閑話 黒色の決意
「……いよいよだ」
その日、わたしはある場所に向かって歩いていた。
足を動かしながら、二学期に突入してからの日々を頭に浮かべる。
夏休みが終わった直後、虹谷君が白の派閥に入ったと聞いて焦った。あれは本当に焦った。理由がさっぱりわからなかった。
脅されているの?
あれだけ酷いことをした相手の派閥に入るなんて意味不明だ。脅されている以外に理由が思いつかない。こうなったら本人に聞いてみるしかない。
教室を出た虹谷君を尾行して、校門に到達する直前で声を掛けた。このタイミングだったのは勇気の問題だ。学校にいる状態のわたしでないと絶対に聞けない。
虹谷君から話を聞くと、脅されていないという。
ただ、事情はわからなかった。白瀬の弟が理由と言っていたけど絶対に嘘だ。でも、考えを変えるつもりはないという。
わたしは食い下がった。
『本当は言いたくなかったけど……あいつ等を選ぶくらいなら、わたしを選んで!』
今思い出すと恥ずかしい。告白の台詞みたいだ。
『あの、あれだ。黒峰の魅力が白瀬を上回ったら前向きに考えるよ』
虹谷君の返事はそれだった。
要するにあの白い悪魔から乗り換えて欲しければ魅力をアピールしろという意味だろう。虹谷君から飛び出したとは思えないほど過激な台詞だった。
わたしに出来るのは勉強だけ。中間テストでどうにかしようと必死で勉強した。
勉強に力を入れながら日々を過ごしていると、最低のイベントである体育祭がやってきた。
体育祭は嫌いだ。
昔から運動は得意じゃない。それに、体育祭を盛り上げる女神の役割というのもやりたくなかった。人前に立って声を張るのも苦手だ。いくら頑張っても、いくら尖ってみてもこれだけは無理だ。性格的に向いていない。
『よし、それじゃ盛り上がっていこう!』
隣で紫組を盛り上げていたのは紫音ちゃんだ。
恩人の義妹でもある彼女は自分の役割を完璧にこなしていた。紫組の士気をあげ、自分自身も活躍していた。運動神経も悪くないみたい。地味でダメダメと自己申告していたけど、少なくともわたしよりは全然マシだ。
あの子は女神に向いている。
笑顔が素敵で、皆を笑顔にしてくれる。太陽みたいに輝いていて、そしてとっても可愛い女の子だ。
わたしに女神の称号はふさわしくない。現女神は誰もふさわしくない。もし、わたしが推薦できるのなら迷わず紫音ちゃんを推す。
実際に紫音ちゃんから相談された時は女神に向いていると言っておいた。
その後、どうにかこうにか体育祭を終えた。
直後に学園を揺るがす大きな事件があった。体育祭で大活躍した青山が次回の天華コンテストを辞退すると発表したのだ。あれだけ活躍したら女神に選ばれる可能性が高いのに。
……どうして?
虹谷君が白瀬の派閥に入ったのも、青山が辞退したのも理解できなかった。
でも、そんな悩みはどうでも良くなった。
わたしは気付いてしまったから。
体育祭の少し前から明らかに虹谷君のテンションがおかしかった。とても元気で、笑顔が増えた。気のせいじゃない。間違いなく元気になっていた。
理由はそう、親友の犬山蓮司君だ。
ある日、たまたま犬山君とすれ違ったら彼の態度が明らかにいつも違っていた。普段ならわたしを見つけると睨みつけるのに、全然そういうのが無くなっていた。
理由は一つしかない。
「……そっか、再会したんだね」
犬山君がいれば大丈夫だ。白の派閥の問題も悪い方向に行かないはず。親友のためにあれだけ怒れる彼なら安心できる。
でも、これで自分の立てた仮説が間違っていたことになる。
虹谷君がこっちに戻ってきた当初、虹谷君は過去である”無川翔太”を捨てたと思っていた。新しい名前を得て、新しい人生を歩もうとしているのだと。だから過去の存在には関わりたくないのだと勝手に決めつけていた。
それは間違いだった。
彼は無川翔太という過去を捨て去っていない。犬山君と接触したってことはそういうことだ。
予定は変更だ。
「しっかりと伝えよう。あの時に言えなかった感謝の言葉を。そして、すぐに訂正できなかったことをお詫びしよう」
謝罪もしたいけど、一番は感謝のほうだ。あの時、助けてくれてありがとうって本人に直接伝える。
だけど、ここで大きな問題があった。
普通に接触して他の女神にバレると面倒だ。あの連中は虹谷君に気付いていない。下手な行動をすれば気付かれる恐れがある。誰にも見られない場所で、誰にも邪魔されない場所で話し合いをしたい。
どうにかして虹谷君に会いたい。
スマホに連絡してもいいけど、誰もいない場所で二人で会おうと言ったら警戒させてしまうかもしれない。
そこで考えた。犬山君に立ち会ってもらおうと。二人きりで会うよりもそれなら警戒されないはず。
ただ、突然話しかけても承諾してもらえないと思った。再会でテンションが上がっているとはいえ、犬山はわたしを嫌っている。好かれるはずもないので当然だ。
一つの案が頭に浮かび上がった。
神会議の中で、わたしは犬山君に言った。
『……中間テストで勝負しよ』
『勝負だと?』
『前回のリベンジ』
期末テストで負けたことは全然悔しくなかったけど。この言い方が一番だ。これなら他の女神も納得できるはず。
実際、犬山君が渋った後で援護があった。
『あれ、いつも強気なのに逃げるんだね。そういえば体育祭ではアンカー勝負で虹谷君に大敗してたもんね。しょうがないよね』
赤澤はおかしなことを言い出した。
……体育祭の虹谷君か。
そういえば、あの時の虹谷君は凄かったな。あの犬山君に勝利していた。運動が得意って話は聞いていたけど、あそこまでとは思わなかった。わたしが知っている彼は傷ついた後だったから、元気に運動している姿は見たことがなかった。
赤澤が変な挑発をした結果だけど、これが意外にも効果覿面だった。
『ふざけるな。この俺が逃げるわけねえだろ!』
何でも出来て完璧というイメージだったけど、挑発にあっさり乗ってきたのは意外だった。
『あら、それならわたくしも参加しますわ』
白瀬は参戦してきた。彼女も前回の負けが気に入らなかったのだろう。
『ボクはパスね。全然興味ないから勝手にやってよ』
何の興味もなさそうな青山はあっさりパスした。
会議終了後、わたしは個人的に犬山君と接触した。
『……タイマン勝負しよ』
『タイマンだと?』
『負けた方が相手の言う事を一つ聞くって条件で』
彼は呆れた顔で笑った。
『冗談じゃない。俺にメリットがない』
心苦しいけど、挑発させてもらう。
『……へえ、逃げるんだ?』
薄っすらと笑いながら言うと、彼はあっさりと乗ってきた。
『俺の辞書に撤退の二文字はない。いいだろう、受けて立ってやる』
迎えた中間テスト。
死ぬ気で勉強したのが実り、わたしは犬山君に勝った。満点だったことに驚きはない。それだけ勉強してきたつもり。この勝負は絶対に負けられない勝負だったから。
勝利後に犬山君とコンタクトを取り、要望を伝えた。
『あの約束』
『わかってる。言ってみろ』
『……虹谷君と会いたい』
わたしは真っすぐにそう言った。
彼は意味を理解したのだろう、顔色を変えた。
『その場には犬山君も立ち会ってほしい。大切な話があるから』
『おまえ――』
『わたしからの命令はこの話を虹谷君に持ちかけること。もし、虹谷君が断ったらこの話はなかったことにする。それで、命令は使ったってことでいいから』
『……わかった。本人に言ってみる』
そのまま先生に天華コンテストの辞退を伝えた。先生は驚いていたけど、勉強に集中したいと言ったら納得してくれた。
女神の称号はどうでもいい。
それでも、今の女神達が続投するのだけは嫌だ。今後は紫音ちゃんを女神にするために全力で推していくとしよう。
しかしその後、またもビックリする出来事が起こった。
何故か犬山君が男神を辞退するという情報が流れた。これは本当に意味不明だった。
わたしのせいかな?
負けてプライドがズタズタになったとか?
そうだったら罪悪感を覚える。でも、許してほしい。わたしだって今回のテストでは本気だったんだから。
虹谷君からの返事はすぐにあった。
『翔太の奴、黒峰と会うってよ』
『……わかった。ありがとう』
『負けたから命令を聞いただけだ。気にするな』
良かった。虹谷君は少なくともわたしと会話してくれる気はあるみたい。
それから日程を調整して、今から会うところだ。
「――あの時は言えなかった。だから、今回は絶対に言う」
強い決意を胸に、目的の場所にたどり着いた。
わたしは数年ぶりに恩人と、無川翔太君と再会する。




