第4話 黒い勧誘
長い一日だった。
クラスメイトからは質問責めにされ、赤澤からジッと見られ、青山から詰められ、精神的にぐったりした日だった。
青山との会話は反省することばかりだった。
白瀬を支持する言い訳を考えていなかったのは大失態だろう。二度と同じ過ちを繰り返してはならない。
あれから言い訳を練った。おかげで午後の授業にはちっとも集中できなかった。まあ、その言い訳も今後使うかはわからないけど。
下駄箱で靴を履き替え、昇降口から出る。
校門に向かって歩いていると背後から強烈な視線を感じた。見られているのはわかっているが、あえて気付かないフリをして歩き続ける。
「……待って」
もう少しで外に出るという位置で呼び止められた。
声を掛けてきたのは黒峰だ。
予想はしていた。教室を出たところから尾行されているのはわかっていた。いずれ声を掛けられるかもしれないと身構えていたのだ。まあ、実際に呼び止められてビクッとしてしまうのは元々の性格が臆病だからだろう。
振り返ると、黒峰がこちらに近づいてきた。
普段の黒峰も威圧感があるけど、今の黒峰は普段のそれとは比較にならないほど迫力があった。
「ねえ、あの噂だけど」
何の前置きもなくそう切り出した。
「ちょっと待て。何もここで話さなくても――」
連絡先を交換しているし、バイト先でもいいだろ。
ここだと人の目がある。女神の一角である黒峰が男と話しているだけでも大注目だ。ファンの女子からしたら俺は敵でしかない。せめてもう少し歩いて学園から離れたところなら安全なのに。
言おうとしたが、黒峰から感じ取れる黒い気配に俺は口を閉じた。
「ダメ。ここじゃないと……その、勇気が出ない」
「勇気?」
「人の目がないと絶対耐えられない。お願い、ここで聞いて」
要するにこっちの黒峰じゃないとダメってことだろ。
思いつめたような表情で言われ、俺は黙って頷いた。
「あの噂、白瀬を支持するって噂を聞いた。あれって事実なの?」
またその話か。
俺はポケットから白いハンカチを取り出し、黒峰に見せた。言葉にするよりもこっちのほうが伝わりやすい。
「……」
黒峰は漆黒の瞳で俺の手にあるハンカチを見つめる。表情は徐々に曇っていき、やがて目を逸らした。
「二度と視界に映さないで」
「わ、悪い」
慌ててハンカチを片付ける。相当不快だったらしい。
「……どうして?」
「えっ」
「どうして白瀬なの?」
質問に答えようとしたら、黒峰は更に続けた。
「おかしいでしょ。プールで一緒だった時、虹谷はあいつのこと嫌ってた。少なくとも自分から近づきたいとは思ってなかったはず。ショッピングモールでプールに誘われた時も全然行きたくなさそうだったし」
よく見ているな。
あの時、俺は間違いなく白瀬を苦手にしていた。
まだ仲直りしていなかったし、八雲君が弟と知ったばかりで現実を飲みこめなかった。一緒にプールとか拷問だと思っていた。
その後に仲直りしたわけだが、黒峰は当然それを知らない。
「教えてよ。あいつを支持する理由」
「……」
「もし脅されてるとかだったら、力になるよ?」
「ぶ、物騒なこと言うなっ」
「それくらいしか考えられないから。虹谷があいつに協力するなんてありえない。絶対にありえないし」
どいつもこいつも脅されてる前提かよ。
俺が白瀬を支持するのはそんなに不思議だろうか。まあ、黒峰からしたらプールでの俺の態度を見ていたようだから納得できるけど。
「別に脅されてないぞ」
「っ、だったらどうして!?」
俺は早速考えておいた言い訳を使うことにした。
「理由は八雲君だ」
「……?」
「そう、白瀬の弟の八雲君だ。ほら、一緒にプールに行っただろ。俺もあの時が初対面だったんだが、すっかり意気投合してな。個人的に彼が気に入ったんだよ。だからその姉である白瀬に票を入れようかなって」
我ながら素晴らしい言い訳だ。
というか、他に何も考え付かなかった。白瀬の容姿を褒めたりするのは後々破綻しそうだし、かといって支持する理由がないのであれば他の女神を支持しても問題ないと論破されてしまう。
紫音を言い訳にしても良かったが、あいつは間違いなく黒峰の支持をするから。
八雲君を理由にしておけば黒峰は疑わないだろう。実際、俺が彼を気に入っているのは事実である。
「だから、どうしてそれで白瀬なの?」
「八雲君はきっと姉に票を入れるだろ。俺も彼を手伝ってやろうかと」
「……虹谷は知らないと思うけど、彼はきっと白瀬に入れないよ。紫音に入れるから。あの子、どう見ても紫音に惚れてるからね」
「っ」
それも見抜かれていたか。
「そ、それは初耳だったな!」
「っていうか、彼が誰に入れても虹谷には関係ないじゃん」
正論をぶつけてきやがった。
「と、とにかく俺は意見を変えるつもりはないっ!」
「っ」
「じゃあ、話はこれで終わりってことで――」
強引に話を終えて歩き出したが、黒峰に先回りされた。
「……待って。あいつはダメ」
「ダメって言われてもな」
「本当に脅されてない?」
「脅されてない」
「けど、あいつを支持する本当の理由は言えないんだよね?」
その通りだった。俺は押し黙るしかなかった。
「話は変わるけど、昼に青山と話してたみたいだけど?」
「話してたな」
「内容を聞いてもいい?」
隠してもいいが、別に隠す意味はないか。それにこの様子だと何となく内容もわかっているみたいだし。
「黒峰と同じだ。どうして白瀬を支持するのかって聞かれた。そしたら、自分のほうを支持してくれってさ」
「……青山もダメ」
「どっちもダメなのか?」
「どっちもダメ!」
そうは言っても俺の意思は曲げられない。
存在を抹消するレベルで俺を嫌っている黒峰に正体がバレたら、想像もしたくない事態になりかねない。
白瀬という盾を使うしかないのだ。現状あまり役立っていないけど。
「本当は言いたくなかったけど……あいつ等を選ぶくらいなら、わたしを選んで!」
「っ」
「理由がないなら別にいいでしょ?」
おかしいな。言い訳も要してきたのにまたも追い詰められてしまったぞ。
どうする?
ここは校門の近くで、ちらほらと生徒の姿がある。黒峰が男と喋っているの珍しいようで、かなり注目されている。下手なことは言えない。
捻り出せ。この状況を穏便に収める言葉を。
「あの、あれだ。黒峰の魅力が白瀬を上回ったら前向きに考えるよ」
「っ」
用意していた言い訳が通じず、またも俺は同じ過ちを繰り返した。
俺の言葉を聞いた黒峰は一瞬驚いた様子だったが、その後なにかを考えるように固まった。
「……よくわかった」
黒峰は覚悟を決めたような表情でつぶやくと。
「虹谷に推して欲しかったらもっとアピールしろってことだね」
「えっ?」
「いいよ。そう言われたら頑張る。あいつよりわたしのほうがマシとは言えないけど、あいつは危険だから。青山も同じく危険」
黒峰は自分の言葉に納得した後。
「運動はそこまでだけど、勉強は得意。あんまり言いたくないけど、スタイルだって悪くないと思う」
「あの?」
「虹谷がそういうの望まないってわかってる。だから、実力がアピールできるとしたら中間テスト。白瀬の奴は勉強が得意だけど、わたしが勝つ」
黒峰はそれだけ言うと、満足したように頷いた。
「テストの結果、楽しみにしてて」
そう言って黒峰が去っていった。去り際には話しかけてきた時に感じた刺々しい黒い気配が消えていた。
あれ、何か想像と違う展開になっているのだが。
……俺はどこかで間違えてしまったのか?
わからない、それはわからないがひとまずこの場から退散しよう。
何故そう思ったのかといえば、校門でやり取りする姿を真っ赤な瞳がジッと見つめていたからだ。




