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貴族の三男として転生したからこれで人生安泰かと思っていたのだが、そう甘い話はなかったらしい。これで内政チートだとか、素晴らしい魔法の才能が、とかいうことがあったら話は違ったのかもしれない。
ところがどっこい、前世の記憶や知識があることが、かえって足を引っ張ることもあるのだ。
僕は言葉を話すのがとにかく遅かった。覚えられないからだ。赤ん坊が耳で聞いてまっさらな脳で吸収するはずの場所には、もう日本語がぎっちり詰まっていたのだ。そこから誰に教えてもらうでもなく異世界のわけわからん言語を習得するのは普通に大変だった。
おかげで出来の悪い子どもと思われていたし、不意に使ってしまう日本語のせいで気味悪がられることも多かった。
内政チートをしようにも、農業だとか技術的な知識はたいして役に立たない。冷蔵庫を知っていても、冷蔵庫の作り方は知らない。畑の耕し方も知らない。病気の治し方も薬の作り方も知らない。
というわけで、普通に精神的に大人びてやたらと物分かりの良い、かといって優秀というわけでもない、ちょっと変で扱いにくい子どもが僕だった。
「……長らくお世話になりました」
「お気をつけて」
小さな貴族家のわずかな使用人をまとめる執事の爺さんに見送られて、僕は家を出た。15になった日のことだ。
勘当されたとかいうわけではなく、特に居場所もやることもないから、自分で食い扶持を稼ぐ必要があったからだ。
貴族といえど、うちは弱小貴族––––貴族にもピンキリあって、貴族だから裕福で人生安泰、なんてことはない。自分の領地があって、領民がいて……なんてのは大貴族の話だ。うちは領地もない名ばかり貴族で、仕事といえば大貴族の領地の端っこの村々の管理を代理で請け負うだけの、いわば下請け貴族だ。
長男は父の後を継ぎ、次男は大貴族の家臣団に出向。残った僕には、役目も価値もなく、かといって家で養う余裕もない。長男の補佐をするか、家を出て自分で稼ぐかの二択しかなかった。結果、僕は自分で稼ぐことを選んで、こうして家を出たのである。
べつに夢や野望もないし、二回目の人生でやり直したいような目標もない。
気だるくぐーたら生きてきた。その覇気のなさが親に見限られる要因かもしれない。
供もなく、渡されたわずかばかりの支度金で馬車を乗り継ぎ、ひとつの街までやってきた。
迷宮都市ガルガンド。
噂に聞きし、吟遊詩人に歌われし、果てなき富と名声の坩堝。別に立身出世を目指すわけではないけれど、この世界で手に職も知識も薄い僕は、まともに働く気もない。迷宮があるっていうなら、一度はそれを体感したいという興味もあった。
この世界では初めての大都会。人の多さや賑わいに、ふと昔を思い出して懐かしさを感じた。そのままギルドに向かい、冒険者として登録して、提携している安宿に入った。
明日から僕は冒険者だ、と言い聞かせてみたが、まるで実感もない。というか、この世界でもう十五年を生きているというのに、いまだに足がふわふわしているような感覚が付き纏っている。まるで幕の向こうから景色を眺めているような、体感型の映画を観ているような。
迷宮でなら、生きていることを実感できるかもしれない。
そんな期待を抱きながら、僕は手触りの悪い麻のベッドで眠る。




