合間2
自宅から姿を消したアンドレ・マロの無事を確認してほしいというのが依頼人のカリナ・モアラニの要望であった。探偵は、マロが9月の頭頃、ターエスト市内のホテルに繰り返し宿泊していたという情報を入手して、期限までにカリナへ電話で報告した。電話口の依頼人は、詰るような口調で言った。
「それで、今彼ははどこにおられますの?」
「引き続き宿泊施設関係に聞き込みをかけていますが、まだ把握しておりません。仕事の方は休暇中とのことで、あるいはどこかに旅行に出られたという可能性もあります」
「本当に、旅行に行くような話をなさっていたかは、調べられません?」
「それが、彼の家政婦は、仕事が忙しくて帰れないというような説明を聞いておったようで、会社側と食い違っております。これについてはなんとも申し上げられませんな」
カリナはしばらく黙ったのちに尋ねた。
「自宅があるのに、彼がホテルに泊まったのは、どういうわけがあるのでしょうか。まさか、女性と一緒だったとか。ユーニスに裏切られたと思い込んでしまって、失意のあまりに変な女の人と…」
「宿泊した時にはいつも一人だったようですね。ただし」
と探偵は続けた。
「9月の20日頃、平日の夜に、マロ氏はホテル・イリリアのバーに姿を見せました。その時は女性と一緒でした」
「そんな」
依頼人は言葉に詰まる様子だった。探偵は補足した。
「えっと、この時ですね、バーで喧嘩騒ぎがあって、ちょっとした負傷者が出たようですな。マロ氏は喧嘩の当事者というわけではなく、後で割れた酒瓶やなんかの弁償をしに来たたんじゃないかということですが、ああいうところの店はなかなか情報を漏らしてくれないんで、今は裏どり途中です」
「まあ、そこは、そうね、大事なところのようですから、あの、失礼ですが、もしお金でそのお店の方々にご協力いただけるようでしたら、こちらは経費にしていただいて構いませんので、適切になさってくださいな」
依頼人は上流階級の奥様風だが、意外に世慣れたところがあるな、と探偵は考えた。
「ありがとうございます。そのように仰っていただけますと、こちらも動きやすくなります」
と謝意を示したうえで、探偵はこんどは要求に出た。
「それで、奥様、以前にお願いしておりましたが、マロ氏の友人やかかりつけ医といった情報はどうなりました?彼の奥さんから聞き出していただけましたか?よく飲みにいく店だとか、趣味の集いだとか」
「ああ、そのことでしたら、ユーニスに尋ねましたけれども、大変お友達が少ない方なのですって。趣味と言っても、読書ぐらいで、またこれといって病院通いもしておられないそうですわ。手がかりがご提供できなくて申し訳ないと言っておりました」
「なるほど、学生時代に、友人の一人もできなかった口ですかな?」
探偵は冗談めかして応じながら、依頼人に気取られぬように困惑で唇をゆがめた。職場と家との往復しかしないような男だとしたら、いったいどこを探せばいいのか。カリナは控えめに声を上げた。
「あの、学生時代といえば、宅のが同窓になるはずですわ」
言葉遣いが上品すぎて、一瞬探偵は誰の話をしているのか戸惑ってしまった。
「あなたのご主人、モアラニ氏がですか。ああ、ご主人同士がご友人だったので、奥様同士も親しくなられた、とか?」
「夫は同じ大学だったというだけで、特にマロさんとお付き合いはございません。たまたまですわ。あの、くれぐれも夫には内密に…夫は私がよそ様の家庭問題にかかわることをひどく嫌がっていますの。お願いいたします」
しょげたような声音で、依頼人は以前にもしていたとおり、家庭の内幕をあらわにしてみせる。探偵は片手で眉間を押さえた。彼女の話にはどうも違和感があるのだが、ここで追及するのは得策ではないだろう。
「その点はご安心ください。では当面は、ホテル・交通関係とバーでの目撃者を探していきます。それと、留守宅ですね」
「彼に女性の影があるのを、ユーニスはきっと気にすると思います。どうぞ、バーで一緒だったのがどういう方なのか、調べてくださいますか。それから、ここまでの費用の清算に、今週中に一度お伺いしてもよろしいかしら」
探偵は首を傾げた。費用は為替でも振り込みでも受け付けると言ったのに、彼女は頑なに現金を持参しようとする。もちろん会社として現金が早急に手に入ることに文句はないのだが、やはり普通ではない。口に出しては、
「ありがとうございます。最新の報告を用意しておきます」
と告げ、日程を調整して電話を切った。
隣のデスクで耳を傾けていた、若手の社員に向かって、
「対象の留守宅に揺さぶりをかけて、誰が動くか様子を見るんだ。それから、依頼人の旦那のモアラニ氏の経歴を確認しておいてくれ。対象と学校が一緒だったそうだが、旦那の話題になると彼女、妙にコソコソしだすんで、なにか後ろ暗い点があるのかもしれん」
と命じる。
「対象の行方と関係ありますかね」
と若手は首をひねった。
「どんな使い道があるかは、後で検討しよう。先に道具を揃えてみないと。道具を揃えておいたことが、後になって自分の身を守ることにつながるものだ」
探偵は過去をふと思い出して、若手への指導にあてたのだった。




