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ゴーストハンター雨宮浸  作者: シクル


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第三十三話「持たざる者」

 雨霧の淀んだ霊力が、浸の中で渦巻く。その代わりに今まで動かなかった身体がようやく動かせるようになった。

「浸……さん……?」

 和葉の頭と視覚では、それが雨宮浸だと理解出来る。しかしその一方で、鋭敏過ぎる和葉の霊感応力がそれを否定した。

 アレは雨宮浸ではない。

 雨宮浸であるハズがない。

 あんな淀んだ霊力を纏った半霊が、雨宮浸であって良いハズがない。

「っ……!」

 なんとか立ち上がった浸だったが、すぐに片膝をつく。霊域によるもの、というよりは雨霧の影響の方が強い。

 既に浸は、まともに思考することが困難になっていた。

 頭の中がぐちゃぐちゃで、ひたすら感情だけが暴れている。怒りだとか、憎しみだとか、負の感情ばかりが浸を支配していた。

 目の前に立つ真島冥子が憎い。

 雨霧で切り刻みたくて仕方がない。

 そんな感情が、和葉を助けたい、という感情さえも塗り潰していく。

 汚れた色が、雨宮浸というキャンバスを滅茶苦茶にしていった。

「はな……しな、さい……真島、冥子……」

「嫌だと言ったら……ねえ、あなたどうするの?」

 そう言って冥子が笑みをこぼすと、浸の頭がカクンとうなだれる。

 そのまま数秒制止してから、信じられない言葉が吐き出された。


「殺す」



 次の瞬間、浸は雨霧を突き出していた。

「ちょっと、浸!」

 後ろから聞こえる露子の声にも耳を貸さず、浸の突き出した雨霧が冥子へと向かっていく。

 そしてその刃は、早坂和葉もろとも冥子を貫いた。

「…………かっ」

 血を吐き出したのは和葉だ。

 冥子に捕らえられたまま右肩を貫かれた和葉を見て、冥子は微笑しながら和葉を放す。そのまま和葉はその場に崩れ落ちた。

「和葉ぁ!」

 悲鳴じみた声を上げて、露子が駆け出す。絆菜も動揺はしていたが、冥子が和葉を放した今を好機と判断した。

 重い体をどうにか動かし、冥子目掛けて駆け出していく。しかしそんな絆菜を、すれ違いざまに浸は切り裂いた。

「な……に……っ!?」

 傷は浅い。

 すぐに治る。

 しかし絆菜の精神的動揺は計り知れない。

 思わずその場に崩れ落ちた絆菜を気にもとめず、浸は冥子へ向かっていく。

 そして素早く薙がれた雨霧は、冥子の身体に当たるスレスレの所で停止する。それを霊壁だと理解していないのか、浸はただひたすらに雨霧を振り回す。

 雨霧の霊力は低くはない。般若さんの発生させていた霊壁を切り裂ける程の力はあるのだ。しかしそれでも、冥子の霊壁は切り裂けない。それ程彼女が、怨霊として強大なのだ。

「馬鹿ね。もう意識もないじゃない」

 雨霧に何度も霊壁を切りつけられながら、冥子は笑みをこぼす。

 浸は何も応えない。ただひたすら雨霧を振り回しながら、憎悪に満ちた目で冥子を睨みながら冥子を睨みつけるだけだった。

「……おい半霊!」

 そんな中、露子は半ば引きずる形で和葉を背負い、絆菜の元へ向かう。冥子と浸を見つめたまま、機会を伺っていた絆菜はすぐに露子の方を向く。

「和葉、頼んだわよ」

「……ああ。どうするつもりだ」

「あたしが一か八か薤露蒿里こいつでやってみる。その間、和葉をしっかり守りなさいよね!」

「……心得た」

 般若さんと戦った時の露子の弾丸は、その場で霊力を込めたものだ。そのため、予め全力で霊力を込めた弾丸とは威力がまるで違う。薤露蒿里の弾丸は、その上で命中後に炸裂するのだ。この特注の弾丸を作るコストは高く、日に何度も連発して良いようなものではない。用意出来る弾数も限られる。

 しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。残りを全弾撃ち込んででも、真島冥子を退ける必要があった。

 和葉の出血は酷く、また浸の雨霧による侵食も酷い。この戦いは、長引けば長引く程二人が危険だ。

 露子は意識を集中させ、冥子だけに照準を絞る。浸を相手に冥子が余裕ぶっている今だけがチャンスだ。

 そして銃口の直線上に冥子だけが見えるその瞬間を見切り、露子は引き金を引いた。

「……!」

 今まで悠然と佇んでいた冥子が、薤露蒿里の弾丸に対しては僅かに反応を見せる。しかしその弾丸も、冥子に直撃する寸前で停止し、炸裂せずに落下した。

「それ、すごいのね。少し驚いちゃった。祓われてたわ……私じゃなかったら」

 視線を向けられ、露子はぞくりと怖気立つ。和葉程ではないにしても、露子の霊感応は比較的高い方だ。こんな怨念の塊にわずかでも感覚的に触れれば、いくら露子でも恐怖心は拭えない。

「……そろそろ飽きたわね」

 冥子は小さく嘆息しながらそう言って、浸の雨霧を右手で止める。

「死ね……真島冥子ッ! 死ね……ッ!」

「あなた、ゴーストハンターとしても半霊としても出来損ないじゃないの。本当にがっかりよ浸」

 その言葉と共に、冥子の左手が変質していく。

 それは、黒く巨大な鎌だった。

「手も、足も……寄越しなさい」

 冥子が左手の鎌を振り上げた瞬間、露子と絆菜は更に身体が重くなるのを感じる。冥子が霊力を使ったことで、霊域の影響が濃くなったのだ。

「「浸っ!」」

 ここからでは間に合わない。それでも露子と絆菜が駆け出そうとした……その瞬間だった。

「――――冥子っ!」

 冥子の背後から、凄まじい速度で駆けてくる白い影があった。

 冥子は振り返ってその影を見ると、ニヤリと笑みを浮かべる。

「あら、お久しぶりね。お師匠様」

 振り抜かれた刀を、冥子は即座に回避する。その間に、冥子から解放された浸は白い影――――城谷月乃に斬りかかったが、月乃はすぐに反応して浸に肘打ちを当てる。

 そうしてたたらを踏んだ浸目掛けて、月乃は刀を薙ぐ。

 その閃光が如き一振りは、防がんとして突き出された霊刀雨霧を両断した。

 名刀を振るう剣豪の一閃に、斬れぬものなどない。

「っ……っ……!?」

 雨霧が破壊されたことで、浸の纏う淀んだ霊力が雲散霧消していく。そして浸は、そのままその場に倒れ伏した。

「それにしてもよく復帰出来たわねぇ。私、あんなに痛めつけたじゃない?」

「……あなたを祓うまで、私は死ねない」

 冥子の言葉に、露子は戦慄する。

 城谷月乃は、露子が知る限り最強クラスの霊能者だ。極めて高い霊力と戦闘センス、そして年齢に見合わない程の実戦経験を持つ彼女の話を、露子は何度も関係者から聞いたことがある。だからこそ、彼女が浸の師だと知った時は驚いたものだ。

 その城谷月乃を痛めつけたというのが本当であれば……一体、誰であれば真島冥子を祓えるというのか。

「ごめんなさいねぇ。悪いけど、私お師匠様にはもうあんまり興味がないのよ。浸ももうつまらないわ。まさか本当に何一つ才能がないなんて思わなかった」

「……い……で……」

 しかし吐き捨てるようにそう言った冥子に、かすれた声が投げられる。つまらなさそうに向けられた冥子の視線の先には、血を流しながら身体を起こす和葉の姿があった。

「浸……さんを……馬鹿に……しない、で……っ……ください……!」

 キッと睨みつけてくる和葉を一瞥し、冥子はつまらなさそうにため息をつく。

「馬鹿にしてないわ。事実を述べただけよ。あの子にはゴーストハンターとしての才能も、半霊としてのセンスもない。何もないのよ」

 冥子はそれだけ言い捨てると悠然とその場から立ち去ろうとする。

「待ちなさい。あなたはここで祓う」

「出来ないことを言うものじゃないわよお師匠様。それに、死にぞこない二人と雑魚二匹……守りながら戦える?」

 嘲笑しながらそんなことをのたまう冥子に、月乃は歯を軋ませる。和葉は勿論、浸もこのままにしておくわけにはいかない。

 他の四人を守りながら戦うことになれば、月乃であっても冥子を祓うどころではなくなるだろう。

 悔しいが、このまま立ち去る冥子を睨むことしか出来なかった。

「冥子……あなたの目的は何なの?」

 立ち去る背に、月乃は問いかける。しかし冥子は、僅かに笑みをこぼすだけだった。



***



 その後すぐに、和葉は救急車で搬送された。和葉には露子が付き添い、絆菜は月乃と共に浸をひとまず事務所まで運び込んでソファに寝かせた。

 絆菜と月乃の間に会話はなく、事務所の中には重苦しい空気が立ち込める。

「……お前は、あの真島冥子に一度負けたのか?」

 重い口を開き、絆菜が問う。すると、月乃は小さく頷く。

「恥ずかしいけれどその通りよ。私はずっと冥子を追っていた……そして一度だけ追い詰めて、返り討ちに遭った」

 真島冥子は月乃の元弟子だ。弟子の不始末をつけるのは師匠の仕事であったし、当然月乃もそれを全うしようとした。

 しかし真島冥子という怨霊は、月乃の想像すら絶する存在だったのだ。

「あいつは一体何者なんだ……?」

「いくつか仮説は立てられるけど、どれも憶測の域を出ない。私はあの怨霊は、真島冥子だけの怨霊じゃないと思う」

 真島冥子があそこまでの怨霊になる理由が、月乃には思いつかない。それにあの怨念は、一朝一夕で生み出されるようなものではない。もっと長い年月をかけて何かを怨み続けなければああはならないだろう。

「……うっ……」

 そんな会話をしている内に気絶していた浸が目を覚ました。

「……ここは……?」

 状況が飲み込めず、浸は身体を起こしてすぐに辺りを見回す。その所作の中で、身体の所々が痛むことに気づく。そしてシニヨンにまとめていたハズの髪が頬に触れて、何があったのかを思い出した。

「私は……お師匠に助けられたのですか?」

 正面に座る月乃に気づき、浸はそう問うた。

 しかし月乃はそれには答えず、ゆっくりと立ち上がると浸の前まで歩いて来る。

「和葉ちゃんが大怪我をしたわ」

「早坂和葉が……!?」

 そう問い返した瞬間、自分が和葉を貫いた瞬間が浸の脳裏にフラッシュバックする。

 そしてその事実に愕然とする暇もないまま、月乃は浸の頬を平手打ちする。

「あなた自分が何をしたかわかってるの?」

「それは……」

「扱えない霊具を無理矢理使って、その霊力に囚われていたのよ。それも一時的に半霊化してね」

 冥子の霊域に対抗するため、浸は雨霧の力を強引に引き出した。

 普段は雨霧の中の淀んだ霊力を抑え込みながら使っていたが、それだけでは状況を打破出来ない。あの時浸は、雨霧の霊力を自分を触媒にして全て解放したのだ。

 その結果が、これだ。

「……悪いけどあなたにはもう、悪霊と戦う資格はない」

 ピシャリと言い放つ月乃に、浸は何も言い返すことが出来なかった。

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