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思いつかない

 マータは、続いて出された、トマト煮込みを添えた鯖のソテーにも感嘆の声をあげた。トマト煮こみには刻んだ海老や烏賊が入っていて、海の香りがする。たまに歯がオリーブの実に当たると、また違う味がじゅわっと出てくる。ゲオルギ氏も健啖だった。ただパンは噛みにくいらしく、トマト煮込みをしみ込ませては、少しずつ口に運んでいる。


「首都に出てきて長いんけ?」


ゲオルギ氏はマータに尋ねた。


「いえ、今朝思い立って、ぶらっと地下鉄に乗ってきただけで」


「仕事探しかいな?」


マータは、答える前にナプキンを唇に当てたが、どう答えるべきかわからず、結局、


「いや、まあ、なんと言うか」


というのが精一杯だった。老人はちらっとマータを見て、


「まあ、のんびりできるんやったら、焦らいでもええがな」


と言って、自分のグラスにワインを継ぎ足した。マータはその様子をじっと見た。白ワインはうっすらと黄色がかって、それでも清く澄んでいる。


「のんびりは、できないけど、実は今、どこで働くのがいいのか迷ってるんです。マージェレにいたいけど、首都のほうが仕事は多そうだし」


マータは思いを素直に口に出してみた。ゲオルギ氏は軽く肩をすくめてグラスを持ち上げた。


「そら、そうやろな。故郷にずっとおれたら何よりやけど、都会は機会が多いさかいに、若い人は皆、出て行くわいな」


ゲオルギ氏の住む西部はマージェレよりもずっと田舎のはずだ。若者の就職口はきっと少ないのだろう。


「ほえでも、やりたい事が都会にしかないんやったら、故郷を出るんは若い間やで」


ゲオルギ氏の言葉に、マータは自分の皿を見つめて考え込んだ。


「やりたい事、って、本当はなんだったのか、だんだん、分からなくなりますね。まずは食べて行きたいわけだけど」


マータのフォークはトマト煮込みの中からキノコの切れ端を探し出す。


「故郷のために何かしたい、って思ったけど、でもそのためには首都に出ないといけない、とか、回りくどくて、嫌になる」


文句を言いながら、マータはキノコを口に運んだ。するとゲオルギ氏は、手についたパンくずをはらって、


「姐さん、ヨネスクさんよ、ちと立ち入ったことを聞いても構んか」


と尋ねた。


「はい、なんですか」


マータは皿から顔を上げる。


「済まんの、年寄りの世話焼きで、口出しとうてならんねんやわ。あんた、どないな仕事で探しよってんや」


「あー、はい、そうですね」


マータはまた言葉に詰まってしまった。ライター、編集者、ジャーナリスト、マータが目指していたそんな職業に就くための道が塞がりかけている今となっては、その方向で他人に自信を持って語れる気がしない。また、ゲオルギ氏のような地方の年寄りには、物を書くなんて地に足のつかない空っぽな仕事と、見下げられそうな気がする。


「いや、元はといえば、私、マージェレが故郷で、古臭いところだけど、好きで」


やっぱりここから話し始めるのがいいだろう。


「10年くらい前かな、戦後ずっと途絶えていた教会のお祭りを復活させようっていうことになって、私はもちろんそのとき初めて見たんですけど、奇麗で、みんな張り切っていて、すごく素敵だったんです。そのとき思ったんですよ、もっと多くの人がマージェレに来るように、私も何かしたいって。で、考えたのが、観光ガイドを作る人、だったんです」


マータは恐る恐る、ゲオルギ氏の様子を伺った。特に批判的な表情ではない、と思う。ちょっと息を継いで、


「学校を卒業して、最初は事務の仕事をしながら、成人学校に通って文章の勉強をしたんです。一応、広告の雑誌とかで文章を書く仕事をもらえるようになって、元の会社を辞めて細々とやってたんですけど」


ここから、また話しにくいところだ。


「えっと、上司と喧嘩して、また仕事辞めようと思ったんですよね。で、これからどうしたらいいのか分からなくなって、首都まで来てみた、みたいな、、、」


マータの話は尻すぼみに消えていった。


「なるほどなあ」


天井からテーブルの上に吊り下げられた電灯を見上げ、首の下の皺を軽くつまんでひっぱるようにしながら、ゲオルギ氏はうなった。


「あんた、その仕事、字書くのんなあ、それは好きなん?」


軽く尋ねる。


「そりゃまあ、好きじゃなければ目指しませんよ」


「ふーん、左様けえ」


老人はおもむろに白ワインで喉を湿らせてから、マータの顔をまっすぐに見やって、


「好きにしても、それがもともとやりたかった事やなかったわな。目的やのうて、手段やろいな」


と述べた。マータは、老人の言葉に動揺しそうになって、フォークの柄をぐっと握りしめて堪えた。


「他人の目から、言わして貰たら、何やえらい回り道に見えるねん。そっち行き詰っとんねやったら、今度は一遍まっすぐ行ってみんかい。姐さんなあ、わし、自分の知り合いに旅行屋がおるかいに思うんかもしれんけど、旅行屋とか、観光なんとかみたいな仕事をはどないや。考えて見いひんか」

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