二.勘違いも甚だしい!
前回の続き。解決編。
まずは校内を巡ってみることにした。五時間目の目撃証言やお守りを探すヒントが何か得られないかと思い立ったわけだ。
でもまあ、結果は予想通りだった。
そもそも放課後が始まってから小一時間が経つのでどの教室も生徒の絶対数が少ないのだ。そんな状況で証言など集められるはずがなく。
そんなわけで、再び八組に帰ってきた。みんな心なし足取りが重い。骨折り損のくたびれもうけという言葉が頭をよぎる。
全員が手近な椅子にかけたところで、真鈴が上を仰いで呟いた。
「ハルでもわからないし、これじゃあ迷宮入りかなあ」
とっさにハルが誰だか分からなかったけれど、そういえば僕のニックネームだった。駄目だ、頭が働かない。
加賀屋が諦めたように言う。
「そうだな。もう無理かもしれない。時間的にも」
「私もだんだんとそんな気がしてきました」
そのまま堺さんは僕を向いて訊いてきた。
「花川さんもギブアップですか?」
「……かもしれない」
迷ったけれど、結局そう答えた。
僕の小さなプライドが許さないし、諦めたくはない。でも、やれないことはある。自分で広めた僕が言うのもなんだけど、容疑者の範囲が広すぎるのだ。そもそも犯人はとっくに下校しているなんてこともありえる。
「ごめんね、菫咲。力になれなくて」
でしゃばるだけでしゃばって、役に立てていない僕としては耳が痛かった。
「いいって。あたしもうっちゃんの親友なのに何もできないなんてなあ」
井口はこのまま怠けていても終わらないと判断したのか、こう宣言した。
「じゃあ、あと十五分だけ待って、それでも解決口が見つからなかったら、素直にうっちゃんに告白するよ」
誰も何も言わないが、それは了解したということだろう。
「あっ」
不意に、加賀屋が五十音の先頭の音を漏らした。みんなの視線が加賀屋に集中する。
「ひとつ思いついた。お守りはまだ財布の中にあるんじゃないのか?」
「どういう意味?」
「考え自体そのものを、百八十度動かしてみよう。先入観がいけないんだ。俺たちはお守りの形を知らない。お守りを失くしたと判断したのは井口だ。本人じゃない。だから、絶対に取り出せないような、例えば財布の中に埋め込まれているような形になっているんじゃないのか? それに気づかなくて、俺たちは盗まれたと勘違いした」
真鈴は記憶を探るようにして言う。
「うーん、さっき見たけど、そんな細工はなかったと思うよ?」
「そうなのか」
それでも、藁にもすがる思いというやつなのだろう、井口が財布を開いて調べ始めた。しかしやがて首を横に振った。
加賀屋案は却下か。
「わたしもひとつ思いついたことがあるんだ」
今度はみんなが真鈴を見た。
「加賀屋くんの言った、『わたしたちが盗まれたと勘違いした』がきっかけになったんだけど。じゃあ、考え方を、そこから更に百八十度回してみるんだよ」
「それだと一回転しちまうぞ」
水を差さないでくれるかな、と真鈴が僕を睨む。
「で、なんなんだ。早く言ってくれ」
こほん、と芝居がかったせきをしてから、真鈴は言った。
「お守りはもしかして、財布そのものなんじゃないかな。だって、その菫咲のお友達はただ財布を叩いただけだもの。何も中にあるとは言っていないんでしょ」
「ん……。確かにそうだ」
「すみません、真鈴さん。反論いいですか?」
井口が納得しかけたところに、堺さんが控えめに手を上げた。真鈴が目で先を促す。
「被害者さんは財布を叩くことにより、お守りを財布だと示したとしましょう。ですが、それならどうして、どんなお守りだと訊かれたときに、『あなたにも教えられない』と答えたのでしょうか。誰にも教えるつもりが毛頭ないのであれば、財布を叩いてしまうというミスはしないと思うんです」
「うう……」
真鈴は口を一文字に結んでいたけれど、やがて、
「参りました。ハルみたいにはいかないかあ」
真鈴案も却下か。
「実は私も思いついたことがあるのですが、よろしいですか?」
もちろん、発言を断る理由などない。みんなが堺さんに顔を向ける。
「百八十度はいくらなんでも動かしすぎです。ここは九十度程移動させましょう。私の思うところはですね、硬貨自体がお守りなのでは、というものです」
「ん?」
堺さんはこの指とまれをするように、人差し指を立てた。
「お守りは、何も神社で手に入るようなものじゃなくていいんです。自分がそれをよすがにすれば、それはもうお守りとして十分機能するんだと思います。そうですね――思い出深いものであったり、縁起物であったり、……割と貴重なものであったり。例えば、アメリカでいう五十セントや、日本でいう二千円札とか。あとは、記念硬貨とか」
「でもさ、さっき見ただろ? 普通のものばかりだ」
「何も貴重なものが普通とは違う形をしている必要性はないです。珍しい硬貨の中には、一見他と見分けがつきにくい、珍しいものがあります。聞いたことないですか、側面に溝がある十円玉とか、相対的に発行数が他の年に比べて少ない年に製造されたものとか」
「あー、わたしも持っているよ、ギザジュウ」
「つまりですね。その硬貨のどれかが珍しい年なら、十二分にお守りにする理由になると思うんです」
それを聞いた井口はすぐさまケータイを取り出して、何やら操作し始めた。けだしブラウザで検索をかけているのだろう。
みんながそれに望みを託しているのは知っている。もうあとがないのだから。でも僕はその時間を勿体無く感じて、つい口を滑らせてしまった。
「僕はそういう雑学には長けていないけれど、堺案は違うな」
「どうしてですか?」
「だって、そんなに大事なものならば、他の硬貨と分けておくだろう? 間違えて使ってしまったらどうするんだ」
「ああ……。そうですね」
「だろ?」
それでも、諦めきれないらしい井口は、硬貨を一枚一枚調べ始めた。
「どうだった?」
「そいつの言う通り、普通の硬貨ばっかりだな。お札の記番号のほうも、ゾロ目や階段とかになっていないし。二つ折の千円札も」
これで堺案も却下された。
みんなをあえて落胆させて楽しむというのはいくらなんでも悪趣味だろう。井口がケータイをしまったのを確認してから、間を置かずに口を開いた。
「加賀屋案を真鈴が否定し、真鈴案を堺さんが否定し、堺案を僕が否定した。だから、ここは僕が次を言うべきだろう。ここは、立体的に九十度動かして考えよう」
みんなが僕を見る。僕は頭の中を少し整理してから、話しだした。
「真鈴は知らないだろうけど、さっき僕は、加賀屋を助けるために戸締りをした状態でも、八組には侵入可能だと説明した。誰にでも侵入が可能なのだから、誰にでもお守りを盗むことができるし、先生達の証言により、五限目に廊下を出歩いていた生徒が複数人いたこともわかっている。でも、これは無理があると思う。というか、もし僕が井口の立場だった場合、納得はしなかった。まあ結果的に井口を騙したことになるのだけど、そこは謝ろう」
「いいから、早く話してくれ」
僕にしてやられたことが気に食わないらしく、ぶすっとした顔で井口が急かす。
「戸の錠が壊れていることを知っていて、被害者が誰にでも秘密であるお守りを持っていることを知っていて、さらにお守りを盗まなければならない動機を持っている人がいるだろうか?」
いや、いるはずがない、と続く。反語である。
「井口。親友だというお前でさえ今日お守りの存在を知ったばかりなのに、加賀屋がお守りを知っていると思うか?」
「……ん、まあ、知っているわけないな。というかうっちゃんと加賀屋が話しているところを見たことがない」
「あいつとは話したことがないからな」
加賀屋が返した。
「被害者がお守りの話をした時に財布を軽く叩いたのだから、お守りが財布の中に入っていると考えてまず間違いないだろう。だけど、どこにもお守りらしいものはなかった。また、お守りと呼ぶのにふさわしい、珍しい硬貨も、希なナンバーのお札もなかった。カードも珍しくもないものだ」
じゃあ、やっぱりないじゃない、と真鈴。
「珍しいものも、価値が高いものもなかった。だがこれは客観的な意見だろう? たとえ、はたから見て価値がなくても、本人から見れば、とても手放せないようなものは間違いなくある」
「記念硬貨などではなく、自分だけに価値があり、お守りにしたくなるほどのものですか。ありましたっけ?」
堺さんは小首を傾げている。
「ヒント。お守りにしているのであれば、絶対に間違えて使用したりしないようにしているはず。他よりも大事に扱っているはずだ」
井口が呟いた。
「……千円札?」
「でもあれは、普通の千円札だったよ? ねえ、加賀屋くん」
「お、おう。ナンバーもバラバラだったような気がする」
井口に財布から二つ折の千円札を抜き取るように頼む。井口はそれを明かりに透かすように上に持ち上げた。
「どこからどう見てもフツーのありふれた千円札だけど。人でいう加賀屋と同じくらいありふれているけどなあ」
「なんだと」
「なんでもない」
いや、加賀屋の厄運発動回数は他に見られないものだと思うけれど。
「それで、どこが他と違うの?」
普段の僕に人を焦らすような趣味はないはずなのだけど、どうやら今の僕は答えを求める人がいつもより多いせいか、調子に乗ってしまっているらしかった。
「それなら第二ヒント。仮に、ふとデジタル時計を目にしたとする。それが示す時間が自分の誕生日――僕の場合で例えるなら、僕の誕生日は五月三日だから――時計が五時三分を表示していたとする。そんなときは少しばかり、嬉しくならないか?」
「わたしはなるけど」
と率直に真鈴。
「ならん」
と不愛想に加賀屋。
「私も、あまり誕生日を気にしたりしませんから、申し訳ないですが、なりませんね……」
と本当に申し訳なさそうに堺さん。
「あたしは……なる」
と何故か恥ずかしそうに井口。
「だがな、春樹。そんな抽象的な説明をされたって何がなんだかわからない。究極的に、何が言いたいんだ」
僕は問いかける加賀屋から視線をずらして、井口と真鈴の二人を交互に見た。
「なると答えた二人に質問だ。もし時計が表示していた時間が他人の誕生日だった場合。どう感じる?」
「自分の誕生日ほどには嬉しくならない」
「というか気づかないね。あまり意識しないだろうし」
二人の答えに僕は満足した。
「つまりだな。その千円札は、被害者だけにとってのみ価値のある記番号が記されているんだよ。井口ならわかるはずだ。お前が自分で喋ったのだから」
「あたしが?」
井口はゆっくりと手元の千円札に視線を落とす。短い間を開けて、呟いた。
「あ、これ……。これ、六桁がうっちゃんの生年月日になってるぞ。一九九七年四月七日に!」
うそ、とか言いながら三人はお札を覗き込む。堺さんが感嘆の声を上げた。
「うわあ。本当ですね。すごいです」
「確かに、一九九七四七だ」
井口の手元を覗き込んでいた体をまっすぐにした真鈴が納得したように言う。
「ハルがこの子の誕生日なんか知るわけがないから、一九九七を見てピンと来たってわけだね」
「それとアルファベットの頭二つがBDだからな」
「あ、ホントだ」
「わたしもこういうのが欲しいなあ。お守りにする気持ちもわかる」
すごい確立だろうな。手放したくなくなるだろう。
不意に、堺さんがひょいと人差し指を伸ばして立てた。
「まとめです。今回の事け」
「あ!」
堺さんの言葉を井口が遮った。井口は跳ねるようにして席を立ち、勢いよく頭を下げた。
「まずは謝るよ! あたしの勘違いだった! ホントにごめん! 絶対に今度このお詫びをさせてもらう!」
この強気な少女が素直に謝罪の言葉を述べたのだ。責める人はいなかった。
井口に邪魔された堺さんだけど、すぐにいつもの笑みを取り戻した。
「まとめはもういいです」
それから堺さんは井口に言う。
「井口さん、財布を届けなくていいのですか? 早く届けないとその持ち主も心配するのでは?」
「あ、そうだな! 本当に勝手だけど、行っていいかな」
井口は、加賀屋の頷きだけを確認した後、被害者の財布に千円札を二つ折にしてカード入れに戻し、机の上に置いてあった鞄を掴んで、改めて『ホントにありがとう』と残し、颯爽と教室を出て行った。
井口の足音が遠ざかっていく。タンタンタンという音が止んで我に返るまで、僕は呆然として、喋り方さえ忘れていた。
真鈴の『わたしたちも帰らない?』を合図にぞろぞろと席を立つ。
僕は頭をかきながら、ぽつりと呟いた。
「全く……。勘違いも甚だしいよな」
続きます。




