33、従者と家族③
「従者――……俺は、”従者”ですか……?」
どこか仄暗さを含んだ声が室内に落ちる。
積雪特有の妙な静けさに支配された世界に、それは不自然なまでに低く響いた。
「ぇ……?な、なに……?」
視線を落として呟かれた言葉の意味が分からず、思わずミレニアも勢いをそがれて問い返してしまう。
しん……と束の間の重い沈黙が部屋を支配した。
「……ネロに聞きました。貴女は、倒れる前――”従者”に苦しむ姿は見せられないと言って、唯一”従者”ではないネロを伴って野営を離れたと」
「え……えぇ、そうよ……」
ロロの暗い声音に、いつもと違う気配を感じ、恐る恐る答える。
いつも優しい青年の違う一面に、言い知れぬ不安を抱いて、無意識に寄す処を求めていつも首飾りがある場所へと手を遣る。
しかし、服を着替えさせられたときに外されてしまったのだろう。頼りを求めた指先は空を切り、不安が一気に倍増した。
いつの間にか、外の風は収まり、しんしんと静かに雪が降り積もるだけだ。
パチリ……と薪が爆ぜる音だけが、妙に耳に響く。
「……俺も――”従者”、ですか……?」
「ぇ……?」
耳が痛くなるほどの沈黙を経て――ぽつり、と視線を上げることなく、低い声が呟いた。
思わず意味を取りかねて、聞き返してしまう。
先ほど、ミレニアの体調を心配して優しく身体に触れた掌が、ぎゅぅっと固く膝の上で握り締められた。
「俺も、”従者”だから――倒れるほどの体調不良を感じても、お傍に控えることを、許していただけなかったのでしょうか」
「ぁ――……」
やっと、ロロが何を言いたいのかを理解し、ドクン……と胸がざわめく。
ミレニアの体調が万全でないことに何となく気づいていたロロを、”主”の顔で別の任務を命じ、遠ざけた――そのことについて、問われているらしい。
「ち、ちが――」
「違う、のですか?それでは、何故――……」
ゆるり、と顔が上げられる。
整った面がこちらを向くと、吸い込まれそうな美しい紅玉が、微かに揺れたような気がした。
一つ、ゆっくりと深呼吸をしてから、美青年の唇がそっと開かれる。
「貴女が、ことさら従者に弱みを見せないことは、良く知っています。俺にも――どの時間軸であっても、いつだってすべてを”主”の仮面の下に隠して、強がろうとする」
「そ、それは……」
ロロの言葉は、正確ではない。
従者の前で弱みを見せないのは、それが”主”として当たり前のことだと思っているからだ。それはミレニアにとって息をするように自然なことであり、わざわざ意識的に振舞っているわけではない。
だが、ロロの前では、違う。
まだ、ロロの気持ちに気付いていなかったころ――皇女という身分のせいで、彼への気持ちを口にすることも許されなかったあの頃――どうにかして、生涯ずっと、離れることなく傍にいてほしいと思っていた。
だから、ロロの前では殊更意識的に、優秀な”主”としての振る舞いを心掛けていた。
仕えるに足る素晴らしい主だと思ってくれなければ、ロロがいつか、離れて行ってしまうかもしれないから。
いつだってミレニアの心に寄り添い、永遠に変わらぬ絶対の忠誠を誓って、辛い時も苦しい時も、家族よりも温かく甘やかしてくれる彼を前に、気を抜けばすぐに絆されて、主の仮面を脱ぎ捨てて甘えたくなってしまうから――
「ですが、革命が起きた後、東の森で、貴女は弱い心を吐露してくださった。皇城でクルサールと対峙したときには――俺を、”生きる意味”だとおっしゃってくださった」
「ぅ……え、えぇ……」
改めて第三者の口から過去の自分の振る舞いに言及されると、どうにも気恥ずかしい。
目を泳がせて頷いたミレニアに、ロロの瞳が切なく揺れる。
「それでも、貴女の中ではまだ――……俺は、他の者と同じく、弱みを見せられない、”従者”ですか……?」
「!」
「まともに立っていることすら苦しく、嘔吐しながら倒れ込み、丸三日眠っても完全回復しないほどの体調不良を打ち明けることすら出来ない程度の、男ですか――……?」
「そ、それは――」
「付き合いも短く、元々は敵の側近だったネロよりも――信頼出来ない、男でしょうか――……」
ぐ、といつもの無表情が、微かな苦悶の色を宿す。
「俺は、姫の専属護衛です。貴女の命を脅かすものは勿論――叶うことなら、その心を苛むものからも――この世のありとあらゆる全てのものから、貴女をお守りしたいと思っています」
「えっ、えぇ!?」
それは少し予想外の言葉だった。
驚いてロロを見返せば、彼の悲痛な面持ちには、とても冗談の色は見いだせない。
「ですが、貴女は昔からずっと、滅多なことでもない限り、俺に弱音を打ち明けてくれない」
「ぅ……」
「貴女の口から――『助けて』という言葉が欲しいと思うのは――奴隷の身には、過ぎた、願いで、しょうか……」
苦悶の表情で告げた後、ぎゅっ、と膝の上で握られた拳に、さらに力が加えられる。
あまりに苦しそうな青年の姿に、つい反射的に「違う、そうじゃない」――と反論しかけて、ハッとミレニアは口を閉ざす。
(待って。これはもしかして、ロロの認識を変えさせる好機かもしれない……?)
ごくり、とつばを飲み込む。ぎゅっ……と手元のシーツをしっかりと握り締めた。
重たい沈黙の帳が降りた部屋の中で、ミレニアは勇気を出して口を開く。
「おかしなことを、いうのね」
「姫――……?」
「”家族”になってほしい、という私の申し出を突っぱねて、生涯”従者”のままでいたい、と望んだのは、お前でしょう?」




