表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/53

意識が無い

 マータがその夜、半泣きになりながら、アンドレ・マロに電話したのは9時過ぎだった。


「マロさん、お願い、助けに来て、困ったことなってるの、私」


「何?ヨネスクさん?何だって?」


「ごめんなさい、迷惑でしょうけど、父がいないし、頼れる人いなくて、どうしよう」


「ちょっと、ちょっと、ねえ、落ち着いて、いったいどうしたの」


「上司を殴ったら、気絶して、死んじゃったら、私、そんなつもりじゃなかったのよ」


「あなたが上司を殴った?」


「そうよ!」


マータの声が高くなった。


「ああ、落ち着いて、いい?今、そこはどこかな」


「ホテル・イリリア、北駅の」


「ああ、そこか、うん、知っている。他に誰がいる?」


「バーの人と、さっき支配人が呼ばれたから、もう来ると思う」


「バーにいるんだね、それで、相手は、倒れたって?」


「うん、頭打って、動かさないようにって、言われて、目がさめないの」


「医者は?」


「近所のお医者さんを呼ぶって」


「じゃあね、私が今からそちらへ行くから。そこに居て、何かあったらすぐ電話して」


「ごめんなさい、私、ごめんなさい」


「とにかく落ち着いて、今は泣いてもしょうがないから。それと、こちらから掛けるかもしれないから、すぐ電話に出られるようにして」


マロは怒った声を出しているわけではないが、とんでもない迷惑を掛けていることに間違いはない。マータは恐る恐る尋ねた。


「あの、会社にかけたほうが、良くない?」


マロは一瞬考えてから、答えた。


「この時間だから、会社は後だ。私が行くまで待って。」


「うん、本当にごめんなさい。じゃあ、来てね?」


「30分はかかる。じゃあ」


 切られたスマートフォンを握り締めて、マータはがくがく震えながら顔を上げた。ヨナスはバーのカウンターの足元にのびていて、さっき従業員がネクタイを緩めて脈をみてくれた。息はある。幸いなことに。マータはその枕元にぺたりと座り込んでいる。カウンターの上は花や照明できらきらしているのに、スツールの陰はうらぶれてまるで別世界だ。とんでもないところに来てしまった。


 マータの電話の会話を耳にしたのか、バーの従業員は、


「お嬢さん、大丈夫だよ、あんたに殴られたくらいで、大の男が死んだりしないよ」


と慰めてくれた。


「あ、だといいけど、打ち所が悪くてとか、心配で」


マータは声を絞り出した。知らない人からの予期せぬ思いやりの言葉に、胸がつまる。周りではバーの従業員たちが、こぼれた酒や氷の始末をしてくれたし、医者を呼んだり、他のお客に頭を下げたりと動いてくれているが、倒れているヨナスに対しては、じっと様子を見ていることしかできない。そのうち、ヨナスのまぶたがぴくぴく動いて、マータは緊張した。


「い、いたた」


意識が、ヨナスの意識が、戻ってきたようだ。


「ヨナスさん!」


マータが呼びかけると、ヨナスはゆっくりと腕を挙げて頭を触ろうとした。良かった。生きてた。


「お客さん、気がついたかい」


バーの従業員も呼びかける。


「あー、畜生、ひどいことしやがる」


マータは畜生といわれてこんなにうれしかったことはない。


「頭ぶつけたんですよ、無理して動かないで」


「ヨネスク、お前?」


ヨナスがじりじりと身体を起こして、頭をさすっているところへ、ホテルの役職者らしき紳士が、くたびれたセーターを着た初老の医師を案内してきた。医師はその場で軽く診察すると、


「まあ、脳震盪だな。どこか診察できる部屋はないかね」


と尋ねた。


「動かしてよろしいですか」


ホテルの紳士は、性急に医師に尋ね、医師がうなずくのを見て、ヨナスに肩を貸して立たせた。さきほどのバーの従業員と力をあわせて、ホテルの事務室の応接コーナーへ連れて行った。ヨナスをソファーに寝かせて医師が診察を始めると、役職者はマータと、バーの従業員を別の会議室へいざなった。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


椅子を勧められて、座る前にマータが頭を下げると、役職者は


「なんにせよ、大事にはならなそうでよかった。とりあえず、何があったんです」


と、マータに厳しい目を向けた。


「彼は、職場の上司なんですが、その、酔って、触られたので、かっとなって殴ってしまったんです。その拍子に頭をぶつけて、床に倒れて」


「頭を?どこにですか?」


「バーのカウンターと思います」


「なるほど」


役職者はバーの従業員のほうを見た。彼もうなずいた。


「男性のお客様が、こちらのお嬢さんに馴れ馴れしくされておりましたが、えー、顎に一発入りました。それで、頭のほうがこうカウンターにぶつかって、ごつんというわけで、あわてて駆け寄りましたが、意識がないようで、すぐ人を呼びました」


役職者はマータに向き直って


「本日はご宿泊のご予定でしょうか?」


「いえ、私は違います。彼は泊まる予定でした」


そのとき役職者のスマートフォンが鳴ったらしい。マータに断って画面を確認すると、


「上の者に報告しますので、少々お待ちください」


と告げて、役職者は会議室を出て行った。マータはため息をついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ