五.誕生日プレゼントは
前回の続きです。解決編その一。
五月三日火曜日。祝日。僕の誕生日。そして最後になるかもしれない一連の放火事件の予告日。
九時頃に起床すると、両親は休日なのにも関わらず仕事に出掛けていたのだけど、『誕生日おめでとう』と書き置きがしてあった。それから朝食をとり、支度を始め、僕は外に出た。起きた頃から姿が見えないから、椿は出かけているらしい。
目的地は坂月市立第一中学校。僕の家からはそれなりに距離があるので、バスを使った。なんだかあほらしい気持ちになりながら、駄賃を払ってバスを降りた。
校門が開いていたから、不法侵入のような気がするけどそこから入った。校内の人の目を気にしながら、僕は体育倉庫を探す。そこまでいけばこの事件についてわかるはずだ。
校内をぐるっと一周してから、やっと体育倉庫らしきものを見つけた。見る限り、その近くに異常はないし、誰もいなかった。
いや……。僕はあるものを見つけた。
僕はかがんで地面に落ちていたそれを拾い上げる。僕はこれと似たものをすでに三枚持っている。言わずもがな、予告日の書かれたプレートだ。
最後の暗号はアルファベットのみ。『BKDUXNL』。僕はそれに目をやったまま、声を大にして言う。
「隠れん坊はお終いだぜ、椿」
短い間のあと、案の定体育倉庫の陰から僕の妹、花川椿が丈の長い白いスカートを揺らしながら現れた。彼女の表情から、後ろめたさなどは感じない。テレビを観ているときみたいに落ち着いている。
「どうしてわたしがいるってわかったの? わたしがここに隠れるのを見てた?」
「いや。そんなことをするまでもなくわかるに決まっているだろう。――この連続放火事件を仕組んだのがお前なのだから」
椿は小さく口角をあげただけで何も言わない。
「僕より先に家を出たのは、ここで僕を待つためなんだろ?」
頷きもしないし、否定もしない。どうともとれない微妙な笑み……いや、僕はこいつの兄をやって十四年になるのだ。僕にはわかる。この顔は喜んでいるのだ。それも、普段感じることのできない大きな喜びに溢れている。それを必死に抑えている。
「聞きたいなあ、春樹の推理。春樹も言いたいよね、自分の推理。じゃあ、椿先生がそれを添削してあげましょう。肯定否定はそのあと」
お前がここにこうして僕の前に立ちふさがっているってことが証拠になるんじゃないか。
……まあいいか。聞かせてあげようじゃないか、僕の推理を。
「始めに大切なことを。椿、お前は火をつけてはいない」
椿は芝居がかった様子で首を傾げる。
「ん、じゃあ、わたしは何をした人なの? 放火事件の犯人じゃないの?」
僕は彼女の言葉を訂正する。
「違う。お前はあくまで『連続』放火事件の犯人」
「ちゃんと説明して頂戴」
一呼吸置いてから、僕は話し出した。
「実際には連続放火事件は起きていない。僕が直接関わった第三中でのボヤ以外はどれも偽物だ。お前は、他の学校で放火事件が起きたように見せかけたんだ」
「見せかけた? その根拠は?」
少し頭の中を整理する。久しぶりに探偵の真似事をしたから、頭がなまっているらしい。
「そうだな。連続放火事件が実際に存在していたとしたら、気になる点がある。……間隔だ。第四中と第三中の間が五か月なのに対して、第三中から第一中までが集中しすぎている。不自然なほど」
「んー、無視できる範囲内だと思うけど」
「そうか。じゃあこれはどうだ。先日、第四中に通っていたという人に訊ねてみた。『第四中で、本当にボヤは起きたのか』って。相手ははっきりと首を横に振ったよ」
椿は口を尖らせた。
「初めからそれを言えばいいのに。でも、春樹にそんなことを聞ける知り合いがいたとは予想外」
別に僕は友達が少ないってだけで、誰とも話せないわけじゃない。
「いちおう、第二中にも出向いて話を伺ってきたよ。向こうの人に、『何馬鹿なことを言っているんだ』って顔をされた」
「ふふ、それは恥ずかしかったんじゃない?」
他人事だと思いやがって。
「僕を事件現場に行かせないために、僕の予定と第二中の予告日を重なるようにしたんだろ?」
「ははあ、それじゃあみさぎもわたしの共犯者ってことになるのかな」
頷く。ニッと白い歯を見せて笑みを浮かべる彼女の顔が脳内によみがえる。
「ああ、そうだ。みさぎさんの立ち回りがお前に似ていたしな。やけに僕をサポートしてくれていた」
「ちょ、ちょっと待って」
慌てたような様子を見せる妹。
「えっと、どうして春樹が『みさぎさん』って呼んでるのかな?」
「……はあ?」
「だから、どうして春樹がみさぎのことを、下の名前で呼んでるのかって」
「……ああー」
理解するのに五秒はかかった。つまり。
「みさぎって苗字じゃないのか?」
「今更っ?」
椿は本気で驚いているらしい。
「呆れた。みさぎにも春樹にも。みさぎのフルネームは明日みさぎ。みさぎなんて苗字、そうそうあるものじゃないでしょ?」
いや、明日も十分珍しいと思うが……。
「確かにみさぎは活発そうな子で一部の男子には人気だけど、だからって妹の友達に手を出すのはどうかと思うよ? 一定の距離を保ってほしいな。とにかく、これ以上仲が良くなるのは禁止ー」
安心しろ、多分今回限りだ。
「まあ、こんなことどうでもいいだろう。話を戻すぞ。……えっと、どこまで話したか。みさぎさん――彼女が共犯者だったところだっけか」
「うわ、この期に及んでまだ『みさぎさん』って呼んでる。しかも『彼女』だって」
それは代名詞だ。
閑話休題、今度こそ話を戻す。
「椿とみさぎさんのターゲットは初めから僕ひとりだ。僕に連続放火事件が起きたと錯覚させることが、お前たちの目的のひとつだった。考えてみれば不自然なところもあるんだよな。例えば、一度もスポーツ用具の正確な名前が出てこなかったこと。おかしくないか? みんながみんな、揃いも揃ってスポーツ用具と呼ぶ。僕から聞いた話だから、それに合わせるためにそうなったんだろ?」
ちなみに、第三中で実際に燃やされたスポーツ用具の名前はミニハードルというらしい。陸上部がよく使っているやつだ。
「ふうん。ここまではまあ、ちゃんと筋は通っているわ。じゃあ、春樹。最終問題ね」
最終問題、か。椿はもう、自分が犯人だと認めたようなものだ。
椿がフィンガースナップをして、パチンと指を鳴らす。彼女の眼差しが、さっきまでと違って強くなった。挑戦的な瞳だ。ここからが、山場。
「みさぎがわたしの仲間だとしましょう。そして春樹を騙すことがわたしたちの目的だとしましょう。でも、一番わからないのは動機だよね。連続放火事件――ふふ、そうじゃなくて、連続放火自演かな――の犯人であるわたしたちが、そこまでする目的はいったいなんなの?」
「…………」
僕の表情に陰が射したのに気づいたのか、椿が眉間にしわを寄せた。
「どうしたの? もしかして……わからないとか?」
「あー……」
阿呆っぽい声をのどから出して、僕は最後にはうんと頷いた。
椿がため息をつく。
「そうかあ。だって春樹だもんね。折角いいところまでいっていたのに惜しいなあ。ここまでの春樹の答えは全て正解なんだけど、わからないって言うのなら、仕方がないから教えてあげる。わたしの動機」
「わたしってことはみさぎさんはお前の協力者ってことでいいのか」
「うん。みさぎはカタチ的には共犯者だけど、彼女はボランティア。今度ごはんを食べに行くって条件でわたしを手伝ってくれただけだし。――さて、それでは最終問題、模範解答です」
椿はゆっくりと腕を上げて、僕の右手を指差した。
「その暗号。みさぎにとぼけるように頼んだけど、もちろんアルファベットが何の意味もなさないわけじゃない。今までの数字を除いた暗号、『KDSS』『BELU』『WKGD』、そしてこの『BKDUXNL』を、つなげて並べる」
「でもそれだけじゃあ、なんのことかわからないんだ」
「うん。これはシーザー暗号なんだけど、知ってるかな?」
首肯する。
シーザー暗号とは、ある文章の文字を、鍵の数だけずらして作る暗号文のことだ。例えば『へいお』というシーザー暗号があったとする。これを、ある決まった数だけ五十音順にそってずらしてみる。この場合は一文字分。『へ』が『ほ』になり、『い』が『う』にする要領だ。『へいお』という意味のわからないひらがなから、『ほうか(放火)』という言葉が出てくる。
ただ、今回はアルファベットだ。アルファベット順でずらすのだろう。
椿が言う。
「知ってるんなら手っ取り早いね。この場合の鍵は三――三という数字に特に意味はないよ。強いて言うなら、春樹が最近デートした楢さんの下の名前が『卯月』だったから。ほら、卯月って三月でしょう?」
どうでもいいことだけど、楢の珍しい下の名前は彼女の誕生月に由来しているのだ。
「ここまでくればわかるでしょう?」
「先生なら、最後まで説明してくれ」
「ふふ、仕方ないなー」
椿の言葉は嫌々仕方なく、といった調子だけど、それとは裏腹に彼女の顔はほころんでいた。言いたくないわけではないらしい。むしろ、自分から言いたいのだろう。だって折角のフィナーレなのだし。
文字を戻すとこうなる、と言い、間を置いてから椿はその言葉を口にする。
「HAPPY BIRTHDAY HARUKI」
「誕生日おめでとう、春樹」
「どうも」
改まって言われると、気恥ずかしい。
「この連続放火自演は、わたしからの誕生日プレゼント。春樹は自分では『巻き込まれただけ』とか言って、探偵ごっこに否定的だけど、傍から見たら十分楽しそうにしていたからね。少なくともわたしから見れば。だから、最近ダウン気味の春樹に、わたしが事件をプレゼントしてあげたわけ。別に事件だったらいいわけだから、放火じゃなくても良かったんだけどね」
認めたくはないけれど、この探偵ごっこを全くの面倒事だと思っていたのなら、こんなしなくてもいい連続放火事件の調査を初めからしたりはしないだろう。椿の言うことは案外正しいのかもしれない。
「しかし、この一大イベントさ、僕が途中で調査をやめたりしたらどうするつもりだったんだ」
「そこは不安だったけれど、ギブアップしないように励ましたり、念を押したりしたし……。暗号も適度に簡単にしたし」
それからぼそっと、「春樹も見抜いていたし」と彼女は付け加えた。ギクリとした。
「は? 暗号の答えを話したのはお前じゃないか。僕はわからないって答えたんだぜ」
椿は待ってましたとばかりに言い返す。
「それは春樹の作戦なんでしょう? わたしに『誕生日おめでとう』と言わせるための浅知恵。わたしが犯人だって確信したのは暗号の答えを見抜いていたからなのだろうし。春樹の考えくらいお見通しなのよー」
「…………」
その通りだから言い返せないのが辛い。
「でもまあ、椿先生は優しいから、その気配りに免じて及第点はあげましょう」
そりゃどうも。
「そうだ、椿。忘れるところだった。確かめたいことがある」
「なあに」
「加賀屋蓮についてだ」
今まで余裕だった椿の表情に、少しだけ焦りの色が見えた。
続きます。




