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通じてない

「お嬢さん、安心しなさいよ。相手も無事だし、面倒なことにはならないから」


震えているマータに、バーの従業員が声をかけてくれた。マータは、両手で顔をぐっと押さえてから、息を整えて、


「あの、助けていただいてどうもありがとうございました」


と手を差し出した。彼は笑ってその手を握ると、


「いや、こういうことは、たまにあってね、私らは慣れたもんだよ。それより、今の間に家の人に電話したらどうだい。こっちへ来てくれるんだろ」


と、指摘してくれた。


「あ、はい、そうだ」


アンドレ・マロは移動中だろうから、電話よりもと、短くメールを出す。


<先ほど意識が戻り、脳震盪とのこと、医師の診察のため事務室に移動しました>


返事を待ってスマートフォンをリロードしている間に、ドアがノックされ、マータはさっと立ち上がったが、ホテルの心遣いだろう、コーヒーが運ばれてきただけだった。力がぬけた。腰を下ろしてコーヒーをいただく。脳に沁みこむようなうまさだった。


またノックの音がして、マータがコーヒーカップを下ろしたところに、アンドレ・マロが足早に入ってきた。黒っぽいスーツに、今日はネクタイをしている。立ち上がったマータの目から涙が零れ落ちた。


「マロさん」


マータの泣き顔を見やって、マロは


「あなたは、怪我は?」


と端的に尋ねた。マータが首を振って否定すると、バーの従業員のほうに向きを変え、


「どうもお世話になりまして」


と、手を差し出した。


「あ、これはどうも。ご家族でしたか」


バーの従業員は、マロを知っている口ぶりだ。


「いや、代理ですよ」


マロは簡単に答えると、手を振って皆に腰掛けさせた。


「大体のことは支配人から聞いてきた。まずはヨネスクさんに言っておきたいことがある。確かこのたびは、あなたの採用についての話だと言っていたね。こういうことになった以上、この会社への採用はまず無理だ。それはいいね?」


「はい」


マータは膝の上で両手を握りこぶしにして、応じた。


「実は、先方は、酔って転んで頭を打ったと主張しているそうだよ。それはあなたに殴られたことも、彼の<セクハラ>行為もなかったことにしたいという意味だと思う」


「でも、それって、もしかして記憶喪失とか、何か脳の障害が起きているってことは」


マータの懸念に、バーの従業員が、


「医者が来るまではお嬢さんに文句いってたでしょう。表沙汰にしたくないんですよ。まあありそうなことだ」


と、解説した。マロが話を続ける。


「あなたがされたたことは、どうだろう、彼を訴えるレベルなのかな。そうした場合、あなたも傷害で訴えられるわけだ。どうするかは、あなたの気持ち次第だが」


マータはうつむいた。


「私が、手を出したほうが、もっと悪いことだと思う。ちょっと胸をつ、掴まれたぐらいで、人殺しになっていたかと思うと、本当に申し訳なくて」


マロは不愉快そうな顔をした。


「立場の弱い女性に、就職をちらつかせてそういうことをする男なら、自業自得だと思うがね。だけど、訴えられてあなたが得することはないだろうし、痛みわけという形になるが、それで終わらせて、構わないかな?」


とマータの意向を再確認する。マータは


「はい、わかりました」


と声に出した。


「後々ごたついてもつまらないから」


と、アンドレ・マロは椅子に座りなおして話を続ける。


「今日の医者代は、こちらからホテルに対して、業務の邪魔をしたお詫びという名目で出す。その後治療費が必要になったとしても、自分で転んだ傷だから知ったことではない。それからバーのほうについても、迷惑をかけたわけだからそれなりの補償はするが」


ここでマロはバーの従業員に厳しい目を向けた。


「店内で女性に無礼な行為が行われているのを見過ごすというのは、いかがなものかと思うね」


バーの従業員の男は、咳払いして


「ごもっともで、私どもにも至らない点がありました」


と謝罪を口にした。マータは急いで


「でも、お店の人が止める暇もなかったの。反射的に私、手が出たから」


と、言い訳をしようとしたが、マロに睨まれた。


「つまりこうかな、夜のホテルのバーで、冷静沈着にあなたの採用条件について話しあっていたら、突発的にそういう行為をされたと。そんなわけないだろう、糞っ」


マロは毒づいて、顔をしかめて横を向いた。


「それが、ほんと、そんな感じで、酔っていたからだと思うけど。前の店からずっと、採用されるには、熱意をみせないといけないという話をしていたの。じゃあ私はもっと仕事を早くするようにがんばって、あと出来るだけ複数稿を準備して、指摘に迅速に対応みたいな提案をしていたんだけど、そしたら突然」


「はあ?馬鹿だろう」


マロは椅子の背へのけぞるようにもたれかかった。その額の上に両腕をのせて、停止する。バーの従業員は笑い声をこぼし、あわてて取り繕うように


「女性の側で、うまくあしらわれているようでしたので、口出しするのも、と時期を逸しまして」


と言い訳をした。


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