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重い

 マータは、夜明けの街路で、アンドレ・マロの腕をとったまま、そっと表情を伺った。少し寂しそうな微笑がわかるくらい、あたりは明るくなっている。曇りで見えないけれど、太陽は昇っているはずだ。


「あなたがあんまり親切にしてくれるものだから、裏切られる時が怖くなった」


台所のテーブルに向かって頭をかかえていた時の話の続きらしい。ちゃんと寝てから話せっていうべきだろうか。でもあのときに比べれば、マロは落ち着いて話している。あまり深刻な雰囲気にならないように、聞いてみよう。


「裏切りって、重っ」


と返すと、マロは唇を結んだ。家族にも友だちにも頼りたくない、と話していたが、もしかしてこれまでにひどく裏切られた経験があるためだろうか。マータは急いで話を続けた。


「マロさん、私はほんの数日間お金もらってそばにいるだけなんだから、あなたとの間に深い歴史もなにもないんだから、逆に安心してよ。それにあなたは父の上司なんでしょ。裏切ったら後が怖いじゃない」


「まあ、直接の上司ではないし、第一、私は休職中だけどね」


マロは苦笑いしてから、通りの向こう側で犬を散歩させている老人に目をやり、静かに話を続けた。


「あなたは時折、急に悲しい顔をするし、恋愛の話で不機嫌になる。既婚の男性と食事に行く。その人となにかこうね、あるのかと、考えてしまった」


「ないわ」


マータが即座に否定した。


「その発想はどこから出てくるのか、って聞きたいわ」


マロはまたしばらく黙って歩く。道路沿いの家からバイクが出て来て、エンジンをふかして走り去る。その音がおさまると、マロは、ぽつりと


「私は離婚経験者でね。原因が、相手の不貞だったから」


と告げた。マータは息をのんだ。マロのいう裏切りということは、これだったんだと、腑に落ちた。


「だからね、あなたがもし‥」


マロは言いかけて止めてしまった。いま、マロの顔を見るのが怖い。マータは道路の舗装に視線を集中させ、足並みを乱さないように歩き続ける。そのまま、マロが口を開かないので、


「まあ、そりゃ、怖い夢も見るか」


何か言わないといけない気がして、マータは相づちを打った。


「情けない話だ。あなたには関係ないのに」


 マータは人事部長と電話した内容を思い返す。離婚したっていいう話は聞いたけど、いつって言ってたっけ?思い出せない。奥さんに裏切られたショックで、体調、っていうか精神的に参ってしまって、父の家を借りて引きこもろうということになったのだろうか。事情を知る相手には頼りにくいとも言っていたけど、

男のプライドとか、いろいろ傷つくことがあるのだろう。その事情をマータは知ってしまったが、これからどうすればいいのか。やっぱり出て行ってほしいということになるのか、そもそも数日だけの約束だし、事情を明かしたのはマロのほうだし、いや尋ねたのはマータなのかもしれないけど、このままいていいのだろうか。


 せめて、少しの体温だけでも分けてやりたくて、マロの腕に身体を沿わせて歩きながら、マータがぐるぐると思いを巡らせるうちに、託児所のある交差点に来ていた。父のアパルトマンへ帰るにはここで曲がらないといけない。


「マロさん、もう小一時間になるよ。そろそろ帰ろうか」


マータが声をかけた。驚いたことに、少し前まで深刻な話をしていたのが嘘のように、


「む?」


という間抜けな返事が返ってきた。マロは半分眠ったような顔で、欠伸をしている。散歩の効果が出たみたいだ。


 夜が明けて車も人も通るようになったので、あまり好き勝手に歩くわけにはいかない。ぼんやりしているマロの代わりに、周囲に目を配り、アパルトマンまでなんとか誘導して歩かせた。エレベーターに押し込み、マータがボタンを押すために手を離すと、マロは壁にもたれて目をつぶっていた。このまま、ころっと眠りにつけるならどんなにいいだろう。


 エレベータが止まる。マロを促して先に出させる。父の部屋までの少しの距離をマロが先にたって歩くと、鍵を開けて、今度はマータを通らせてれた。眠気が去ってしまったかと懸念するまもなく、マロはどんどん居間に向かい、椅子に腰を降ろすと、身体を小さく丸めて横になり、眠り始めた。起こさずに眠らせてやったほうがいいのかと一瞬思ったが、どう考えても熟睡できるはずがない。


「マロさん、ベッドで寝たほうがいいよ」


と、声を掛ける。椅子の前に膝をついたマータに向かって、マロが発言を封じるように手を上げた。その手をとって、揺さぶりながら、


「ねえ、ここで寝たら、服が皺になるし」


と諭す。マロはその言葉には反応し、手を引っ込めてのろのろと起き上がると、額のあたりをもさもさ掻いてから、やっと


「お休み」


とつぶやいて、部屋に戻っていった。


 マータはジャージだし、上着をその辺に吊るしてベッドに倒れこんで眠ったのだが、電話の着信音で起こされた。マータはうろたえて上着のポケットを探った。


「マータです」


「私だ」


誰だろう、と一瞬考えたが、ヨナスだ。今日夕食の約束だった。今何時だろう?




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