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駆け出そうとしたミドが方向を変え、僕の眼前に飛び込んだ。大楯が視界を隠した瞬間、かぁん、と甲高い音。そして大楯の向こう側から跳ね上がって見えたのは、矢である。
頭から飛び込むように僕を守ってくれたミドは、そのまま姿勢を崩す。大楯が傾き、視界が通る。
不測の事態。けれど焦りはない。自分が狙撃されたとしても、それすらも僕からすれば画面の向こうの他人事。状況を把握するその瞬間、視界は広く、物事は遅くなる。それは半ば、思考と現実を自分で切り離しているようでもあり。
「––––チッ」
思わず舌打ちが漏れる。苛立ちというより、この状況が自分ではなく他人の都合で用意されたものだと理解したからだ。
イリアの火槍は狙い通り、ウォーリアたちに着弾し、ゴブリンたちに炎が撒き散らされている。
問題は矢を放ってきたやつ。ウォーリアから斜向かいの屋根の上。納屋の窓からは確認できなかった場所に一体、緑の衣で身体を覆った小柄な狩人がいる。突き出た腕は緑色で、おそらくはゴブリンだろうが、その弓はゴブリンの身の丈を超えている。どうせハンター・ゴブリンとでも名前がついているのだろう。
「クロエっ、戻れ!」
「ッ!? なによ!?」
「いいから下がれ!」
駆け出そうと上体を屈めていたクロエがつんのめるようにブレーキをかける。動きが止まったその瞬間をハンターが見逃すわけもない。
僕は考える前にクロエに駆ける。陽光を引きずった光の線がまっすぐに飛んでくる。
矢を切り飛ばすか?
いや、冗談。僕にそんな技術があったらとっくに剣士を名乗ってる。
剣を放り出して、無様といえるほどまっすぐにクロエに飛びかかり、そのまま二人して転がる。
「きゃあっ!? ちょっと!? どこ触ってんの!?」
「我慢しろっての!」
柔らかいんだか硬いんだか、ぐるぐると回る視界の端に、突き立った矢と風圧とを感じる。すぐさま起き上がり、僕の下で慌てふためいて顔を赤くしているクロエを引っ張り起こす。そのまま納屋の中に駆け込んで、扉を引っ張り閉めた。
瞬間、矢が扉に突き立って、鏃が貫通した。
「ミド! 戻れるか!」
「は、はぁい!」
間の抜けた声でミドが帰ってくる。背中でカンカンと二発ほど矢を弾き返しているあたり、頼もしさは抜群だった。ミドが扉を閉め、僕らは薄暗い納屋の中に逆戻り。
「ミド、盾を横に構えて、そう、地面に置いて。二人とも、この陰に」
「な、なんなの!? なにあいつ!? あっ、助けてくれたのよね、ありがとう! ミドも!」
「あんまり時間がないから、手早く状況を説明する。よく聞いて。僕らは嵌められた。あのウォーリアたちは餌だ。のこのこ顔を出したところを、ハンター・ゴブリンに狙撃された」
「ハンター・ゴブリン? 支配者はウォーリアだけではなかったんでしょうか」
イリアに僕は頷きを返す。
「このエリアは教会からたまに違う迷宮の魔物が出てくるらしい。普通は大ごとになってギルドが討伐隊を出すらしいんだけど、あのハンターは討伐されなかったんだろうね。最近呼ばれたのか、隠れてたのかは知らないけど」
「トモスさま、どうされますか? 私が盾を持って突っ込んでみましょうか?」
ばすっ、と矢が扉を貫通して、ミドの大楯に弾き返された。
「勇ましい提案だけど、さすがに遠いね。向こうも逃げるだろうし、ミドも武器がないし。この中で遠距離攻撃ができるのはイリアだけなんだけど、火槍ってどこまで届く?」
イリアは顎に手を当て、「そうですね」と考え込んだ。
「正直、ハンター・ゴブリンがいた場所にも届くとは思いますけど、当てるのは難しいですし、その頃にはもう威力が減衰しているかと」
「そっか。弓と撃ち合うのも現実的じゃないしな」
さあて、どうしたものか。
と、クロエが姿勢を低くして大楯から出ている。
「クロエ、なにやってんの」
「……状況の確認よ。あのウォーリア・ゴブリン、たぶんまだ生きてる。火にまかれてはいたけど、直撃は避けてたから」
クロエが四つん這いになって移動して、そうっと窓から覗く。
「……あちゃ。すごい怒ってるみたい。斧を振り回しながらこっちに向かって来るわね。雄叫びを上げてるから、周りのゴブリンも寄って来るかもしれないわ」
「トモスさま、逃げますか?」
ミドが僕に訊ねる。なかなかに切羽詰まった状況だというのに、ミドの声音には揺らぐものがない。いつもと同じで、気負いも不安もなく、日常の会話のような気やすさだった。
非日常の危うさの中で、いつもと変わらないものがあることは人を冷静にする力がある。
白い膜の向こうを見ているから、と自分では思っていても、やはりどこかで気負いがあったのだろう。ミドのおかげでスッと気持ちが軽くなって、肩の力を抜いて事に構えられそうだ。
盾に戻ってきたクロエと合わせて三人の顔を見回し、僕は案を出す。
「やりようはふたつ。ひとつは後ろの壁をぶち破って、尻尾巻いて逃げる。ハンター・ゴブリンなんてのは計画にないからね。余計な危険を背負うよりも、仕切り直したほうが安全だ」
「……もうひとつは?」
とクロエ。
「あの扉を開けて、真っ向から迎え撃つ。ウォーリア・ゴブリンは手負だし、ハンター・ゴブリンもそこまで賢いわけじゃない。やりようはある」
「賢いわけじゃない? でも、わたしたちを作戦に嵌めています、よね?」
再び矢が扉を破り、少し離れた地面に突き立った。僕はその矢を指差す。
「こっちを獲物だと思って甘く見てるのか、頭が鈍いのか知らないけど、さっきから打ち込んでくる矢の角度はほとんど同じだ。つまりさっきの場所から移動してないってこと」
「……? 移動していないと、悪いのですか?」
ミドが首を傾げる。
「狙撃手っていうのは、居場所がバレるのがいちばん良くないんだ。遠距離から不意打ちするのが戦い方だからね。こういう状況なら、ハンターはすぐに場所を変えるのが鉄則。例えば僕らが逃げるのを予測して裏に回るとか、あの窓から中の様子を窺える場所に構え直すとか」
「はあ……トモス様はどちらでそんな知識を?」
とイリア。
「ゲームで」
言いかけて、僕は口を押さえた。
「げぇむ?」
「なんでもない。とにかく、どこにいるのか分からないなら厄介だったけど、ハンター・ゴブリンはさっきと同じ場所にいる。それなら戦いようがあるし、逃げるのも安全にできる。みんなはどっちを選びたい?」
「トモスさまのお気持ちのままに。どちらでも私は付き従うだけです」
ミドはすぐさまに答える。クロエとイリアは顔を見合わせて、しかしただ頷き合うだけで、「戦います」と言った。
「……よし、それなら作戦を話す。まずは––––」




