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懐かしい

 1時ぐらいにアンドレ・マロが台所に現れて、パソコンに向かっているマータに、


「何か手早く食べたいんだが」


と声をかけた。


「ちょっと待って、すぐ出すから」


玉葱と人参の野菜炒めを電子レンジであたためて、パンとチーズと冷肉に添えて出す。マロはミネラルウォーターを冷蔵庫から出して、飲んでいた。念のため、


「コーヒーも要ります?」


と尋ねると、マロは口を動かしながら手を振って断った。


「あのね、会社の人事部長さんが電話欲しいって。介護業者が明日から来れるからって」


マータは流しにもたれて、食べているマロに話しかけた。マロはうなずいて、食べていたものを飲み込み、ミネラルウォーターも飲んでから、


「わかった」


と答え、手にしていたフォークをいったん皿において、マータを見あげる。


「では、あなたには、今夜、もう一晩だけ、いてもらえるね」


「ええ、明日朝ごはん食べたら、マージェレに帰る。それでいい?」


「ありがとう。この5日間、あなたにいてもらえて、助かった」


マロは、卓に目を落としてナプキンを探した。そして口元をきちんと拭いてから、立ち上がって右手を出してきた。マータも真面目な顔でその手をとる。


「お礼をいうのはこちらのほうだと思う。助けてくれてありがとう」


手を離すと、マロは腰を下ろして食事を再開した。マータはちょこちょこと片付けをしながら、その様子を観察した。普通に食べているから、晩御飯はしっかりしたものでもよさそうだ。マロは食べ終えると、


「別の電話をしないといけない。人事部長にはメールしておく」


と告げて、立ち上がった。


「じゃあ、私は買い物に行くね。ついでに買っておくものはある?」


「冷凍ですぐ食べられるものを、何か」


「うーん、好みのブランドとかある?」


父は冷凍食品が嫌いで、買ってもなにかと文句をつけた。マロは何を好んで食べるのだろう。


「いや、まかせるよ」


「わかった」


マロは、マータの顔をみつめたが、何も言わずに台所を出て行った。今日は牛肉だ。最後だし。マータは買い物の計画を頭の中で展開しながら、台所を片付け、買い物袋を持って外に出る。


 穏やかな秋の日で、日陰は少し涼しく感じる。来たときよりも秋が深まった。いつものスーパーマーケットに向かう道の途中に、蔦を壁に這わせている家があるが、ちょうど花の時期で、蔦は地味な花をもさもさと、壁から盛り上がるくらいにつけていた。マージェレで両親と住んでいた家でも、垣根に蔦を植えていたことを思い出し、マータは大きく息を吸い込んでみた。これほど花をつけているのだから、いい香りがしそうなものだが、期待がかなったことがない。すれちがった人に変な目でみられて、マータはあわてて歩き出した。


 牛肉のほかに、適当に冷凍ピザやパスタを5種類ほど買って、父の家にもどる。マロはまだ電話中らしくて、部屋のほうから会話しているらしい気配が伝わってきた。また、内容を聞いてしまわないように、マータは急いで台所に飛び込んだ。玉葱を4つに切ってパプリカと牛肉と人参と馬鈴薯と一緒に炒めてから赤ワインをかけて弱火で煮込む。あとはほったらかしだ。それよりも。


 マータは、玉葱を、こんどは薄く丁寧にスライスして、オリーブオイルでじっくりと弱火で炒めた。なぜ、こんなことをするのか、考えないように。焦げないように。将来のことを考えないといけないのに。迷惑とか、無駄とかいわれるかもしれないが、それよりもたぶん気が付かれない可能性のほうが高いが、オニオンスープだ。マロが冷凍食品に飽きたら食べるかもしれない。いつの日か。スープストックを濃い目に加えて、これもしばらく煮込む。出来上がったスープを冷ましながら、少し仕事を片付けてると、日が暮れた。


 マロが台所に顔を出して、


「ヨネスクさん、あなたに支払う費用の清算ができるよう、資料をまとめてくれないか」


と、声をかけてきた。


「わかった」


マータは、マロの声の調子が、なんとなくおかしい気がして、牛肉の鍋から振り返った。目が赤い、と考えると同時に


「目、大丈夫?」


言葉が出た。


「え?」


マロは指で目をこすった。


「別に、なんともないよ」


「ならいいけど。晩ご飯は、7時でいい?」


「ああ、ありがとう」


 マロはミネラルウォーターを手に台所から出て行った。買ってきたお団子をゆでて、改めて玉葱、生食用の品種をまた薄く切って水にさらす。胡瓜と人参も細く切る。オレンジ色、白、緑色の三色サラダが出来る。オニオンスープはいくつかに分けて、冷凍庫に仕舞った。そうだ、簡単に食材の在庫をメモ書きして渡そう。精算とあわせてメモを作る。


 さて、三色サラダにパプリカと酢とオリーブオイルで味付けして、マロを呼んだ。


「お団子とパンと、どちらを食べます?」


マータが尋ねると、マロはぼんやりした表情で


「お団子」


と答えてから、


「懐かしいね。祖母がよく作っていた」


と付け加えた。


「好きだったの?」


「いや、母が嫌いでね。祖母と離れてこちらに来てから、かえって食べなくなった」


「お祖母さんは、どちらに?」


「合衆国。私は子供のころ、両親と移民、というか里帰りしてきたんだよ」


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