閑話 赤色の決意
「……覚悟を決めなくちゃ」
ある場所に向けて歩を進めながら、私は小さくつぶやいた。
緊張と不安と恐怖に押しつぶされそうになる。だけど、ここで逃げるわけにはいかない。一度足を止めて大きく息を吸ってから、ゆっくりと吐き出す。
私はある人と再会する。今は待ち合わせ場所に向かっている最中だ。
どうしてこうなったのか。頭の中に二学期初日からの日々を思い浮かべた。
夏休みが明けた直後、私は絶望的な気持ちになった。翔ちゃんが白の派閥に入ってしまったからだ。
どうして?
ありえないよね?
あの浮気女の派閥に入る意味が全く理解できなかった。女神の派閥に入ることもありえないのに、よりにもよってそこは絶対にダメなところでしょ。
我慢できなくなり、直接本人に事情を聞いてみることにした。けど、普通に正面から聞いても逃げられるかもしれない。翔ちゃんが逃げられないタイミングを狙おう。
機会はすぐに訪れた。
翔ちゃんのことを考えていたら全然眠れなくて、朝早く登校したその日。とぼとぼ歩いていたら、前方に翔ちゃんの姿を見つけた。
運よく早朝の教室で二人きりになれたので思い切って聞いてみた。絶対脅されていると思ったけど、翔ちゃんは違うと言った。信じられなかったけど、本当に脅されていない様子だった。
事情はさっぱりわからない。
だけど、白瀬から離したかった。すると、翔ちゃんは自分の魅力をアピールするように言ってきた。
そんな話をしていると、白瀬が現れて翔ちゃんを連れて行こうとした。
『はい。わたくし、本日は翔太さんと約束しているんです』
翔太さん?
サラッと発せられた言葉に強い引っ掛かりを覚えた。白瀬はそれについて「仲良くなった」と答えて片付けていたけど、私は凄く引っかかった。
「……というか、あいつ笑ってた」
結局、白瀬は翔ちゃんを連れてどこかに行ってしまった。
何が仲良くしたいだよ。
私から翔ちゃんを奪い去っていった白瀬だけど、間違いなく翔ちゃんに気がある。あの時の邪悪な笑顔でそれがはっきりとわかった。
でも、私は何も言えなかった。とにかく白瀬以上に魅力があることをアピールしようと心に決めた。
二学期最初のイベントである体育祭がやってきた。
アピールチャンスだと思って全力で頑張った。最初の種目である100メートル走でトップになり、率いていた赤組もスタートダッシュを決めた。
翔ちゃんも大活躍していた。
100メートル走であっさり勝利すると、クラス対抗リレーでは蓮司君を倒して赤組を首位に導いた。
「……多分、蓮司君と繋がったのは体育祭の直前だよね」
あの体育祭で私は気付いてしまった。
翔ちゃんと蓮司君が繋がったと。
その少し前くらいから翔ちゃんのテンションが高かったからおかしいとは思っていた。確信したのは対抗リレーの時だ。アンカーだった二人は不自然なくらい目を合わせなかった。そこでピンと来た。
だって、目を合わせないくせにどっちも嬉しそうな顔をしていた。本人達はあれで隠しているつもりなのだろうか。
それでも私は気付かないフリをした。
体育祭の最後だけど、これについては思い出さないようにしている。
「……永遠に忘れよう」
大逆転劇の引き立て役になってしまった。二度と思い出したくない。悔しすぎるから記憶を封印しておこう。
体育祭が終わると、大きな事件があった。私に屈辱をプレゼントしてくれた青山海未が天華コンテストを辞退したのだ。
他の人からすれば単なる衝撃的な事件ってだけかもしれない。
でも、私はこの辞退にも引っかかっていた。白瀬が翔ちゃんのことを名前で呼んだ時みたいに、妙な胸騒ぎがした。
……まさか、違うよね。
辞退してからの青山は大きく変化した。あいつはコンテストを辞退してから妙にキラキラしていた。毎日楽しいです、みたいな顔をしていたのだ。それに、翔ちゃんと話す時も以前と少し違う気がした。
けど、私はその可能性を否定し続けた。根拠とかそういうのじゃない。ただ認めたくなかったからだ。
波乱の体育祭が終わり、次なるイベントである中間テストがやってきた。その直前に神会議があった。
『……中間テストで勝負しよ』
黒峰が前回のリベンジをしたいと勝負を仕掛けてきた。
チャンスだと思った。
体育祭ではアピールできたか微妙だったけど、力を入れていた今回のテストでは蓮司君を超えられる自信があった。
『あれ、いつも強気なのに逃げるんだね。そういえば体育祭ではアンカー勝負で虹谷君に大敗してたもんね。しょうがないよね』
勝負を渋っていた蓮司君を煽った。その言葉には翔ちゃんに自分のことを打ち明けられないイライラも込めた。
簡単な挑発だったけど蓮司君はあっさり乗ってきた。
相変わらずチョロい男だ。チョロ山と名付けてもいいくらいにチョロい。でもまあ、気持ちはわかる。嫌っている私に、しかも翔ちゃんの名前を出されて挑発されたら乗らないはずがない。
挑発が成功した後、中間テストに向けて私はそれまで以上の努力をした。これまでの人生で間違いなく一番勉強した。
……私は翔ちゃんと再会できてないのに、蓮司君だけズルい――
自業自得だけど、そんな気持ちを込めながら机に向かった。
テストの結果を見た時、私が抱いた感情は”複雑”だった。
初めて蓮司君に勝った。あの白瀬にも勝った。それはとても嬉しかった。でも、黒峰に負けてトップにはなれなかった。
満点とか無理でしょ。さすがに満点を出されたら勝てない。いくら何でもそれはやりすぎ。どれだけ勉強しても満点は無理だ。
しかし、ここでまたも学園を揺るがす事件が発生した。黒峰月夜が天華コンテストを辞退したのだ。
意味不明だった。
今回はこれだけじゃなかった。同日に、今度は蓮司君がコンテストを辞退するという話を聞いた。
もしかして私達に負けたせい?
満点を取った黒峰に白旗をあげたって感じかもしれない。プライドの高い蓮司君だし、きっとそうに違いない。
衝撃的な二つの爆弾が投下された日の放課後。忘れ物をした私は教室に戻った。
『……』
『……』
翔ちゃんと蓮司君がいた。突然の展開に固まってしまった。反応は向こうも同じで、その場にいた全員で固まってしまった。
脳裏をいくつもの思考と言葉が駆け巡った。
この場面を見たら普通に気付く。気付かないほうがおかしい。今の翔ちゃんは転校生であり、蓮司君と仲良しのはずがないのだから。
あの時のことを謝ってしまいたい。
でも、出来なかった。私の行動と言動を縛ったのは翔ちゃんのお母さん――友里恵さんとの約束だった。ここで約束を破ったら私は二度と翔ちゃんに会えなくなる。
翔ちゃん。
心の中で愛しい名前を呼んだ瞬間。
『――久し振りだね、翔ちゃん』
えっ、誰?
馴れ馴れしく翔ちゃんの名前を呼んだ女は私の隣を通っていく。
女の正体は天塚先輩だった。彼女は昨年の女神だった人だ。昨年のコンテストでも最有力候補と言われていた。
大人っぽい顔立ちの、胸が大きい人だ。
けど、去年の文化祭直前であの噂が流れた。それで人気が落ちて私達が女神になった。噂の真相はわからない。ただ、徐々に人気は回復している。いつの間にかまた女神候補と呼ばれるようになっていた。
目の前で繰り広げられる楽しそうな会話を聞いて、私はショックのあまり動けなくなった。何よりもショックだったのは翔ちゃんの表情で、あれはもう完全に恋する男子の顔だった。
思考停止状態の私は蓮司君に引っ張られ、教室の外に連行された。
『……』
そこで蓮司君は私に向かって何かを言った。
内容は覚えていない。それどころじゃなかったから。ショッキングすぎる光景に私は意識を失っていた。
後のことはよく覚えていない。意識を取り戻したのは次の日の朝だった。
「……まずい、このままだとまずい」
翔ちゃんが引っ越してから半年が経過した。この間、私は何もしていないに等しい。
どうしても気になるのは私以外の連中の動きだ。元々翔ちゃんに対して強い想いのある桃が動いているのは知っているし、天塚先輩の登場は予想外だった。
懸念材料は他にもある。
白瀬は何故か「翔太さん」と呼ぶようになった。コンテストを辞退した青山はキラキラした顔になっている。そして、黒峰のコンテスト辞退――
もしかしたら、私の知らない間に裏で何かあったのかもしれない。
でも、いくら考えても答えは出ない。
……翔ちゃんとの関係を縮めるしかない。
そう考えたけど、翔ちゃんとの間には壁がある。友里恵さんとの約束という絶対に超えられない高い壁だ。
半年前の私は間違っていた。
過去のことを無視して関係を進められるはずがない。あの時のことをしっかり謝って、それからじゃないと何も始まらない。ここでようやくその事実に気付いた。
「……このままじゃダメだ。絶対にダメだ!」
このまま黙っていたら卒業まで何も始まらないかもしれない。それどころか桃や天塚先輩とくっ付く可能性だってある。
けど、この壁を壊すのは私の力だけじゃ無理だ。
だから、私は決意した。
もう一度、友里恵さんのところに向かう。そこで事情を説明して改めて頭を下げる。翔ちゃん本人に直接謝罪する許可をもらう。
当時ならともかく、今の翔ちゃんは友達も増えた。親友である蓮司君とも再会して、精神的にも安定している。それをすべて友里恵さんに伝えて、本人に謝る機会をもらう。私に出来るのはこれしかない。
即座に行動した。
お母さんに事情を説明して、友里恵さんの連絡先を教えてもらった。連絡したら時間を取ってくれることになった。
そして現在、私は友里恵さんとの待ち合わせ場所に向かっている。
「――え、あれ?」
翔ちゃんの家の前を通った時、その光景が目に映った。
黒峰月夜が翔ちゃんの家に入っていくところだった。




