第5話 赤い勧誘
白の派閥入りを表明した翌日。
登校した俺は自分の席に座っていた。広々とした教室には誰もいない。普段は賑やかなその場所に響くのは窓から吹き込む風の音だけだ。
誰もいないのは時間が早いから。他の生徒が登校するまでは結構な時間がある。
「……おかしなことになったな」
風を感じながら独り言ちる。
このままでは良くない。平和な生活を継続するために白の派閥に入ったのに、何故か状況が悪化している気がする。
緊急事態を乗り切るため、俺はある人物に連絡を取った。電話でも良かったけど向こうから実際に会って話をしようと提案された。連絡したのが夜だったのでさすがに昨日は難しかった。
早朝の教室で会おうという話になり、こうなっている。それにしても少し早く来すぎてしまった。
まあいい。後はあいつが来るのを待つだけで――
「おはよう、虹谷君!」
「っ」
不意に声を掛けられ、俺は引っくり返るくらい驚いた。
「お、おはよう」
元気よく挨拶してきたのは赤澤だった。
どうしてこの時間に?
赤澤がこの時間にいるのはおかしい。ぎりぎりで登校するわけじゃないが、それほど早く登校するわけでもない。大半の生徒と同じような時間に登校し、あちこちに挨拶しながらアイドルスマイルを振りまくのがあいつの日課だったはず。
無論、俺が約束した相手は赤澤ではない。
赤澤は自分の席に鞄を置くと、こっちにやってきた。昨日は怖いくらいに視線を感じたので嫌な予感がした。
「ねえ、どうして白瀬さんなのかな?」
開口一番これである。
赤澤は笑顔だった。ただし、そこにあったのはアイドルらしい光り輝く笑顔ではない。別の表情の上から貼りつけただけのものだ。
どうして赤澤がこの時間に登校を?
どうして俺が登校していることに驚かない?
どうしてその件について質問を?
突然の事態に混乱して質問に答えられなかった。
「ねえ、どうして白瀬さんなのかな?」
黙っていたら同じ質問が飛んできた。
相変わらずニコニコしているが、逆にそれが怖かった。だって目はちっとも笑ってないし。驚きと恐怖で口が上手く動かなかった。
「ねえ、どうして白瀬さんなのかな?」
三度目!?
顔は相変わらず貼りつけたような笑みだ。壊れた機械のような赤澤に恐怖しながら、俺はようやく口を動かした。
「えっと、それはだな――」
「本当は昨日聞くつもりだったんだ。けど、冗談だと思ったの。あのハンカチも意味を知らず、たまたま持ってきたものだよね?」
「俺が白瀬を支持しているのは事実だぞ」
答えた瞬間、赤澤は崩れ落ちそうになった。
「大丈夫か?」
「だっ、大丈夫じゃないかも」
持ち直した赤澤はそれでも笑みを作った。
「どうして白瀬さんなの?」
「それは――」
答えようとしたが、赤澤は首を振った。
「ううん、言わなくてもわかってる。脅されてるんだよね?」
「違うぞ」
「隠さなくても大丈夫だよ。この時間なら白瀬さんもいないはずだし。私が力になるから隠さず言って」
「だから違うぞ」
「脅されてないと虹谷君が白瀬さんに近づくなんて絶対にありえないもんね。口で言いにくかったらスマホに連絡してくれてもいいんだよ。私は虹谷君の味方だから」
全然こっちの話を聞いてくれない。
状況は未だに不明だが、このまま勘違いされては困る。ビシッと言わないと。
「しっかり聞いてくれ。俺は別に脅されてなどいない。自分の意志で白瀬を支持してるんだ。変な勘違いをしてほしくない」
そう言うと、赤澤は信じられないといった顔で俺を見た。
真顔の俺を見てさっきの言葉が真実と理解したのだろうか、赤澤は深く重い息を吐いた。
「……そ、そういえば、青山さんや黒峰さんとも話してたよね?」
「えっ、ああ」
「内容を教えてくれるかな」
迷ったが、言わないと逃がしてくれない雰囲気だ。
俺は素直に青山と黒峰から話しかけられた内容を話した。要するに自分を支持してくれるように言ってきたと。
「虹谷君はどう答えたの?」
「それは――」
「それは?」
「白瀬の魅力を上回ったら前向きに考えるって」
俺の返事を聞いた赤澤はにこりと微笑む。さっきまでの笑顔とは違う、素に近いものだ。
「ふむふむ。つまり、虹谷君に支持してもらいたかったら全力で魅力をアピールしろってことだね。自分のほうが白瀬さんより上だって証明しろと」
「いや――」
「任せてよ。確かに白瀬さんも可愛いけど、私だって負けてないからね。それに、運動も勉強も得意なんだ。直近のイベントなら体育祭でも中間テストでも活躍できると思う。さすがにどっちもトップを取るのは難しいかもしれないけど、総合力なら誰にも負けない自信があるんだ」
赤澤は自慢げに胸を張る。
本人の言うように赤澤のポテンシャルは高い。それは昔から知っていたし、一学期を見ただけでもわかっているつもりだ。
――って、そうじゃない。これじゃ俺が争いを焚きつけてるみたいじゃねえか。
どうする?
放っておくことで面倒な事態に発展するのは勘弁してほしい。こっちとしては何事もない平和な日々を過ごせればそれでいいのに。
「じゃあ、私の魅力を知ってもらうために今から虹谷君と楽しくお喋りでも――」
その時だった。
「おはようございます」
赤澤の言葉に被せるようにして、白瀬が教室に入ってきた。
◇
この時間に登校したのは白瀬と会うためだ。
想像していたよりも早く青山と黒峰が接触してきた。即座に勧誘が来るとは思わなかった。そのため、言い訳がお粗末になってしまった。
これについては準備していなかった俺も悪いが、まさかその日に勧誘されるとは思わなかった。しかも白いハンカチを見せても食い下がってきた。この動きは完全に予想外だった。
白瀬に連絡して状況を伝えると同じく予想外だったらしい。
で、その対策を話し合おうという話になって現在に至る。
「あら、赤澤さん?」
「え、白瀬さん?」
俺の目の前で赤澤と白瀬の視線がぶつかる。
「随分とお早いんですね」
「うん。今日はちょっとね」
そういえば、二人は仲直りしたんだったよな。
あの時の会話を思い出す。赤澤は女神の座が気に入っただけで、白瀬との確執はないという。
「白瀬さんこそ早いね」
「はい。わたくし、本日は翔太さんと約束しているんです」
その一言だった。
途端に空気が変わった。赤澤の顔から笑みが消えた。
「……翔太さん?」
「えっ?」
「ううん、呼び方がいつもと違うかなって」
「ああ、実は仲良くなったんです」
白瀬はそう言って微笑む。
仲良くなったというよりは、昔に戻った感じだけどな。俺としては呼び方など何でもいい。
呼び方でバレる可能性はない。白瀬だけが別の中学だったし、その頃の呼び方など赤澤達は知らないだろうしな。
「仲良し?」
「ええ、すっかり仲良しですよ」
実際には別に仲良しって程でもないけどな。
「……」
「……」
赤澤と白瀬が教室の中央で向かい合う。
えっ、なにこれ。
何だか空気が重い。ただ向かい合ってるだけなのに、場に緊張感が満たされていくようだ。
仲直りしたはずじゃ?
以前と同様か、それ以上に険悪な雰囲気に感じるのだが。
その光景を目の当たりにした俺は、どうしようもなく逃げたい衝動に駆られた。しかし逃げたらまずいことだけはわかった。
静寂を破ったのは白瀬だった。
そろりと動き出し、俺の手を掴む。
「では、わたくしと翔太さんは大事な話がありますのでこれで失礼しますね。また今後、ゆっくりとお喋りしましょう」
軽く引っ張られたので俺は立ち上がり、白瀬の後をついていく。
「ちょ、待って――」
「行きましょう、翔太さん」
「お、おう」
促されるままに歩き出す。
背後から赤澤が何か言っているが、あの場に戻りたくない俺は聞かなかったことにして歩き出す。
しばらくすると声が完全に聞こえなくなった。
……助かった。ありがとな、白瀬。
心の中で感謝しながら隣を見ると、白瀬は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。




