後編
その日は穏やかに晴れた冬の寒い日でした。
空気は澄んで、空には雲一つなく、庭に面した扉を開ければ、肌を刺す風は冷たく、差し込む日差しのほんのりとした暖かさにほっと吐く息は、真っ白く顔を覆う雲のようで。
淡い濃淡の中で、何もなく、何も為さず、緩やかに時が過ぎるのを眺めるような心持ちで自室で寛いでいると、前触れなく祐玄が来て、わたしの側で寛ぎ始めたのです。
政務はどうしたのか、問い掛けたい気持ちを抑え、来訪を喜び、片膝を立てて行儀悪く座る祐玄にしなだれ掛かり、首筋に口付けをして、胸に顔を埋めて微睡みます。
無言でしたが、祐玄も馴れたのか、わたしの頭を撫でながら、侍女へと菓子と茶を所望して、猫でもあやすようにわたしを撫でておりました。
お茶を飲み、火鉢の中で崩れる灰を眺めながら、言葉を交わすでもなく、ゆるやかに過ごしていると、こんな日がずっと続けばいいのにと、そんな思いが鎌首をもたげて、ふと哀しくなりました。
「……どうしたのだ、鄭施。悲しげな顔をして」
不思議な方です。
ずーっと、わたしの表情や仕草を見ていたからでしょうか、無表情が板についている筈のわたしの、些細な変化に気付いてしまうのです。
演技をしても気付かずに喜んでいたくせに、隠している表情を察してしまうんですから。
ですが、きっとわたしは、もう演ずる能力を失っているのかもしれません。兄と離れて、そして兄が思惑はあれど正式に王后を迎えて、わたしは心に区切りをつけたのでしょう。そして、その区切りは、兄と正反対の祐玄の存在にわたしの中に押し込まれたわたしが、助けを求めていたからかも知れません。
ずっと、無理をしてきたのでしょう。自分でもわからないうちに、いえ、わかりたくないと、心を塞ぐうちに。
いくら慕っていても、それを告げることも出来ぬ相手に、その手駒となることで必要とされ、その先に未来があると、ありもしないと分かっている幻想に縋るしか無かった少女が、やっと現実を受け入れたのです。
受け入れた現実の先で、わたしを愛してくれる人は愚かで、頼りなく、誰からも期待されず、波風を立てず次代に引き継ぐだけの神輿としか思われていない。
でも、それは兄の調略の結果であり、わたしのせいなのです。
にも拘らず、わたしは祐玄に心を託してしまった。
本当に愚かなのは、わたしだったのでしょう。
兄に操られ、手駒となり、得られることの無い幸福のかわりに手先となって兄の期待に応えることばかりを考えて。
結果は壊れた人形として、人を貶めることの意味を考えることも無く、淡々と己に与えられた任務を熟す。
それならば、そのまま人形として生を終えれば良いものを、今更に罅の入った心の痛みに苦しんで、騙した相手に温もりを求めるなど、恥知らずも良いところです。
……ですが、恥を知って尚、涙を流す心に偽ることも出来ない未熟なわたしは、幼子のように胸に顔を埋めて、止め方を知らない涙で、深衣の胸元を濡らしてしまうのでした。
「申し訳ありません。御召し物を汚してしまい」
何も言わず、あやすように頭を撫で、抱きとめていてくれた祐玄様は、わたしの謝罪に、柔らかく微笑むと。
「故国を懐かしむこともあるだろうし、辛いことも多いだろう。話し難いこともあろうし、無理に聞きはしないが、もし、そなたの涙の理由が余のせいであれば、遠慮せずに言うのだぞ。迷惑ばかりかけ、嫌われても仕方ないとは自覚しておるのだ」
そう言ってから、嘗胆を舐めたような顔で頭を掻き、舌を出してから、誤魔化すような引き攣った笑顔をして小声で、悪かったなと言うのです。
思わず笑ってしまったわたしは。
「祐玄様はわたしを唯一、人として見てくれた方です。嫌いになどなりませんよ」
そう、答えてしまったのです。
時がとまったように、すこし驚いた表情をした祐玄様でしたが、2人の時はけたたましい銅鑼声によって動き出したのです。
〜〜〜〜
「戦時の狼煙が上がり申した。陛下は何処においでか、早う避難を致してくださいっ!! 」
外が騒がしくなって来たと、何ぞかあるかと訝しく祐玄様が廊下の方へと視線を向けた時でした。
平時においては、宦官と公主である陛下を除けば男子禁制である後宮に轟く野太い銅鑼声は、敵襲の恐れありとの危急の報せを叫んではドタドタと後宮内を駆けているらしく、恐らくはその声を中心として、悲鳴や怒号のようなものと、あちらこちらで、取るものも取り敢えず、逃げ惑っているであろう者たちが起こす、様々な破砕音が、調律の狂った楽器のような不協和音を響かせて、恐怖を煽るのです。
「祐玄様、声の主の元に行き、我らも逃げましょう」
震えるわたしの肩を抱いたまま、余裕のある顔を崩さない祐玄様は大丈夫と言いながら、何処かバツの悪そうな顔をしておいででした。
小舟の一件の折、わたしが落水したことに、震えながら涙を流した祐玄様はお優しくも、小心で臆病な方なのだと、わたしは思いました。それなのに、戦時の狼煙が上がったというだけでなく、この宮中の慌てぶり、上がった狼煙は遠方の砦に敵襲があったと知らせるものでなく、直近の砦が陥落した際などに上げられる、狼の糞を狼煙台の火に混ぜた、量が多く、太い黒煙が上がったのではと思われます。
なれば、動揺し取り乱してもおかしくない祐玄様は泰然自若と云うよりは、どこかソワソワしながらも、危機感を抱いている様子は一切なく、大丈夫と繰り返すのです。
「もしや、祐玄様、まさかとは思いますが、いつもの悪戯ではありませんよね」
戦時の狼煙は辺境の砦から王都まで、一直線に等間隔で並ぶ狼煙台で敵襲を受けた砦を起点に王都まで、順に狼煙が上げられます。
最初の狼煙は白煙であり、それだけであれば、遠く遠方で戦闘があるようだ、と、それでおしまいですが、実際に襲撃を受けた砦は赤い煙を、そして陥落し、敵が内側に攻め入った際には黒煙を上げます。
王都周辺まで攻め込まれたことは、祐玄様の即位後はおろか、先代のさいにもないのです。
宮中の慌てぶりからして、ただの白煙の狼煙でないことは間違いありません。それは祐玄様にもわかること、それなのに、茶器を割ってしまった幼子のような顔で、妙な余裕とともに心もそぞろと云った風情で大丈夫だと繰り返すのですから、あからさまです。
「いや、ここまで大事になるとは……それにあのようなことを言ったあとで、これは。……申し訳ない、そなたを驚かせようと物見台の兵に命じてやらせたのだ」
隣国の姫、それも自身が友と宣言する領主同士の国の。その立場があるといえ、たった1人の女を驚かすためだけに、このような非常識な行いをする。
わたしは預けてはならない人に心を許してしまったのかと落胆しかけて、ですが、ようやっと、わたしは自分の賢しらさに思い至ったのです。
祐玄様に兄が様々な調略を仕掛けているのは確かで、わたしはその一環でしかない、だからこそ、わたしの演技は上手く行っているのだと思っていました。
ですが、それは間違いだったのです。兄にたいしても、祐玄様にたいしても、わたしは思い違いをしていたのだと。
いえ、むしろ、兄が態と思い違いをさせたのだと。
兄は虚実を織り交ぜて、祐玄様の実像を歪めてわたしに刷り込んだのでしょう。見下してくる相手を上手く手玉に取れと教えて、その実は相手を見下して、愚かにも手玉に取れると勘違いする粗忽者に仕上げたのです。
そして、祐玄様は虚栄心と兄への劣等感から友を詐称しては兄に対抗する人間ではなく、純粋に兄を友と思い、その妹を気遣う人間だったのです。
兄はそれをわかった上で祐玄様を憎み嫌っていた、だからこそ、復讐の駒として、本当にただの捨て石としてわたしを育て仕上げたのだと。
祐玄様はそれを感じ取った上で、兄を責めることも、わたしに真実を話すことも、ご自分の力では出来ないと、敢えて道化を演じ、宮中に敵をつくっても、わたしに人間らしく生きる道を歩けるようにと、策に嵌る愚者を演じつつも、わたしに寄り添ってくださったのだと。
その不器用で、人間くさい性格と行動を兄はきっと理解していたのです。罠とわかっても嵌ってくれる優しさを。その優しさが、誰に向くかも。
「結局は、わたしはいらない子だったのですね…… 」
そう呟いたわたしは、むしろ吹っ切れたように笑いました。普段からは思いも付かぬほどの大声で笑うわたしに、祐玄様は驚いておいででしたが、産声をあげるわたしの魂は、本当の意味で人形へと成り下がったのでした。
「祐玄様、わたしのためにこのような催しをしてくださるなんて、わたしは嬉しゅうございます」
小首を傾げて自分でも分かるほどの喜色に華やぐ笑顔で感謝を述べたわたし。
そのわたしを抱き締めた貴方は、ひどく狼狽えて泣いておりました。
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あの日を境として、わたしと祐玄様の歪な関係は改善することなく、さりとて悪化するでもなく、乱発的に思い付いた悪戯を仕掛ける祐玄様と、それに驚いたり、笑ったり、時に咎めたりする、そんな日々が続いたのです。
お互いに、その必要は無いことなど明白でしたが、祐玄様はそうすることがわたしの居場所をつくる唯一の道であると愚直に、好いた女を困らせて喜ぶ児戯に耽る阿呆者の役回りから逃れられなくなっており、わたしは、破滅の道を邁進する祐玄様をお止めしなくてはと思う気持ちと、兄の操り人形として育った過去と決別出来ずに、心を無くして兄を盲信しようとする自分との狭間で、道化に徹する祐玄様に甘えて縋り、堕落していったのです。
そう、冬の日溜まりに微睡んで、寄り添い合うだけで、きっと幸せなのだとわかっていながら、そうすることは許されていないのだと、わたしの心が叫ぶのです。誰に救い上げて貰ったのだと、恩義を忘れたのかと。……言い訳を重ねて、捨て切れない恋慕を言葉を変えて千変万化した万華鏡のような心から、硝子の破片が飛び散り、この身を傷付けていくのです。
もはや、甘く優しい世界で癒しを求めることは、わたし自身の業が赦してはくれないのだと、だからこそ、堕ちていく祐玄様とともに破滅の一本道を歩くことが、用意された段取りの上で喜劇役者のように滑稽に振る舞うことこそが、わたしの意味なのだと。
もう、わたしも祐玄様も宮中に信頼してくださる方など皆無でした。
そうなる様に振る舞ったというよりは、わたしたちは運命られた道を歩くように進んでおりました。本当は舞台の上で必死に自らの役を否定しようと藻掻いていたのかもしれません。
わたしも祐玄様も、王族には相応しくない人間だったのでしょう。期待される能力を持たず、だからと、周りの用意した役に徹して心を無くして生きる強さも、覚悟も持てない、只人だったのです。
「鄭施、余は友にも見捨てられたのだな……」
ある時こぼした一言はわたしの心を深く抉りました。
それでも奮起する事も出来ないあたりが、わたしたちが雲上人ではない証なのでしょう。
祐玄様は時間をおいて何度か、戦時の狼煙を無駄に上げさせては、宮中に騒ぎを起こしました。
わたしがそれに驚き、怯え、悪戯と知れば怒りながらも怖かったと甘えるのだと吹聴しては。
「祐玄様、このままでは、兄の奸計により、此の国は滅ぼされます。わたしに責を負わせて、終わりにして下さい」
何度目かの騒動のあと、わたしは祐玄様にそう切り出しました。様々な悪戯に騒乱を起こしては2人で無邪気に笑い合い、童心に返って遊び耽る日々に国を巻き込んではいけない。
わたしは祐玄様を選び、そして、人形として生きるしかない今生に幕を引くことに決めたのです。
「鄭施、よく聴いておくれ。余の国と脩の戦は先代たちのものだった。だが、その罪を最も背負わされたのは、罪のない幼子だった。余は当時、弟が出来たような思いで、ただ浮かれていた。従者となって仕えてくれると決まった時も、よく考えずに弟のように可愛がった子供が、側仕えになってくれると喜んだ。
とうの本人は理不尽な世界に恨み辛みを募らせていたのにだ」
苦しそうに悔恨の念を語る祐玄様は、強く握りしめた手から血を滲ませておいでになり、手当てしなければと手を取ったわたしを抱き締めた祐玄様は。
「こんなもの、傷のうちにも入らん。わたしは友と呼んだ男も、その男の妹すらも、ろくに守れない木偶の坊だ。愛し方も、慈しみ方も、そして、友の拠り所になるだけの器もなかった。二国の争いで最も理不尽な仕打ちを受けた被害者が、二国の滅びを願うなら、それを受け入れるしか、余には出来ない。惜しむらくは、余の力ではそなたを無事に帰すことも出来んことだ。一度、国元に帰りなさい。友は復讐者としてしか生きられない。それでも、その庇護下にいれば、生き延びられる、その先にきっとそなたの未来もある」
わたしの未来はもう閉ざされています。
そう言えれば、良かったのかもしれません。
ですが、わたしは結局、処刑されることも、国に帰ることもなく、遂に兄は武力による蓮国の解体を始めたのでした。
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「想像以上に鄭施が良くやったと云うべきか、祐玄が想像以上に弱く愚かで……優しいだけの男だったのか」
そんなことが口から溢れる。
末の妹は、始めて見た時はかつての俺と同じ、何も持たない子だった。
祐玄を始めて見た時、全てを持っている奴だと思った。
人質として過ごす中で、ただ一人、俺を人として扱った男は、俺を友と呼び、俺との親睦を信じて疑わない男だった。いや、疑わないことが贖罪になると、背負う必要のない業を態々と背負う偽善者だった。
恨むのはお門違いだとわかっていても、故国の父や兄よりも、蓮の爺どもや、命を狙う有象無象よりも、最も近くで家族のように接してくれる祐玄に、俺は憎悪を募らせた。
今ならわかる、ただの劣等感だ。家族に恵まれ、家柄に恵まれ、苦労を知らず、将来の後継のための教育を、面倒だ大変だと、笑いながら愚痴を零す駄目な男の姿に、俺は自分の境遇の全てを照らして、怒り憎しみ、その気持ちだけを糧に生き抜いていたのだ。
「思い出しても詮無いことだな」
戦時の狼煙を無駄に上げては騒ぎを起こしていると聞く。すでに宮中はおろか、その外においても人心は離れている。爺があれこれと画策しても、今更どうにもならんだろう。
辺境を始め、蓮国各地の臣下の家々はすでに寝返っている。
といって、妹の嫁いだ国に理由もなく攻め込む訳にもいかない。その為の策も準備が終わった。
北方の遊牧民や山岳の民は、王朝も、その臣たる諸侯たちも野蛮と蔑み、取引すら忌み嫌っている。
だが、馬具を用いずとも、巧みに馬を駆る技術も、狩猟のために作られた短弓を始めとした武具も、実のところは我らを凌駕している。
王朝の諸侯の所領が攻め滅ばされることがないのは、遊牧民たちが数に劣り、食料などの備蓄に劣っているから、それだけに過ぎない。
そもそもが、それ程好戦的ではないのだ。
食料に困れば、辺境の国境沿いに襲いかかり、必要な分を略奪して撤退する。
彼等は必要な戦いしかしないのだ。
数年前、天候不順で放牧する家畜の餌に困り、多くを処分せざる得なくなった。俺は裏で手を回し、家畜を高く買い取り、食料を支援した。
「恩に報いると族長自ら頭を下げた、あの日から、蓮に攻め込む筋書きと、その道程は叩き込んでいる」
遠く蓮の王都に意を向ける。
「お前は周りが思うほど愚かではない。お前が思うほどに愚かでもないのだ」
……それでも、敢えて策に嵌まり込むなど、いつまでたっても甘く優しい偽善者のままなのだな。
晴天を裂くように、雷が一筋、風を割って地を打った。時は来たのだと、全てを置き去りに前だけを見る。
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此の国に嫁いで、4年が過ぎ去ろうとしていた、秋口の晴天の日。
祐玄様がわたしの元に来られると、穏やかに、静かにわたしに告げました。
「黒煙の狼煙が、王都北部の防塞砦よりあがった。ともに逃げるぞ」
突然の話について行けないわたしは、祐玄様を問い質しました。
「待って下さい。いつもの悪戯では無いのですか? 」
その言葉にやや下を向き、祐玄様はゆっくりと状況を話し出しました。
「悪戯では無いな。余は命じておらん」
「ならば、防衛のための準備を」
そう言って、外が全く騒がしくない事に気付きました。いえ、何度も狼煙を上げているために、兵たちも、宮中の者も、やや呆れており、少しづつ、驚き慌てる者は居なくなっておりました。
「誰も信じていないのですか? 」
わたしが恐る恐る尋ねると、祐玄様は苦い顔で、そうだ、と一言発して。
「はぁー、仕方ないだろうな。そもそも、辺境に敵襲があれば、遠方の王都まで、順を追って白煙の狼煙があがるのだ。防衛の拠点が落とされるたびに、その一つ先の狼煙台の見張りは黒煙を見て襲撃に備えることになる。それが、いきなり黒煙があがるなど、あり得ないことだ」
「ですが、最初は皆、信じて慌てていたではありませんか」
「そんなもの、長い平穏に慣れて、呆けていたに過ぎん。繰り返される偽の狼煙に道理を思い出したのだ」
そこまで聞いて、然しながら、それなら矛盾があると切り返します。
「ならば、今回のいきなり上がった黒煙も、誰かの悪戯ではありませんか? 」
名案だと思いましたが、祐玄様は横に首を数度振られて。
「そうではない。簡単なことだ。そなたの兄が、我が国の王都周辺を除く多くの家をすでに離反させていたのだろう。そして、北方の馬賊や奴賊を手懐けているようだからな。混成軍を差し向けたのだろうよ。脩とは無関係だと装ってな」
「であれば、何処に逃げるのです。西ですか、南ですか」
兄のことを云われれば、そうかも知れないと思い至りますが、それならば、敵の攻め込んでくる北と、脩国のある東へとは進めません。
「いや、東へと進み、友に助けを求める」
「待って下さいませ。兄に会ったところで、下手をすれば、2人共々に処刑ですよ」
そう答えたわたしに。
「実の妹の中でも自慢のそなたを殺しはしないさ。余は助からんだろうが、もう疲れたのだ。そなたを助けられれば、それで良いし、結局は戦乱の世にあって、ひとつの失敗ですべてを失う者もあるのだ。余は、その圧は耐えられるものでは無かった」
沈んだ顔のままで、自分の配下は信用出来ないと、わたしに帯同していた従者たちを連れ、王宮の馬車の中でも位の最も低いものを更に、装飾を外し襤褸に見せ掛け、変装をしたわたしたちは王宮を抜け出したのです。
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「宰相殿、凶奴の連中が紺星門を越えたと伝令が、陛下たちは」
近習衆の中でも、陛下の側周りの警護をしていた近兵頭の男が問うてくるが、そんなもの、儂よりも詳しい筈じゃろうに。
「狼煙を見てすぐ、お気に入りとその側仕えを連れ立って、逃げたようじゃぞ」
にべも無く答える儂に驚いた様子で、どこぞに駆けていったが、どうするつもりなんだか。
あの鬼子が馬賊や奴賊と取引しとるのも、間諜が動き回っとるのも知っていたが、対抗すればする程に策に呑まれる。
「寄る年波には勝てんのかもな」
呟いてみたが、儂と脩国先代たちの過ちは、あの幼子を復讐の鬼にしてしまったことなんじゃろう。
兵部の連中は戦に前のめりになって、何も知らん子供を、ただの戦の火種にするためだけに殺そうとした。
あの当時なら、脩国相手に百戦やって百勝できると豪語する将たちを横目に見ながら、まぁ、その見立てに嘘も間違いもないと、見過ごしてしまったのが、儂の間違いだったのだ。
敗戦国の、下に置かれる不要無用の末王子と蔑み、戦を起こすために殺そうとは野蛮だと思っても、さして助けようとも、思わなんだ。
それが、気づけば、そうした企みをかわし続けた子供はいつしか鬼になっておった。
気付いてから、これは不味いと儂も潰しにかかって、そこからは兎に角、あの怪物を何とかせねばと躍起になっておったが。
儂の策も心の内も、すべて見えておるんじゃろう。
覚という、心を読む化け物がいると聞いたことがあるが、始めて見た子供だった孫達公の目に、今思い返せば、儂らは異質な何かを感じ取ったのじゃろうな。
自分の仕出かしで、誰からも信用されなくなった陛下が、誰に話すでもなく、勝手に出て行ったが、狼煙を悪戯と思っている宮中の人間は、面倒がって見ようともせんし、何なら、相手をするのを避けようとするじゃろう。近習衆の男が狼煙を見ても形だけでも陛下の側に行かなかったことだけでも伺えるというもんじゃが。
じゃから、敵襲が迫るより前に陛下だけが、従者もろくに連れずに逃げられたと。
知っておって放置した訳じゃが、もう此の国に未来も無ければ、陛下にも明日は無かろう。
「今代で3人の君主に仕えたが、儂は国に仕えておったのだ。主君の死に後を追うのが忠義の証、生き恥晒しても生きておったのは、国あればこそ」
孫娘を人質に邪魔をするなと送られた密書を思い出す。
「邪魔などせぬさ。もう手遅れじゃしな」
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その日、蓮国に三代に渡り仕えた名宰相は、亡国の足音を聞きながら、一人、自刃して果てるのだった。
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街道を避けて行こうにも、王都より東部国境までの道程に山岳も森林もなく、広大な平野の続く蓮国では、難所に隠れて逃亡といって、隠れるところも無いため、潔く街道を走って5日、桃華街道の関、晴啗門の程近くまで、辿り着いていた。
馬を潰して、旅銀として持ち出した金を惜しみなく使い、道中で馬を買って、また潰しを三度繰り返してだったが、幸いにして道中で正体を気取られることもなく逃げおおせた。
連れてきた鄭施の従者と交代で馬車を駆り、ここまで昼夜なく来たため、皆、疲労の色が濃い。
国境の様子を探らせに走って貰った。赤穂と呼ばれる兄弟の兄が戻って来る。余に仕える謂れなど無いであろう男は、それでもここまで自らの姫のために動いてくれている。
「孫達様とその近衆兵団が門を越えているところでした」
都合がいいと言えばいいか、まぁ、そうなるように仕組まれたと見るべきか、横では鄭施が、兄上がと一言発して固まっていた。
「ここまで、状況を知るすべも無く走って来た。孫達公の来訪の意図は分からぬが、恐らくは小公主を助けるべく、援軍を差し向けたと見るべきだろう」
余はそう言って、国境へと馬車を進めさせた。
「随分と見窄らしい格好だな」
余を確かめた友の最初の言葉はそれだった。
悪態をついているが、顔には憐憫が浮かび、何処か気遣う様子もあった。
「小団とはいえ、軍を率いての越境は、馬賊襲来への援軍だと考えてよいか? 敵襲の報せに、取るものも取り敢えず、お主の妹を連れて、情けなくも逃げて来てな。情勢は捕らえられてより、詳しく聞こう。余は構わんから、妹と、その従者を保護してくれんか」
不躾で横暴な頼みだとはわかっているが、どうせ筋書き通りだろうと、頭を下げる。
「無事に連れて来てくれて感謝する。俺はこのまま進軍する故、祐玄公、そなたも鄭施も分隊が保護し、脩へと移送するゆえ、安心してくれ」
孫達公はそう言って、そのまま兵の1人に後を任せると、余の来た道を逆さに進んで行った。
「もう、友とは呼べんのだろうな」
ふと、そんな言葉が口をついた。
脩国王都へと移送される馬車の中、状況を説明される。王宮へと攻め入った馬賊奴賊たちは呆気なく王宮を乗っ取り、中にいた者は鏖になったという。
襲撃の前に逃走した者については追手をかけてはいないようだと聞いた。
「宰相はどうなったのだ」
あの忠義が服を来たような爺だ。王宮と道連れになったかと思ったが。
「白髯殿は宮中の政務室にて、自刃されていたそうです」
やはりかと思う反面で、何故か哀しくもある。馬鹿をやって来た。うつけ者として振る舞って来た。友と呼んだ男が首を狙っていることを知りながら、それを受け入れて生きて来たが、今更に、それに巻き込んだ者たちのことが悔やまれる。
「孫達様より、伝言がございます」
そう告げた兵が、余に伝言なるものを諳んじ始める。
「唯一、蓮にあって、この私を人間として扱ってくれた祐玄公には感謝をしている。勘違いして欲しくないのは、何であれ、私が蓮を滅ぼすことは道理であって、その道を違えることはない。全ては私の意図であり、祐玄公の道を歪めたことを謝罪する。さらばだ兄者。とのことです」
淡々と伝えられた言葉を述べたといった風の兵は、役を終えると去っていった。
何故、その言葉を伝える必要があったのか。捨て置けばいいものを。
「……不甲斐ない兄ですまなかったな」
涙を流す自分に、守ってやれなかった後悔と、そんな男を兄と呼んでくれた義弟への感謝が入り交じる。
「己のが道を行けばよい、弟よ」
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脩へと戻ったわたしたちでしたが、わたしは部屋に幽閉され、祐玄様も別の部屋に蟄居させられていると聞きました。
兄の進軍に北方の遊牧民や山岳の民たちは接敵することなく逃散し、敢え無く王宮は解放されたと聞きます。
そもそも、遊牧民たちは王宮に攻め入るまでの道中、ほぼ無血で素通りしていたのだそうで、王都手前の北部砦の狼煙だけが、何処ぞからの指示で上げられていたのだと。
言うまでも無く、兄がわたしを、いえ、祐玄様を逃がすための措置として上げさせたのです。結果を見れば、王宮にいた領主一族と王宮官吏だけが殺された以外は戦闘などなく蓮は落とされたことになります。
「わたしを逃がしたのは、祐玄様のついででしょうね」
祐玄様がわたしを逃がすために逃亡することは予想していたのでしょう。
敵襲を前に交戦するべく指揮をとるのではなく、真っ先に寵姫を連れて逃げた領主、結果を見れば、誰の目に見てもそうなります。
そして、諸侯や朝廷が馬賊奴賊、凶奴と蔑む北方部族に落とされた国を奪い返した英雄に兄はなりました。
朝廷から、蓮は脩の所領として加領されるでしょう。そうなれば、わたしと祐玄様は仲良く処刑です。
兄が凱旋したと部屋にて聞き、その後、わたしは馬車に乗せられ、運ばれておりました。
蓮国亡国の責を咎めて、公開で処刑されると思っておりましたが、僻地への追放となったのかと、それとも、王宮を離れた地方で、幽閉したのち、毒を賜るのかと、ぐるぐると考えて数日、辿り着いたのは山間の山村で、民家とよべるものも疎らな寒村でした。
一軒の他と較べればやや造りのしっかりとした家の前につくと、わたしは馬車を降ろされました。
何故か従者として、長年仕える侍女もともにおり、ここで暮らせとのことかと思っておりますと。中から老人が1人出てきました。
「お爺さま」
老人は、幼き頃、兄に連れられて行った市井の家で、わたしを可愛がってくれた、実の祖父でした。
「孫達様は、お前を殺す訳にはいかんが、だからと無罪放免にもできんと言ってな。この村には訳ありしかおらん、孫達様直轄の秘所だ。安心して暮らしなさい。不自由ないように、物資は孫達様が送ってくださる」
随分と老けてしまったけれど、あの日と変わらず優しい目で微笑んでくれる祖父は、わたしを抱きしめて、さぁお入りと促してくれるのです。
「お前を待っている人が中にいる。迎えに出なさいと行ったのだが、渋っていてな」
心当たりのない、待ち人の話をされ、いえ、心当たりならあるのです。ですが、そんな筈はと期待する心に封をする自分を置いて、中にいた彼は、すこしばつの悪そうな顔をして、笑っておりました。
「生き延びてしまったようだ」
頭をかく貴方に、もつれるように歩み寄ったわたし。抱きとめた貴方は、硝子細工を抱くように優しくわたしを抱きしめてくれるのでした。
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光陰暦2562年、約1000年続いた夏欄王朝を滅ぼし、新たに紅鳳王朝を築いた孫達皇帝は、夏欄王朝の諸侯の中では歴史こそ古いものの、東部辺境の地、脩の末の太子として産まれた。
母親についてはよく分かっていないが、産まれの卑しさに礼遇され、隣国、蓮に敗戦の人質としてたったの6歳で送られ、10年を人質として過ごしたことが、後の虐殺王の始まりとされている。
虐殺王、簒奪王、血塗りの鬼、冷酷王と、孫達皇帝を謗る言葉は多く、総じて戦に狂い、虐殺を好み、上昇志向と権力欲の塊のように言われるが、一方で腐敗した諸侯、朝廷を滅ぼしたのち、民のための政に邁進し、停滞し、諸侯同士の争いや、重税に苦しんだ庶民を救い、国を栄えさせ、繁栄と安定を齎した英雄と称されてもいる。
皇帝が虜囚の辱めの復讐のために滅ぼしたとされる蓮との話に、興味深い説がある。
皇帝が調略の末に復讐をはたし、始めて領土を広げることに成功した裏で、捕らえた蓮国領主、祐玄と、自身の妹でもあり、祐玄の元に嫁いでいた鄭施を、生涯匿っていたという説だ。
凶奴襲来に応戦せずに逃亡し、助けを求めた当時の脩国国主孫達に捕らえられた祐玄は、逃亡と蓮国王都陥落の責を問われ、毒杯を渡され、死罪となり死んだとされていた。
また、孫達の妹でもあった鄭施も、同様に処されたと公式には記録されていたのだが、一部では2人は温情により生かされていたとの説があった。
この説は、皇帝の人柄を良く描くための後世の創作であると多くの者が捉えていたが、光陰暦4023年、旧脩国領の山間、華扇省宇內の村から見つかった多くの史料は、2人の生存が許され、この地で終生を共にしたことがわかるものであった。
現存する数少ない鄭施直筆による史料の殆どはここから発見されたものであり、蓮国滅亡の裏側を知るための重要な研究史料となっている。
彼女の遺した言葉として、「予定調和の傾国は幸せになれました」との一文は、様々な創作の締め言葉として、今尚使われている。
中原王朝史研究員 回 曹仁
お読み頂きありがとう御座いました。
お気付きの方も多いと思いますが、春秋戦国時代の周の傾国、褒姒と呉の西施を足して3で割って、オリジナル要素を加えた主人公です。
舞台も呉越をベースにしましたが、話の内容は完全フィクションですね。
まぁ、舟のエピソードなんかは斉の恒公のエピソードだったりしますし、何なら男女が逆ですけど。
元々は西施の生き様が面白いとモデルにしようと思い付いたのが始まりのお話です。
感想お待ちしておりますm(_ _)m
щ(゜д゜щ)カモーン




