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昨日という明日へ

「……よかったですねぇ」


 久遠は誰に言うでもない小さな呟きでもって、その心を吐露した。その言葉が憤慨している様に聞こえた俺は、久遠の心を、もうどうにも訊くことしか出来なかった。


「久遠……。お前も帰れよ……」


この世界に元からいた人間などいない。そして、昨日に帰りたいと思わない人間などいない筈だ。俺は、ひとつの仮説を思い付いていた。


「言った筈です。私はこの世界を旅するさ迷い人だと」


 久遠は、軽やかに言い放った。この世界から出られないことに絶望していない。俺は確信した。


「俺はもう、わかってるんだよ。……回数券なんてものが存在するんだから」


 久遠は少し目を見開いて動揺の色を見せ、しかしすぐさま冷静な表情に戻った。俺は言葉を止めない。


「この列車は、元の世界と平行した時間をわざわざ走っているのに、過去の時間(の昨日)に戻った人間が、回数券でまたこの列車を呼べてしまう。ということは、いつでも、どの世界にでも、この列車は自由に停車出来るということだ。多分切符は、元の世界と列車を繋ぐだけのものであって、この列車は、自分の昨日に帰れるという、不自由な救いを敢行する列車ではないと俺は気付いた。自在に時空をねじ曲げられる列車。そうなんだろう。そして久遠、お前は自分の世界に帰りたくないだけで、そのエゴの賛同者、共にさ迷う仲間がほしかっただけだ。違うか?」


 久遠は深く被った帽子の影から、鈍い眼光を覗かせた。


「……その通りです」


 久遠は、ぎろりと俺を見据え、ゆっくりと口を開いた。その目の奥に、怯えが見えた様な気がした俺は、さらに言葉を紡いだ。


「……久遠、お前は相当の時間を車掌として過ごして来た筈だ。帰りたくないにしても、それは何故だ」

「帰れば殺されます。私は私のどの時間に帰っても殺されるのです」


 久遠は唇をわなわなと震わせ、息荒く返答した。


………その後の話は予想以上のものだった。久遠は別世界の人間だったのだ。彼の世界に安息などなく、久遠はこの世界に逃げ込んだのだった。ただ生きることだけを望んでいたのだ。何度も何度も過去に戻っては、何度も何度も過去をやり直したらしいが、何も変えられなかった。久遠の切符はボロボロになり、ついには崩れ風化した。それだけの時を重ねても、何も変わらなかった久遠の時間。帰る場所がない苦しみと悲しみ。ひとりさ迷うならば、生命の危機に晒されて生きるより、永遠に平穏な世界でいたい。久遠はいつしか泣いていた。俺も気付くと泣いていた。平和な世界に生まれ、安穏と生きて来た俺の乗車理由など、ちっぽけ過ぎる馬鹿馬鹿しいものだと恥じた。俺は久遠を助けてやりたい一心で、自分の切符を半分に破り、その半分を久遠の手に握り込ませた。


「一緒に俺の時間に行こう。平和に暮らせる世界があるから」


 俺は久遠の肩を抱いた。列車は俺の時間に停車した。俺と久遠は、俺、岩岡鉄朗の時間に下車した。

 

 誰もいなくなった列車は、しばらくは停車したままだろう。だが、再び列車が動き出す時は来る筈だ。その時、また誰かを救ってやってほしいと、願ってやまない。

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