78.遭遇の危機
勇者様が落ち着くには、一時の時間が必要でした。
まあ、わからなくもありません。
気がついたら背中に三対の翼が生えていて、額には第三の目。
超進化にも程がありますね? 知らない間にそうなっていて、目が覚めたら人外に大きな一歩を踏み出していた訳ですし。
ええ、ええ、取り乱すのも仕方がありません。おなかいたい(笑)。
勇者様の素晴らしい反応の数々……ご本人が動転しているところ、こう言っては失礼かも知れませんが。とてもほっとしました。ええ、すっごく和みます。
ああ、本当に勇者様は正気に戻ってくれたんですね、って。
でも息切れしてきたみたいですし、反応も落ち着いてきました。
そろそろ話を進めても良い頃合いでしょう。
「勇者様、腕を出してください」
「腕? 別に構わないが……」
首を傾げながら、素直に腕を差し出してくれる勇者様。
もう驚き疲れて疲労困憊状態にあるせいか、疑問を呈する元気もないみたいです。
勇者様が差し出した腕には、未だ美の女神の神殿で嵌められたっていう頑丈そうな手枷が存在感を放っています。
……乱心している間は、何するか読めないので外せなかったんですよね。
だけどもう、これを報知している必要は無いでしょう。
何より両腕を拘束されっぱなしじゃ、勇者様も満足に動けません。
私は差し出された勇者様の腕に……
「……てぃっ!!」
思いっきり、鍛冶神様から預かってきた神器を振り下ろしました。
鍛冶神様が製造に関わった道具の効果を、尽く無効化するというある種反則的なアレです。
そしてこの神々の里では、職人技の必要な金属製・木製の道具のほとんどに鍛冶神様が関わっているというお話ですし。それを思うと、この里で遭遇するほとんどの道具は破壊可能なんじゃないかと思います。
そもそも勇者様が嵌めている手枷は鍛冶神様のお手製ですしね。
「な……っ」
勇者様の驚きひっくり返る声を聞き流しながら、見下ろした先。
手枷には、大きなヒビが入っていました。
「い、いきなり何を!?」
「勇者様を自由にしてあげようかと」
「だったら先に宣言するなり、前振りくらいは置いてくれ! いきなりで驚くだろう!? ……俺があんなに苦労しても鎖一つ緩まなかったのに……リアンカ、非力な君が一体どうやって!?」
「鍛冶神様に便利なゴッドアイテム借りてきました」
「ああ、それは納得……ってだったらなおさら先に何か一言! 神々の道具をいきなり使われて、俺が驚かない筈がないだろ!?」
「ごめんなさい、次々回から気をつけます」
「次回じゃないのか!?」
鍛冶神様に借りた神器でも、出来るのはヒビを入れるまででした。
……いえ、非力な私ではなく魔族や竜の誰かにやってもらったら一撃で木っ端微塵になったかも知れませんけど。
ですがヒビが入りさえすれば、後は勇者様でも簡単だったようです。
手枷に宿っていた神の力は、神器の一撃で消え失せていましたしね。
「………………手が自由に動かせるって素晴らしい」
「地味に感動を噛み締めているところ、あれなんですけど。勇者様?」
手枷が失せて、何も付けるもののない手首。
それをじっと見つめて感極まる勇者様。
だけどいつまでも感動させたまま報知している訳にもいきませんし。
私は勇者様の肩を揺すって、言い渡しました。
「勇者様、ちょっと装備してほしいものがあるんですけど」
そう言いながら私が取り出したのは、白銀の紐細工で拵えられた例の腕輪でした。
凄い魔力を秘めている、繊細な作りの腕輪。
その数、なんと全部で五つ。
【業運の腕輪】
先々代の魔王の毛髪から作り出された腕輪。
日頃の行いと人望に左右されて祝福のアイテムにも呪いのアイテムにもなる。
「これは?」
「まぁちゃんのお城にざっくざっくあったんで、勇者様の為に借りてきました。装備した人の運命を左右する幸運のアイテムですよ☆ ……人望低くて普段の行い悪い人が装備すると呪いのアイテムと化しますけどね」
「今最後、なんかぼそっと! ぼそっと不穏なことを言っただろう!」
「勇者様なら大丈夫ですよ! だって普段の行いも人望も、絶対に問題ありませんから」
「信頼して貰えている、のは嬉しい……けど本当にこれ大丈夫なのか!?」
「私達もみんな腕につけてますよ?」
「えっ …………大丈夫なのか?」
そう言いながら、勇者様の目がヨシュアンさんとサルファを見ていました。視線が露骨過ぎますよ!
「ヨシュアンさんは、今回の同行者達の中でもダントツで良い方に作用している人の一人ですよ。サルファは……そういえば嵌めてませんでしたね!」
「うん、俺も怖いからその腕輪はいらないや☆ 俺、自分ってもん良くわかってるつもりだし」
「サルファが珍しく賢明です」
困ったような顔の勇者様に、問答無用で装備しろと突きつけます。
まぁちゃんの話だと、魔境に来たばかりの頃にもこの道具の説明を受けている筈なんですが……どうやら、記憶の彼方のようですね。多分。
それでもこの腕輪は勇者様の為にこそあるようなものだと、勇者様を救出に来たついでにそれぞれ勇者様用に余分に一つずつ持ってきていた腕輪です。サルファ以外。
まぁちゃんが置いていった分も有り、それぞれが勇者様の為に選んだ腕輪は計五つ。
それぞれの意匠も異なる、選び甲斐のありそうな五つ。
これだけあるなら自分が持ってきた分は出さなくても良いだろう、とりっちゃんとリリフが自分の持っていた腕輪を引っ込めて五つです。腕輪だけなら七つあります。
翼モチーフの腕輪と、人間の顔みたいな模様が連続して続く腕輪に、海老の頭を模したモチーフのついた腕輪。
それから蛇皮みたいな鎖模様に編まれた腕輪と……ロロイ? え、その無駄に可愛いお花の沢山付いた腕輪、ロロイが選んだんですか? 勇者様につけさせようと?
なんだかそれぞれ趣が大幅に違うものばかりになってしまいました。
……さあ、勇者様はどの腕輪を選ぶのでしょうか。
それともいっそのこと、全部とか……?
勇者様の指は、ふよっと彷徨い……露骨に、三つの腕輪から視線を逸らしていました。
時をあまり置かずして、一つを手に取ろうとした時。
「あ、ちょっと待って」
誰かが勇者様を呼び止めました。
その、目的は……
好奇心に突き動かされて、やらかしてしまいました。
言い出しっぺは画伯です。
ふと、思いついたという口調で、誰もが思いながら口にしなかったことを言っちゃったんですよね。
「この腕輪ってさ、複数つけたらどうなんのかな」
……誰もが言わなかったことを!
はっきり言葉にされちゃったら、考えずにいられないじゃないですか!
業運の腕輪は、前にも言いましたが先々代の魔王であるまぁちゃんのお祖父ちゃんの毛髪製です。
魔王の体の一部を素材にしているのだから、とんでもない魔力を持っているのは言わずもがな。
そんなアイテムの重複装備。
……無茶だって事は、わかってるんですけどねー?
自分では絶対にやりたくありませんが。
「待て、落ち着け! 早まるな! というか何故俺で試そうとするんだ!!」
好奇心に負けた人々が、とっても良い笑顔で勇者様に詰め寄っています。
そして私も止めないっていう。
ごめんなさい、勇者様……止められない私を許してください。だって気になるんですもの!
かなり上手く事が運べば、低確率ですが勇者様の幸運値が凄まじいことになると思います。低確率ですが。
でもそれ以外の可能性となると……はい、予想はつきませんね。
ヨシュアンさんが勇者様を羽交い締めにして、サルファが全開の笑顔で勇者様の腕に、今まさに腕輪を……
……人面にしか見えない模様が連続して連なる腕輪を!
「っておいぃ! よりにもよってその腕輪か! 俺が真っ先に選択肢から外したやつ!」
「みぅ……勇者さん、気に入りませんの?」
「え……ひ、姫が選んだ腕輪か、それ!?」
「勇者の兄さんひどーい。女の子が選んだ腕輪にけち付ける? ふつー」
「おいサルファ、一先ず一発殴らせろ」
「だから勇者の兄さん、俺の扱い酷くない!?」
「胸に手を当てて考えてみろ! 普段の行いが悪いからだろ!」
「俺ってば言うほど悪いことしてないと思うんだけどー」
「今まさに、俺にしようとしているのは何だ!?」
「実験?」
「俺でやるな! 他で……自分でやれ!」
「あははははー☆ 俺の肉体強度だと不安じゃん。その点、勇者の兄さんは爆裂四散しても死にそうな気がしないし!」
「おい!? 流石に爆裂四散して生きていられるほど生命力に自信は無いぞ!」
「まったまたぁ~」
「なんで俺が謙遜してるみたいな扱いになってるんだ! というか爆裂して生きていたらおかしいだろう、人間として!」
「人間……?」
「人間かどうかすら怪しいと言いたいのか!? おい、どこを見ている。翼を凝視するな!」
腕輪を付けようとするサルファと、羽交い締めにされながらもギリギリ抵抗し続ける勇者様。
あの状況で抵抗できるって地味に凄いです。
傍観体勢に入った私達は、いつ決着が付くかとお茶を啜りながら見守ります。
「どっちに軍配が上がりますかねー」
「リャン姉、俺もちょっと参戦してくる」
「え? ロロイも行くんですか」
「ああ……俺も、腕輪の複数装備がどうなるのか気になるからな。(勇者の末路が)」
「あれ、今なにかボソッて?」
「気のせいだと思う。それじゃあ俺も……」
一緒にお煎餅を囓っていたロロイが、腰も軽く立ち上がります。
軽く柔軟してから向かおうとするあたり、さりげなく本気です。
勇者様とサルファ、どっちに味方するつもりなんですかね?
どんでん返しで、油断しているサルファ襲って無理矢理装着、という展開でも面白そうなんですけど。
どうなるものかと、固唾と共に噛み砕いたお煎餅の欠片を飲み込みます。梅ザラメ味。
ですけど、場の決着を見ることは出来ませんでした。
「君達、何やってるのさ」
呆れた感じに、愛の神様に声をかけられたからです。
なんとなぁく困っているようにも見えますが?
そういえば愛の神様と面識もなければ紹介すらされていなかった勇者様がきょとんとしています。
目覚めた後、勇者様が取り乱していたから紹介する時機を逸してたんですよね。
今ここが紹介時でしょうか?
だけど機先を制して愛の神様が言った言葉に、勇者様は再び取り乱すことになりました。
「そんな悠長にじゃれ合ってる余裕があるのかな? 母上が……美の女神の気配が、急速にこっちに近づいてきているのに」
美の女神。
それは、勇者様を攫った私達の仇敵で。
全力で嫌がらせする準備が整っていれば、遭遇するのも歓迎なんですけれど。
いきなりの宣言だったので、確実に心の準備が出来ていなかった方が約一名。
「い、いやぁぁぁあああああああっ!?」
勇者様です。
……美の女神に何をされたのか、知りませんけれど。
この短期間で既にしっかりトラウマ芽生えちゃっていませんか……?
動揺のあまり、全力でじたばた。
押さえつけられていると落ち着かないのでしょう、画伯の拘束も振り払い、ついでにサルファの鳩尾にどさくさ紛れで膝蹴りの良いのが入りました。
「うぐっ!?」
え、今のって故意ですか? それとも偶然ですか?
勇者様の青ざめた顔からは、どっちかなんてわかりません。
取り乱すお姿に、愛の神が嘆息混じりで哀れみの目を向けていました。
「落ち着いて対面、は難しそうだね。ここは良いから、避難……一時撤退すると良い」
「え、逃がしてくれるんですか? 美の女神は……親御さん、なんですよね?」
てっきり、この神様は心持ち美の女神寄りだと思っていたんですけれど。
違うんでしょうか?
首を傾げる私に、愛の神様は妖艶な美貌に相応しい艶然とした笑みを浮かべました。
「言わなかった? 私は人を恋愛地獄に突き落として右往左往させる神、恋愛の守護神なんだ」
「その言い方は守護神と言うよりむしろ悪神っぽいんですけど」
「だからね、私は人間が恋愛することを誰よりも推奨している。ライオットに地上で恋愛出来る余地があるのなら、加護を与える神としては応援せずにいられないね。私もライオットは可愛いんだよ。……地上でハーレムを築かないものかと期待を寄せるくらいには」
「余計なお世話だ!! なんだ、その期待!?」
「あ、そこは反応するんですね、勇者様」
「ライオットが二十歳になる前に地上で桃色の青春を謳歌できていたら、母上が攫って弄んでもそこまで反対はしなかったけど……折角加護を与えたのに、ライオットの今までの青春が、なんというか……悲惨すぎて、ね。せめて一つくらいは地上で幸せを掴んでくれないことには、若い身空で人間辞めさせようとは思えない」
「つまり、同情ですか」
「そうとも言うかもね? 本当に、地上で思い残すことがないようにと思って加護を強めに与えておいたのに……子供の一人や二人、母上が攫いにいく頃には生まれている計算だったんだけど。そうしたら選定の女神にも落としどころが」
「あ、そのへんで、そのへんで。愛の神様、勇者様が神々の身勝手な理論に死にそうです」
「なんでこの子はいつまで経っても純情なんだか。美と愛の加護を受けたら、統計的にはもっと奔放に育つものだよ」
「副次的な効果が悪すぎたんですよ……後はご本人の性質もあったんじゃないですか?」
「人間って難しいものだね」
取りあえず、神様でもお話しして分かり合えないことはなかった……ということですかね。
愛の神様は美の女神様との親子関係上、おおっぴらに対立はしないそうですけど。
でも愛の神様の期待を裏切って勇者様の青春が灰色過ぎた為、むしろ真っ黒だった為、心情的には勇者様の地上への帰還を応援してくれているみたいです。
「さ、そろそろ本当に出立するべきだ。まだ位置は離れているが、遠からず母上が到着する」
愛の神様は、やたらと私達の出立を薦めてきます。
それに、うちのご先祖様が心底面倒臭そうな顔で立ち上がりました。
さかさかと床に広げていた荷物を畳んでいきます。
「仕方ねえ。あの女がここに来るってんなら壮絶に面倒なことになるからな。巻き込まれねえ内に離れるか」
そう言いながら、何故かご先祖様の目は……愛の神様の奥さんに固定されていました。
魂の女神様は、ご先祖様の視線を受けてにっこりと微笑みを深めます。
「うふふふふ……」
ついでに、なんか笑い声が聞こえました。
何やら含む物が……どす黒い何かが滲んだ怖い笑い声です!
「お義母様がいらっしゃるのね……大変、急いで歓迎のご準備をしなくては!」
あ、目が笑ってな……違う! 笑ってる! 凄く笑ってる! 物騒な感じに!
魂の女神様は、ご自身の膝で眠っていた娘さんを優しくそっと揺り起こします。
「可愛い子、お母様と一緒に準備しましょう? 『おばあちゃん』が来ますよ!」
「はぁい……う? おばぁ……おねえ、ちゃんが来るの?」
「あらあら、どうしたの? 『おばあちゃん』でしょう?」
「でも……おばあちゃん、って呼んだらメッて、おばあちゃんが」
「うふふふふ……大丈夫よ。あの方が貴女の『おばあちゃん』であることは事実だもの。遠慮することなく『おばあちゃん』って呼んで良いの」
「……良いの?」
「ええ、だから真心込めてお迎えしましょうね! 『おばあちゃん』を!」
何故でしょう。
愛の神様のお嬢さんなので、彼女から見て美の女神様が『祖母』に当たるのは間違いないのですが。
奥さんの物言いに、どす黒い悪意を感じます。
誰もが何かを感じつつ、口を挟むことも出来ず。
うふふふふと笑いながら娘さんを連れて神殿の方へと駆け去って行く、愛らしい奥さんの姿を見送りました。
無言で、見送って。
その背中を見ながら、酒神様がポツリと言いました。
「……ここの嫁と、美の女神が居合わせると、絶対に修羅場になるんだよな。まさに修羅の家って感じで」
どうやらここのお宅の嫁姑関係は最悪な模様です。
そんな心休まらない嫁と母の応酬を見せつけられる羽目になるだろう愛の神様は、一体どう思っているんでしょう?
微妙に気になりましたが、愛の神様は奥さんの後ろ姿をうっとりと見つめるばっかりで……碌な事にはならなさそうだな、と。
巻き込まれる前に、私達はこの場を離脱することにしました。
勇者様がいるので、見つかったら絶対に巻き込まれます。
それを恐れた私達の撤退速度は、未だかつて無いくらい凄く手際の良い物でした。




