではない。
「……いいよ。頭をあげてくれ加賀屋」
加賀屋は顔を上げた。
「いいのか? 許してくれるのか」
ああ、と僕は頷く。
加賀屋は片足をかばいながらも壁にもたれかかって、楽な姿勢になった。
「……実は少し前から謝りたいと思ってたんだ。俺がただの八つ当たりをしているだけだって気づかせてくれた人がいてな」
「へえ」
さほど興味がないから、自然、生返事になってしまう。
「花川が朝早くに学校に来て、ランニングしていること、知っていたしな。それほどの心意気の持ち主になら任せられる」
「えっ。何の話」
加賀屋が笑う。
「とぼけるな、とぼけるな。先週の朝見たぞ? お前が学校周りを走っていること。あれ、体育祭に向けての自主練だろ?」
「…………」
うわあ、恥ずかしい。
加賀屋の言っていることは事実だ。ボヤ騒ぎのあった日、僕が早くに登校した理由は、体を動かすためだったのだ。誰にもバレていないと思っていたのに。
そ、そういえば、と僕は無理やり話題を変えた。
「加賀屋、今日、僕がここに来ることを知っていたのか?」
「教えてもらった。花川春樹が近日尋ねてくるかもしれないってな」
僕は目を細める。
「誰に?」
「その、俺に嫌がらせは間違いだって教えてくれた人だ」
誰なんだ、それは。
「はっきりと『花川春樹』だって言ったんだな? その人の名前を教えてくれ」
「名前か。『火嫌井』だ」
加賀屋は近くに転がっていた水性ペンで自分の左手にその名前を書いて見せてきた。
知らない名前だ。それに、胡散臭い。
「その火嫌井って人と、加賀屋との接点は? 火嫌井はどんな人なんだ?」
「質問攻めだな。火嫌井さんは偶然、出会ったみたいなものだからな、住んでいる場所も知らん。特徴は、そうだなあ……」
加賀屋は瞳を左上に泳がせる。
「俺らと同い年ぐらいの女。髪は黒で、長かった。あと付け加えるとしたら、可愛い。向こうは花川のことを知っているのに、お前は知らないのか。面白いな。てっきり、火嫌井さんに言われてここに来たんだと思っていたんだが」
「いや、僕は自分の意思で来た。その人の連絡先はわからないのか」
「メールアドレスは教えてもらってたんだが、メールを送れない。メアド変更でもしたんだろう。だから俺は花川に誰なのか訊こうと思っていたんだが。いや、しかし困ったな。もっとちゃんと礼を言いたかったのに」
「嫌がらせの件、そんなに大層なことなのか?」
「それじゃない。俺は火嫌井さんには別の借りがあるんだよ。俺はな、もう少しで濡れ衣を着せられてしまうところらしかったんだ」
再び時間軸は元に戻る。
「加賀屋が聞いた、その火嫌井とやらの説明をまとめると、『第三中学校で起きたボヤの近くに、火がつけられた頃の物だと思われる、松葉杖をついた人のもののような足跡が見つかった。校内には加賀屋蓮しか松葉杖をついている人はいないが、それは加賀屋に濡れ衣を着せるために仕掛けられた犯人の工作だ』。そんな推理ができて、僕の名前と行動を知っている人物は、お前しかいない。椿、お前が『火嫌井』なんだろう? ちょっと安直すぎる偽名だな」
僕の話を聞いているうちに、椿はすっかり元の余裕の表情を取り戻した。
「あらら。春樹に馬鹿にされちゃうとは。でもまあ、うん。認めましょう。加賀屋さんにたっぷり恩を売ってしまった謎の美少女っていうのはわたしのこと」
不必要な部分まで話してしまったな……。可愛い云々は黙っておくべきだった。
「第三中学校のボヤ事件を利用させてもらうからには、真相を知っておく必要があるじゃない? だから、春樹に秘密でこそこそ調査していたの。その段階で、加賀屋さんに冤罪の危機が迫っているって察知したってわけ。ちょっと危なかったけれど、ボヤ自体はもう解決しちゃったし、春樹は気にしなくていいよ」
ははは、手が回りすぎていて笑えてくる。今回はつくづく妹に叩きのめされたな。誕生日なのに、楽しくないぞ……。
「それで、加賀屋さんにはわたしのこと、話しちゃった?」
「偽名を使ったこととか色々許せないことはあるけれど、加賀屋にお前のことは何も話していない。なんだか言い出しづらかったし」
僕が二日前、加賀屋宅に向かったのは、坂月市立第四中学校出身だという加賀屋に第四中でボヤが本当に発生したことがあるのかを訊ねるためだった。
椿がほっと胸を撫で下ろす。
「ほっ。よかったよかった。……さて、ここからはオマケでちょっと喋るよ」
「まだ何かあるのか?」
もう喋りつくしたような気がするのだが。
「少し前、チェスやオセロや花札でわたしが春樹に勝負を挑んでいた時期があったよね」
「お前がおかしなぐらい連敗していたやつだろ」
確か、ボヤ事件が起きる前後まで続けていた。
「そう。実はあれ、春樹に元気をつけてもらおうと思ってやってたんだ。だからわたしが負け続けていたのもわざと」
疑問がふつふつと湧き上がる。
「まずひとつ目の質問。『元気をつけてもらおう』というのはどういう意味だ」
「だって春樹、元気なかったじゃん。元々そこまで覇気があるほうじゃないけど、三年生になってから、見るからに元気がなくなってたし。以前は探偵小説ばかりを読み漁っていた春樹が、冒険小説やらを読むようになっていたし。――もう一度訊くけれど、何かあったんじゃないの? 三年生になる前に」
僕は少し戸惑ってから、
「いや、なにも」
と答えた。
嘘だ。僕に元気がないというのが本当だとするのなら、何が原因なのかは薄々わかっている。だけど、椿に話しても解決しない問題だ。
「まあ、春樹が言ったことが事実だとしても、わたしには春樹が落ち込んでいるように見えたから、色々と工作したわけ。ゲーム連敗作戦はあまり効き目ないなってときにボヤ騒ぎが発生した。春樹が探偵ごっこが好きなのは知っていたから、これを利用すれば、誕生日プレゼント代も浮いて一石二鳥だって思った」
「なんだって?」
今、本音が漏れたような気がするぞ。誕生日プレゼント代?
椿……そんなわかりやすく『しまった!』って顔をするな。
「……ご、ごほんっ。それで、質問のふたつ目は?」
椿はわざとらしく咳払いして話を逸らした。まあいいか。
「『負けていたのもわざと』とは?」
「言葉のまま。わたしは春樹のためにやられ役を買って出たの。本気を出せば、春樹には負けません」
椿は悪戯っぽく舌をちょろっと出す。それが僕の癇に障った。
「ほう、言うじゃないか椿。じゃあ今夜、僕と勝負しろ。オセロ、花札、トランプの三本勝負だ」
「いいよ。春樹の自尊心を粉々に砕いてしまわないかが心配だけどね!」
僕の口角がグニャリと上がる。
いい度胸だ、この野郎! 二度と生意気な口をきけなくしてやるっ!
……補足すると、その夜、僕は妹に完敗することになるのだ。
思い出話は以上。
僕は散々馬鹿にしてきた妹に騙され優しくされ打ちのめされた。誕生日で得たものより、失ったもののほうが多いんじゃないかと思うほどだ。あの日から僕は、馬鹿だけど賢い妹に、兄の立場を脅かされながら接している。椿のほうは相変わらず生意気だ。
僕が嫌がらせの原因となった体育祭でのリレーは、まあ、それなりに良い結果に終わった。
それからあの事件を機に、僕と加賀屋の仲は急速に良くなった。今では気兼ねなく会話できる男子、といえば僕にはこいつしかいない。
……そうだ、個人的に嫌なことがもうひとつあった。僕が、加賀屋に『火嫌井』の正体を打ち明けようとしない最も大きな要因。
加賀屋のやつ、謎の美少女『火嫌井』に慕情を抱いてしまっているらしい……。
ありがとうございました。
私が最もはじめに書いた小説がこれなんです。内容は悪くても、思い入れのある話です。




