86.蘇るイソギンチャク
皆様、覚えておいででしょうか。
ご存知でしょうか。
かつて、私が勇者様にお願いした『おつかい』を。
魔族さん達御用達(※勇者様にも提供中)の、傷薬の原料を。
【ハオハマイロアカイソギンチャク】
生物分類:魔物 全長18~30m
生息地:魔境コキュートス地方北海沿岸部
性質:肉食で獰猛、食欲旺盛。知性はない。
特技:津波の誘発、氷結魔法、眠りの呪い
特徴:不自然なライトブルーの体色を持ち、全体的なシルエットは磯巾着を逸脱していない。
しかしマッチョな人間の手足が計六本ずつ生えており、大地をしっかり踏みしめて体を支える。
背中と見られる部分からは鮫の頭に、腹と見られる部分からは鮫の尾に似た突起物が生える。
偶にびちびちし始めたら頭部の口径から大量の触手を伸ばし、地を薙ぎ払う。
主な生息地は海中だが、時として陸に上がることもある。
体液に微弱の酸と毒を含み、滴る汗には要注意。
危機に陥ると呪いのコールドブレスを放ってくる。
「……って、どんなバケモノ!?」
「ああ、俺もまぁ殿に説明聞いた時そういう反応したんだよなぁ……」
なんか、勇者様が遠い目してます。
サルファが「なんでイソギンチャク?」って聞くから、説明してあげただけなのに。
勇者様、いえ勇者子ちゃん(女装)が悪漢に襲われてるところを、都合よく主神に介入させて罠に嵌めようっていう作戦で。
主神の奥方様も大張り切りで、主神を罠の結構地点まで追い立てる役を快く引き受けて下さいました。それどころかより勇者様の存在に疑問を持たせないよう、気配を神と勘違いするよう偽装してくれるとまで申し出てくれて。なんという出血大サービス!
でも『悪漢役』を調達する当てがなかったので。
現地調達しようにも、この辺で捕まえられる人材なんて全部ここの郷に所属する神様でしょうし。罠に嵌める相手の傘下にいる方を悪党として宛がっても露見する確率上がるだけでしょうし。
……都合のいい相手がいないので、手持ちで何とかするしかありませんよね?
という訳で。
悪党の心当たりがないので手持ちの化け物でなんとかしようかと。
悪党を用意するまでの間に合わせにしかならなかったとしても、人外ならちょっとは説得力が出るかしら、なんて。
ええ、そう思った訳です。
「やあやあ都合の良いことになんと! 丁度手元に『乾燥磯巾着』が……」
「待て、待て待てなんで!? なんでそんなものを携帯してるんだ! 持ち歩くようなものか!? ……というか乾物状態から復活するっていうのか!? どんだけ化け物だよあのイソギンチャク!」
「取り敢えず美の女神への嫌がらせになりそうなブツは色々持ってきたんですよねー、持ち合わせがあったものだけですけど。これは新薬の研究用に保存していたサンプルです。イソギンチャクなら女神のご自宅に放流してくるだけでも嫌がらせとしては効果抜群かな、と思いまして……美的感覚に拘りがあるようでしたし」
まあ、幾つか酒神様との勝負で酒の肴(奇)として消費してしまいましたが。
それでも少なくとも、残り四つ五つあったと……ああ、やっぱりありましたね。
「それじゃあ、乾燥磯巾着の蘇生を行いましょうか」
「蘇生!?」
「やめて、何する気!」
「まずご用意するのは、このイソギンチャクを原材料に作成した傷薬五ℓ」
「ちょっと待て今どっから出したー! 五ℓも、どっから!」
「大盥に乾燥したイソギンチャクを入れ、傷薬を突っ込みます。ひたひたに浸かるよう」
「盥なんてどこから……って、うわ!」
「うわぁー……こわっ! 乾物がみるみる傷薬吸って膨張してくんだけど」
「これもうそういう段階超えてないか!? 水で戻すわかめの比じゃないんだが……一瞬で傷薬が全部吸われたんだが」
「次にご用意するのは強酸と濃硫酸それぞれ八十ℓ」
「どっから出したぁぁあああああっ!!」
「これらをイソギンチャクに注ぐと、ほらこの通り」
「う、うっわ……しゅわしゅわ溶けてる! 盥がしゅわしゅわ溶けてるよ!!」
「なのになんでイソギンチャクは溶けないんだ!? むしろさっきの比じゃなく膨張している!」
「膨張しきってから十五分待てば、この通り!」
「こ、この通り……?」
――十五分後☆
そこには立派に大きく膨らんだ……イソギンチャクが………………
「俺の知ってるイソギンチャクじゃない!? 何このクリーチャー!」
「俺もまさに一年前にそう思ったよ……!! でも俺の知ってるイソギンチャクでもない!」
「魔境でイソギンチャクといえば(一番強いのは)これです。一度乾燥させた『乾燥イソギンチャク』なのでちょっと劣化していて小粒ですけど」
「劣化してこれ!? ~といえばこれ、ってコレそんなメジャーなの!? 俺一度も遭遇したことないよ!」
「それは随分と運が良かったな! 本気で羨ましい」
私達の前には、強酸と濃硫酸で戻した乾燥イソギンチャク(×六)。
それぞれ二.五~三mくらいの屈強なマッチョボディを持ち、頭部から頭の代わりに色鮮やかな軟体触手を生やした姿。
足は左右ムキムキ一本ずつ。腕は左右でムキムキ二本ずつ。
本来の姿とはどうしても違う姿になってしまいますね。
それも一度色々処理して乾物にしたので、色々劣化、変容してしまったのは仕方ないんですけど。
弱体化していても、存在感には目を見張るものがありますよ!
どうしたって目を引く派手な外見です。
「イソギンチャクが異形過ぎてキモイ!! 無駄にマッチョでキモイ!!」
でもなんだかサルファには不評でした。
いや、勇者様もさりげなく顔青くしてるから気に入らないんですかね?
「見たことないってサルファ、さっき何時間か前に見てるじゃないですか」
「そんな衝撃珍体験、覚えがないよ!? 見て、この鳥肌! 初見の怪物だからこその反応だから!」
「えー? 酒神様との飲み比べの時に『おつまみ』として出したじゃないですか」
「えっ」
「あ、乾燥状態だったからわからなかったんですね! 潤い戻さず、乾物のまま使用したので」
「なんだその狂気の宴……俺がいない間に、いったい何が」
あれ? 変ですね。
奥方様を避けて姿を隠したはずの酒神様の、お姿があんなところに……
……木陰で、体調悪そうに木に懐いて呻いていますね?
神にも体調不良があるんでしょうか。どうしたんですかね?
魔境のコキュートス地方に生息するイソギンチャクは、同族に遭遇したら繁殖期以外は問答無用で共食いを始める獰猛な生き物なのです。
ですが、ここで潰し合われては困ります。
今はご先祖様に抑えこんでもらっていますが……
「なので消耗しないよう、使用するのはこちら! むぅちゃん特製の霊薬です」
「彼が作ったと聞くだけで、不穏な気がするのは何故だろうか……」
半魔故の強い魔力で霊薬や魔薬の調合に長けたむぅちゃん。
自己研鑽を怠らない彼の作った霊薬は効果抜群です。
「その中でもこれは本能の強い単純な生物程よく効く暗示薬です。まあ、単細胞ほどよく効く分、暗示ですり込める指令も単純なものになってしまいますが……単純な分、強力なんですよ?」
「やっぱり物騒な薬だった。しかも言葉に妙な実感が!? 試したのか、君達」
「嫌ですね、勇者様ったら。薬の効果を試すなんて薬師として当然。臨床実験は重要です」
「言っていることは正しいのに空恐ろしい気しかしない!」
「あれは……むぅちゃんが八歳の時でしたか。初めてこの薬を作った時、実験に行ったんですよねー。愛玩用に飼い慣らされたスライムと違って、品種改良されていない野生のスライムには酸を吐くっていう攻撃手段があるじゃないですか? この薬をスライムの群生地に散布して、従えるむぅちゃん……暗示を刷り込むのに一片の躊躇もありませんでしたねー。それでマンモスを一頭、骨も残らず溶かしつくしたんですよ」
「八歳!? 八歳って言ったか!? 幼いのにやることが容赦なさすぎる!!」
「危険な薬なので販売には許可証の取得が必須なんですけど、内輪で使う分には構いませんよね。売る訳じゃありませんし!」
「色々問題が山積していく……! リアンカ、それ絶対にそういう問題じゃないから」
勇者様がなんだか頭を抱えていますが、まあ、いつもの事ですよね。
ええ、いつもの事なので放っておきましょう。
「それより奥方様が作戦開始位置についたようですよ?」
「待ってくれ、リアンカ……俺はまだ心の準備が!」
「さっき指定した経路を外れないよう気を付けつつ、頑張って逃げて下さいね。なるべく可憐に!」
奥方様が予め予想を立てて下さった、主神の逃走経路。
それを横切る形で、大きく∞の形を描くように勇者様には逃げ続けてもらいます。延々と。
勿論、思わず助けてしまいたくなるような、男らしさを隠した可憐な仕草で逃走してもらいます。
「平然と無茶を言う……」
「大丈夫! 勇者様なら絶対に私よりも可憐に逃げ切ってくれると信じています。でもあまりイソギンチャクを引き離し過ぎないで下さいね? 追いつかれるかどうかのギリギリ瀬戸際っぽい感じの方が緊迫感出ますから。私も緊迫感と緊張感を充分に保てるよう、ちゃんと命じます」
「ま、待て、過度な演出は……!」
「という訳でー……」
私は霊薬の影響で棒立ちになったままゆらゆらと左右に揺れていた六体のイソギンチャクに見えるよう、ピッと勇者様を指差して言いました。
「――この青い人を、襲え」
瞬間。
マッチョなイソギンチャク六体はそれぞれが前傾姿勢……いや、更に傾いて!?
普通に走り始めるだろうという私の予想を超えて、イソギンチャク共はのっそりと大きな背を屈め、見事なクラウチング姿勢でスタートを切りました。
勇者様に目がけてまっしぐらです。
速度の乗りが凄い凄い!? 足の太さは伊達じゃありませんね!?
あっという間に接近してくるイソギンチャクに、勇者様の顔面から音を立てそうな勢いでザザーッと血の気が引いて真っ青に。
でも流石の防衛本能、生存能力。
高まる危機感に逆らうことなく、勇者様は即座に背を向けて。
「うわぁぁぁああああああああああああっ!!」
絶叫と共に、猛烈な速度で駆け出しました。
足に絡むだろう裾の長いドレスだって言うのに、裾をからげることも無く優雅な駆け姿です。
勇者様、凄い器用ですね!
でも絶叫の声だけはいただけません。
「勇者様ー! もっと叫び声は女らしくー!」
「そんな余裕あるかあぁぁぁああああああああああっ」
急速に私達から離れていく勇者様。
その背を追う、六体のイソギンチャク。
あ、イソギンチャクの一体が足で走るのはまだるっこしいとばかりに頭部から伸ばした大量の触手で移動を補助し始めました……流石に動きが人間離れしているというかやっぱり人外ですね。
それに伴い、勇者様の走る速度も上がったようです。
律儀に私に返してくれた勇者様のお声は、離れていく速度に従ってどんどん遠くなっていき……遂には途切れ、聞こえなくなってしまったのでした。
これから主神を釣れるかどうかは、勇者様の麗しさ次第です。
勇者様、ファイト! 健闘を祈ります。
イソギンチャクに効果音をつけるなら、「うじゅるるる」?
次回、勇者様と主神の(作られた)運命的な出会い……?
勇者様が無駄な抵抗をしなければ、そこまで行ける気がします。勇者様が無駄な抵抗をしなければ。
……でも無駄な抵抗をしない勇者様というのも難しいですね?




