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 「まったく、あいつら、自分勝手の馬鹿野郎揃いが、早急に禿げろ、禿げて転んでむこうずねをぶっつけて泣き叫べ」


 ヨナスとバルトへの呪いを口に出しつつ、マータはスケジュールをチェックして、やりかけの仕事を進めることにした。近いうちに切られる見込みだとしても、締め切りまでに請負仕事は終えないと、後でマータの評判が悪くなるだけだ。


 マータはスケジュールアプリに表示された日数を指で数えた。アンドレ・マロの悪夢を覚ました夜は、4回。5日ほどは、ここにいてほしいという話だったが、正確にはいつまでになるのだろうか。そろそろマージェレで取材をしないといけない件もある。多少の家事をこなして、睡眠時間が不規則になるだけで一日180ユーロもらえる仕事は悪くないが、本業がくずれそうになっている今は、そちらに集中して建て直しを図らなくてはいけないだろう。そのためには早くマージェレに戻らなくては。

もちろんマロのことがどうでもいいというわけではないが、彼の具合は良くなっている。明らかに食欲も出ているし。だから、今は、マータの仕事を優先するときだ。


 将来のことばかり気にしてしまう頭を、一生懸命目の前の仕事に切り替えて、昨日できなかった予定の作業量をなんとか片付けた。文面を推敲するところに、父から返信メールが届いた。意外と早かった。


 <状況を了解した、マータはもっと慎重に行動するように、マロには父から連絡する>

と、それだけの内容だったが、安心してはいけない。父の性格から言って、次に会った時にくどくどと蒸し返して注意されるに違いない。それでも、これでひと段落ついた。


 マータはノートパソコンを閉じて立ち上がり、冷蔵庫を開けてみた。先日買ったフルーツケーキの切り口がカチカチになってきている。分厚く切って、口に入れてしまう。他に片付けたほうがいいものはないだろうか。もぐもぐと口を動かしながら中身をみていると、マロが台所の入り口から、


「ヨネスクさん」


と呼びかけた。口の中のものをあわてて飲みこんでから


「何?」


と答える。冷蔵庫を閉めて顔を上げると、白いドレスシャツのマロがこちらを見ていた。


「すまないけど、しばらく電話会議をしないといけない。部屋でやるから、終わるまで入らないでもらえるかな」


「あ、昨日のことで」


「いや、私の個人的な事情だ。お昼過ぎまでかかるから、あなたには先に食事をすませてもらって、私の分を置いておいてくれればいい」


「わかった。何か食べたいものはある?」


「いや、別に」


「じゃあ」


冷肉とパンと、と続けようとしたが、マロは片手を上げて行ってしまった。約束の時間が迫っているのかもしれない。マータは冷蔵庫に向き直った。ただCDを聞いて時間をつぶしていた人が、電話会議とは、やっぱり回復してきたようで、何よりだ。なるべく消化がよいようにと、スープをこしらえ続けててきたけど、もういいかな。人参と玉葱とベーコンをたっぷりと用意して、マータはしばらく細切りに集中した。細く切って、オリーブオイルと塩とにんにくでただ炒めるだけで、野菜の持ち味が出てくる。


 お昼前に簡単なおかずが完成してしまい、マータは時計をみながらしばらくためらったが、マロに言われたとおり、先に食べることにした。一人だと思うと、皿に盛るのも面倒に思えて、パンに切れ目を入れて冷肉と野菜炒めを挟んで、かぶりつく方式だ。マージェレでの平日のお昼はたいていこういう感じだ。ミリアの仕事が休みなら、おしゃべりしながら食事を楽しむのだけど、マロはあまり話さないし、食べる量も少ないし、こうして一人で食べるのと別に大差ないし。


 すぐに食事が終わってしまったので、マータは落ち着くためにコーヒーを淹れた。飲み終えて食器を片付けても、マロは出てこない。掃除機や洗濯機の物音を立てるのはよくないだろう。床を拭いたり、ゴミをまとめたりしておると、スマートフォンが鳴ってマータは飛び上がった。父の会社から、出てみると、マロのことを問い合わせしたときの人事部長だった。


「ヨネスクさん、恐れ入ります。アンドレ・マロ氏の具合はいかがでしょうか。彼に電話してもつながらないのですが」


「えっと、今ちょうど電話会議をしているというお話でしたよ。出れないんじゃないでしょうか」


「電話会議?」


「個人的な事情と言われましたけど」


「そうですか。承知しました。彼の体調は、悪くなさそうですね」


「見た感じ、良くなっています、食欲もでてきたみたいですし」


「ヨネスクさんに無理を言ってご協力いたいただいたお陰でしょう。本当にありがとうございました」


「いいえ、そんな、大したことをしたわけでも」


むしろ迷惑をかけたのだが、人事部長に昨日のマータのトラブルの話をしていいのかわからなくて、触れないことにした。


「ヨネスクさんと交代出来るよう、介護事業者と調整がつきまして、そのことでマロ氏にお電話したのです。折り返し掛けるようお伝えいただけますか」


「わかりました。いつから代わりの人が来られるんですか」


「なんとか、明日には」


「明日ですね、お伝えしておきます」


これで、マージェレに帰れるようになった。

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