54.真心(ツッコミ)の目覚め
目を覚ましてほしい。
一つの願いが込められた唇が、そっと柔らかな肌に触れた。
柔らかい感触を覚える前に、唇は離れ行く。
――実行後、三人で固唾を呑んで見守る中。
看板に示唆されていた通りの現象が目の前で起きる。
即ち、目覚め。
ふるりと睫毛を振るわせて、あんなに起きる気配の一向に見えなかった青年の瞼が開かれていく。
すっかり見慣れた、深い青の瞳。
まだ意識がはっきりしないのか、どこか虚ろに目線が彷徨う。
ひたり。
彷徨う視線と、私の目が合いました。
「おはよう、勇者様」
お寝坊さんな勇者様に、私達はいつものように挨拶の言葉を差し上げました。
ゆるゆると、上半身を起こして勇者様はご自身の頭を振ります。
意識をはっきりさせようとしているのでしょう。
微かな呻き声が、彼の形の良い唇から洩れました。
「俺は…………そうだ、俺は」
「勇者様は?」
「俺は、確か封じられた筈……どうやって目覚めさせ、て…………」
「ん? どうされたんですか?」
現状を確認する為か、何事か自分に言い聞かせるように呟いておいでだったんですけどね?
何に思い当ったのか、いきなりぎょっと大きく目を開いて勢いよくこっちに目線を向けてきました。それはもう、音がしそうなくらいに勢いよく。
「なんで君が此処にいるんだ!?」
「なんでも何も、いちゃ悪いんですか!?」
「わ、悪くはない。いてくれて良いんだが……そうじゃなくて、君………………って、なんて格好してるんだ!!」
「え?」
「いつ、いつもの村娘の格好は!? なんでそんな……大胆に足の出るような恰好を!」
「え、この状況で気になるのはそこですか? 村娘の格好は荒事に向かないんで自重しただけなんですけど」
「自重するところを盛大に間違っているだろう!? むしろそこはスカート丈を自重しよう、頼むから! 太腿なんか地肌が見えているじゃないかー!!」
「お目覚め三秒で気にするのはそこなんですかー!?」
真っ赤な顔で、金の髪を振り乱して狼狽える勇者様。
恥ずかし気に目線を逸らす、勇者様。
目線を逸らしながらもびしっと私の足を指差して、無言のままにどうにかしろと訴えて来る、勇者様。
その反応があまりに自然で、こっちもついついいつもの様に対応してしまいましたけど。
確信なんて、考えるまでもなく『そこ』にあります。
その反応、その思考、そのお言葉。
真っ赤に顔を染めあげて喚くお姿も、とても見慣れた……懐かしいもので。
そこに、『正常な勇者様』がいました。
私が見慣れた、正気の勇者様が。
おはよう、勇者様。
その後、勇者様が落ち着くのには体感時間で十五分くらい時間を要しました。
私が足を隠すまでは落ち着けないと主張されるので、ロロイが肩から掛けていた飾り布を借り受け、太腿が隠れるように腰に巻いて初めて息を整えられたようです。
うん、早く落ち着いて勇者様。
「そ、それで、ええと……君達は、『ライオットの心』の住人ではなく『現実の』リアンカやロロイ、リリフだろう……?」
一瞬、『ライオット』って誰でしたっけと思いました。
あ、勇者様の本名でしたねと思い至るのに約二秒。
少し間が生じてしまいましたが、私は素知らぬふりで勇者様の他の言葉に反応を返しました。
「わあ凄い。わかるんですか?」
「わからないと思うのか……? 『俺』も『ライオットの心』の一部、同じ『心』に属するモノか異物くらいは判別できる」
「……まるで勇者様ご自身じゃないみたいな妙な物言いですね?」
「俺もまた『ライオット』の一部ではある。だけどこの世界に存在するモノを全てひっくるめたモノを指して完全なライオットと称するのなら、『俺単体』をライオットそのものだと言い切ることは出来ない」
「うん、意味がわかりません」
「俺は『ライオット』という心の集合体を構成する『一』に過ぎないんだ」
「でも言動を見るに、アスパラに浸食された他のアレコレよりも遥かに勇者様っぽいですよ?」
私がアスパラと口にしたのは、一つの賭けだったのでしょう。
もしこの単語に反応して、目の前のまともっぽい勇者様まで狂気に陥ったら……そう、過剰反応を案じずにはいられませんでしたが。
どの道アスパラだらけになってしまっている『勇者様の心』で、アスパラを避けては通れません。
狂うなら最初に狂っちゃえ、期待はしません。混沌ばっち来いと覚悟を決めての発言でした。
「アスパラか……」
でも、勇者様の反応は悩まし気な、憂いに満ちたもので。
どこか儚げな、疲労と絶望を宿した力のない微笑を浮かべておいでです。
その顔色は、アスパラに浸食された他の勇者様達の幸せそうなモノとは全然違って。
なんだかとっても正気っぽく見えました。
「俺がここで眠りについていたのは、『俺』を『アスパラに染める』ことが不可能だったからだ。だからこそ、ここに封じられていた」
「封じられて……?」
わざわざ封じるなんて表現を使われると、なんだか目の前の勇者様がとても重要人物っぽく見えてきます。
どういうことでしょうね? 勇者様の一部であるところの彼は、一体何者……いえ、勇者様の心の中でどんな役割を担っているというのでしょうか。あれだけしっかりアスパラに染めあげられた勇者様の心の中で、彼だけが封印されるとは。しかもアスパラの浸食を免れているとは?
首を傾げる私に、勇者様は不思議そうに言いました。
「『俺』は深い眠りの底に封印されていた筈。その封印を解いたのは君達だろう? 一体、どうやっ、て……って」
聞きたいことが途中でわかったので、私とロロイとリリフの三人は、勇者様が言い終える前に無言でそっと指差しました。
勇者様の眠っていた石の寝台脇、一つの文言がしっかりくっきり書き記された、小さな立て看板を。
そこに書かれている一文は、既に先程私達が確認した通り。
――『 キスして そしたら起きるから 』
私達の指差す先を、視線で辿り。
看板を発見した勇者様は、ただ無言で看板を見つめていらっしゃいました。
書かれた一文が理解できないかの様に。
あるいは、何度も繰り返し読んで意味の理解に努める様に。
時間をかけて、無言で看板を見つめた後。
勇者様の視線が、再び我ら三人の方へと戻ってきました。お帰り、待ってなかったよ!
「………………」
物問いた気な視線に、呆然と半開きになる口元に。
私達は目を合わさずそっと視線を逸らして応じました。
「や、やったのか……っ?」
「その問いには『是』としかお答えしようがないですね」
「だっ誰が!」
「選択肢は三択です! 1.人間(♀)! 2.ドラゴン(♂)! 3.ドラゴン(♀)! さあ果たして正解は誰でしょう!? ちなみに三人そろって黙秘権を行使する予定なので返答は未定です!」
「黙秘権!? ちょっと待って教えてくれないのか!」
目を白黒させる、勇者様。
誰がやったのかは内緒にするって最初に約束したので、絶対に口は割りませんからね!
ちなみに、ですが。
試しに勇者様の手の甲に口付けてみたら、それで済みました。
別にどこにキスしろとか、特定の部位は指定されてませんでしたしね?
私達から望む返事は得られないと諦めてからは、勇者様の切り替えも即でした。
「まあ、心の中だしな……実体じゃないし。俺もあくまで『ライオット』の心理的な一分に過ぎないし」
ぶつぶつと聞こえてくる呟きは、自己暗示か何かでしょうか。
必死に己に何かを言い聞かせている模様です。
「これは備考というヤツなんですが」
「ん?」
「キスと言っても口付けたのは勇者様の手の甲ですよ?」
「……は?」
「だから、手の甲。勇者様の手を取って、そこにちゅっと」
「それを早く言おうな!? 俺の苦悩は何だったんだ!」
「済みません。嬉しくて、つい」
「嬉しいって、俺が思い悩むのが!? 君は鬼か……」
「そうじゃなくって、ツッコミが。勇者様が、『私の知る勇者様』だから。いつもと同じ、私の知る反応を返してくれるものだから、嬉しくって」
「…………………………だけど俺は、君の知る『ライオット』そのものではないよ」
「さっきもそう言っていましたね。完全なものではなく、一部にすぎないって」
「ああ……」
「そろそろ、正式に紹介して下さいません? 貴方が勇者様の『何』なのか。どうして貴方だけは、アスパラの浸食に汚染されずに済んでいるのか」
私がそれを聞くことを、予想していたのでしょうか。
問いかけに対して、勇者様は思うよりも自然な、滑らかな反応を見せました。
困ったように微笑んで、淀むことなく彼の口が己の正体を告げる。
「俺は、ライオットの『真心』……偽らざる本音であり、嘘偽り、誤魔化しの通じない心の底から本当に感じ響くもの。『真心』を捻じ曲げることは、誰にも出来ない。他ならぬライオット自身が違うと思い込んでも、本心は別だと勘違いしたとしても、染め潰すことの出来ない部分だ。嘘がつけないし、偽りを真実と思い込むことも出来ない。アスパラに染めようとしても染められない……だから、アスパラに染めたい『アレ』も、騙せないから封じるしかなかったんだろう」
「真心、ですか」
なんか今一ピンとこないんですが。
ええと、言っている内容を要約すると、つまり、
「勇者さんの嘘のつけない部分ってことですか」
「おまけに本人ですら自覚していない本心でもある、と」
「理解が早いな。つまり、そういうことだ」
考えていたら若竜達が噛み砕いてくれた上に、勇者様の肯定まで入りました。
……私ったら、理解力が低いんでしょうか。ちょっと不本意です。
だけど次の瞬間、ロロイの台詞を聞いたらどうでも良くなりました。
「つまり、アンタからは勇者の隠したい本音が聞き出し放題ということだな」
「!!」
図星だったのでしょう。
私は勇者様のお顔がひくっと引き攣るのを見逃しませんでしたよ!
途端に私は自分でもわかるくらいに目をきらっと光らせ、ずずいっと勇者様に詰め寄りました。
「勇者様勇者様、勇者様ー! お聞きしても構いませんか、結構ですね!」
「ここぞとばかりにキラキラした目でナニを聞く気だ!?」
「まあ私も色々気になってることがあるんですよ。取敢えず、身近な話題からということで、まぁちゃんのことってどう思いますか?」
「まぁ殿か。色々な意味で凄まじく強い人だし、とても敵わないと思う。だけど見習いたいとも思わない」
「せっちゃんは?」
「信じられないくらいに綺麗な子だと思う。だけど危うい部分が多過ぎて、見ていると不安になる……まぁ殿が側についていて滅多なことがあるとも思えないけれど」
「それじゃあ、私のことはどう思いますか?」
「えっ。か、か………………か、わいぃ、と、思……ってなにを言わせるんだ!?」
「では、適当な質問で場も和んだところで、お聞きしたいと思います」
「えっ!?」
機会があったら聞いておいてほしいって頼まれた質問が二つあるんですよねー。
取敢えず心臓に悪そうな質問の方を後回しにしておきましょうか。
「ハテノ村、家事手伝い(24)さんからの質問です! 『勇者さんの異性の好みは!?』」
「ええ!? こ、好みって……出来れば裏表のない素直で天真爛漫な……ってだから本当に何を言わせようって言うんだ! 人が嘘を吐けないのを良いことに!」
「じゃあ魔王城は某エロ画伯の信者28号(142)さんからの質問、『勇者さんの好きな女性用下着のタイプってどんな感じ!? 可愛い系? セクシー系? それとも!?』だそうですけど何て答えます?」
「じょっ女性用下着っ!? 好みのタイプも何も語れるような詳しい知識は無―……って本当に勘弁してくれないか!? もう少し手加減! 手加減をしてくれ! こっちは嘘が吐けないんだ、それなりの配慮をしてくれても良いと思う!」
「どうやら嘘が付けない、自分を偽れないというのは本当のようですね……」
「こんなよくわからない質問の羅列でこっちの真意を測ろうとするのは止めて下さい本当に!!」
嘘や誤魔化し、自分を偽ること。
それは人なら誰だって大なり小なりやってることだと思います。
私も例外じゃありませんし、きっと勇者様だって例外じゃありません。
なのに、目の前にいる勇者様は嘘や偽りというモノがご不在状態の勇者様だという。
それって物凄く、ものすっご~く不利なイキモノだと思うんですが。
彼が封じられていた事情は理解しましたが、そんな状態でこのひと大丈夫なんですかね?




