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今日もまた、古い村に潜っている。
冒険者にはランクが決められていて、それは探索と帰還を繰り返した成果によってギルドが定めるらしい。登録したばかりの僕は見習い扱いで、見習いが探索できるエリアはめちゃめちゃ少ない。まあ、いきなり死ぬよりは同じ場所で同じゴブリンの顔を見続ける方が建設的だ。
今日も今日とて着膨れした格好で、僕は村を歩く。ゴブリンはいきなり現れることを学習したから、剣はもう抜いてある。
緩やかな坂に沿って家々が並んでいて、上がっていけば丘の上に教会が。下がっていけば広い牧場や厩舎なんかが見える。家が密集しているのは転移門の周りだけで、離れるほどの家と家の距離は離れるから、それなりに広い村だ。
昨日は見かけなかったけれど、今日は他の見習い冒険者の姿もちらほらと見かけた。僕ほど見窄らしい防具を身につけた人は、いなかったけれども。
できるだけ視界の広い場所を歩き、よく周囲を見回して警戒する。それでゴブリンに不意打ちされることはなくなった。何事も大変なのは初めのころで、慣れるほどに容易くなっていく。昨日の探索時間よりも短い間に、より多くのゴブリンを倒している。
焦らず、物陰に注意しながら、ゆっくりと道を上がっていく。この村で一番目立つのが、丘の上に立つ教会だ。何をするにも目標は必要だろうと思って、まずはあそこに向かうことにした。
家探しでもすれば何かあるかもしれないけれど、昨日のことを考えると、ひとりで密室に入る勇気がない。狭い場所では小柄なゴブリンの方が有利だし、身体ごとぶつかるみたいにむしゃぶりつかれたら、それをうまく対処できる技量はないのだ。
家から飛び出してきたゴブリンを斬り倒して、魔石を回収し、握っていた手斧をもらう。粗末な斧は今にも壊れてしまいそうだが、ゴブリンを一発殴る分には十分だろう。予備の武器も用意できない現状じゃ、現地で収穫するのが一番だ。
教会に近づいていくとやけに物々しい音がすることに気づく。自ずと腰を低くしながら丘を越えていくと、教会の眼前にできた石造りの広場で戦闘が起きていた。
「……やっべえ」
思わず出た言葉は呆れを含んでいる。
そこには灰色肌の丸々とした巨体が腕を振り回している。相撲取りのような巨体だが、顔は厳しいゴブリンのようで。武器は持っていないが、右腕だけがカマキリの鎌のように変形していた。
あれはゴブリンの亜種なのか、まったく別の新種なのかも知らないけれど、どう見てもエリアボスの風格だ。
「初心者エリアのボスにしては難易度急上昇すぎません?」
こっちは棍棒やら手斧を振り回すゴブリンで精一杯なんだけども。
悲鳴が上がる。
灰色ゴブリンと戦っているのは、四人組のパーティーだった。しかしすでに二人が血溜まりに転がっている。
残っているのは中年の男と少年が二人で、どちらも初心者なりの粗末な装備でしかない。
あー、こりゃ全滅か。と見ている先で、中年の男が急に振り返り、少年の顔を殴りつけた。
「わりぃな! 俺は抜ける!」
地面に転がった少年に吐き捨てて、男は僕の方に走り込んできた。
隠れていた僕を見つけて、男は驚愕した顔をするが、言葉を交わすこともなくすれ違う。
灰色ゴブリンが重たげに身体を揺すって少年を狙う。少年は顔を押さえながら、這いずるように逃げる。
僕は背後を振り返る。逃げ去っていく男の背中。生き残る意思は非難できないけれど、同じ背中を向けるにはまだ無謀な馬鹿さを捨てきれなかった。
「––––ま、死んだらそれもそれか」
僕は回収したばかりの手斧をくるりと回して、灰色ゴブリンに投げつけた。そして駆け出す。
遠投した手斧は灰色ゴブリンの腕にぶつかり、わずかな傷だけをつけて転がった。
少年を狙っていた視線が僕に向かい直る。
縦にも横にも壁のような巨体が待ち構える先に飛び込むのは恐怖でしかない。けれどぼんやりと鈍った霧のような視界が恐怖を誤魔化してくれる。
大きく振りかぶられる異形の右腕。僕は頭から飛び込むように姿勢を低くする。
びゅうん、と鳴った風切る音は、間違いなく死の気配を纏わり付かせていた。
地面に転がり、ごろりと前回りして右足を突っ張る。勢いのまま立ち上がり、振り向けば、腕を振り抜いて背中を見せた灰色ゴブリンの後ろ姿。
僕は剣を両手で握る。剣を振り上げる。流派なんてないし、剣術を教わってもいない。ただ振り上げて、ただ振り下ろす。それしか知らない。
「––––う、らあっ!」
スイカ割りのように振り下ろした剣は灰色ゴブリンの太い背中に食い込み、とん、という軽い手応えばかりを残して、地面までを両断した。
間。力を据えた分だけ腰が重く、飛び退く動きが間に合わない。吹き出した血が存分に僕に降りかかった。
巨体が揺らぎ、ごろりと転がる。死んだはず、と思いながらも、人間とはまるで違う生き物の生命力の底を知らない。
僕は素早く灰色ゴブリンの上体に位置を取って、再び剣を振り上げた。
首を落とせば何だって死ぬ––––それが世界の定めたルールだ。
灰色ゴブリンの瞳が僕を睨め付けたまま、その太く大きな頭がごろりと転がった。
急に訪れた静寂に、僕の荒く乱れた息遣いが目立っている。その場に座り込みたくなるほど疲れていたけれど、気を抜くには場所が不穏すぎた。
周囲を警戒する。もしかしたら灰色ゴブリンはボスでも何でもなくて、ただの雑魚キャラ、なんて可能性もあるのだ。
しかし周囲には何もいない。誰もいない。いや、あいつどこ行った?
見回せば、丘を下って逃げていく少年の背中があった。
「……礼くらいあってもいいんじゃない?」
ため息。まあ別に、頼まれたわけでもないし。いいんだけどさ。




