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「息苦しいのですけど」
「我慢しなって。というか話しかけないでくれる? 怪しまれるから」
街の喧騒に紛れながら、僕は……僕らは……正確には僕と生首は、小声で会話する。周囲から見れば独り言だが、周囲の人間は誰も僕に注意を払っていない。迷宮のせいで急激に増えた人口のために、街はただただ喧しく、賑わい、誰もが自分の人生に夢中らしい。
「……ずっと揺れているばかりでよくわかりません。ここはどこです?」
「ギルドの外。街を歩いてる。とりあえずお腹が空いたんだ。もうちょっと待って」
「私は荷物扱いですか?」
「生首を小脇に抱えて歩けないでしょ」
いくら剣と魔法とスキルの超常ファンタジー世界だろうと、やっちゃいけないことの区別はある。例えば、女の子の生首を小脇に抱えて街を歩くとか、だ。
正直なところを言えば、このよく分からない誰かさんの生首を持って帰りたくはなかったんだ。けれどあの教会に放置するほど非情にもなれず、ギルドに差し出すには先行きが分からず、扱いに困っている。
「そう言えばさ、なにか思い出した? なんであそこにいたのかとか、なんで生首なのかとか」
唇を動かさないように小声で訊ねる。
「いえ、さっぱり。頭の中が真っ白で……思い出そうとはするのですが、締め付けられるような痛みが起きます」
「記憶喪失かなあ。名前は?」
「名前」と少女は困ったように呟いて、返事はなかった。
会話をするにしても、対象を認識するにしても、名前がないのは不便だった。生首さん、と呼びかけるわけにもいかないし、いつまでものこの生首が、と呼称するのも不穏だし。
人を避けながら歩く。左右には屋台が並び、客引きの声がひっきりなしに響いている。
「––––ミド。ミドで構いません」
「それ、もしかして今決めた?」
大きな樽を置いた屋台で蜂蜜酒––––ハニー・ミドが売られている。店主が張りのある声で繰り返している。素晴らしきハニー・ミド、女神メディアも愛したメディア・ミド……。
あまりに安直な気もしたが、本人がそれで良いなら僕としても不満はない。
「私はミドです。あなたのことはなんとお呼びすれば?」
すれ違った小さな子供が目を丸くして僕を振り返っている。そりゃ、どこからともなく美しい声が囁くように聞こえたら、あんな顔にもなるだろう。
「僕はトモス。ちょっと買い物をするから静かにしてて」
返事はなかった。さっそくお願いを聞いてくれたらしい。
命懸けの戦闘を潜り抜けたからか、それともあの黒い化け物のおかげか、お腹が空いていた。普段なら空腹すらぼやけた感覚でしかなくて、食欲なんてないのだけれど。
薄焼きにした小麦の生地に、野菜や香辛料で炒めた肉を挟んで丸めたものと、果実酒を薄めたものを買った。
人混みを避けながら通路の端に寄って、背負ったミドの頭を小脇にずらす。
袋状になった服の隙間を除くと、人の生首が僕を見上げている。ぞっとする光景には違いないのだが、輝くように美しい少女の顔には違いなく、ぱちぱちと長いまつ毛を揺らしながら僕を見上げる顔には、間違いない命が宿っている。
「もう話しても大丈夫。というか、ミドはなんか食べる? 喉乾くの?」
「……いえ、とくには」
ミドにも生首なりの葛藤があるらしく、困ったように眉尻が下がっている。
じゃあ試そうとは言い出せず、とりあえずひとりで食事を片付ける。
「記憶がないんじゃ、困ったよな。どっかに届けることもできないし。もぐ」
「お手数おかけします」
「なんて礼儀正しい生首なんだろう。もぐ」
「トモスさまは、冒険者、なのですよね? 生活のために今後も迷宮に?」
「そ。家を出てきたから、帰るところもなし。とりあえずは生活のために迷宮に潜る日々の予定。もぐ」
会話を片手間に、僕は飯を食う。そして驚いていた。味がするのだ。
味覚音痴だったというわけではなく。これまでは現実味のない生活のせいで、食うもの飲むものが味気なかった。美味いとか不味いとか、感情とはかけ離れた場所にあったのだ。
なのに今、僕は美味いと感じられている。懐かしい感情と久しぶりに再会できて、がっつくように飯を平らげてしまった。
「では、お願いがあります。私をまた迷宮に連れて行っていただけませんか」




