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振り返れば、黒髪の少女もミドも、ぐったりと床に座り込んでいた。ふたりにとっては明瞭な現実に他ならない。命を脅かされた恐怖も、それを潜り抜けたことによる安堵も相当なものだろう。
ふたりのことはさておいて、ミドの腕に抱えられた少女の容態を確認する。
「おい、もう大丈夫だぞ。しっかりしろ」
安全かどうかは怪しいけども、怪我人を安心させるためなら多少の誇張は許されるだろう。
ミドの腕の中で力もない薄桃色髪の少女は、苦しげに顔をしかめている。分厚い生地のローブは横っ腹のあたりに刺し傷があり、そこを中心に赤黒く染まっていた。
額に脂汗を浮かべながら、細く目が開く。
「……ごめ、なさ……クロエ……は?」
「くろ?」
「イリア!」
はてと首を傾げた僕を押し退ける勢いで、黒髪の少女が縋り付く。
ああ、黒髪がクロエで、こっちの薄桃色髪がイリアね、と内心で擦り合わせておく。
「ぶじ……? よかっ……」
「良くないってば! なんで前衛のあたしを庇うのよ! ばか!」
「けが……な、い……?」
「ない! ないから大人しくしてて! すぐに施療院に連れてくから!」
クロエに手を握られ、イリアは儚げに微笑んで頷いた。元々の肌ですら白いが、今の青白さは貧血によるものだろう。
「ほら、どきなって」
「な、なにするのよ!?」
噛み付かんばかりに睨んでくるクロエを押し退ける。
「このままで施療院まで間に合うわけないでしょ。もう大量出血だし、止血もまともにしてないし」
僕は魔物解体用のナイフを抜き、イリアの服を引っ張る。
「あんた! なにを––––!」
途端、クロエが声を荒らげて腰の剣に手を伸ばした。と、同時に、ミドがその腕を掴んでいる。
「落ち着いてください。トモスさまに任せれば大丈夫ですから」
「なにを根拠にっ!」
「でなければあなたたちを助けることもしません。命を救われた身で報いる方法は、信用することだけです。それが礼儀ではありませんか?」
甲冑の中で淡々とした声音が響く。言い聞かせるでもなくただ事実を告げるかのような物言いは、かえって言葉の浸透性を強くするのかもしれない。クロエの頭に上がった血がスッと引くように、剣を掴んだ腕から力がなくなるのが見えた。
僕はふたりを横目に、イリアに声をかける。
「おい、意識をしっかり持ってろ。今からあんたの服を裂く。傷口が見えないから。いい? わかる?」
「……ぁ」
イリアはかすかに頷きを返した。ただ、動きがか弱く、血の気のない唇は震えている。
がん、と強く扉が叩かれた。ぎし、ぎし、と歪む音がここまで届いている。思ったよりも脆そうだ。すぐにここを離れたいけれども、イリアはこの場でなんとかしないとまずいだろう。
血でべったりと身体に張り付いた服を浮かせ、破れた穴にナイフの先を差し込み、”断絶”で綺麗に裂いた。下に着ていたシャツやらブラウスもまとめて切る。腰から胸の下までが白く曝け出される。肉付きの薄い腹に、抉れたような刺し傷が刻まれていて、イリアの呼吸のたびに奥から血が込み上げている。
こりゃひどいな。
横で「っ」とクロエが口を押さえる。歯を噛み締めるような音は、怪我の生々しさにか、手の施しようがないという諦めのせいか。まあ、どっちでもいいんだけど。
「まあ、これならすぐに治る。よかったね」
イリアに声をかけると、弱々しい微笑みが返ってきた。
「……あり、が、と……ござ、ま、す……」
「ちっとも信じてなさそうだ。僕が気休めで言ってると思ってる?」
こくり、とまた頷かれる。怪我した本人がそんな感じじゃ、治るものも治らないと思うんだが。まあ、いいか。さっさと止血しよう。
僕は傷口を覆うように手をかぶせて、スキルを発動するために意識を集中した。医療の知識があればもっと手早く、効率的にできるのだけれど、大雑把なことをやろうとすると消耗が激しいのだ。
「––––”繋合”」
手の中で青い光が漏れる。
繋ぎ合わせるという特性を持つスキルは応用が効く。もっとも簡単に思いつくのが、怪我を元通りにすることだ。
そもそも現代医療だって傷は縫い合わせてくっつけるのが基本だし、この世界の治癒魔法でも似たようなものだ。そもそもの人体の回復構造が繋ぎ合わせるようにできてる。それをスキルで時短かつ手軽に再現しているだけで。
身体の中からごっそりと何かが漏れ出ていくような感触。身体の感覚が鈍いのに、それでもひたすらに嫌な感覚だ。自分が欠けていくような虚脱感。
「––––ふぃぃ」
手を離し、氷みたいに冷えてしまった自分の右手を握りしめる。血の中にぽっかりと開いていた傷口は痕も残っていない。
「……うそ、えっ、ええええ!?」
クロエが目を丸くして騒いでいる。
「言ったとおりでしょう。トモスさまはすごいのです! なにしろ私の首を––––」
「はいはい、話はまた今度な」
余計なひと言を潰しつつ、防具代わりに着重ねていた上着を一枚脱いだ。服を脱ぐのも身体が重い。どっと倦怠感が背中にのしかかっている。今日はスキルを連発しすぎた。疲労が強い。
「ミド、ちょっと浮かせて、そ、これそっち回して。よし」
イリアを包めば、ちょっとは緩衝材になるだろう。傷は繋げられても、血は戻せない。体温は低いままだし、感染症だって怖い。早いとこちゃんとした施療院に運ばなきゃいけないのは変わってない。
そのとき、扉がメキメキと軋み、ついに貫通した斧の先っぽが見え始めた。もう猶予はなさそうだ。
「最後のひと踏ん張りだ。裏口から逃げよう」
「う、裏口があるんでしょうかっ?」
「なかったらおしまいだね。お疲れ様でした」
「諦めたくないですぅっ!」
「ほら、きみもちゃんと動いて。この子を施療院に連れてくんでしょ」
呆けたようにイリアの手を握っているクロエの肩を叩く。ハッと意識を取り戻した顔は、自分のやるべきことを理解している。
「さあ行こう。走れ!」
僕らが奥に繋がる通路に駆け出したとき、背後で扉が砕ける音が聞こえた。




