見に行く
ターエストとその西方の海の間には、南北に長い山地が横たわっている。今、アンドレを乗せた車は、ターエストの西側の山地に向かって上り道を走っているところだ。引き続き転居先の内見のためである。運転しているのは、アンドレが弁護士から紹介を受けた不動産業者の男だ。訳あり物件の迅速な処分が得意だそうで、背は小さくても腹の周りがどっしりとして威圧感がある。結局アンドレは一度も家に戻らず、内装や家具を含めてこの業者に買い取ってもらうことができた。金銭的には損をしたが、なるべく早く手を切ってしまいたいアンドレには満足のいく取引だった。その流れで、同じ業者で扱っている別の物件を見に行くことになったのだ。戸建てだが、市街から西に少し離れただけで値段がぐんと下がるのだという。
ターエストは、北側と東側も丘陵なので、三方を山に囲まれた自治体だ。国全体が頭を北に、西を眺めつつ横になっているとすれば、ターエストは背中の真ん中の窪みだな、と車窓から景色を眺めてアンドレは考えた。上からも下からも手が届かない、あのあたりである。そうすると首都は心臓、ごちゃごちゃと入り組んだ西部は、折りたたんで重なった二本の脚だ。雨粒が車のガラスにぱらぱら落ちて流れた。にわか雨だ。ターエストはまとまった雨が少なく、海からの風が、峰の間を通り抜けてこういう雨を運んでくる。一瞬、シャワーを浴びる身体を連想した自分に気付いて、アンドレは視線を車内へと移した。
小さな交差点で不動産屋はハンドルを右に切った。少し狭い坂道を上る。街並みはすぐに途絶え、周囲が雑木林に変わるあたりの小さな住宅地を抜けると、道は行き止まりになった。そこで路駐すると、二人は雨上がりの樹木の香りがする坂道をくだって、途中で見た住宅地に向かった。戸建てとは言ったものの、同時に作られたらしいまったく同じ形の家が、坂道の両側に3件づつ肩を並べて、ほとんど集合住宅の趣があった。建物は、面積の割に縦に長く、もとは赤レンガ色だったのかもしれないが、年月で色あせて白茶けている。
「三階建て」
とアンドレがつぶやくと、前を歩く不動産業者が振り返って、
「一番下は地下室なんで、税金上は二階建てでね」
と言った。道西側三軒の真ん中が目指す物件だった。斜面に建てられたため、確かに一階の北半分は地面に埋もれている。南半分は地表に出ていて、入口はそこに設けられていた。入ってみると、申し訳程度の庭に面した大きな窓があって、あまり地下という感じはしなかった。階段を上って<一階>に台所や風呂があり、もう一つ階段を上った<二階>に小さな2つの寝室があった。
「二寝室の一戸建てが、6万ユーロですぜ。破格でしょうが。まあご覧の通りの狭さですがね」
不動産屋は自慢するようにに言った。
「それにしても安いな。敷地は別じゃないですよね」
「もちろん敷地も込みです。ここはバス停から歩いて30分くらいかかりますんでね。おまけに車を置くところもないときた。そういや、新しい地下鉄ができたでしょう。あっちの駅までバスが出たりすれば、ここも値上がりするかもしれませんから、今が買い時、なんて」
不動産屋は笑い飛ばした。
バスは車で来た東西の道沿いに運行していて、乗ってしまえばターエストの中心部まで一本だ。30分乗るとみて、通勤には片道一時間程度、それほど悪くはないとアンドレは思った。ちなみに新しい地下鉄駅までも徒歩30分で、どちらのルートでも所要時間には大差ない。
「あとはなんせ古い。暖房のエコ評価も悪い」
と不動産屋は説明づけたが、アンドレはふと、なぜこの物件を彼のところで扱うことになったのかを確認しなければならないと思い至った。訳ありの次第によっては面倒になる。
「前住んでいた人はどんな人だったんです?」
と尋ねると、相手はあっけらかんと
「いやあ、婆ちゃんの独り暮らしで、なんせここは階段2つだから年寄りにはきついわね。足滑らして骨折って亡くなったってんで、うちには急いで金に換えたいって遺族からね」
と教えてくれた。そしてアンドレの困惑した様子を見て、
「亡くなったのは病院ですぜ、この家じゃねえですから」
と補足をした。ややこしい話ではなさそうで、アンドレは安心した。値段が安いのは何にせよありがたいし、町外れで静かなのもよい。どうせアンドレは車を持っていないし、狭いのも、建物が古びてしょぼくれているのもむしろ心が休まる。しかし、さすがに即決するのはためらわれた。
「私はバスで帰ってみます。実際どれくらいかかるのか知りたい」
アンドレが、このたびは真剣にそう言って、二人は家の前で左右に分かれた。不動産屋は車を取りに坂道を登ってゆき、アンドレは周囲を見回しながら、道を下った。近隣の家のたたずまいには、これといって窮乏や治安の悪化の兆候はなさそうに見えた。雑木林から鳥の鳴き声が聞こえる。




