三.ミサギ
前回の続きです。
翌日。四月二五日月曜日。
椿の口車にうまく乗せられてしまったような気がするが、それでもいちおう、調査をしてみることにした。昨年まではうるさい先輩がいてくれたが、今回はひとりだ。
――あ、いや、ひとりではない。昨日、椿に「手伝ってくれないか」と頼むと、快く了承してくれた。その代わりに、
「もし、できるところまでやらなかったときは、わたしの言うことをなんでも聞いてもらうからね」
だそうだ。ちょっと七面倒な賭けをしてしまったような気がする。
手始めに第四中にいたという椿の友達に話を伺うことにした。彼女は『みさぎ』というらしい。僕の幼馴染に『真鈴』というのがいたが、それと同じくらい変わった姓だ。
椿からは既に話を通してくれたそうだ。一時間目が終わって彼女のいる教室に向かった。同じ学年の他クラスに入るだけでも度胸がいるのに、違う学年の教室を尋ねるというのは多少煩わしい気持ちになる。
幸運なことに、僕は下の学年の怪しむような視線を受けることなく済んだ。僕が椿とみさぎさんの教室を覗こうとすると、後ろから声をかけられた。
「花川春樹さんですか?」
僕の名前を知ってるとは怪しい者め、と振り向くと、ショートヘアで少しつり目の、見るからに活発そうな女子生徒が立っていた。
「そうだけど。もしかしてあなたがみさぎさん?」
「ええ、うちがみさぎです。椿さんにはいつもお世話になっています」
そう言って、軽く頭を下げた。礼儀正しい娘なのだろう。椿に彼女の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「いえいえ、こちらこそうちの妹がお世話に――というか、迷惑かけているでしょう、すみません」
「ははは、楽しいから別に構いませんよ」
……迷惑はかけているらしい。
「本当にすみません」
「いやいや、頭を上げてくださいよ、花川のお兄さん」
互いに頭を下げあう僕たちのやりとりを横目に二年生たちがわきを通り過ぎていく。別にみさぎさんは気にしてないみたいなので場所を変えようとは言い出さないが。
みさぎさんはニッとはにかむ。
「椿ちゃんから聞きました。ボヤ騒ぎのこと、調べているんですよね。それと第四中のボヤが関係しているんじゃないかとも思ってる」
「予言――というか、予告か――ってのが本当だったらな。それでさ」
「もう一部では有名になってますよ。金曜日のこと。土曜日には警察官とかも来ていたらしいですね。知ってましたか?」
「ああ、それは椿から聞い」
「そうそう、事件の予言の件でしたね。ちゃーんと持ってきましたよ。ずっと放っておいていたので、どこにあったのかちょっと探しましたけど」
礼儀正しいのはいい。だけど、僕の言葉を途中で遮るな。どれだけ喋りたいんだ。
これが第四中のボヤ現場に落ちていたんです、と言って、みさぎさんはスカートのポケットから長方形をした小さく薄い――例えるなら、ネームプレートのような――ものを僕に差し出した。プラスティック製だ。僕はそれをためつすがめつする。片面に、意味のわからない文字が並んでいた。――『0K4D2S2S』。
「これは、暗号……って認識でいいんだよな」
僕が確認すると、みさぎさんは大げさに驚いてみせた。
「やや! これはこれは花川のお兄さん、類まれなる慧眼をお持ちで!」
変わった褒め方をする。なぜだか全く嬉しくない。
「というか、これが暗号じゃないわけがないと思うんだけど」
「言われてみればそうですね」
平然と言う彼女。それから、ぐっと僕に顔を近づけてきた。この娘、随分パーソナルスペースが狭い。
「解けますか」
僕をじっと見つめる双眸から目をそらす。恥ずかしいというわけではなく、プレートに目をやるためだ。
「みさぎさんは解けたのか?」
「ええ、まあ。でも、椿ちゃんに花川のお兄さんに解かせてあげてと言いつけられているので」
「そうなのか」
少し考えてから、僕は口を開いた。
「金曜日は何日だったっけ」
「四月二二日ですね」
「……ならわかった。五割だけだが」
「ほう」
僕は彼女に説明する。
考えるまでもなかった。アルファベットを除けば、自然とこの日付が浮かび上がってくるのだ。0422。つまり四月二十二日。第三中で起きたボヤ騒ぎの日だ。これが『予言』なのだろう。
「うちと同じ考えですね。それでは花川のお兄さん。省いたアルファベットはどんな意味があるとお思いですか?」
「だから五割だけと言っただろ。数字だけしかわからない。……みさぎさんはわかっているのか?」
尋ねると、彼女は歯を出して笑ってみせた。
「実はうちもまだわからないままなんです。だから、そのアルファベットは『暗号をわかりにくくするためのダミー』ってことで勝手に納得しちゃいました」
そうなのか……。
「単なる思いつきだけど、数字が日付を示しているのなら、アルファベットは場所、とか」
「ははあ。つまり、『KDSS』は第三中学校を指す何かしらだと」
「そうだな」
さっぱりわからないが。
「このプレート、しばらくの間借りてもいいか」
「どうぞどうぞ。事件が解決してから返してくれればいいですよ」
「……解決したらもう必要ないんじゃないのか、これ」
「ははは、言われてみればそうです。では、こうしましょう。花川のお兄さんが事件を諦めたら返してください。その時にのみ受け取ってあげます。そしてたっぷり軽蔑させてもらいます」
「それはなんか嫌だなあ」
「では諦めなければいいのですよ」
いちおう礼を言ってポケットにしまった。
「諦めるつもりは今のところないし、あとでもう一度体育倉庫の近くに行ってみるつもりだけど、これだけの情報ではとても犯人までは辿り着けない。せめてこれがあと二、三ぐらい続く連続放火だったら話は別なんだが」
弱気に呟く。すると、みさぎさんはきょとんとした顔をした。
「あれ、言ってませんでした?」
「なにを」
「うち、今朝に、もしかしたら落ちているかと思って、体育倉庫の近くまで行ってみたんです。そしたら案の定、例のプレートが落ちていました」
ほら、と言って彼女はまたポケットから先ほどと似たようなものを取り出した。――そういう大切なことを忘れるなよ!
「お詫びにこれも差し上げますからそんなにきつい目をしないでくださいな」
目つきを悪くした覚えはないのだけど、それでも素直に受け取っておく。今度のも同じように文字が記されている。――『0B4E3L0U』。
「先と同じ解き方をすれば、次の事件が起きるのは四月三〇日。一年先ってわけじゃないのならば、五日後だな」
今度はやけに間隔が近い。この日付設定には何か意味があるのだろうか?
「しかし、日付がわかっても、次に事件が起きる場所がわからなければ、どうしようもないな。どうせどこかの学校なのだろうけどさ」
「極めて短絡的で直接的な考え方ですけど、坂月市立第二中学校はどうですか?」
……。
「第四中、第三中と続いたから次は第二中だと?」
「はい。でも、結構良い線いってると思うんですけどね我ながら」
さらにみさぎさんは、花川のお兄さんが暗号を解けないのなら一番の候補じゃないですか、と付け加えた。
悔しいが……、なんだか僕もその勘があたっているような気がしてきた。
「それなら、次、おそらく火がつけられるのは、四月三〇日に第二中で、だな」
「多分、また体育倉庫の近くなんでしょうね」
「そう、かもな」
曖昧に肯定する。まだ確信はない。ここから火を放つ標的を大きく変えてくるかもしれない。そもそも、次に起きるのが放火だと決まったわけでもないし、犯人が突然、犯罪を犯す気をなくしてしまうかもしれない。
そろそろチャイムが鳴るころだ。僕は最後にみさぎさんに尋ねてみた。
「なあ、みさぎさん。よかったら放課後に」
「デートですか? お断りします」
「どのあたりにプレートが落ちていたとか教えてくれないか」
軽口は無視した。
「まあ、それでしたらいくらでも付き合いますよ」
「それに、第四中のこととかもっと聞いておきたいしな」
「ははあ、前の学校での、うちの異性との交流関係を探ろうってわけですか?」
「話を聞かせてくれてありがとうな、僕は戻る」
それでも軽口は無視した。
藪から棒だけど、僕は嫌がらせを受けている。
金曜日の上靴の落書きなどもそのひとつだ。本人は隠しているつもりだろうが、犯人ははっきりわかっている。同じクラスの加賀屋蓮という男子生徒だ。
腕っぷしの強さならクラスでも一、二を争うほどの体格と、運動神経を持つ。体が大きいくせに足も速い。陸上部所属。期待の新人だそうだ。全く羨ましい限りである。
嫌がらせといっても、机に落書きがされていたり、私物が隠されたりするくらいだ。今のところ一番酷かったのは椅子に画鋲が仕組まれていたくらいで、一昔前のドラマにあった、トイレの個室で上から水をかけられる、朝登校すると机上に菊の花が供えられているというあからさまないじめは受けていない。
そもそも相手は単独犯みたいだし、注意していれば回避は容易だったりする。
動機は、嫌がらせが始まった時期から推測できる。
一ヶ月後の体育祭の目玉競技、スウェーデンリレーの枠を僕が図らずも奪ってしまったからだ。クラスで短距離のタイムが速い人から順に選抜されるのだが、僕は惜しいところで漏れてしまった。だけど、クラス一位の加賀屋が足を骨折をしてしまい、僕が代わりに駆り出された。加賀屋はそれを恨んでいるのだ。
そんなわけで僕は悪くない。運悪く貧乏くじを引いてしまったわけだ。嫌がらせの仕返しをしようたって、松葉杖をついている人間にするのも大人げないし、クラスの空気が悪くなるのも嫌だから僕は黙って彼の気が済むまで耐えているのだ。
「おい、花川」
放課後が始まり、教室を出ていこうとする僕を、加賀屋が呼び止めた。
「なに? 僕はこれから用事があるから忙しいんだけど」
いくら相手の体つきがよかろうが、初めから弱気でいるわけにはいかない。少し強い口調で言い放った。
「あ、いや、その、なんだな……」
対照的に、加賀屋の口調はいつもよりどこか弱弱しかった。それも相まって、僕はさらに勢いづく。
「早く言えって」
「…………」
加賀屋は何かをためらっているようにも見えたが、僕はみさぎさんとの約束があって構ってられない。
やがて加賀屋は、
「……やっぱりいい。今度言う」
両脇に挟んだ松葉杖をコツンコツンと鳴らしながら彼はきびすを返して、僕から離れていった。ぶらりと下がったギプスの左足を一瞥してから、僕はバッグを肩にかけなおし、みさぎさんのクラスへと向かった。
先週は非常事態だったため、上靴でグラウンドに侵入したが、今日は違う。ボヤ現場はグラウンドの隅といっても土の上、外靴に履き替えないといけない。
下側室を出てすぐに、彼女の、背景から浮かび上がるくらい真っ白なスポーツシューズに目がいった。
「みさぎさんはそのスポーツシューズで登下校しているのか?」
「いえ、これはおニューですので、今日が初です。安物ですが。でもまあ、買い換える前もいつもスポーツシューズでしたけどね」
「じゃあ、みさぎさんは運動系の部活動に入ってるんだな」
みさぎさんはなぜか少し考えたあと、はにかんだ。
「それでは当ててみてください、うちが何部なのか」
勝負か。受けてたとう。
グラウンド方向に進みながら答える。
「陸上部」
「ぶっぶー」
「テニス部」
「はずれー」
「ハンドボール部」
「違いますー」
一、二分して、体育倉庫近くの現場に辿り着くころには、思いつく限りの運動系部活動を言い並べ終えた。だけど当らないとはどういうことか。
「ギブアップだ、わからん」
「ははは、まだまだですね。正解、知りたいですか」
「そりゃ、まあ、問題を出されたからにはな」
正解はですね、と一拍置いてから、みさぎさんはそれを口にした。
「……吹奏楽部です」
なんだと。
みさぎさんは悪戯が成功した子どものように、無邪気に笑った。
「ははは、良いですねえ、その間抜け――じゃなくて、驚いた顔。うち、運動部だってこと、肯定してませんから。まんまと騙されましたね花川のお兄さん」
うわあ、なんか悔しい。
さて、と。みさぎさんは手をパンっと叩いた。
「はい、雑談はここまでです。今はこっちの話の方をしましょ」
言ってみさぎさんはいくつもの足跡で凸凹になった地面を指さした。彼女の言う通りだな。今は部活ではなく、放火の話。そうじゃないとなんのためにここに来たのかがわからない。
「プレートがどのあたりに落ちていたか、教えてくれるか」
「んー、そうですね……」
下唇に人差し指を持ってきて、彼女は周りを見渡す。やがて、ちょっと離れた場所にまでぴょんぴょんと跳ねていった。ボヤ現場よりも学校のフェンスに近い場所だ。
「このあたりですね」
「ふむ……。そのあたりに目を全くやっていなかったから、気づかなくても当然といえば当然だな。……ん?」
「どうしたんですか、花川のお兄さん」
「……いや、何でもない」
足跡を見つけた。みさぎさんの方向から、ボヤ現場まで向かう足跡。固まっているから、金曜日にできたものだろう。ただ変わっている点がひとつ。片足しかないのだ。右足の靴跡が、一定の間隔をおいてボヤ現場までを往復している。もう少しよく見てみると、丸い何かで押されたような跡も発見した。ひとつの足跡につき二つずつ、足跡の右斜め前と左斜め前に残っている。なんだろうか、これは。靴の種類はよくあるスニーカーだ。
「だからどうしたんですかー」
気づけば、みさぎさんが思案する僕の顔を覗き込んでいた。はっと我に返る。
「そういえば、第四中のはどれほどの規模だったんだ」
「そうですね、多分、今回のと同じくらいだったと思いますよ。うちが野次馬として駆けつけた時には火は消えてましたし。地方紙にも乗らないほどですからねえ」
あ、話は変わりますけど提案があるんです、と彼女が手を叩く。
「うち、花川のお兄さんの心意気が気に入りました」
「そりゃどうも」
あまり見せてないと思うのだが。
みさぎさんは手を胸に当てる。
「そんなわけで、うちに何かお手伝いをさせて欲しいんです。だから次の土曜日、第二中に一日張り込みに行ってあげましょう!」
「いや、いい」
即答した。
「なっ……。人の恩情をこんなにもあっさり無下にするなんて!」
「いくらなんでも、妹の友達をこき使うわけにはいかないだろ。僕が興味本意で調べていることだしな」
しかしみさぎさんは食い下がる。
「大丈夫ですよ。実をいうと、次の土曜日はクラブの合同練習で、第二中に行くんです。あくまでそのついで、ということなら、花川のお兄さんも気を使いませんよね。任せてください。うち、できます!」
そのやる気はどこから来るのかと思ったが、そうか、僕が無意識のうちに心意気とかいうやつを見せていたんだっけ。
「だけどな、犯人がどんな奴かわからないんだ、危ないぞー」
「大丈夫です。うちがどんなに強いか花川さんは知らないだけです。学校一の怪力、加賀屋蓮を陰ながら師と仰いでいるくらいですよ?」
その名前が出たことに驚いた。
「加賀屋のこと、知ってるのか」
「ええまあ。それなりに有名ですし、それに彼も第四中から転入してきましたからね」
「え、まじ?」
あいつ、転校生だったのか……? いつぐらいにこっちに来たのだろう。もしかすると、第四中の放火について何か知ってるかもしれない。
「話を戻しますけど、張り込み、うちに任せてくれますか?」
「でもなあ」
思案する。みさぎさんはこんなに溌剌としているけれど、女の子だ。だが……頷くまで食い下がってくるんだろうなあ……。どうしようか。
さらに十秒ほど迷ってから、僕は言った。
「やっぱり任せはしない。それでもみさぎさんが行くというのなら、僕もついて行く」
「お堅いですねー、花川のお兄さん」
そう言って彼女は口を尖らせる。
「はあ。まあ、いいですよ。それで妥協します」
だはあー、とみさぎさんは盛大にため息をついた。意味が分からない。
「でも春樹、その日はデートの約束があるんじゃなかったっけ?」
ちょっとした用で僕の部屋に来た椿の一言。僕の脳はそれを理解するのに数秒を要した。
「あが」
理解したら変な声が出た。
そうだった。次の土曜日は楢との約束があった。よりによって同じ日に……。うーん、どうしよう、断ろうか……。
「駄目」
僕の考えを見抜いたのか、椿が口を開いた。
「春樹は約束を守るべきだと思うね。女の子との約束を破る男は最低だよ」
「最低か」
「うん、最低だね。それに、春樹の相手をしてくれる数少ないコなんでしょう? その人を裏切るの?」
裏切っても、多分、彼女は何も言わないだろうが……。椿にここまで言われたらなあ。
「じゃあ、椿。僕の代わりに第二中に行ってくれないか。何が心配かってみさぎさんだ。彼女が危険な橋を渡らないかがすごく不安なんだよ。その点、お前ならまだ危険なことはしないだろ」
椿は腕組をして少し考える仕草をする。やがて頷いた。
「ふむ。お兄ちゃんの友達のためだと思えば仕方ないね。協力しましょう」
じゃあデート頑張ってね、と椿は手をひらひらと振り、部屋を出ていった。
そういえば最近はすっかり僕にゲームを挑まなくなったな。麻疹みたいな、一過性のものだったのだろうか。
続きます。




