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許せない

 アンドレ・マロが不愉快そうに顔の上に両腕を乗せたまま停止してしまったので、マータは息をひそめてひたすら身を縮めていることしかできなかった。関係ないマロを夜中に呼び出した挙句にあきれさせてしまって、自分の馬鹿さ加減がいたたまれない。バーの男も神妙に、天井を見たりドアを見たりして黙っている。会議室には居心地の悪い静寂が続いた。


 やがて、マロが身動きするとスマートフォンを取り出して応答した。電話が来たらしい。マータはその隙にこっそり息をした。


「ああ、はい。行きます、よろしく」


マロは短く受け答えすると、通話を終えてポケットにしまいながらマータを見た。


「ヨネスクさん、さっきの話だが、先方と交渉する間、あなたは口を挟まずに大人しくしていてもらえるかな。あなたのお父さんに代わって、あなたに傷がつかないように、できるだけのことをすると約束する。理不尽に思えるかもしれないが、我慢してほしい。いいね」


「あ、はい。お願いします。迷惑かけて、ごめんなさい」


マータは椅子に腰掛けたまま頭を出来るだけ下げた。


「それから、君も」


とマロはバーの男に向きを変える。


「つい、きついことを言ってしまったが、どうやらこちらのお嬢さんにも至らないところがあったようだ。それでも将来のある身だ。君の見たことは、ここだけの話にしてもらえるだろうか」


「ええ、ええ、心得ております」


バーの男は胸を叩いた。


「そうしてもらえるとありがたい。支配人には私から君に頼んだことを説明する。では、お店へ戻ってくれて構わないよ。後で、時間をとらせたお詫びに伺おう。私たちは事務室へ」


「ああ、じゃあ私はこれで、お嬢さん、失礼します」


バーの男は立ち上がって、マータの左肩のあたりを軽くぽんとたたいて、元気付けるように笑って見せると、会議室の扉を開けた。彼に続いてマロとマータも事務室に向かった。マータは緊張で膝が震えるので、ハンカチを握り締めて歩いた。そっと様子を伺うと、マロは無表情で、機嫌がよいようには見えない。やるせない。


 事務室では、ヨナスが応接コーナーのソファに座って、ボトルの水を口にしていた。医師はもう帰ったようだ。ホテルの役職者が立ち上がってマロとマータを迎えた。


 ヨナスはマロを見て眉をひそめた。


「弁護士‥?」


「私はヨネスク嬢の父親の代理です。アンドレ・マロといいます」


マロが手を出すと、ヨナスは大儀そうに立ち上がり、その手をとった。形式的に握手を終えるとそそくさと腰をおろす。低い卓をはさんでマータとマロが腰をおろすと、マロはヨナスに話しかけた。


「早速ですが、転んで頭をぶつけられたとか、医師の診断はいかがでしたか」


ヨナスはマータをちらりと見たが、マータが押し黙っていると


「今日は安静にして休んで、明日具合が悪ければどこか病院で検査してみろ、だと」


「それはそれは、大ごとにならなくて幸いでした」


ヨナスは不服そうに鼻をならした。


「このたびは誠に遺憾な事故でしたが、そこにいたった経緯について、恐れながら当ホテルの記録に残さねばなりません。こちらにサインをいただいてもよろしいでしょうか」


 ホテルの役職者が、ヨナスに用紙を手渡した。ヨナスは内容に目を走らせ、用紙越しにマータのほうを覗って、唇をゆがめたが、素直にペンを求めてサインした。放り出すように渡したその紙がマータに回される。


 マータがうろたえながら読み取った内容は、10月某日夜ににホテル・イリリアのバー、<エレファント>にて私が受傷したのは酔いのため足が滑って転んだもので、店舗設備、店員、または来客の責ではございません。これにともなういかなる補償も求めません。といった文章で、ヨナスのサインがされていた。


 その下には、文体は似ていたが、ヨナス受傷の経緯は上記で相違なく、異論を申し立てませんといったことが書かれていて、マータは急いでサインをしてホテルの役職者に手渡してしまった。


 それを見届けるやいなや、マロはホテルの役職者に向かい、


「ではこれで決着しましたね。彼女はこれで引き取らせます。どうもいろいろとご迷惑をおかけしました。費用は私に請求書を回してください。」


と言いながら立ち上がる。マータもマロについて、応接コーナーから離れた。会議室の扉を開ける前に、マロはヨナスに向きをかえて


「いや、あなたは実に運がよろしかったですね」


「なんだって?」


ヨナスが声を上げた。


「今日は彼女の父親が不在なので、代わりに私が来ましたが、私が実の父親だったら、一発とは言わない、思いっきり殴ってやるところですよ、全く薄汚い野郎だ」


そう言い捨てて返事を待たずにドアを開ける。マータはせめて一言お詫びをいったほうがいいのだろうかと、戸口でヨナスを振り返ったが、


「マータ」


とマロの制止する声がした。


「おいで」


マロはマータの背中に腕を回して、向きを変えさせ、ぐいぐいと会議室から押し出し、廊下を早足で歩いて、そのままでエレベーターのボタンを押す。

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