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ここは人類最前線8 ~攫われた勇者様を救え!~  作者: 小林晴幸
班別行動い組! ~誰も見てはならぬ~
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30.広がるゲソ被害

こんにちは混沌




「――う、うわぁぁああああああああああああああっ」


 轟く絶叫、響く驚愕と恐れに満ちた声。

 ただならぬ勇者様の悲鳴は、対峙していたティボルトの鼓膜を突き抜けた。

 その、衝撃が。

 怨み辛みと妬みに突き動かされていた青年を、ふと正気に戻す。

 ハッと我に返った彼の目に飛び込んできたのは、改めて見ると何とも言えず酷い光景だった。

 この世のものとも思えない人間離れした小柄な美少女、の、影から袖口からうぞうぞと這い出てのたうつ巨大な何本もの、ゲソ。

 そして次から次へと殺到するゲソに全身巻きつかれ、宙に吊りあげられて締め上げられる(特に顔)、半裸の金髪美青年(赤い粘液塗れ)。

 それは、ティボルトの理解を超えた光景だった。

 混沌に満ちた地獄絵図かと思うくらいに、異常な光景だった。

 慈愛に満ちた目でころころと笑いながら、ゲソを撫でつつ「みんな頑張りましたのー。良い子良い子」などと呑気に言っている美少女(せっちゃん)が異常の権化に思えてくる程だ。

 こんな光景の、どこに、色事めいた雰囲気があると言えるのか。

 ――恋愛の機微? そんなもん、木っ端微塵に砕けて消えたよ☆ とっくの昔に御臨終さ、AHAHAHAHA!

 そうとしか言えない、恋情の「れ」の字もない悲惨な光景だった。

 もう目の前で起きている全てが、美少女とか美青年とかそういう表面上の目に見える輝きをすっ飛ばして別のナニかにしか見えない。

 むしろ勇者様がゲソに捕食されつつあるようにしか見えない。

 それを温かな眼差しで見守る美少女は魔獣使いとしか思えない。

 先程まで嫉妬に燃えていたティボルトの心が急速に冷却されていく。液体窒素を使われたのかって具合に冷却されていく。

 そのくらい、混沌が欠片も存在しない天界で暮らしてきたティボルトにとって、目の前の光景は衝撃的なモノだった。


 そして他人事として傍観してもいられなかったという。

「おにーさんも! もう勇者さんを虐めちゃ、めっですの。みんなで仲良くしましょうですの!」

 これぞ友好のあかし!

 これが仲直りの握手だ!

 ……と、そう言わんばかりの勢いで。

 衝撃的な光景に硬直していたティボルトの元へと……せっちゃんの足下から、ゲソが! ゲソが!

 分厚く弾力に富んだ、ぬめり気たっぷりな、吸盤のびっしりと生えた軟体が向かってきたのだから。

 にゅるっと巻きつかれながら、ティボルトは思った。

「う、うわぁぁあぁああああああああああああああああああっ!?」

 意味のない言葉を悲鳴として上げながら、思った。

 ――どうやら自分は、何か酷い思い違いをしていたらしいと。

 目の前にいる美少女は、どうやら見た目通りの平和なイキモノではないらしいと……彼がそう悟ったのは、窒息しそうな程の生臭さに全身包まれてからのことだった。

 そして五分ほどの短い時間、彼の意識は暗闇に呑まれることとなる。


 ティボルトがハッと意識を取り戻した時には、なんだか妙にすっきりしていた。

 全身ねっちゃりとした粘液塗れですっきりも何もない筈だが、しかし何故か気分は凄まじくすっきりしていた。まるで朝一番に飲み干した岩清水の如き清涼感。

 これ程に気分が明瞭となっていたことは今までにあっただろうか?

 まるで生まれ変わったか、謎の薬物に頭のネジが二、三本一気にすっぽ抜けたかのような気分で、目覚めたティボルトは顔を上げる。


 目の前にゲソがあった。


 タコ壺の中で蠢く赤黒い触手の如く、人間を捻り潰すのも超☆簡単と言われても納得のぶっといゲソが、とっても至近距離。

 ついでとばかりに、ゲソの先っぽがぴたぴたとティボルトの頬を軽く張ってから、慎ましやかにせっちゃんの影へと引き戻されていく……

 どうやら先程までの異常事態は夢などではなかったらしい。

 ティボルトは起き抜けから直面した諸々に、体を強張らせたまま。

 生気の全く感じられない死んだ眼差しで、遠くを見てしまう。

 

 この程度の異常事態、魔境では割とありふれた事態なのだが。

 これがほぼ日常茶飯事な魔境に足を運びでもしたら、彼の自我はどうなってしまうのだろうか。正常を保っていられるのか大いに謎である。

 そしてそういう意味では、やはり魔境にうっかり順応してしまった勇者様の精神力は常人に比べて……言語を絶する悲惨な目に遭ってきただろう女神の情人(ティボルト)と比較しても、桁違いだと言えよう。流石だね、不憫様。

「私は、何をしていたのでしょう……何を見、何を聞いていたのか」

 現在進行形で悲惨としか言いようのない責苦を(味方から)受けている真っ只中な勇者様。彼の勇敢な姿が、ティボルトを正気に戻し、正常な思考回路を取り戻させた。

 天界に連れ去られ、人間ではなくなって早幾百年……しかし自分の心までもが忘れてはならないことを忘れ、如何に非人道的で道理の伴わない愚行を咎のない相手に向けていたのか……それを改めて意識し、ティボルトは羞恥と罪悪感でその頬を青く染めた。

 そう、ティボルトはこの段になって、勇者様がゲソに絡まれる悲惨な姿を見るに至って、ようやっと人間としての心を取り戻したのだ。

 その勇気と希望と正義に満ちた言動で以て人々を勇気づけ、心の安寧をもたらすのが勇者だというのであれば、真に勇者様は『勇者』であると言えよう。誰かの脳裏には『永遠の被害者』と浮かんだかもしれないが。

 

 だけどティボルトさん、アンタ正気に戻るのが遅かったよ。


 彼がもっと早く、金の矢を放つ前に正気を取り戻せていさえすれば……勇者様の顔面が(粘液で)赤く染まることもなかったものを。

 悔い改めたところでこの責任をどう取るのか、見物である。

 勇者様の目隠し(※粘液)がいつまで保つとも知れないので、事態は急を要する。

 己の暴走を恥じたティボルトは、死にそうな顔で言った。

「す、済みませんでした……」

 すまんで済んだら治安維持機構(けいさつ)は存在しない。

「わ、わかってくれたのなら……その、貴方の思いもわからないではないから。だから、まずは落ち着いてほしい」

 しかし後悔と反省が確かなものならば、と、ここで情状酌量の余地を認めてしまうのが勇者様なので。

 日常的に酷い目に遭い過ぎたり、今までに巻き込まれた犯罪(※ストーカー事案)が比較対象として悲惨過ぎたりといった事情から、そのあたりの感覚が狂っているだけなのかもしれないが。

 何にせよ、勇者様の心の広さは偉大である。


 まあ、それも。

 勇者様の身に起きた悲劇が『取り返しのつくもの』であれば、だが。

 挽回できると思えばこそ、人は寛大になれるのかもしれない。


 見えない視界に、若干不安そうな顔で赤い眼隠しを押さえながら。

 勇者様は、本当に見えていないのか疑問に思えるくらい的確にティボルトへと顔を向けた。

 真っ直ぐ、塞がれた両の眼が青年神の方へ向いている。

 少なくとも、ティボルトはそう思った。

 見えずとも、見られている……と。

 それは暗闇でストーカーに頻繁に襲われるという悲しい過去により培われた、勇者様の高精度な気配察知能力の成せる業である。

「それで、ティボルト……もう俺を襲うつもりがないのなら、教えてほしい。さっきの金の矢、効力を無効化する方法は?」

「……そんな方法があるでしょうか?」

「え?」

「済みませんでした」

 首を竦め、殊勝な態度で頭を下げるティボルト。

 その姿を絵にして題を付けるのなら、間違いなく『謝罪』一択だろう。

 余計な言い逃れを一切せず、ただ謝罪だけを述べるその態度。

 ある意味誠実だが、とっても無責任と言わざるを得ない。

 堪え切れないとばかりに、勇者様の叫びが轟いた。


「もう少し、後先考えて行動してくれー……!!」


 御尤もである。

 反論の余地は、一切ない。

 ティボルトはただただ申し訳ないといった態度で、絞り出すような声音でそっと進言する。

「本来は、愛の神様の物ですし恋愛感情は彼の神の管轄。あの方でしたら、何とか出来る可能性が……」

「断言口調じゃなくって希望的観測! そこはかとなく不安が、不安が……!」

 頭を抱えて蹲る勇者様。

 魔境ではすっかり御馴染となった光景だが、天界では大体において拘束状態で過ごしていた為、誘拐されてからは初の光景かもしれない。

 だけど今はじっと蹲っている訳にはいかないと、思いなおしたのだろうか。

 意外と早く復活を迎えた様子で、すくっと立ち上がる。

「こうしちゃいられない……こんな、誰に一目惚れしてしまうかわからない危険な状態で安穏と時を待つなんて、とてもじゃないが無理だ! こうしている間にも美の女神(ストーカー)が帰って来たら……そうして、目隠しを取られてしまったら! 俺の人生が終わる!!」

「あ、勇者さーん、ご安心ですのー。せっちゃん、ちゃぁんと勇者さんのおめめ封じちゃいましたもの。リャン姉様に『溶剤』を処方してもらわない限り、百日間はそのままですの!」

「それ安心要素と思って良いのか!? いや、この場合は助かるけど! だけど百日間はそのままって……この目、どうなってるんだ」

「大丈夫ですの! 無理にはがそうと思っても、絶対に無理ですのー」

「本当に何されちゃったんだ俺の顔!」

 にこっと笑って申告してきたせっちゃんの言葉に、言い知れぬ不安が湧きあがる。それはもう真夏の入道雲のようにもっくもっくと湧きあがっていくのだが……詳しく聞くのはなんだか恐ろしい気がして、勇者様はそっと視線を逸らした。相変わらず目は見えていない筈なのに、視線の投げかけ先は的確だ。

 

 結局、勇者様の顔の何がどうなっているのか不明瞭なまま。

 無事に視力を取り戻せるのかも、謎のまま。

 ティボルトはせめてもの罪滅ぼしと、業を背負った。

 勇者様とせっちゃんが、女神の神殿から旅立つのを黙認して見逃し……女神が戻ってきた際には、我が身を張って勇者様の為に足止めするという形での償いを選んだのだ。

 彼の身一つで、女神に対してどれ程の時間を稼げるのか……勇者様の行方を、不本意ではあるものの主従関係を結んだ相手にどこまで誤魔化せるのか。それは、やってみなければわからないことだったが。

 だがティボルトの力では勇者様に降りかかった被害を何とも出来ないのだから、仕方がない。

 勇者様の身を蝕む『金の矢』をどうにか出来るとしたら、可能性があるとすれば『愛の神』だけなのだから……

「ティボルト、済まない」

「いえ、私のことは自業自得ですので」

 色々と暴走してやらかしてくれたティボルトだが、あの色ボケ女神を相手に身体を張って時間を稼いでくれるのかと思えば……もう、勇者様に怒るつもりはなかった。

 むしろ同情と申し訳なさで胸がいっぱいだ。

 この上は、ティボルトの犠牲を無駄にしないように頑張ろう。

 何をどうするといった具体的な方針は未だ曖昧であったものの、自分の為に犠牲になること決定のティボルトの為に……勇者様は必ず、女神に捕まる前に愛の神の神殿まで辿り着くことを胸に誓った。


 勇者様の視界が現在進行形で封じられっぱなしの為、道の先導及び地図の確認という重要な役目はせっちゃんの手に委ねられている訳ですが。


 そこは深く考えたくない。

 勇者様はそう思いながらも、何故か妙な汗が止め処なく自身の背筋を流れ落ちていくのを冷たく感じていた。

「ところで姫……地図は、読めるだろうか?」

「せっちゃんにお任せですの! せっちゃん、お絵描きは得意ですのよ?」

「何故この場面で絵心の有無を!? その申告はどういう意味なんだ、姫……っ」

「うーんと、お日さまがあっちだから……右はあっちですの!」

「右!? 何故、方角じゃなくって『右』!?」

「勇者さん、早く行きましょーですの!」

「あ、待って! 引っ張らないで!? 足下が……足下が、ぶにゅっと変な感触を!」



 その頃、勇者様の身柄に関する権利をもぎ取る為に。

 リアンカちゃん達もまた、『愛の神殿』を目指して移動していることを知る由もなく。

 勇者様はせっちゃんに手を引かれ、色々な意味で先行き不透明すぎて全く何も見通せない道へと、一歩を踏み出そうとしていた。



果たして勇者様とせっちゃんは無事にリアンカちゃんと再会できるのか? それとも迷子になってしまうのだろーか!?

そんなフラグが立ちつつ、次回はリアンカちゃん視点に戻ります。


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