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エルッグとゴブリン・ガーゴイルを倒しながら、僕らは安全基地を中心にぐるぐると城下街を回る。慣れてくれば手強い敵ではないけれど、戦闘というだけで疲労は溜まるものだ。集中力が欠けて気を抜いた瞬間、失うのは命かもしれないわけで。
余力があるうちに、僕らは一度、安全基地に戻ることにしたのだった。
広く長い階段を登り、見送ってくれた兵士にささやかな再会の挨拶をしつつ、広場の端っこに腰を下ろした。
「露天があるのって助かるね。ここで買って昼食にしよう。ギルドで売ってる携帯食って気が滅入るから」
「あたしも賛成。適当に見繕って買ってくるのでいい?」
とクロエが立ち上がった。それにイリアが付いて行き、僕とミドばかりが座って残る。
迷宮の中でも、冒険者たちの腹の空き具合は変わらない。昼時の広場には探索を休憩して戻ってきた冒険者たちの姿も多く、ますます賑わいが増していた。
商人たちは持ち込んだ惣菜を売るだけでなく、火を起こして鍋を置き、その場で調理したものを売っていたりもする。
「……ミドも疲れたでしょ? 戦うの」
「いいえ、楽しいです! それに、トモス様のお役に立てるのも嬉しいです」
鼻の尖った獣顔の甲冑がぶんぶんと頷く。僕は手を伸ばして、その鼻面を押し上げた。面頬が上がり、ミドの顔が露わになる。空気が変わるほどの美貌に、灰色の混ざった青い瞳が、きょとんと僕を見返している。
事情もわからず、記憶もなく、身体を失っている。鎧を仮初の身体にして、迷宮で魔物と戦う……どんな気持ちでそれに挑んでいるのか、僕には想像もつかなかった。けれどミドはいつも明るく、そして素直に立ち向かっている。
「ミドはすごいね」
「と、突然ですね!? どうされたんですか? トモス様に褒めていただけるのは嬉しいですけどもっ」
瞳を左右に揺らしながら、ミドは困ったような、でも嬉しいような、ちょっと気恥ずかしいような顔をしている。
「身体もそうだし、記憶も戻るといいね」
「……はい。でも」
とミドは奇妙にも言葉を濁した。
「でも?」
「なんだかうまく言葉にできなくて、自分でも分からないんですけど……少しだけ、怖いんです。今は自分でも自分が分からないんですけど、それでもトモス様やクロエさんや、イリアさんと一緒に冒険者ができて、それが楽しくて……記憶が戻ったら、すべて変わってしまうのかなって」
「変わらないよ。記憶が戻っても一緒に続けたらいい」
「……記憶が戻っても、わたしはわたしなんでしょうか」
すがるようなミドの瞳を、僕は見返すしかなかった。記憶を失ってもミドはミドだ。しかし、記憶を失う前のミドが、今のミドと同じ性格だったのかは分からない。
ものすごく傲慢だったかもしれないし、もっと面倒くさがりだったかもしれない。鎧という身体がその場しのぎの借り物であるように、今のミドという性格もそうである可能性はある。記憶が戻ったとき、目の前にいるミドは変わってしまうかもしれない
自分で自分が分からない不安は他人には理解できない。
僕も似た感覚を知っている。日本で生きていた前世の––––もう名前すら思い出せない過去の自分と、この世界で生きるトモスという自分。
ふたつの自分は、似ているようで違ってもいる。どっちが本当の自分で、どっちが本当の現実で……ふと眠って目が覚めたら日本のベッドで、この世界の日々こそが夢になるのではないかと、そんなことも考える。
僕という存在はどちらの世界とも”繋がって”いて、同時に”断絶”されてもいる。中途半端な魂のせいで、物事は全て作り物めいて見えてしまう。出来事はどこかで他人事のようで、すべては画面の向こう側で勝手に進んでいく物語のようにも思える。
「ミドはミドだよ。僕にとっては変わらない。記憶があっても、なくても、僕はミドをミドとして扱うよ」
それは何の解決にもなっていないし、ミドの不安を和らげられる言葉でもない。けれど嘘はついていない。
ミドは小さく頷いて、瞳を柔らかに細めた。はい、と頷いた。
「私は、トモス様に会えて良かったと思います。記憶はないですけど、記憶があったときの私も同じだと思います。それは間違いないです」
「すごい自信だ。そこまで褒められると自信がないんだけど」
「いいえっ! トモス様は頼りになるし、すごく優しくて良い人ですからっ」
ふんふんと顔を近づけられて、僕はちょっと身を引いた。美少女に急接近されると、嬉しさよりも美貌の圧に押されるんだな、と新発見。魅力、という文字に納得する。力なのだ、美しさって。質量があって、強い。
そこに、クロエとイリアが戻ってきた。昼食を買いに行ったはずなのに、二人ともが手ぶらで帰ってくるのを見て、何かあったな、と察しはついた。
顔を合わせてすぐ、クロエが口を開く。
「いまさっき冒険者たちが話してるのを聞いたんだけど、支配者に異変が起きてるんだって」
「異変? どういうこと?」
「それが––––支配者が死なないと」
イリアが後を継いで、どこか不安げに言う。
「何度討伐しても倒せないって、冒険者パーティーが戻ってきて、他の方々に話していたんです」
「それは確かに異変だ。でも何でもありが迷宮だからなあ……そう言うのってたまにあるの?」
クロエとイリアは顔を見合わせ。
「その話を聞いた周りも笑ったり馬鹿にしたりしてたんだけど、冒険者が本気で言ってるのが目に見えて分かって、ちょっと雰囲気が変わってたわね」
「集まっていた冒険者たちも、確認に行くのと、この場に残るのと、帰る準備をするのに分かれていました。それで、わたしたちはどうすべきか、一度相談したほうがいいかと思って」
僕らよりも迷宮を知っているはずの他の冒険者たちの動きがバラバラになっているのを考えると、これは間違いなく異変のようだった。よくあることなら、対処法は決まっていて、冒険者たちの動きも大きくは揃うはず。
確認に行くのは話の真偽を確かめるためだろう。残るのはどちらか決めかねた様子見か、冒険者の話を眉唾と思っているだけ。帰るのは、いつもと違う迷宮、というだけで危険を嫌った安全思考。
どうするかな、と腕を組む。何があるか分からない時点で、確認に行くのは控えたい。好奇心を抱えて残るか––––いや、ここは帰ろう、とすぐに決める。わざわざ危険に首を突っ込む理由がない。
「ちょうどここに戻ってきたところだし、僕らはこのまま」
「––––行かなきゃ」
ミドの瞳はどこか遠くを真っ直ぐに見つめていた。まるで、遠い人混みから名前を呼ばれたみたいに城下街に顔を向けて、立ち上がった。
「ミド?」
僕が伸ばした手をはするりと空を握って。ミドは駆け出した。
「ちょっと! なによいきなり!?」
「ミドさん!」
ふたりの呼びかけはまるで届かず、ミドの背中は見るまに遠くなっていく。
僕はため息をつき、立ち上がった。いったいどうなってるんだか。
「ちょっと、どうするのよ、あれ」
と指差すクロエに、僕は肩をすくめてみせた。
状況はさっぱり分からないけれど、やるべきことははっきりしている。そういうときは、かえって悩まなくて済むのだから、気は楽だった。
「決まってるでしょ。追いかけるんだよ。ほら、走るぞ!」
「ちょ、ちょっと!」
「ま、待ってくださーい!」
駆け出した僕に続いて、クロエとイリアの声が追っかけてきた。




