二.自身に自信がある理由
前回の続きです。
「引き受けちゃったんだけどね、結局」
「だろうな」
真鈴は昔から、困っている人を放っておけないのだ。
「そういえばまだ具体的に僕にどうして欲しいのか聞いてなかったな。どうして欲しいんだ」
「堺さんを助けたい。だけど、わたしじゃあ多分足手まといになるもん。弱いから。将棋なんて、かろうじて金と銀の動きを覚えているくらいだからね。それでも最初は、堺さんに任せたら大丈夫かなあって思っていたんだけど、やっぱりわたしが最初から負けるつもりで臨むってのはよくないでしょ」
「ああ、そうだな」
「だからね、わたしの代わりにハルに頑張ってもらおうかと」
「……は?」
僕は思わず自分を指差していた。
「だって謎解きが得意で頭の良いハルだったら、将棋くらいできるんじゃないかなぁっと……思いまして」
「僕は将棋得意じゃないぞ? 駒の動きを知っているくらいで、先の手を読んだりはさっぱりだ。あと将棋に謎解きは関係なくないか」
「ホント? 謙遜とかなし?」
僕が頷くのを見て、真鈴はため息をついた。
「じゃあ、やっぱり申し訳ないけど、堺さんに頑張ってもらうしかないのかなあ。体験入部している時よく見てなかったから知らないけれど、彼女、勝負を受けたってことは腕に自信があるってことなのだろうし」
「そうだな……いや」
そこで思い出した。
「ちょっと待てよ。それは違うな」
真鈴はきょとんとする。
「どういうこと」
「堺さんは、将棋初心者だぞ」
昨日の一時間目の授業が終わったあと。
ふと隣席を見ると、堺さんが頬杖をついて、何やら考え込んでいる様子だった。
「どうした、憂い顔なんかして」
すると彼女は眼鏡の奥の瞳だけをこちらに向けてきた。流し目のようになる。
「花川さん。私、悩んでいるんです」
「それはなんとなくわかっているけど」
「花川さん」
もう一度僕の名前を呼んで、体をこちらに向けてきた。
「将棋というボードゲームを知ってますか」
「……」
何言ってるんだ、この人は……。
「どうしたんですか、『何言ってるんだ、この人は……』と顔に書いてありますよ」
そんなわけあるか! と言いたいところだけど、当たっていたのだからそう言えない。
「知っているんでしたら、私と何戦かお相手していただけないでしょうか。私、まだ将棋のルールを完全に把握しているわけではないんです……」
「はあ。まあ、それくらいだったらいいけれど。でも、将棋盤とかあるのか?」
「今はないですけど――花川さん、今晩空いてますか」
「へ?」
え、なに、もしかして堺さんの家にお邪魔できたりするパターンですか!
「……空いているけれど」
いつ以来だろう。心臓が高鳴っているぞ。
「では」
堺さんが言う。
「インターネットのゲームでしましょ。オンラインですから、離れていてもできます」
……ズコーっとこけたい気分だった。
変に期待して損した。
「あ」
堺さんがスカートのポケットからケータイを取り出した。
「電話番号を知らないと色々と不便ですよね。連絡先、交換しませんか?」
「……お、おう」
その日、僕のスカスカの電話帳が少しだけ埋まった。
「堺さんしっかりしてるんだぜ? 赤外線でもらったプロフィール見たら住所から生年月日まで細かく記載されているんだ」
回想を終えてから、僕はそう言った。
「だからってやましい理由で家に訪ねていったりしたらわたしが容赦ないからね」
「やましい理由ってなんだよ」
「堺さんのおうちに行けると思っただけでドキドキする人だもの、しーらない」
ふんっと目を背ける真鈴。
閑話休題、話を戻す。
「堺さん、上達早いなあ。昨日は四回対局したんだが、その四回目で負けてしまった。まあ、僕があからさまなミスをしてしまったのもあるんだけど」
ただ、将棋部が相手となったら、ミスを期待することはできないだろう。
「でもそれじゃあ、勝てないよね。どうする気なんだろ。やっぱり、ハル、駄目?」
そう上目遣いに問うてこられても。
「僕と真鈴だったら実力は五十歩百歩だろ。むしろ僕よりしっかりしているお前のほうがミスは少ないだろうに」
「お褒めにあずかり光栄だけど、ハルが将棋をしたくないだけだよね」
「それもあるけれど、事実は事実だ。それは多分、堺さんもわかってるだろうさ」
「じゃあさ、ハルの知り合いに、将棋の強い人は……」
僕より強い人でいいのであれば、僕の妹や、八組の楢卯月というやつがいるけれど。
「しかし、相手は堺さんと真鈴のペアだからその条件に乗ったんだろ? 僕とかが代わったら駄目じゃないのか」
「そうかあ……」
真鈴が軽く腕組みをしてうなり始めた。何か考えているらしい。やがて、ポツリと呟いた。
「うーん、ちょっと意味わかんないや……」
「ピンチヒッター禁止だってことか?」
「ううん、そうじゃなくて――堺さんの自信は一体どこから来るんだろうってこと」
「自身に自信のある理由が何かあるんだろうな」
「その洒落は聞き流すけれど、何も策が無いわけないってのは本当だろうね」
ふむ。
ちょっと考えてみる。
「僕が好きなミステリをここに持ってくるのなら、実は堺さんは双子で、その片割れがとても将棋が強いから、こっそりすり替わる的な?」
「あほらし……」
呆れたように嘆息してそう言われた。ちょっと頭にきた。
「じゃあもう努力して腕を上げたってことくらいしかないだろ」
「そうかもしれないね……」
いい加減にそう返された。
「まあなあ」
僕は腕を組んで言う。
「平手戦じゃないみたいだし、まだ勝機はあるさ」
「平手戦?」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべる真鈴に説明する。
「将棋で使われるハンデで、駒落ちっていうのがある。力の差があるときに、上手は自分のいくつかの駒を最初から取り除いてスタートするんだ。将棋部の部長が言っていただろ」
「じゃあ、平手戦というのは、駒が揃った状態のことを言うんだね」
「そうだ」
真鈴は少し考えるようにして、
「でも、堺さん、断ってたよ、確か。『先攻後攻を決められるだけで十分です』だって」
なんと。
僕は堺さんの顔を思い浮かべながら言う。
「彼女、中々の自信家だったんだなあ。それとも公平な勝負をしたいってことなのか。……まあ、きっと勝てるさ。なんたってあの堺さんだからな」
あくまで楽天家っぽく話す僕をよそに、真鈴は窓の外を見ながら、
「そうだといいんだけど」
と沈んだ声で返すのだった。
さっきもちらりと漏らしたけれど、僕には妹がいる。花川椿、一歳下の中学三年生。
黒くて長いくせっ毛で、
口がうるさくてどこか真鈴に似ていて、
馬鹿だけど僕より頭の良い奴。
その夜、多少は堺さんのことを気にしていた僕は、ちょっとした用で部屋にやってきた椿に、その件について話してみることにした。
「春樹」
話を聞き終えると、正座のまま、椿は薄い笑みを浮かべた。呼び捨てはいつものことだ。――僕には分かる。これは、何か真実を見抜いたときに見せる満足感に満ちた表情だ。兄の僕ならわかる。間違いない。
妹は小さな口を開いた。
つばを飲み込む。
「――ははっ! 春樹に友達っていたんだね! 嘘みたい!」
……違った、吹き出しやがった。どうやら僕はまだまだこいつのことを知らないらしい。
「春樹に……友達! ああ、おかしいっ」
まだ笑っている。品性の欠片もない。
「目に涙を浮かべる程のことじゃないだろ?」
どうやら笑いが少し収まってきたようだ。
「だって春樹、中学時代の友達の数覚えてる? 零人だよ零人!」
「それはいくらなんでも言い過ぎだぞ。友人が少なかったのは事実だけど、少なくとも胸を張って友達と呼べるやつはいた」
「加賀屋さんは中学三年生の春の終わり頃からでしょ、それまではいなかったじゃない」
まあ、確かにそうだが。そして加賀屋と友達になれたのはこいつのおかげでもあった。
「そもそもどうしてお前が僕の交友関係を把握してるんだ」
「わたしの力を舐めてもらっては困りますぅ」
口を尖らせる椿。言動がいちいち子供っぽいけれど、僕より確かに賢いのだ。
「でも、よかったよね。あやめさんと偶然同じ高校に行けて」
どうして椿が真鈴を知ってるのかと思ったけれど、そういえば昔、何度も家に来たことがあった。
「その、告白された娘――」
「堺さんだ」
「堺さんというのはどんな人?」
どんな人。
「誰に対しても丁寧語。献身的。真面目で、成績も良い。こんな僕に話しかけてくれるような優しい人」
「そういう人に限って裏の顔があるんだよ。気をつけてね春樹」
ははは、まさか。
「でもわたしは内面じゃなくて、そのイイコちゃんの外見の特徴が知りたいな」
外見? どうしてそんなことを知る必要があるのだろう。面倒だから訊かないけれど。
「眼鏡。髪が長い。黒髪。顔立ちが良い」
「髪型は?」
「いつも、普通に下ろしてるだけだけど」
「眼鏡の色は」
「黒縁だ。というかしつこいぞ、椿。それが今回の件と関係あるのか?」
「いやいや、意味はないよ。なんとなく」
ほら、訊いてみたらこの反応。訊かなきゃよかった。
さてと、とひとつ頷く妹。散々兄を馬鹿にして満足し、やっと真面目に会話する気になったらしい。
「うん、イイコちゃんを助ける方法ならあるよー」
なんと。
それでもいちおう確かめてみる。
「腕をあげる以外にか?」
「もちろん」
にこっと椿は笑う。
僕は居住まいを正して、椿を見据える。
「どうかこの愚か者めにご教授ください」
「んー。でもねえ。説明が面倒だし。それにわたし、みさぎと電話する約束があるし」
『みさぎ』というのはこいつの友達のことだ。
「多分、そのイイコちゃんはわかってると思うよ、その方法。大丈夫だって、彼女に任せればいいさ。あやめさんの協力が必要不可欠だから、いずれ話してくれるんじゃないかな」
椿はおもむろに立ち上がる。
「もし失敗して、イイコちゃんが負けちゃった場合は……そうだね、わたしが喜んでそのデートをぶっ壊してあげる」
たまに乱暴な言葉使いをするのはいつものことだけど、椿はそれを実際にやってのけるかもしれないから怖いのだ。
「あと春樹。わたしのこと、あまり人に話さないで。お願い」
何を警戒しているのかは知らないが、お前のことなど進んで話したりはしない。
「あ、そうだ」
部屋を出て行く際、椿は人差し指で空中に四角形を描いて、一言残していった。
「念のためにこれを準備しておくことをおすすめするよ、お兄ちゃん」
続きます。




