49.ここはアスパラの森
魂の女神様は勇者様を安置していた土の寝台(即席)の周囲に何やら見慣れぬ陣を書き上げると、私達三人を陣の中へと招き入れました。
所定の位置に寝そべるように指示を受けます。
「良いかしら。人の心の中とは複雑怪奇にして何が起きても不思議はないもの。常識や物の道理、現実での規則や法則は通じぬ物と心してかかりなさい」
「大丈夫。正直言って、そういうの得意です」
むしろどんな珍妙複雑怪奇な事態が起きても不思議じゃない魔境育ちなので、私達はそういった空間に耐性があるとも言えます。
でもこっくり頷いて断言した私達に向けられた女神の目は、心配そうな色に染まっていました。
「そういうことじゃないのよ……。個人の心の中というのは、その人の意識・無意識に左右されて大きく矛盾していたり、心の障壁が連なって迷路と化していたり……色々あるのよ。いろいろ」
とても説明は仕切れないと、困り果てたお顔の女神様。
こうして改めて見ると、やっぱり美人さんです。それに初めて会ったばかりの私達を本当に心配してくれているみたいで……彼女の旦那さんを、あんな無体な目に遭わせた一味の仲間だって言うのに。
愛の神様は素敵なお嫁さんをもらったみたいですね。こういう幸運に恵まれた方には何と言うんでしたか……確か村の自警団員とか、若衆はよく良いお嫁さんを迎えた幸せそうな新婚さんに、「爆発しろ」と言っていたような。
……変わった言い回しですけど、何かの呪いとかですかね?
一瞬、男達の妬みの視線で爆裂四散する愛神様の姿を想像しましたが、多分そういうことじゃないと思います。多分。
「何が起こるか、どんな心の形をしているかは人次第。今ここで言い含めても、覚悟を促すことしか出来ませんわね……」
「何が起こるかわからないんなら、覚悟のしようもないんじゃありませんか?」
「それもそうですわね。では、そろそろ儀式を開始したいのですけれど……心の中に潜るのですもの。対象者には眠っていてもらうことが一番なのですけれど」
そこまで言って、女神様は困ったようにアスパラに頬擦りする勇者様にちらりと目をやりました。
勇者様……なんて変わり果てたお姿に。
あの常識人だった頃の見る影もなくなった勇者様に、そのご乱心振りを見る度に目頭が熱くなります。
ですがそうですね、心の中がどんなところか知りませんが、外部から強い衝撃を与えるような物なのかも知れません。だったらなるべく勇者様にはお心を鎮めていてもらった方が都合も良いのでしょうか。
……今はアスパラを前にするだけで、無駄に高揚しているみたいですしね。あの状態で勇者様の内部に突撃するのは、こちらも少々痛い物があります。
「それじゃあ、ちょっくら眠らせてきます」
勇者様を眠らせることに、否やはありません。
むしろ見ていてそれこそ心が痛むので、さっさと意識を失ってほしいくらいです。
「はい、ロロ。よろしく」
「ん」
私は、ロロイに 吹 き 矢 を渡しました。
針の先端には三秒で幸せな夢の世界にさよなら出来るお薬が塗ってあります。
……危ないお薬じゃありませんヨ?
ただの真竜用麻酔です。
ナウマン象だったら三秒で眠るように死後の世界に旅立っちゃうような人間には強すぎる薬ですが、勇者様にはこれくらい効くのが丁度良いでしょう。
無駄にお体強いですからね、勇者様。薬の耐性も高いですし!
先ほど、無理矢理起こしたばかりでなんですが。
「お休みなさい、勇者様」
良い夢を。
ただしその夢の中に、直ぐにでも私達が乗り込むことになる訳ですが。
心の中に潜り込むって、つまりそういうことですよね?
「夢とは……少し違うかしら? 胸の奥深くにまで入り込むような……でも、大まかにはそういう認識で良いのかしら」
認識としては、夢は心の玄関口。
神々が相手を壊さずに忍び込めるのは精々が夢まで。
だけど心の中に入るとなれば、夢の領域を通り過ぎて更にもっと奥深くまで行かねばならない、とのこと。
それこそ入られた側の人間でも気付けない程、奥の奥まで。
何が起こるか、全然わかりませんけど。
止めるという選択肢はありませんから。
私達は、『本来の勇者様』を取り戻す為……その心の中へと踏み込みました。
魂の女神様が書いた円の中に寝そべり、促されて目を閉じる。
女神のゆったりとした声が、数を数えます。
1……2……3………………………………10。
数える声が遠のき、聞こえなくなってから目を開くと、そこは見たこともない世界……勇者様の、心の中。
……ただし、緑に浸食されていました。
あ、手遅れっぽい。
それが、勇者様の心への第一印象でした。
「緑だな」
「緑ですね」
「むしろもう緑しかないですねー……」
具体的に描写するのも心が痛むのですが、ここは心を鬼神にしてご説明いたしましょう!
空は高々と青く、地面は青々と草木が覆う、森の中。
木々に紛れて乱立する、アスパラガス(全長五m級)……。
あたりには青臭い植物というかアスパラの臭いが濃厚に漂い、大小様々な大きさのアスパラ達が舞い踊っています。もう、森に住む小動物とか昆虫の類いの代わりだとでも言わんばかりにそこかしこでわっさわっさ。わさわさわさ。それらが木々や草花の後ろや隙間に隠れてさりげなく舞い踊っている訳です。
何この空間。
メルヘン通り越して、もうホラーなんですけど。
「ここが、勇者様の心の中……」
ちょっと浸食されすぎだと思います。
しかし見えてくるのは自然(?)の風景と、入り交じるアスパラばかり。
人間を初めとした他の生物が見当たりません!
植物しかないよ、この空間!
勇者様(の、正気)を探しに来たはずなのに……抑圧された勇者様の正気は、こんなアスパラばっかりの森のどこにいるというんでしょうか。
「ゆうしゃさまー?」
ちょっと、呼んでみます。
返事をしてくれたら御の字ですが、そこまでは望みません。
でも声を上げることで、何かしらの変化があれば……
「勇者様ー、どこですかー!」
何の変化もなければ、次こそはせっちゃんを投入してしまいますよー!?
しかし呼べど叫べど、返るものは何一つなく。
勝手の掴めない場所で、地理すら定かではない森の中。
今後の方針をどう立てた物か悩ましく思います。
「あ、そういえばリャン姉さん。女神は勇者さんの心に巣くう『異物』を排除しろとおっしゃっていませんでした?」
「異物……この場合は、間違いなく」
「ええ、あの無駄に目につく……アスパラガスのことでしょうね」
だけどアスパラさんは、森のそこかしこを縦横無尽に遊び回っている訳で。
これは、一つ一つ?
「――燃やすか。森ごと」
嫌気がさしたのか、面倒だと思ったのか両方か。
ロロイが中々に物騒なことを言い出しました。
確かにそれが手っ取り早いとは思いますが……
「駄目でしょ、ロロイ。女神が余計なことをやり過ぎたら勇者さんの人格に影響及ぼすって言ってたじゃない」
「俺は勇者の人格が豹変しても困らない」
「言い切ったわ、この子!」
勇者様の心の中で、この『森』が何を暗示しているのかわかりませんけど。
これ心の豊かさの象徴だったりしたら、焼いて荒れ野にでもした時とんでもないことになるような……いや、アスパラの影響で生えた後天的な物なら燃やしても良いと思うんですけどね?
何もわからない状態で、思い切った行動に出るのはちょっとばかり躊躇います。
だからまずは一匹(?)。
手頃なアスパラを捕獲してみようということになりました。
「じゃ、適当に捕まえてくる」
「燃やしちゃ、駄目ですよー」
「安心して、リャン姉。俺、水属性だから」
「そうですよね。ロロイだったら水の刃で真っ二つの方が有り得そう」
「む。馬鹿にするなよ? 火属性攻撃が出来ない訳じゃない。俺がやるには非効率的だからやらないだけだ」
「竜にとって火は基本として備わってる属性だものね」
「燃やすなり、水圧で潰すなり、水刃で切るなり……リャン姉が望むなら、どれでもやる」
「わあ、豪華な選択肢に迷っちゃいそうー……ってそれどれも駄目なヤツですよね!? 目的が生け捕りから殲滅にすり替わっちゃってますよ!」
「どうせ最終的には全部食うんだろ」
「それでも駄目! まずは生け捕りを優先して下さい」
今回の捕獲担当はロロイ。
どことなく面倒そうにしながらも、無造作に近場の茂みへとのっそり歩いて行きます。
その鋭い目が一瞬きらりと光ったかと思えば、次の瞬間。
ロロイの右腕が、ぶれました。
私の目にはかすんでしまう程の高速です。
そうして伸ばされた腕の先には……まあ、活きの良いアスパラが☆
「まず、一匹」
ところで最近、当然のようにアスパラを「匹」で数えているんですが、あいつら野菜ですし「本」に直した方が良いんでしょうかね?
そんな益体もないことを考えること、暫し。
僅か五分くらいの間に、ロロイは十五匹のアスパラを狩ってきました。
ご丁寧に色んなサイズ取り揃えで、調査の必要を念頭に置いて条件の異なるアスパラをとっ捕まえてきたのだとわかります。
「入れ食い状態だった……微妙」
もうその辺を無造作にうろうろしまくってるせいで、敢えてわざわざ探すまでもなく採りたい放題だったそうです……。
捕まえたアスパラ達を、取りあえず適当に縛って転がして観察することにして。
「……アスパラを縛るって、どういう状況なんでしょうね」
ロロイが梱包するところをじっと見守る私達。
あまりにシュールな光景に、リリが遠い目をしています。
だけど近くで観察したのが良かったのでしょう。
「………………ん?」
最初に気付いたのは、直に触れて作業をしていたロロイでした。
一番近くにいたので、自然と目に入ったのでしょう。
彼は眉を寄せ、不可解と目で訴えながら私に声をかけてきました。
「リャン姉ぇー……こいつら、背中に縫い目があるんだけど」
「えっ」
どうする、と問われて。
縫い目を解いてみる以外に、選択肢があったんでしょうか。
ロロイがその鋭い爪を、アスパラ(疑)の背にある縫い目に這わせます。
まるでお人形の縫い目みたいな糸が、さっと一撫でするだけで簡単にぶつぶつ千切れていく。
そうして糸を切った後で、
「リャン姉は危ないかもしれないから、一応少し距離を取ってくれ」
私をちょっと遠ざけてから、ロロイとリリフは。
左右からそれぞれアスパラ(疑)の脇を掴んで……
一思いに、べりっとやりました。
縫い目が閉じていた場所からアスパラ(疑)は縦真っ二つに裂けて。
そうして、その下から出てきたのは……。
「あれ。……これ、誰だっけ」
なんか、どっかで見覚えのある人がアスパラ(皮)の下から出て来ました!?
ただし、何となく記憶にある姿とは様子が違うような……。
え、ナニコレ。どうなってるんでしょうか。
「う、うぅ~ん……アスパラ帝国ばんざーい………………」
譫言の様に、何か危険な呟きを零すお兄さん。
よく見なくとも、なんというか表情が虚ろというか。
目がラリってるというか。
どっかで見た、その青年。
彼が勇者様の故郷に置いてきたお友達で、名前がオーレリアスさんであることを思い出したのは、体感時間十分後の事でした。




