67.そして悪夢は進化/深化する
「う、うぅ…………野菜……野菜が……」
悩ましくも艶麗に、勇者様が苦しそうな声を漏らす。
男達は勇者様の異変に気付き、酒盛りの手を止めて揃って顔を覗き込んだ。
「勇者君のこれって呻き声?」
「めっちゃ魘されてるなぁ」
「わかりやすく悪夢見てそうな感じだけど、何見てるんだろう」
「とりあえず、アスパラが登場していることは確実だな」
魘される勇者様の姿は、まさに苦悶といった様子だ。
あまりに酷い様子なので、魂の女神に男達は判定を促す。
これ、大丈夫か? と。
「何か、精神世界で大きなショックがあったのでしょね……その影響が、悪夢という形でこの青年の心を圧迫しているようです」
「大きなショック、かあ……」
魔境出身者達の脳裏に、赤い髪も鮮やかなリアンカちゃんの笑顔が訪仏とされる。
彼女達は果たして勇者様の内部で何をやっておられるのでしょうね?
勇者様の体の外側、物質世界に取り残された男達には予想することしかできない。
具体的に勇者様の精神世界がどうなってるのか想像が難しかったため、ぼんやりとした予想になったが。
「……がんばれ、勇者君」
「がんばれ、がんばれ、勇者のにーさん」
「気を確かに!」
男達には、酒瓶片手に応援しか出来なかった。
「しっかしこいつの譫言、『野菜』しか言ってねえからな……傍目にゃ大層な偏食野郎にしか見えねえな」
「そうだね、野菜も食えって言いたくなるよ。ライオットは好き嫌いないけど」
現在、勇者様の心の中に発生している野菜の一部に勇者様ご自身の変貌したモノが含まれる。
それを食ったら共食いだろうか……?
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
現実を逃避したい勇者様に、私はこの言葉を送りました。
「勇者様! 目の前のことをしっかり直視してください!」
これが酷な言葉だと、私はわかっていました。
だけど実際のところ、貴重な戦闘員である勇者様が標的から目を離してどうするんですか。
隙をつかれて出し抜かれても知りませんよ?
その場合、私は即座に逃亡離脱しますが異論は認めません。
こんな大量の勇者様とアスパラに囲まれた状況で、戦闘能力皆無の私がどう頑張れって言うんですか。
相手の隙を突くとか、弱点を突くとか、意表を突くとかが出来れば何とかなるかもしれませんけど。
私は非戦闘員なので、多くを求められても困ってしまいます。
だから勇者様、戦闘は自力で頑張ってとしか言えないんです。
例え宙に浮かんだ勇者様達が、二重の円を描く形で回転・発光し始めたとしても。
外側には真心様と変わりない、何の変哲もない五人の勇者様。
まるで五芒星を描くように等間隔の位置を保ったまま、右回りで円を描き始めます。
内側には変貌を遂げてしまった人参・玉葱・ジャガイモの野菜勇者様三人衆。
此方も三角形を描くように等間隔を保ち、意識のないまま左回りで回転していきます。
彼らの回転する速度が速くなっていくに従って、高まる光。
一人一人の勇者様がまばゆく輝いて見えます。比喩ではなく実際に。
外側の五人は赤・青・黄・桃・緑、内側の三人は光の三原色と大変色とりどりで目に痛い。
これは深刻な打撃を受けてしまいますね、視覚の暴力です。眼精疲労的な意味で。
そして回転する勇者様達を背負うような位置で、謎の踊りに没頭するアスパラ。
「ふんだば だばだ ふんだばだー! ふんだば だばだ ふんだばだー!」
何を言ってるのかよくわかりませんけど、掛け声めいた鳴き声にも熱が入っている模様です。
「何が何だかよくわかりませんが、場が最高潮に盛り上がってきましたね。真心様、あれ止めなくって良いんですか?」
「止めたい……いや、止めなくっちゃいけない。だがそれがわかっているのに……! 直視したくないあまり、体が自由に動かない!」
「……んっと、それ、何か変な状態異常に引っかかってないですか?」
よく見れば、ロロイとリリフの二人も動きづらそうにしています。
なんというか、体が重そう?
……本性『竜』の二人が重く感じるって、それどんな重量感ですかね。私だったらぺっちゃんこに潰れちゃいそうです。
真心様も心なしか全身に見えない圧力……いえ、確実になんか変な荷重がかかってますね。
やっぱりこれは状態異常でしょうか。それとも変な呪いか何かが発動しているんでしょうか。
三人が身動き取れずにいる中。
私はなんともないんですけど。
……あ、私がなんともない時点で、これ状態異常ですね。
そういえばまぁちゃんの魔眼にもこんなのあったような気がしますねー?
ということは、他の三人が動けないんですから、あの目にも異常な勇者(狂った良識)様達の回転発光を止めようと思ったら私が何とかしなくっちゃいけない感じでしょうか。
……。
…………。
……うん、無理ですね。はい、阻止するのは諦めましょう!
だってどうやって止めたら良いのかわかりませんし!
全部、魔境産の強酸性劇物とかで溶かしちゃって良いとかなら、やりようがあるんですけど。
本人達も自分の意志じゃなさそうな奇妙な動きを止めろとか、私には荷が勝ちすぎます。
これはもう、勝手に停止するまで好きにさせとくしかありません。
幸い、勇者様達が回転発光している間はあの巨大アスパラもこっちにちょっかいをかけてくる気なさそうですし。
今は攻撃されないようなので、勇者様達の状態異常を解除するか、アスパラが動き出した場合に備えて用意でもしていた方が建設的です。
「まずは真心様達の状態異常が解けないか試みようと思うんですけど……真心様」
「な、なんだ? 何か方策があるなら頼みたいんだが」
「じゃあ『少し痛くて気持ち良いの』と『凄まじく苦くて気持ち悪いの』と『割と精神にクるの』、どれが良いですか?」
「碌な選択肢がないな! というかリアンカに『精神にクる』なんて言われる方策って一体!?」
「あ、それにしますかー……ご愁傷様です」
「誰も決めたとは言ってないだろう!? 今の君の反応で決めた。その選択肢だけは絶対に選ばない」
「じゃあ痛くて気持ち良いのか、苦くて気持ち悪いのか、痒くて辛いのですね!」
「おい、選択肢増えてるぞ!? もっと安心して挑めるような治療はないのか……?」
「真竜の中でも王に近い血筋の二人が動けなくなるような状態異常ですからねー。半端な治療法だと試すまでもなく効きそうにないな、と」
「半端じゃない治療法しかそもそも選択肢にない、と……」
勇者様も私の言い分に納得したのでしょうか。
何かが切り替わるようにして、ふっと顔が諦めを多分に含んだ生気のないものに……勇者様って切り替え早いですよね! その速度は魔境に来てからどんどん上がっているような気がしますけど。
「それじゃあまずは痛気持ち良いのから試しますねー」
「待て、選ばせてくれるんじゃなかったのか!?」
「どれが高い効果を出すかわからないので、治るまで片っ端から総当たりでいこうかと」
「その意見は理解できるが感情面では全く理解できそうにない!」
今の勇者様は動けないので逃げ場もありませんし、私の手を逃れる手段もありません。
なので勇者様の感情面が納得できていなくっても施術あるのみです。
私は腰のポーチから、小さなお灸を取り出しました。
「痛くて気持ち良いのって、お灸を据えられるのか、俺」
「これはただのお灸じゃありませんよー。対象の魔力と、魔力抵抗を一時的に爆上げするお灸です」
「つまり、状態異常を及ぼしている何らかの魔力を弾けるように……と?」
「お灸の材料に古代巨狼の鬣を使っているんですけどね? 患部をお灸で熱すると反射で本人の魔力がほわっと広がるので、そこにお灸の熱を介して古代巨狼の魔力が混ざっていくっていう……」
「そもそも、どうしてお灸に絶滅した伝説の魔物の異物を混ぜようなんて思ったんだ」
「え? 絶滅はしていませんよ?」
「は!? 古代巨狼といえばもう何千年も前に地上から姿を消したと……」
「魔境じゃ現役ですけど。食物連鎖の上位で溌溂と野生生活を満喫していますよ?」
「……魔境ならではの異常だな」
人間さんの国々で絶滅したとされている生物の何割かが生きて見つかる地、それが魔境です。ナウマンゾウとか。
古代巨狼さんはあまり人間に友好的ではありませんけど、十三年位前にまぁちゃんが凹ってから換毛期に抜けた毛を安定供給してくれる素敵な隣人さんです。前は手に入りにくい素材だったらしいので有難い話です。
ちなみにまぁちゃんが古代巨狼さんを凹った理由は、森でピクニックの途中に遭遇して、脅かされた私がぎゃん泣きしたせいなんですけど……まあ、あまり重要な情報でもありませんよね。
私は子供の頃の懐かしい記憶を思い返してほのぼのしながら、そっと勇者様の各所にお灸を据えていきました。
「覚悟は良いですか? 着火しますよ?」
「もういっそのこと一思いにやってくれ」
「着火後、三秒で爆発します」
「その情報は初耳なんだが!?」
「魔力が混ざって一気に膨らむのと、古代巨狼と人間の魔力が反発しあう性質なので……拒絶反応ってやつでしょうか?」
「このお灸、絶対に不良品だろう!? というか失敗作だろう!」
「ショック療法には最適なんですよ? 魔力詰まりとか治ります」
「ショック療法って! ショックがある時点で駄目だろう! 魔力の爆上げ云々はどうなったんだっ」
「爆発の衝撃で、真心様の体を害する魔力干渉を弾き飛ばしますよー。あ、魔力もちゃんと上がるんですよ? 最初の爆発にさえ耐えれば三十分間は無敵状態です。最初の爆発に耐えられる人は少ないですけど。……でも、勇者様ならやれるって私、確信しています!」
「その信頼の根拠はなんだー!?」
「今までの実績?」
「そんな無限の期待を寄せられるような実績を積んだ覚えはないんだが!? 爆発に耐えられるかどうかなんてギリギリ狙うのは止めよう!」
勇者様なら耐えられると思うんですけどねえ?
どうしても嫌だと、それくらいなら根性論で状態異常の一つや二つどうにかすると勇者様は仰います。
「爆発で一瞬意識が吹っ飛ぶ瀬戸際、癖になるふわっと感だそうですよ?」
「誰が試したんだそれ!?」
問答無用で着火しようかと思ったんですけど……
勇者様をなだめている間に、そんな時間は無くなってしまったようです。
「ふん……だ、ばぁぁあああああああっ!!」
これぞまさに、最高潮。
興奮が頂点に達したのでしょうか。
光る二重の円(乱心勇者様達)を背に踊っていたアスパラが、両手(?)を高々と空に掲げて。
その踊りに終止符を打ったのです。
そうして宙に浮かぶ勇者様達が、一際強い光を発しました。
光が強すぎて、何も見えません。
目が灼けるようです。
そうして、光が収まっていた時……
私達は、一つの進化体系の、行きつく先を目にしました。
アスパラの調理例っていう。
「やっぱりまたカレーかよおおおおおおおおおおっ!!」
「勇者様、半ば予想してた!?」
「予想したくはなかったがな! だけどどうしても脳裏に過ぎるものはあったがな!」
「野菜のラインナップ、思いっきり汎用性高かったのに……カレー以外に思いつくものはなかったんでしょうか」
かつての試合でぶつかった時の印象が、衝撃が強かったせいでしょうか。
今もほら、状態異常に浸食されて身動き取れなかった事実を忘れたかのように、今の今まで蹲っていた真心勇者様がすっくと自分の両の足で仁王立ちになって、軽々と両腕を振り回しながらひっきりなしにツッコミめいた叫びをあげています。
ふふ、勇者様ったら。ヒトを指差しちゃいけないんですよー?
ここは勇者様の精神世界……そこに現れた手強そうな、ボスっぽいアスパラさんはカレーに変貌。
アスパラグリーンカレー、再びです。
まさかこの対戦カードを再び見られようとは、流石に私も思いませんでした。
あ、宙に浮かんでいた勇者様達のお姿は消えていました。
どこに消えたのかと思ったら……カレーの具と化していました。
混入されちゃったんですね、勇者様。
人参・玉葱・ジャガイモ枠だった三人はともかく、他の五人は何の枠ですか。肉の代わりですか?
どの具のつもりだったとしても、着衣したままカレーに沈むのは衛生的にどうかと思うんですけど。
感想欄であまりに多彩な調理例を提示されたことでグラタン……? キッシュ? それとも他のナニか??? と色々考えはしました。考えはしたんですけどね? この展開を予想されている方が多いようでしたので、敢えて予想とは違う方向に走ろうかとも思いました。
……が。
感想でいただいた「リアルカレーの王子さま☆」という単語がツボ過ぎて、直進することにいたしました。




